伏兵は誰だ
翌日は朝から雨だった。
寮の食料庫には十分な食材があって、自室で自由に調理してもいいし、食堂で食べてもすべて無料だ。学園内ではカフェでランチが食べられるけれど、これは有料。
貧乏男爵令嬢としては、やはり節約したい。昼から豪華なランチはいらないし、全部食べきれないのはもったいない。食中毒を防ぐためにテイクアウトは禁止だが、そもそも残り物を持って帰ろうとする貴族はいない。
貧富の差をヒシヒシと感じる。
「今日のお昼は、一緒にカフェで食べようよ。私がおごるから!」
私のお家事情を知っているヘザーから、たまにカフェランチに誘われる。今日は雨だし、気分を上げるためにも、ちょっと贅沢してもいいかという気になる。
「自分で出すよ。たまにだったら大丈夫だし」
「遠慮しなくていいのに。お兄様は気前いいのよ。お義姉様も厄介払いできるなら、金に糸目はつけないしね」
私やローランドの両親と懇意だったヘザーの両親は、十年前に事故で他界している。伯爵位は年の離れた兄が継いでいるが、ヘザーはその兄嫁と折り合いが悪いのだ。
綺麗な方ではあるけれど、ヘザーほどの美貌ではないし、伯爵夫人として有能ではあるけれど、ヘザーほどのずば抜けた才能はない。加えてなかなか子どもを授からないということを考えると、ヘザーに八つ当たりしている節が濃厚だった。
「ヘザーも苦労するね。うちは貧乏だけど楽だもん。お父様は放任主義だから」
私も母を幼いときに亡くしているが、父は健在だ。要領は悪いが誠実な人で、器用ではないために一つのことしかできない。加えてお人好しなので、領民のために私財をどんどん使ってしまう。
そのせいで男爵家は万年貧乏だけど、領地経営を頑張っていて、領民に人気がある父をとても尊敬している。
ここのところ北方情勢が不安定なせいか、父は領地に入り浸りだ。一人娘のことはかなり放置していて、留守中は友人であるローランドの両親に私の監督役を丸投げしている。そして、もちろんローランドの両親も、父と同じく放任主義なのだ。
私たちは昼にカフェで待ち合わせすることにして、それぞれのクラスに向かった。授業はそれなりに興味深いけれど、すでに学んだことが多い。
この学園の普通科は、本当にコネ作りのためにあると思うと、ちょっと虚しい。
私は将来、どうしたいんだろう。
お昼は約束通りにカフェに行った。雨のせいか混んでいたけれど、ヘザーと一緒に窓際の二人席に座れた。たまに食べるとカフェのご飯も美味しい。
「将来?私は新聞記者か作家よ。あとは……女には無理だけど、政局で働くのにも憧れるなあ。通産大臣とかね」
「お、大きくでたね。いいなあ。私、これといってやりたいことも、なりたいものもないよ。どうしよう」
「えー?クララはお嫁さんかお母さんでしょ?」
それは、貴族の娘だったら、たいていは最後に行き着くってところだと思う。義務として。
「そうとも限らないわよ。私、結婚とか興味ないもの。稼げるなら独りで生きるわ」
「そうなの?でも好きな人ができたら、やっぱり結婚したいでしょ」
「……そうね。好きな人と、結婚できるならね」
恋愛結婚も聞くようになったけれど、貴族はたいていが政略結婚だ。好きな人と結婚できるほうが難しい。やっぱり恋愛なんて夢物語なのかもしれない。
「みんな、卒業後の進路とか考えているのかな」
「男子はね。女子はだいたい結婚でしょ。この学園でいい嫁ぎ先を探してるのよ。まるでお見合いパーティーだわ」
ヘザーの言うことは分かる。実際に結婚が決まった令嬢は卒業を待たずに退学して、自宅か婚約者宅で花嫁修業をする。男子であっても、外交官試験や司法試験に受かった人は、すぐに任務につくため退学する。
「そっかあ。この学園は大人になる前のワンクッションなのかもね」
「そうね。でも魔法科は面白いわよ。みんな変った人たちばっかりだし。あ、ローランドだわ。今日は殿下と一緒ね」
入り口から一段ときらびやかな集団が入ってきた。特別クラスの男子とその取り巻き令嬢たち。
みんな眩しくて誰が誰だか見分けがつかないっていうのに、ヘザーはよく見てる。さすが文筆業を目指すだけあって、人間観察が鋭いんだろう。
ヘザーが手を振ると、ローランドが集団を抜けて、こちらに向かってくる。集団の後ろに、騎士科らしき男子が数人いた。カイルが軽く頭を下げてくれたのが見えた。
