彼は何者9
タクトは辛そうに顔を歪めました。その表情は人間そのもの。
「浅見は、僕に『善悪に関して正しく判断する』というプログラムを組み込んでいた。せめてもの良心だったんだろうね。
道徳観や倫理観に照らして『悪』だと判断されると胸の奥の部分で火花が散るようにしていた。
杏香さまは鞭を振るっても僕が思い通りに動かないからと浅見に修理するように依頼した。浅見は多額の金を積まれたが故障はないと突っぱねた。……杏香さまは三日待つから僕を初期化するかスクラップにするか決めろと浅見に詰め寄った。」
タクトは目を伏せました。初期化かスクラップ。アンドロイドにとってはどちらも『死』と同義です。
「浅見と僕は逃亡した。」
風が私のツインテールとタクトの黒髪を揺らします。
たぶん、タクトにはこの風の感触もあるのでしょう。
「浅見が逃亡先として思いついたのがこの特区で、斎木教授だった。彼ならば理解してくれるだろうと。僕のような存在を生み出し、アンドロイドの次の可能性を開くのを助けてくれるのではないかと。……だけど彼は今になって躊躇している。浅見は斎木教授を裏切ったんだもんね。」
タクトは肩をすくめた。
「けれど僕だって今のような状況は打破したい。だから浅見には黙って教授の家に忍び込んだ。……そして、君と出会ったんだよ、リーア。」
タクトの紺色の瞳が私に向けられました。
「君はアンドロイドだけど、『感情』はないはずだけど、僕を救ってくれた。」
「……そんな覚えはありませんが。」
「君にはきっと『優しさ』がプログラミングされているんだよ。斎木教授から息子さんへのプレゼントだったんだろうね。」
タクトはまた微笑を浮かべました。でも私は笑えません。そんな顔はしたことがないしできません。『優しさ』とやらもわかりません。私は合理的だと判断したことをやっているだけです。
「君と出会えて嬉しい。君は僕の『希望』だ。」
「希望。」
「うん、僕は一人じゃなかった。それに君は今日のこのお日さまのように『優しい』。」
タクトは指で優しく私の頬に触れました。
「僕はリーアのことが『好き』になったんだよ。」
「好き。」
「うん、『好き』。僕の計算結果に間違いはないよ。」
『好き』。言葉は知っています。でもわからない。
「おぼっちゃまが学校から帰ってくるので家で迎えなければならないのです。」
「明日の予定はたしか十六時に息子さんが帰宅、その後はスイミングスクールだったよね。」
「……。」
「ね、僕の目を見て?」
私の瞳の中のレンズがタクトの瞳の中の二次元コードを捉えました。コードにはタクトの明日の予定が含まれています。
「……リーアがおぼっちゃまのスイミングスクールのバスを見送った後、リーアとタクトはここで会う……。」
「そう、瞬きして。……その予定が君に新しく書き込まれた。その後の予定はまた明日ね。」
タクトは手を振って去っていきました。彼ははいつその予定を二次元コードに組み込んだのでしょう。
……ケーキを取りに行かなければ。




