眼鏡男子参上
噂の王太子殿下がいよいよ学園に戻ってくる。
新入生たちは殿下を一目見ようと、正門が見える場所にざわざわと集まっていた。男子は将来のコネ作りのために。女子は玉の輿のために。
私たちは、先生から頼まれたプリントを持って、ちょうど渡り廊下を歩いていた。それぞれの思惑でソワソワと待機している生徒たちの横を、ヘザーはちゃきちゃきと通り過ぎていった。
「すごいわね。これじゃ殿下も落ち着かないでしょ。気の毒だわ」
殿下に全く興味がない女子は珍しい。ヘザーは伯爵令嬢なので、私よりずっと位は高い。それでも王太子妃に選ばれるようなポジションではないし、彼女自身がキャリア志向なので、あまり結婚に興味がないらしい。
「でも、どんな人か気にならない?噂では眉目秀麗らしいって」
「まあね。でも同じ学園にいるんだし、この先どこかで会う機会はあるわよ」
ヘザーはそう言うけれど、ローランドですらこの二週間は全く見かけなかった。殿下なんて会うこともないまま卒業されていくんだと思うけど。
そのとき、キャーっという歓声が響いた。いよいよ殿下が正門から入ってきたらしい。ヘザーが足を止めて、正門のほうを見た。
「ローランドだわ。大人しくしていると思ったら、殿下のお供だったのね」
ヘザーがそう言うので、私はローランドを探してみた。いつもは結構すぐに見つかるのに、今日はなぜか見つけられない。そのかわりに、集団の最後尾にカイルを見つけた。
「ヘザー、あの集団ってなに?ローランドって特別クラスだったんだ?」
「うん。あいつは次期宰相の最有力候補だからね。宰相は世襲じゃないけど、それでも筆頭公爵家だから側近にはなるでしょ。昔からよく王宮に行ってたし、ご学友なんじゃない?」
「そうなんだ。よく知ってるね」
「情報は武器よ。ペンは剣より強いの」
ヘザーは当然のように言った。彼女は社会面担当の新聞記者を目指しているので、とにかく情報収集に暇がないのだ。
「じゃあ、あのグループはみんな高位の貴族令息なんだね」
あのキラキラした集団の中に、騎士科のカイルもきちんと馴染んでいる。きっとどこかの有力貴族の令息なんだろう。
「そうでもないわよ。王太子殿下は実力主義みたい。騎士には伯爵家や子爵家を取り立てているって」
「そう……なんだ。ねえ、王太子殿下って、どの人だか分かる?」
キラキラ男子集団は全員で十五人くらいだろうか。遠目でも背が高くてスタイルがよく、見た目がいいのは分かる。それは分かるけど、だからこそ見分けがつかない。
「殿下はたしか金髪で青い目だったと思うわ。あ、あれじゃない?眼鏡をかけている人」
おお!眼鏡男子!それはいい!私は割と好きかも、眼鏡男子。なんとなく理知的な雰囲気がいいと思う。眼鏡を取ると実は美形……なんていうシチュエーションにも萌える。
そう思って眼鏡男子に目を向けると、すぐ横にローランドがいた。さすが筆頭公爵家令息だけあって、王太子殿下と肩を並べてる。そんな二人の後ろ姿を、カイルはどんな気持ちで見ているんだろう。
やっぱり嫉妬してるのだろうか。いや、ローランドのほうがご執心ぽかったから、カイルにヤキモチを妬かせるために、案外わざと殿下にベタベタしているとか?
