私のアーチャー
入学してから1ヶ月が過ぎた。
殿下が戻ってからは、学園中が彼に夢中らしく、私は以前ほどクラスで浮いた感じではなくなった。休み時間に話をするクラスメイトもできたし、ヘザーと一緒に入った女子文芸部には気の合う友達もいる。学園生活がようやく始まった感じだ。
一つだけ問題があるとすれば、みなが私を「ローランドの許嫁」としてばっちり認識してしまったことだった。おかげで素敵な恋の予感どころか、周囲には男子の影すらない。ヘザーはすでに何人もの同級生や先輩から告白をされ、しかも片っ端から断っているというのに!
「すごいね。これで何人目?なんでいつも断っちゃうの?」
今日も先輩に呼び出されたヘザーに、私は疑問に思っていたことを尋ねた。周囲がお試しでお付き合いしていく中、ヘザーにはまったくそういう気がない。
「好きだったら付き合いたいと思うけど、そうじゃないし」
ヘザーは別に男嫌いというわけでも、女子が好きという訳でもない。文芸部では流行の恋愛小説にハマっていて、同人誌活動までしているくらい、普通にいい男が好きだ。
「付き合ったら好きになるかもよ」
「それはあるかもしれないけど、今はいいわ。それより、クララはどうなの?」
「見ればわかるでしょ。私、全くモテないもん。誰も告白してくれないし」
「……それは違うと思うけど。ローランドのせいね」
「あれ、ずるいよね。牽制するだけじゃなくて、女避けにも使っていると思う」
あれ以来、ローランドが女の子と一緒にいるところを見ない。どうやら私という許嫁がいるということで、お姉さま方の結婚相手候補から外れたらしい。
カイルに近づくなと私を牽制し、許嫁をBLの隠れ蓑にして、確実に青春してる!ローランドはずるい。
「クララ。今回のあいつは上出来だと思うよ。身辺も綺麗にしたらしいし。18歳になったら結婚できるから、本気なんだと思う」
「そうだね。でも結婚はできないでしょ」
「え?なんで?なんか障害あるの?」
ヘザーってば、何言ってんの?そりゃ同性婚は法律では認められているけど、簡単にはカミングアウトできないでしょ。男は子ども産めないし。
「ローランドは一人っ子だし跡継ぎが必要でしょ。そんなのすぐには覚悟できないよ」
そう言ってから、ヘザーのほうをなにげなく見ると、白い肌が赤く染まっている。あれれ? なぜ照れる?
そうか。ヘザーもあの二人のそういう行為を妄想をしちゃったんだな。うんうん、赤面モノだよね。
「今はゆるい時代だし、婚前交渉も失敗しなければ大目に見られてるわよ。そんなに固くなくても……」
男女交際に関しては、今は昔ほど厳しくないのは知っている。妊娠したら困るけど、そうじゃなければ特に処女が尊ばれるという訳でもない。
それでも不純同性交友というのは、また異性とは話が別だと思う。同性愛なんて親世代には理解できないだろう。
「ダメよ。私は無理だと思う。そんな簡単なことじゃないもの」
私がそう断言すると、ヘザーは驚いたような、でもちょっとホッとしたような顔をした。なぜだろう?
ヘザーも、実はローランドの恋に思うところがあるのかもしれない。現代女性とはいえ、やはり男女間じゃない恋愛というのは、好き嫌いがあって当然だ。
「そっか、まだ無理か。あいつには気の毒だけど、こういうことは時間をかけたほうがいいかもね」
「そうよ!愛を貫くには、それを育む時間が必要なのよ」
「はいはい。クララは乙女ねえ。ま、そこがいいんだけど」
ヘザーだって、恋愛は好きな人としたいとか、かなり乙女じゃないか!でも、好きじゃない人に好かれても、そんなに嬉しくないのは分かるかな。
「あ!いけない!図書館閉まっちゃう!今日の返却係は私なのに!」
部室でダラダラと過ごしていたら、あっという間に閉館の時間が迫っていた。うちの部は毎日交代で、当番を決めて本を返却している。そうじゃないと、あっという間に部室が本の山になってしまうのだ。
「今日の分はそこの棚のよ。一緒に行こうか?」
よかった。今日返却分のはそんなに多くない。これなら一人でも大丈夫だ。
「いい、大丈夫。すぐに戻ってくるから待ってて!」
私は棚の本をざっと抱きかかえると、図書館へ向かって走り出した。走らなくても時間的に余裕はあるけれど、お腹も空いたし、早く寮に帰りたい。
そう思って近道をすると、ちょうど弓道場の横を通ることになった。前線に出る騎士は剣を持つが、援護射撃をする兵士は弓を好む。この学園から弓兵が出ることもあるので、きちんとした設備が整っていた。
弓は精神集中が鍵になる。それなのに、今日はやたらと見学者が多い。しかも、綺麗な女子たちばかり。これはきっと、誰かお目当ての男子を見に来ているんだろう。ちらっと見ると、数人の男子が制服で弓を引いていて、その中に一人、知っている人物がいた。
ローランドだった。ブレザーを脱いで白いシャツのまま、真剣な表情で的を見据え、弓を絞る。額には汗が光っていて、少しだけ髪が乱れている。矢を放つ前のギリギリの緊張感と集中力。矢が的に当たった瞬間に見せる歓喜の表情と、仲間たちに囲まれてこぼす笑顔。
