14 川沿いの生活
私は今まで運が良かったのだと思い知らされた。
これまであの巨大鹿にしても巨大猪にしても、単体だったから私でもなんとか勝てたし、抗う気持ちも持てた。でもねぇ……。
「いきなり、四体はないでしょ……」
鹿も猪も家族単位では一緒にいるけど、基本は単体で行動していたような気がする。でも、群れで生きる動物なら複数でいることも想定すべきだった。
しかもこの辺りで一番高いビルを根城にしていたことから、あの黒い巨大猿たちが最近生まれたのではないのなら、人間との戦いに生き残った群れということだ。
正直、あの数を相手にして生き残れる気がしない……。
最初に見えた一番大きな個体でも建物の窓二つ分……体高で六メートルはあった。
なんとか上手く一体ずつおびき出せたとしても、通常の大きさの猿も従えていたので、それらが騒げば、他の個体もやってくるはずだ。
でも……。
「私にあいつらと戦う理由がないんだよなぁ……」
襲われたのなら仕方がない。でも、利害がぶつかったわけでもないのに私から倒しに行くって、なんか違う気がするんだよね。
思わず川まで戻ってきちゃったけど、ここまで逃げなくても良かった気がする。
あの病院の屋上に上るまで、私も猿もお互いの存在に気づかなかったから、あれらは何かを襲うために移動しているのではなく、あの高層ビル周辺を縄張りとしているのだと思った。
だったら縄張りのビル周辺を避ければ、ぐるっと回って商業ビルを漁ることも出来たかもしれない。でも、今はまだ猿たちも警戒しているだろうし、何より私がビックリしたのでしばらく近づきたくはなかった。
「何処に行こう……」
あのビルを目標としていたから、目的が宙ぶらりんとなって呆然とする。
夕暮れになって川を流れる水の音を聞きながら、ふと流れている水を目で追いながら、なんとなく思いついた。
「そうだ、海に行こう」
地理はさっぱり分からないけど、これだけ大きな川ならきっと海に向かっているはず。
海のお魚、食べたい。思いつきだけど、とりあえず目標を『海』に決めた。
この世界がどうなったのかを知る目的にはそぐわないかもしれないけど、そもそも私の〝知識〟は実際に見て経験しないと自分のものにならないから、海を見ることも、そこへ向かう道のりもすべて私の〝人生〟となる。
その日は大木伝いに壊れたマンションに登り、窓の鍵が開いていたお部屋を間借りして就寝することにした。
おはようございます。翌朝、マンション上階で借りたソファーで起きた私は川まで戻り、川の水で行水をして埃を落とす。
ほぼ廃墟とはいえ、さすがにマンション内で焚火はできないので、河原で熾した焚火で炙って干し肉を食べた。昨夜はそのまま食べたけど、やっぱり炙ると柔らかくなって美味しい。
ジンベエもちゃんと食べているかな……。
お肉は結構食べたつもりだったけど、まだ十数キロはある気がする。
昨日……逃げていたとき途中で荷物を捨てようか一瞬頭をよぎった。結局、身体能力的に余裕があったのと、ジンベエと作ったお肉を捨てたくなかったので持って帰ってきたけど、行動の邪魔になるのなら早めに食べたほうが良い気がしてきた。
「とりあえず、川沿いに進めば海に出る?」
それに川沿いなら大量の水が利用できる。しかも川魚がいるのでご飯にも困らない。
ただタンパク質だけの食事はちょっとなぁ。肉食っぽい私の身体なら大丈夫なような気もするけど、一日一食は肉以外の物も食べたほうがいい。……気分的に。
そのまま川沿いの土手をてくてくと歩く。
こうしてみると、この辺りは建物の背が低いのかそのほとんどが木に埋もれていた。それでもまだ街か町だと分かるのは、点々と木々から頭を出すようにマンションやビルが見えるからだ。
それから考えると、この地域はさほど大都会でもないのかも?
あれだけのビルと街があったのだから都会なことに間違いはないと思うけど、ジンベエのいた山間の農家から森を抜けてすぐに街があったことから、都会の範囲が小さい気がするんだよね。
この辺りの地理……ここがどの辺りか分からないと北か南か、どちらへ行っていいのか判断できない。電信柱に地名が書いてあっても、県じゃなくて小さな地域の名前じゃ分かんないよ。
「あ……」
……雨? 昼頃になり、そろそろ川で魚でも獲ろうかと思っていたら突然雨が降ってきた。
少しずつ雲は増えてきていたのでさほど驚きはなかったけど、どんどん空が暗くなって雨粒も強くなってきたので、すぐに大きな木の下に逃げ込んだ。
……よく考えたら、濡れてもあまり影響はないかもしれない。
あまり濡れすぎると毛皮が傷むかもしれないけど、それは今更だし、ある程度なら水も弾くし、なんなら毛皮をビニールのゴミ袋に仕舞って裸で歩いてもいい。
でも、干し肉に湿気はダメか。一応、ビニール袋に入れてあるけど、湿気が酷くなるとカビが生えたりするのかも。
「まだ降るかなぁ……」
念のため、木の陰でまだ濡れていなかった枯れ枝を拾ってゴミ袋に集めていたけど、雨はまだやむ様子はなく、徐々に足元まで水溜まりが迫ってきていた。
「行こう」
移動しようと即決する。45リットルのゴミ袋二つに脱いだ毛皮と皮袋を入れて、とりあえず近場に見えた、木々に埋もれた町へ雨の中を駆け出した。
バシャバシャ!
