2 「使い捨てられるだけになりたくなければ、血反吐を吐こうとも自分で力を付けろ」
謁見の間を出て、ディアは敢えてゆっくりと廊下を歩く。
(さて、どこに向かいましょうか。この国に到着して、即座に謁見の間に通されたから……。うーん、さっきはああ言ったけれど、すぐに客間が用意されるとは思えないし……城外に放り出されるかもしれないわねー……。ま、そうならそうで何れかの手段でまたレオン様に謁見を願い出る算段を付ければいいわね!)
とりあえずヴェルディス帝国までディアを乗せてきた馬車の御者やオブゼクトの護衛騎士たちを国に帰るように指示でもするかと、謁見の間まで通されてきた廊下を戻る。
(ま、馬付き場で待ってても良いわね……。いいえ……それではプシーを出してあげることが出来ないわ……)
ディアは足を止めて、足元に出来ている自身の影をじっと見る。そのディアの影が不自然にゆらりと揺れた。
『……にゃあ?』
「ううん、ごめんね。まだ待って頂戴」
ディアは影から聞こえた声に、小声で答える。影はふっと揺れ、そして、静かになった。
と、同時に「オブゼクト王国の姫君」と、ディアを呼ぶ若い女の声がした。
声のほうに顔を向ければ、王宮の侍女もしくは女官と思しき女性が三人、ディアに対し深々と頭を下げていた。
「誰?何か用かしら?」
「……ご案内が遅くなりまして申し訳ございません。私どもは貴女様がこのヴェルディス帝国にご滞在の間、お世話係として配されましたものでございます」
「あら……ヴェルディスのレオン陛下はわたくしがこの国に滞在する許可を出してくださったのね。ふふっ、このまま帰れと言われると思ったわ」
レオンが元々ディアを即座に帰国させるつもりで、滞在のための部屋など用意させなかったということくらい、ディアでも察することが出来る。
そして、先の会見の結果、大急ぎでディアのための部屋を、今、準備していることも。それが分かっていて、敢えて、表面上にこやかに笑った。
「……とにかく今、姫君のお部屋の準備をしております。部屋が整うまでの間、申し訳ございませんが、応接の間のほうでしばしお待ちいただけないでしょうか?」
「わかったわ。では案内をよろしくね」
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案内された部屋でお茶を飲みながら待つことしばし。ようやく整ったという客間にディアは連れてこられた。
「あら……。随分とよい部屋をあてがってくれたのねえ……」
ディアは案内された部屋をぐるりと見渡す。
フレスコ技法で塗られた青い磨き壁。ヴェルディス帝国の建築にしばしば用いられるクワットレフォイルと呼ばれる四つ葉状の文様の小窓。その小窓からは明るい日差しが差し込んできている。調度品も華美ではないが、質の良さが分かるものばかり。花弁文様の彫刻を施した石張の暖炉もあった。北向きの寒々しいまるで牢獄のような部屋をあてがわれても文句は言わないでおこう……と、こっそり思っていたディアは、案内された部屋の様子に顔を綻ばせた。そして、すっと長椅子に座り、世話係たちの顔を見る。
「この部屋は……あなたたちが用意してくれたのかしら?」
「はい。姫君のこの部屋は三間続きでございます。あちらの……右手側のドアの向こうは衣装室でございまして、姫君のご衣裳や、オブゼクト王国からご持参いただいた姫君の私物などを置かせていただきました。それから、左手のドアは寝室へと続いております」
「ありがとう。そういえばあなたたちのお名前、まだ聞いていなかったわね。わたくしのことはディアと呼んで頂戴」
「かしこまりました、ディア様。ディア様のお世話係として、まず私、モナ・アールグレーン。そして、こちらの者がマリエ・ダージリー。それからアゼリア・オータナンでございます」