「素敵……」
思わず口から出た言葉に驚いて、私は持っていた本を何冊か落としてしまった。
胸がドキドキする。どうしよう、ローランドがすごくカッコ良く見えた。顔がいいイケメンだからじゃなくて、的に向き合う態度がすごく真摯だったから。真剣なローランドに神聖なものを感じたから。
落とした本の音で、ローランドは私の存在に気がついたようだった。弓を友だちに手渡して、そのまま私のところに走ってきた。近くにいた令嬢グループの息を飲む音が聞こえるようだった。
「クララ、もう帰るのか?」
「図書館に本を返してからね。ヘザーが部室で待ってるの」
「俺も行くから、ちょっと待ってろ」
ローランドはそう言うと、中に戻って行ってしまった。周囲からの羨望と嫉妬の眼差しに耐えられず、私はさっさと本を拾ってゆっくりと弓道場の出入口のほうへ歩きだした。
なんとなく、みんなが誤解しているのは分かる。ローランドと私はただの幼馴染だけど、そうは思っていない。本当に本当の誤解だし、ローランドには他に想い人がいるんだけど、それでも今はちょっとローランドを独り占めして、みんなに見せびらかしたかった。
それほど、彼は素敵だった。そんな風に思ったのは初めてだったけど。
「相変わらず、腕いいね。思わず見惚れちゃうくらいカッコ良かったよ」
ブレザーを手に持ったまま出てきたローランドに、私は素直な気持ちで褒めた。それに値するほど、ローランドの弓は素晴らしかった。
「そうか? なら、よかった。お前のおかげでうまくなったからな」
ローランドは私から本を奪いながら、嬉しそうに言った。
「えー?なんで私?」
「覚えてないのかよ。果樹園でいつもリンゴを落としてやっただろ」
あれか。高い枝にあるリンゴは日光を浴びて真っ赤なのに、枝が細くて登って取ることもできない。あれが欲しいと言うと、いつもローランドが弓で落としてくれたっけ。
「そうだったね。でも、最初からいつも外すことなかったし、元から得意だったんじゃないの?あれはいい練習になったってだけでしょ?」
「違う。お前に取ってやりたくて、冬の間にこっそり練習したんだよ」
「ええ?なんでそんなことを……」
「お前、魔法でリンゴを取ってもらったって、すごく喜んでたじゃないか。だから、魔法じゃなくても取れるんだってとこ見せたくて」
「そんなことあったっけ?いつの話?」
「お前が3歳か4歳くらいだったかな」
「そんな前?覚えてないよ、普通」
「俺は覚えてる。そいつに負けたくなかったから、必死に練習したんだ」
「は?変なとこで負けず嫌いだね。魔法に張り合うとか意味ないのに」
「……張り合ったのはそこじゃないんだけどな」
ローランドはなぜか黙り込んでしまった。あれ?言い方間違ったかな?
「えーと、弓でリンゴ取ってくれてありがとね。嬉しかったよ」
そういうとローランドは嬉しそうに笑った。よし、これが正解だった!ローランドの笑顔はいいと思う。はっきり言って好き。多くの令嬢が虜になるのも分かる。
「じゃ、リンゴのお礼に、頼みたいことがある」
「お礼って、今更?しょうがないなあ。言ってみて」
「近いうちに公爵邸に来ないか。父上に会ってほしい」
「いいけど、おじさまなら、いつも会ってるじゃない?改まって何?何かあるの?」
幼い頃からローランドの家にはしょっちゅう遊びに行っていた。ローランドが学園に入ってからはご無沙汰していたけれど、たいていは家族で一緒に過ごす。例えば、おばさまと新しいお菓子作りに挑戦して、おじさまに味見をしてもらう。いつもそんな感じだった。
「……結婚の話をしようと思ってるんだ」
「え!もう結婚するの?」
「早いほうがいいだろ?学生結婚でも別にいいし」
ええええええ!それはすごく情熱的ではあるけれど、妊娠してるわけでもないのに学生婚するのは……というか、同性婚なんだから妊娠なんて理由はないんだけど、でも、いくらなんでも半人前の身でそれは無謀だよ!
「ローランド!いきなりそれは無茶だよ。ちゃんと子どものことも考えないと!」
男同士だったら、たぶん養子が一番てっとり早いが、お腹を借りる代理出産もある。そういうところをきちんと潰していかないと、おじさまもおばさまも簡単には受け入れられないはず。
「子ども?それって、その、俺たちの子どもの話か?」
「当たり前でしょ。ローランドは一人っ子だもの。後継は必要!そこをどうするか考えるのが先でしょう?」
至極真っ当なことを言ったのに、なぜかローランドは顔を真っ赤にした。なんで?男同士だからこそ、そこは詰めておくべきだ。とにかく、ここは慎重に外堀を埋める作戦が必要なの!
「心配しないで、ローランド!二人の幸せのために、私も一肌脱ぐから!」
そう言って、ローランドの両手を取って激励すると、なぜかローランドはますます顔を赤くしてしまった。
遊び人だと思っていたけれど、この男は意外と純情なのかもしれない。