BL的妄想にうっとり浸っていると、眼鏡男子様……もとい、王太子殿下がこっちを見たような気がした。そして、なぜかにっこりと微笑んだ。
「まあ!私に気がついて笑ってくださったわ!」
すぐ隣で声を上げたのは、新入生だが王族と遠縁の公爵家の令嬢だった。親戚ならば面識があって当然だし、挨拶くらいするだろう。そうだよね。びっくりした。
そう思って眼鏡男子様を目で追っていると、今度はローランドがこっちを見た。そして、眼鏡男子様……じゃなく殿下に何かを告げると、なぜかこっちに向かって走ってきた。
周囲の令嬢がざわつき始める。これはまずい……。
「よう!殿下の見物か?それとも俺を見てた?」
ローランドがそう言う前に、ヘザーが私とローランドの間に入った。
「まさか。どっちもないわね。興味ないもの」
「お前、俺や殿下を捕まえて興味ないって、マジかよ」
「俺様男子には惹かれないわね。殿下の性格は知らないけどね」
「手厳しいなあ。おれも可愛げのない女史には興味ないけどな」
ローランドとヘザーは互いにふふんと鼻で笑いあった。この二人は何かにつけて張り合っているところがある。もちろん、たいていはローランドが負けるのだけど。
「ま、いいや。クララ、もう大丈夫か?」
「ああ、うん。平気……」
怪我はもう治った。でも、もしこれが「牽制キス窒息殺人未遂事件」に関してだと、微妙に答えに窮する。いくら女に興味ないとは知っていても、一応、ローランドは性別としては男になるわけなのだし。ローランド、実は心は女性で姫……ではないよね?俺様姫とかないわ。
「浮かれすぎ。自重しなさいよ!」
「言われなくても分かってるよ。ごめんな、クララ」
ヘザーに怒られたからか、ローランドはちょっとバツが悪そうだった。それでも、爽やかな笑顔で頭をポンポンとされると、ついつい許してしまうのは幼馴染だから。それはたぶんヘザーも同じだと思う。ローランドはいつまでも私たちの弟分なのだ。
「もういいよ。でも、心配しなくても、カイルとは話さないよ」
そう言ってカイルのほうを見ると、思ったとおり目が合ってしまった。やっぱりローランドを見ていたんだ!ツンデレ?カイルってツンデレ?
俺様とツンデレのカップルを想像してにやけてしまい、私はそれを隠すように両手で口を覆った。妄想笑いなんて、我ながらやらしいなあと思うと、自然に羞恥で顔が赤くなった。
そんな私の様子をローランドとヘザー、そしてカイルまでが見ていたなんて、そのときは全く気がついていなかった。だから、乱暴に手を引っ張られても、とっさに対応することができなかったのだ。
気がついたときには、ローランドの腕の中に閉じ込められてしまっていた。周囲から女子の悲鳴が上がる。
「あいつを見るな」
何を言われたのか、理解するまで数秒かかった。ローランドは私がカイルを見てたと思ったらしい。でも、今は見るも見ないも関係ない。私の顔はローランドの胸に押し付けられているんだから、どこも見えないのだ。
そう抗議しようとしたとき、すぐ近くからカイルの声が聞こえた。
「朝から女といちゃつくな。殿下のところに戻れ」
いちゃついてないし!それにしても、女と……って、男とだったらもっと嫌だよね?嫉妬?もしかして嫉妬?じゃなかったら、わざわざ呼びに来ないよね?
カイルの声を聞いて、ローランドは私をサッと離した。
「なんで来たんだよ。お前こそ戻れ」
「いいから、戻るぞ!殿下の命令だ」
「分かってるよ。クララ!俺の言うこと守れよ」
ローランドは一方的にそう言い残して、なんとカイルの肘を引っ張って一緒に駆け出した。肘を取ったのは一瞬だったけど、普通は男同士で体に触れたりしないよね?普通だったら!
そこまで私をライバル視するなんて、ローランドちっさい!でも、ちょっとかわいいかも?爽やかイケメンがお互いに独占欲爆発で愛し合う。まさに倒錯の世界だ!
「……なんか朝からイイモノ見たねえ」
私がのんびりとそう言うと、ヘザーは大きなため息をついた。
「そう? でも、なんで殿下まで出てくるの?あんた、一体、何したのよ?」
「えー、殿下?知らない」
「そんなわけないわよ、殿下はローランドに魔伝で……というか、カイル・アンダーソンと知り合いなの?」
「市場の怪我のとき、助けてくれたの、あの人よ。初日のお姉さまの呼び出しのときも、偶然通りかかって」
「え?何、その呼び出しって?」
そういえば、ヘザーにはお姉さま方の呼び出しのことは言ってなかったっけ。
渡り廊下を歩きながら事情を話すと、ヘザーはローランドの迂闊さにプリプリ怒っていた。
「ろくなことしないわね、ローランド。さっきのもみんなにバッチリ見られているし、さらに要注意だわ。クララ、お昼と放課後は一緒に行動しよう!」
ヘザーはすっかり心配性を発揮して、いろいろと今後の対策を練るのに一生懸命だった。
そのせいで話題がそれてしまったが、本当ならこのときにもっと殿下について聞いておくべきだったと、私は後悔することになるのだった。