三人がディアに頭を下げた。
「そう、モナにマリエにアゼリアね。とりあえず、少し休ませてもらえるかしら?さすがに疲れて、少々眠いのよ。ああ、忘れていたわ、オブゼクトの者達は国に返してもらっても構わないわ。元々この国にわたくしを送り届けるためだけに雇われた者達でしかありませんしね」
三人は「かしこまりました」と言って、ディアの部屋から出て行った。ディアは寝室に向かい、ベッドに腰を掛ける。
「さて……これでしばらく大丈夫ね。プシー、出てきていいわよ」
ディアの影がモゾリと動き、その影から『にゃあ?もう大丈夫にゃのか?』と返答があった。
「ええ。ちゃーんと《認識障害》と《音声妨害》の《魔道》を展開したわ。外の声は聞こえるけど、この寝室の中の音は外には漏れないわ。万が一、そのドアから寝室内を見たところで、ベッドで眠っているわたくしの幻影しか認識出来ないはずよ」
『それなら遠慮にゃくー』
するりと、音もなく。ディアの影から出てきたのは巨大な黒猫。一見、黒ヒョウにも見えてしまうのだが、プシー本人は「猫だ」と主張し、話すときの語尾に「にゃあ」と付けたがる。くりっとしたアンバーの瞳と愛嬌のある顔付きをしているが、ディアの影から出入りすることから分かるように、プシーは当然普通の猫ではない。
人語を理解し、二本足で立つことすら出来る妖精猫である。
ただ、プシーが二本足で直立することはほとんどない。出来ないのではなく、ディアから「大きすぎて圧迫感があるのよね」と文句を言われるからだ。今も、ディアの影から出て、そのままノシノシとベッドの上に乗り、そこで仰向けになると、だらりと寝そべった。
ディアはそんなリラックス状態のプシーの腹に、ぼふっと顔を埋めた。そして顔を埋めたまま「すはー、すはー」と息を吸う。
『……にゃにをするかにゃ……』
「……癒されてるのよう……」
プシーは『仕方ないにゃー』と、長い尻尾でぽふぽふとディアの頭を撫でた。ディアの真っすぐで長い銀の髪がさらさらと流れる。
しばらくそうした後、ディアの気持ちが落ち着いたころを見計らって、プシーが聞いた。
『初恋の王子様に、十年ぶりの感動の再会……とはいかなかったのかにゃ……』
「うん……。『帰れ』って怒鳴られちゃったの……」
ディアはため息を吐いた。
「それで……、最初は悲しかったんだけど、段々ムカムカしちゃって……」
『で、どうしたのにゃ?』
「お師匠様の覚書を燃やして、そこに書いてあることはわたくしが全て暗記しているわよ。だからわたくしの価値は賠償金よりも高いでしょうって、要約すればそんなことをレオン様に言ったわ」
『お師匠様の覚書、燃やしたって……っ!にゃにしているんにゃディアっ!あの冊子、あんなに大事にしてたのに……っ!』
驚愕のままいきなり立ち上がったプシー。天上に頭をゴンとぶつけ、プシーは『うにゃにゃにゃにゃっ!』と頭を抱えた。プシーに寄り掛かっていたディアは、その勢いでベッドからころころと転がり落ちた。
「もうっ!何するのよプシー……、燃やしたって言ってもダミーよ?本物は……ほら」
立ち上がりつつ、ディアは手を伸ばして、何もない空間から冊子を取り出した。ディアの使える《魔道》の一つ、所謂《アイテムボックス》や《無限収納》と呼ばれるものだ。
「ほら、こっちが師匠の本物の覚書。ちゃーんとあるでしょう?」
『……びっくりさせないでにゃ……っていうか、そもそもにゃんで燃やすフリなんてしたのかにゃ』
「え、だって。お師匠様の覚書だけ取り上げられて、わたくしだけさっさと国に帰らせられたら元も子もないじゃない。ようやくレオン様のお傍に来られたっていうのに……」
『まー、そうだけどにゃあ……。でも、喧嘩腰でどうするにゃ。そんにゃんじゃ、ずっと好きでしたーにゃんて言っても信じてもらえないんじゃないかにゃー』
