図書館の君
「それで、お前はどう思ってるんだよ。その、……子どもについてだけど」
「ローランドはどうしたいの?それが一番重要でしょ?」
「え?俺の希望が優先?マジかよ。そ……うだな、今すぐにでも欲しいけど」
はあ?なんという楽観主義者!養子でも代理母でも、きつい思いをするのは女性なのに!
「それは無理だよ。母親の気持ちになってみてよ。簡単なことじゃないよ?」
「あ、まあ、そうだな。すぐには無理だな、うん」
ローランドはなぜか少しホッとした表情を見せた。あれ?すぐにと言う割りに、実はまだ心の準備ができてない?そりゃ、そうだよね。18歳で父親とか……なくはないけど。
「そうよ。女性にも覚悟が必要だし。時間をかけてゆっくり準備するべきだよ!」
「覚悟か。時間をかけて、ゆっくり……」
ローランドが私の言ったことを復唱した。
そうそう。そうだよ。それにね、もしかしたら、この禁断の恋にも終わりがくるかもしれないじゃない?男男交際も、たぶん恋愛なら終わるということもある。そうしたら、また女性に興味が出てくるかもしれないし、そうなったら実子が持てるかもしれないんだから。
「せめて、卒業まで待ったら?親のすねかじりが結婚とか、おじさまも許さないよ」
「……父上は問題ないと思うけど、確かにお前の言う通りだな。家族を養う甲斐性は、俺にはまだない。そうだな、卒業して仕事についてからか」
「そう!そうだよ!学園ではもっとお互いを知って、恋愛を楽しむ。それがいいよ!」
「お互いを知って、楽しむ……」
ローランドはまだブツブツと私の言葉を復唱している。ものすごく顔が赤い。何を考えているのか、一応は想像はできるけど、こっちも恥ずかしくなるから、いい加減やめてほしい。
まあ、今はカイルの体にも夢中だろうから、イケナイ想像しちゃうのは男の生理現象なのかもしれないけど。
でも、とにかくよかった!健全な青少年の育成に力を尽くせたかも。同性婚もいいけど、女性と結婚する道もまだ残されたはず。少子高齢化を防ぐには、やはり異性と結婚して子沢山のほうがいいだろうからね。
「ここまででいいよ。ありがとう。もう弓道場に戻りなよ」
私はローランドから本を奪ってにっこり笑った。もう図書館の前だし、まだ部活は続いているんだろう。相談にも乗ってあげられたし、今日はいいことしたな。
そう思っていると、ローランドが私に抱きついた。いきなり何すんの?突き飛ばそうと思ったけれど、両手が本でふさがってて身動きが取れない。
いくら強い味方ができて嬉しいからって、抱きつくとか考えなしすぎる! 人に見られたら誤解されるし、変な噂が立ったら、カイルだって面白くないでしょ? 分かってるのかな、こいつ。
「今週末、大会なんだ。優勝狙うから、応援してくれよ」
もちろん応援するけど、とにかく今は離してほしい。本が肋骨にゴツゴツ当たって痛いし!
「痛いよ。離してくれたら、応援する」
「あ、ごめん、痛い?そうか、本を抱えたままだったな」
ローランドはさっと身を離した。いやいや、それだけの問題じゃないから!節度の、倫理の、常識の問題だから!
私がキッと睨むと、ローランドはバツが悪そうに目をそらした。
「ごめんな。本当に優しくするから」
「……期待してるわ」
まったく、抱きつき魔か。このせいで私はみんなに誤解されまくって、恋愛のれの字すらない。少しは私のことも考えてくれるのを、切に期待しよう。
「そこは任せろよ。じゃあ、もう行くな。気をつけろよ」
「うん。ありがと。またね」
ローランドが走っていく後ろ姿を見送ってから、私は図書館の中に入った。
カウンターで返却手続きをした後、自分で本を元の棚に戻す。何冊目かの返却場所は本棚の最上段で、脚立だと届きそうで届かない。本棚に手をかけてつま先立ちになったところで、体がぐらっと揺れた。体重をかけたために、本棚が少し手前に傾いたせいで、私は脚立の上でバランスを失ったのだ。
落ちる!そう思って目をつぶったとき、私の体を何ががふんわりと包んだ。おそるおそる目をあけると、私は何冊かの本と一緒に、ふわふわと宙に浮いていた。え?魔法?
