1 「寄越せと言ったのは賠償金であって、貴様のような小娘ではないっ!」
2万文字ちょっとの短いお話です。
最終回までいっきに掲載いたしますので、お時間があるときにでもおよみいただけるとうれしいです。
「ふざけるなっ!何が『花嫁』だ!寄越せと言ったのは賠償金だっ!貴様のような小娘ではないっ!」
ヴェルディス帝国の若き王、レオン・フォン・ヴェルディスは、獅子を思わせる金茶色の髪の毛が逆立つほどの怒りを見せた。
小娘と呼ばれたアレクサンディア・デュ・オブゼクト――ディアは、そのぶつけられた怒りに、悲しげな顔になり、そして俯いた。青みがかった銀色の長い髪がさらりと流れ、ディアの顔を隠す。
「戦争賠償としてお前のオブゼクト王国からは二十億リベル。それを支払えば我が国の属国とせず、独立を認めてやると……、戦争に巻き込まれざるを得なかったお前の国を思い、温情を下してやったというのに。その温情を無下にし、お前のような小娘を差し出すとは……。オブゼクトのアレクセイ王の頭には蛆でも湧いているのかっ!それとも我が国の属国となることを望むのかっ!オブゼクトの王族、貴族、平民の区別なく、全て我がヴェルディス帝国の奴隷の身分に落としてやっても良いのだぞっ!!」
三年間続いた東のヴェルディス帝国と西のシゥイン皇国の戦争。
その戦場となったのが、両国の間に位置する小国、ディアの属するオブゼクト王国だ。
ディアの、母違いの兄であるオブゼクトの現国王アレクセイは、この戦いにおいて西のシゥイン皇国に与し、そして、敗北した。
こんなことになるのならば、シゥイン皇国ではなくヴェルディス帝国に与すればよかったとアレクセイは嘆いたが、時すでに遅し。
そうして、戦勝国である東のヴェルディス帝国の王レオンにより、戦の賠償として二十億リベルの支払いを求められた。
が、両国の戦に巻き込まれた挙句、戦場となったオブゼクト王国に、支払うことが出来る金などは無い。
そこで、オブゼクトの現国王アレクセイは、末の妹であるアレクサンディア――ディアを、ヴェルディス帝国に差し出したのだった。
当然ディアも、賠償金の代わりに王女を押し付けるなど、喜んで受け入れてもらえるとは思ってはいなかった。
けれど、まず話くらいは聞いてもらえると思っていた。
そして、話を聞いてもらえれば……過去に一度だけ出会ったことのあるディアのことをレオンが思い出してくれれば……もしかしたら、ディアを花嫁としてレオンが受け入れてくれるかもしれない。
そんなディアの甘い期待は踏みつけられた。
(ホントはちょっと期待、していたの。レオン様が、あの十年前わたくしに言ってくれた言葉。それを胸に、わたくしは本当に努力してきたのに……。再会が叶えば、わたくしのことをおぼえていてくだされば……。そう願っていたのに)
手にしていた冊子をぎゅっと握りしめる。それから、俯いてばかりではダメだと、ディアは顔を上げた。が、レオンからはぎろりと睨みつけられ、ディアは再び俯いた。
(……あの時、前王の葬儀でお会いした時のレオン様は……優しい瞳でわたくしを見てくださったというのに……。頭を撫でていただいた手の感触も、覚えているというのに……)
涙を流してみれば多少の同情を引けるだろうか。
いや、そんなことをしても、無駄だろう。それに……。
ディアは奥歯をぐっと噛み、覚悟を決めた。
(大人しく引きさがっても強制送還されるだけよね。力のない者なんて、淘汰されるだけ。なら……、怒らせてでも、わたくしに興味を持ってもらわねばっ!)