「……だって、頭に来たんですもの」
『にゃ?』
「いくら好きだからって、頭にくるものは頭にくるのよっ!わたくしだって段取りをちゃーんと考えていたのよ?それもレオン様がわたくしを覚えていてくださった場合と忘れていた場合。可憐な女性に成長したバージョンや凛とした女性バージョン。何パターンも何パターンも考えて、レオン様の反応を見て、一番気に入ってくれそうな対応をして見せようと……、試行錯誤してきたのにっ!」
『……開口一番「帰れ」で、尚且つ「無価値」と言われてブチ切れたにゃんか……』
はああああ、とプシーはため息を吐いた。
「ブチ切れよりもちっと穏やかよ?プチ切れくらいかしら?」
「……言葉遊び、しているんじゃにゃいんじゃ……」
「コホン。とりあえずわたくしは無価値なんかじゃなくて、ちゃーんとレオン様のお役に立てますって啖呵は切らせてもらったわっ!レオン様がどう判断なさるかはわからないけれど……」
『ワタクシは価値ある人間であって、貴様のような愚王に卑下される覚えはないわって喧嘩売ったとしか思えないんにゃけど……』
「…………相互の見解の相違なんて、よくあることよね?」
『あるにゃろうけど……。こんな最悪に近い状態からどうやってディアはレオンの嫁になるつもりにゃ?十年もの間ずっと好きだったにゃーなんて告白したところで、嘘か策略の一環としか受け取ってもらえないと思うにゃんけど……』
「うーん、そこはそれ、時間をかけて……」
プシーは無言になった。しばし真顔になり、ディアの肩をそのしっぽでぽふぽふと叩く。
『無策?』
「だって十年前、他でもないレオン様がわたくしに言ったのよ。『使い捨てられるだけになりたくなければ、血反吐を吐こうとも自分で力を付けろ』と。お師匠様のおかげでそれなりの魔道を使えるようになったし、戦争に負けたおかげでレオン様に再会出来た。……まあ、ちょっと、レオン様の態度がアレだったから、ほんの少し、淑女らしからぬ言動はしたけれど……。まあ、それはともかく、わたくしは、レオン様のお傍で働いて、わたくしの価値を示して……、そして、今日のことはレオン様に謝罪してもらうわ。わたくしには賠償金以上の価値があると認めていただき、そして……、価値ある者として認められれば、お傍に侍ることも可能でしょう。そうしたら嫁として認めていただき、結婚も可能かと思うのよ。で、子どもはそうね、男の子が一人と女の子が一人は欲しいわね。いえ、もっともっと居てもいいし……、あ、子ども無しの二人きりの愛ある生活でも構わないわね。レオン様のヴェルディス帝国は世襲制ではなくて、実力があるものが次代の王に就くから、子を生さねばならない理由はないし……」
『無理のある妄想は止めるにゃん……』
延々と続きそうなディアの言葉を、プシーはあきれ顔で遮った。
『だけど、怒鳴りつけられて、嫌いになったのとかではないのにゃーね……』
「あらっ!何を言うのプシーったらっ!」
そんなこと天地がひっくり返ってもない、とばかりに、ディアはプシーの背をぺしぺしと叩く。
「長い人生、時には言い争いや見解の相違もあるでしょう。だけど、このわたくしの恋心は……十年も積み重ねた気持ちは、そう簡単には変わらないわよっ!わたくしは再びレオン様にお会いするために、力を付けた。お会いして、たった一度の言い争いで簡単に消え失せるものではなくてよっ!でもわたくしを侮ったことは謝罪してもらいますけどねっ!」
プシーは知っていた。
ディアはめげない。己の目的を達成するまではしつこく足掻くということを。
そんな性格になったのも、全て十年前のレオンの言葉によるものだということも。
ため息を吐きつつ、プシーはディアから何度も聞いた、ディアとレオンの出会いを思い返していった。