よかった、元気そうだ。私とローランドが話していても、これからはもう気にならないだろう。カイルとちゃんと話ができて、本当に良かった。
「クララ、昨日は大丈夫だったか?送れなくてごめんな」
「平気だよ。私こそ練習の邪魔してごめん」
「クララから聞いたよ。今週末、大会に応援に来いって?」
「お前も来てくれんの?へえ」
「好きで行くんじゃないのよ。クララの付添いよ」
「だろうな。知ってた」
「当たり前よ。それに、どうせあんたが優勝でしょ?」
「それ、褒め言葉だよな?」
「まあね。でも今回は危ういかもね。クララが見ているのに集中できるの?」
「バカにするなよ。ただ、今回は伏兵がいるんだ」
「へえ?あんたにライバルなんていたの?誰それ?」
「……あいつ」
ローランドは眼鏡男子……もとい、殿下のほうを見てそう言った。殿下のテーブルには女子しかいないので、たぶん必然的に殿下がその人だと思う。
「うわっ!最悪。黄色い声援の中で精神統一とか無理でしょ」
「だから、この話はオフレコな。一応、公務で参加だけど」
私たちは口を噤んだ。まずいまずい。こんな情報がプリプリ令嬢たちに知られたら、大会が婚活会場になってしまう。いや、彼らの執念は凄まじいので、どうせ話は漏れてると思うけど。
「とにかく、頑張りなさいよ。応援するから」
「サンキュ。持つべきものは友達だな。クララも見ててくれよ。お前のために優勝してやるから」
は?なんで私のため?そこのとこ意味分からないんだけど。まさか、子供の頃の訓練のお礼?いやいや、今更でしょ、本当に。
「賞金でクララにここの食券買ってあげてよ。この子、遠慮しいだから」
あ、なんだ、賞金の話か。ははは。貧乏な幼馴染に恵んでくれる気なのね。
「お安い御用だ。いくらでも買ってやるよ。今、買ってやってもいいけど」
「いいよ、食券なんていらないよ。それよりローランドのかっこいい姿が見たい」
賞金搾取を辞退しただけなのに、なぜかローランドの顔が赤い。そして、それを見てヘザーもにこにこ……いや、にやにや笑っている。何?私、何を見逃した?
「なんか、すげえやる気になった」
「この子、天然だからね。これでも無意識なのよ」
は?なになに?私が何だって?この二人、以心伝心すぎるでしょう。ほら、カイルがこっちを見てるよ!今度はヘザーにヤキモチやいちゃうよ!
「ローランド、お昼終わっちゃうよ。もう戻りなよ。ちゃんと食べないと」
「ああ、そうだな。じゃ、またな」
爽やかな笑顔でそう言うと、ローランドは殿下のテーブルに戻っていった。あそこで食べるのか。女子に囲まれて、なかなか食べにくそうだな……。
そう思ってぼんやりと眺めていると、突然ヘザーが口を開いた。
「心配しなくても大丈夫よ。ローランドは一途だし、あんたは天然でも、ツボは押さえてるから」
「え?何のこと?」
「取り巻き令嬢たちのことよ。あれは殿下狙い。ローランドじゃないわ」
ああ、そういうことか。ローランドは私との嘘婚話でうまく女子を遠ざけたんだっけ。
「そう。よかった。取り巻きとか、精神衛生上よくないものね」
カイルも取り巻きは気になるはず。女といえど、ライバルなんだから。
それにしても、なんでああいう素敵イケメン同士がくっつくんだろう。男男カップルなんてされると、余りもの女子の私は、さらに縁遠くなってしまう。いい男は残しておいてほしい。
「へえ、意外。クララも嫉妬とかするんだ?」
「え?なんで私が嫉妬するの?」
「恋人に取り巻きがいたら、誰でも心配で嫉妬するでしょ」
「はあ? 誰が恋人よ? ローランドに恋してる人が近くにいるから、きっと気になるだろうって思っただけ」
「え、それって……」
あ、まずい。この話は忘れてって言われたんだった。カイルとの約束を破ったらいけない。でもヘザーも知っているんだし、さらっと流そう。
「ヘザー、心当たりあるでしょ? あ、このエビフライ美味しいね!」
慌てて話題をそらしたけれど、ヘザーはあまり納得していないようだった。
その証拠に、その後のヘザーは心ここにあらずという感じで、いつもと違って妙にソワソワしていた。
もしかしたら、情報通のヘザーは、カイル以外にもローランドに恋する乙メンを知っているのかもしれない。