口角を上げる。まるで物語の悪役令嬢のように、あでやかな花のように、不敵な顔で、笑う。
そうして毅然とした声で告げた。
「小娘ではございませんわ。わたくしはディア――アレクサンディア・デュ・オブゼクト。これでもオブゼクトの現王であるアレクセイの妹であり、婚外子とは言え前王エイダンの血を引いている王女でございます」
ふん、と。レオンは鼻を鳴らした。
「それがどうした敗戦国の姫君。貴様には何の価値もない。さっさと帰れ。そして締結条約の通り賠償金を支払えとアレクセイに伝えろ」
獲物を前にした獅子のようなレオンの強い視線に、もはやディアは一歩も引かなかった。
「このわたくしに価値がない?ふふっ、あるからこそ、兄王アレクセイがわたくしを貴国に差し出したというのに……」
「はっ!王女とは名ばかりの貴様に、価値などあるはずが無かろうっ!」
「確かにわたくしは名ばかりの王女。前王エイダンが侍女に手を付けた結果、運悪く出来ただけの小娘。ですが……、そう、ですね、論より証拠という言葉もございますので、まずはわたくしという小娘の価値を示しましょう」
ディアは胸に抱えていた冊子を、芝居がかったように大げさに掲げてみせた。
「天才魔導士と称されたカーライル師のことはご存じでしょう?かの師の魔道があったからこそ、我が国は戦場となりながらもその被害は最小限でございました。この冊子は師が生前書き続けてきた魔道に関する研究……その覚書きですわ。ここにかの師の研究の成果の全てが……」
「それはっ!本物かっ!?」
勢い込んでディアの言葉を遮ったのは、レオンではなく、その右隣に控えていた白髪で長い髭の老境の男だった。
白く、裾を引く程に長いローブを着用しているところからすると、宰相と言うよりは神官長という役職に就いているものかもしれない。それとも魔導士なのだろうか?
ディアにはわからなかったが、とりあえず、カーライル師の名を知っているのならば、交渉もしやすいと思い、ディアはその老人に微笑んだ。老人はくわっと目を見開いてディアの手にある冊子を凝視している。
「あら、そちらの方にはカーライル師の研究の価値が分かるようですわね?」
魔導士カーライルの名は、近隣諸国には知れ渡っている。
けれど、そのカーライルがオブゼクト王国に居たことや、ディアに直接魔道を教えたことを知る者はほとんどいない。
戦争に利用されるのを嫌がったカーライルはその姿を魔道で変え、更に名を変えて、無名の魔導士としてこっそりとディアの魔道の教師となっていたからだ。更に、ディアの離宮で隠れるように過ごしていた。
無名の老人、多少の魔道を使えるだけの者が、一般的な魔道をディアに教えているだけ。そんな体裁で。
アレクセイ王すらそんなふうに認識していた。そう認識するように、カーライルが仕向けていた。
ディアは勿体ぶって、手で冊子をパラパラとページを捲る。そして、中ほどのページを開き、そのページを掲げて見せる。
途端に老境の男の目が輝いた。
「おお……っ!そ、それはっ!もしやエリクシールの作り方……っ!」
「ええ、その通り。ですが一般のものとは効能が違います。我が師、カーライルのエリクシールは……例えば……そうですわね、腕を切り落としたとしても、新しく生えてくる。そのような効果がございます」
先の戦争の時。カーライルはその力を隠していたが、師から知識を得たディアは戦にて負傷した者たちを、カーライルのレシピで作ったエリクシールやポーションで癒していた。もちろん、姿替えの魔法で、ディアとはわからないようにした上でだが。
そうでもしなければ、カーライルはディアに魔法を使うことを許さなかった。
「そんな特級レベルの秘薬の作成方法などがここにはいくつも書かれておりますの。そして、こちらがカーライル師のレシピ通りに作ったエリクシールですわ」
ディアは、ゆっくりと冊子を閉じて右手に持ち、そして、左の手を後ろに回した。そして、ごそごそと何かを取り出す仕草をする。取り出したように見せかけた小瓶を白髪の老人に向けて投げた。
「貴方は神官?それとも魔導士?どちらにしろ《鑑定》くらい出来るわよね?」
老境の男は投げられた小瓶を手にし、「おおおおおお……っ!」と驚愕の叫びを発した。
「特級の……エリクシールっ!カーライル師が作成したものか……っ!」
ディアは涼し気な顔で「いいえ、ちゃんと《鑑定》していただけるかしら。作ったのはわたくしと表示されているでしょう?それともそこまでの《鑑定力》は貴方には無いの?」と答える。