「うひゃあああ」
変な声をあげながら雨の中を走っていると、ちょっと楽しくなってきた。
雨は冷たいけど、私の中の〝熱〟を奪うほどでもないし、逆に気持ちいいくらい。
この辺りは住宅地……って言うほど民家は密集していないようで、木々と雑草に埋もれた中に建物が点在していた。
間違いなく〝町〟なんだけど、どことなく郊外っぽさがある。
そのせいか壊された民家はほとんどなかったのに、何故か広い道路に面した場所だとシャッターが壊された店舗があった。
「ここでいいか……」
前面が硝子張りになったその店舗らしき平屋も入り口のガラスは割られていたけど、その前がぽっかりと空いて……駐車場? になっていたので、建物は樹木の浸食を免れていた。
大きな木が生えると根っこがコンクリートまで割るからね。駐車場は雑草が生えていたけど落ち葉が少ないので土になるほどでなく、中も比較的元の状態を保っていた。
「……スーパーマーケットかな?」
中には商品棚が並べられていて、奥の壁には飲み物や食べ物の冷蔵ケースがあった。
現実と私の中の〝知識〟とのすり合わせが完了して、ここをスーパーマーケットだと認識した私があらためて中を見てみると、商品の類いはほとんど残っていなかった。
棚にはわずかに惣菜だったかもしれない残骸が残っていたけど、日持ちのするような食品は残っておらず、ティッシュや洗剤のような棚も空になっている。
補充が来なくなっても、店長さんがギリギリまで営業を続けていたのかな?
いや……これは違うかなぁ。カウンターの上に埃にまみれた小銭が散らばっていた。
たぶん……だけど、あの巨大動物が現れてみんなが避難した。ほとんどの人はそれで退避したのかもしれないけど、それでも残った人がいた。それから少し経って、食料がなくなった人たちが、扉を開けて食料を貰っていった。
……そんなところかな。
外のシャッターが壊された店舗も、思い出せば食品店や日常雑貨のお店だった気がする。
残った住民ではなくても、避難途中の車で来た他の地域住民が壊して必要な物を持っていった可能性もある。あくまで想像だけど。
まあ、戻ってくるつもりの避難直後か、すでに廃墟になっているかの違いはあるけど、私も似たようなものだから批難はしない。
でも、その残った人たちはどうなったのかな? 普通の人間が生きていくには厳しい環境に思えるけど……。そんなことを考えながらまだ使えそうな物を探していると、バックヤードを見てもうこの辺りに人は残っていないのかもしれないと、あらためて思った。
水もジュースもお菓子類も、在庫類は何一つ残っていなかった。
避難に邪魔となるペットボトルの重い水さえも無くなっているのは、完全にインフラが止まった状態でもまだ人が残っていた証拠だ。それでも、もう人はいないと思ったのは、一種類だけ缶詰が残っていたからだった。
「これ、缶切りがないと開かない奴だ……」
外国産みたいだけど英語じゃない。絵を見ると豆の辛いソース煮込み?
缶切りのない家庭もあるかもしれないし、重いし、激辛っぽいし、きっと売れ残って放置されていた。それでも、もし今でも人が残っていたら、缶を壊してでも食べようと持って帰るはずだ。
でも残った人たちもこれに手を付けるまでもなく、インフラが止まって数週間もしないうちに限界を感じて、この地を離れていったのだろう。
それでも……。
「私は食べるけどね!」
表面に錆が多い物や、缶自体が膨れている物は中身が漏れている可能性があるので除外する。
金属の棚を数枚借りて軒のある玄関に敷き、そこで焚火をすることにした。……枯れ枝、拾っておいてよかった。それから缶詰を持ってきて牙ナイフを突き立てる。
ガンッ!
「……思っていたのと違う」
穴はあくけど、綺麗に開かない。無理に開けると中身が飛び散るので、結局爪を使ってちまちまと開けることにした。
「匂いは……大丈夫」
火の側に開けた缶詰を二つ並べて暖めると、良い匂いが漂ってくる。
「……辛い!」
初めて食べる辛い食べ物に慌てて瓶の水を飲む。
私が騒ぐその外では、ミルク鍋に雨水が溜まる音が、まるでオルゴールのように静かな曲を奏でていた。
竜娘は川沿いに海へ向かう
次回、『海へ』