老境の男は手にしたエリクシールの小瓶とディアを何度も何度も比べ見て、そして、目を見開いた。伝説の魔導士カーライルならともかく、ディアのような小娘が、このような秘薬を作ったことが信じられないようだった。
「材料と……ある程度の《魔道》の心得があれば。そして、この本のレシピがあれば、だれでもこれと同じエリクシールを作れるのですわ。そう、カーライル師でなくとも……ね」
レオンは、先ほどのような怒声ではなく、何か探るように低い声を出してきた。
「……アレクサンディア・デュ・オブゼクト」
「はい、何でございましょうレオン陛下」
「その本さえあれば、このサールエルでもそのような上級のエリクシールを作成出来るのか?」
「サールエル……?」
誰の名だろう……と、ディアが首をかしげると、レオン王は目線で白髪を持つ長い髭の男を示した。
なるほど、彼の名まえはサールエルと言うのか……と、ディアはちらりとサールエルという老境の男に目をやってから、その視線をレオンに戻した。
「ええ、もちろんでございますわ。申し上げた通り、ある程度の魔力が必要となりますけれどね」
ディアは頷いた。
サールエルの目がギラリと輝く。
レオンが腕を組んで、少しだけ眉根を寄せる。何事か、考えているようなしぐさだった。
「では……その覚書を、賠償金代わりに差し出す……ということなのか?サールエルの様子からすれば、相当貴重なもののようだが……」
サールエルがぐわっと目を見開いた。
「オブゼクト王国からの賠償金など、その覚書の価値に比べれば塵も同然っ!それは人類の英知と言っても過言ではございません陛下っ!」
レオンという王の御前でなければ、ディアの手から冊子を奪い取っているであろう勢いだった。
「それをわしに寄こせっ!さすればこの特級エリクシールだけでなくっ!あの魔術師カーライルの魔道だっ!不老不死でも手に入れられるに違いないっ!!」
冊子を寄こせ寄越せと迫ってくる血走ったサールエルの目。
ディアはサールエルの勢いから身を守るように、冊子を胸に抱え込む。
「……不老不死は無理ですわね。そのようなレシピはございませんし、そもそも我が師カーライル自体が百という年を目前に静かに亡くなりましたし……。それに、わたくし、この冊子を賠償金代わりにする気はございませんのよ?」
言うや否や、ディアは左の掌から大きな《炎》を出した。そして、その《炎》に冊子を近づける。
「何をするっ!やめろっ!も、燃えるっ!」
サールエルが叫ぶ。
それを気に留めることなく、ディアは更に《炎》を大きくする。
「この冊子の価値はご理解いただけたようですが……、わたくしはこれをあなた方の手に渡すつもりはございません。悪用されては師が嘆きます。さ、これは、すぐさま燃やして仕舞いましょう」
冊子がめらめらと燃え、そして、灰と化した。
「ぎゃああああああ」と叫ぶサールエルを尻目に、ディアはレオンに笑みを向けた。
「わたくし、書かれている内容は全て暗記しておりますの。先ほどサールエル氏が『人類の英知』と仰った知識が、このわたくしの頭の中に在る……ふふっ!さあ、わたくしという小娘の価値はいかほどかしらね」
ディアは挑戦的にレオンを見る。
「お前の言っていることが本当だと証明出来るものは無いな……」
逡巡するレオンに、ディアは「ふふん」と不敵に笑う。
「サールエル氏にお渡ししたそのエリクシール……。先の戦で腕やら目やらを失ったどなたかに試されれば宜しいですわ。わたくしの言が嘘か誠かなど、すぐに証明出来ましょう。……さて、陛下?わたくしをオブゼクトに返し、賠償金を請求しますか?それともわたくしを花嫁として娶りますか?」
コツコツと、音をわざと立てて、ディアはゆっくりとレオン王に近寄っていく。
「……それとも、わたくしを花嫁ではなくこのヴェルディス帝国専属の魔導士としてお雇いになりますか?さすればエリクシールも、他の様々なものも、材料さえ揃えていただければ作ることが可能ですわよ?わたくしと二十億リベル程度の賠償金。さて、陛下がお望みになるのはどちらかしら?」
レオンからほんの少し離れた位置で、ディアは足を止める。そうして嫣然と微笑んだ。
「考える時間はいくらでも。どうぞ皆様でごゆっくりご検討くださいませ。わたくしはその間、客間か応接室でもお借りして休ませていただきますわ」
レオンの返答を待たずに、淑女の手本のようなカーテシーをして、ディアはレオンに背を向けた。