「……間に合ってよかった。少し遅れたら危なかった」
「アレク先輩?」
息を切らして私を見上げているのは、アレク先輩だった。
学園で再会してから、私たちはたまに庭園の丘の向こうで一緒にランチを食べていた。でも、学園内で遭遇することがなかったので、なんだか不思議な気がする。
アレク先輩は宙に浮かんでいる私を見ると、やれやれと言った感じで腕を差し出した。その瞬間、私は急に重力に引き摺られて、あっという間にアレク先輩の腕の中に抱き受けられた。
「君はお転婆が過ぎるぞ。届かないなら助けを呼ぶべきだ」
「……すみません……」
アレク先輩は私を抱えたまま、まだ宙に浮いている本を元の場所に戻した。そして、私を側にあった閲覧用のソファーにそっと下ろした。
「図書館はもう閉館したよ。他の本は僕が戻すから、そこで休んでて。怪我をしているかもしれないから、痛いところがあったら教えて」
アレク先輩はそう言うと、棚に返却する本を持っていってしまった。
どこも痛くはないと思ったけれど、本棚にかけたほうの手首がちょっとだけジンとした。落ちる前に体勢を立て直そうとして、無理な力を入れたのかもしれない。
「どう?どこか痛い?」
アレク先輩が戻ってきた。手に鍵を持っているところを見ると、私たちが出た後に施錠するつもりだろう。先輩は図書委員なのかもしれない。
「ありがとうごさいます、先輩。迷惑かけてしまって」
「いいよ。それより手首が痛いの?」
「あ、はい、ちょっとひねったのかも」
「ちょっとかしてごらん」
先輩は私の左手を取ると、手首に手を置いた。その部分がぼうっと暖かくなる。これ、治療魔法だ!カイルが使ってくれたのと同じ。え、でも、待って。なんだか、体中が暖かくなってきたんだけど。
「手首は大丈夫だけど、どこかにまだ滞りがあるね。ちょっとそのままソファーに横になって。全身を診てみるよ」
え?いや、ちょっと、それは……。
誰もいない図書館で、男性の前に横になるとか、しゅ、淑女としてよくない図ではないでしょうか。あ、うーん、でも、もしかしたら自意識過剰?先輩は治療してくれようという好意を示してくれているだけで、別に何か不埒な目的があるわけでもないんだし。
私がまごまごしていると、先輩は私の肩に手をかけて、ソファーに押し倒した。ま、まずい!まさか!いや、そんなわけないんだけど、なんかこの体勢は!貞操の危機?
「大丈夫。変なことはしないよ」
先輩が私の目を見てくすっと笑ったので、私は羞恥で顔に血が上るのを感じた。変な想像をしてしまったのがバレた!穴があったら入りたい。
「は……い。お願いします」
私がそう言うと、先輩は私の頭からつま先までを、体の触れるか触れないかという微妙な距離で、手を当てていった。先輩の手が通っている場所が暖かくなり、場所によって私はちょっとはしたない妄想をしてしまった。反則!これは反則ですよ、先輩!
「右足に少し魔力を入れるよ」
あっと思った瞬間に、先輩は私の右足に手を触れた。そこはローランドが手当をしてくれて、カイルが治療してくれた場所だった。もうすっかり治っているはずなのに。
「先輩、そこ、もう治っていませんか?」
私が上半身を起こして尋ねると、先輩は真剣な目をしたまま、私に言った。
「怪我はね。ただ気持ちの問題なんだ。上書きさせて」
えーと、それはどういう意味だろう。カイルの治療魔法となにか相性みたいなものがあるのかな?そういえば、他の医師が治療した患者はやりにくい……というのを聞いたことがあったな。
「さ、もういいよ」
そう言うと先輩は手を離し、私の両手を取ってソファーから引き起こした。
「ありがとうございます。何から何まで。どうお礼をしたらいいか……」
「お礼なんていいよ。でも、そうだな。君が作ったランチが食べたいな」
「え?そんなことでいいんですか」
たまに外で一緒に食べるとき、私が自分で適当に作ったサンドイッチと、先輩の使用人が作ったであろう豪華なおかずを交換したりしている。どう考えても、先輩のランチのほうがずっと美味しいのに。
「うん。できれば毎日」
「それは無理……」
「だよね」
私たちは目を見合わせて笑った。毎日なんて無理に決まってる。先輩とは丘の向こうでしか会ったことない。庭園には雨の日には出られないし、先輩のクラスも知らない。
「じゃあ、次に晴れた日に。いつもよりちゃんとしたものを作っていきますから!」
「それは嬉しいな。楽しみにしているよ。でも無理はしないで。君はなんでも一人で頑張りすぎる」
そう言って私の頭をくしゃっと撫でると、先輩はそのまま私の手をひいて、図書館の出口まで連れていってくれた。すでに館内の照明が落ちていて、慣れないと物にぶつかってしまうからだろう。そして私のためにドアを開けてくれた。完璧なエスコートだ!
「じゃあ、また今度。先輩、お疲れ様でした」
私がそう言うと先輩はちょっと私の手を引っ張って、自分のほうに引き寄せた。そして、あろうことか、私のこめかみにチュッと音を立ててキスをした。
「気をつけて帰って。ああ、騎士が来ているようだね。彼に送ってもらえばいい」
先輩は私をドアの外に送り出すと、静かにドアを閉めた。
初対面の事故チュー以来、先輩が私にキスをしてきたことはなかった。今日は唇じゃなくてこめかみだったけど、それでも恥ずかしい!それにしても、なに、なに?あの素敵な紳士ぶりは!ほ、惚れてしまう!
火照る頬を両手で押さえて立ちすくんでいると、背後から声が聞こえた。
「誰にでもそんな顔するのか?節操ないな」
振り向いて顔を確かめなくても分かる。この声、この毒舌。そして、この声を聞くとなぜかいつも背筋がゾクっとする。声だけは好みなのだ。
「失礼ね。ちょっと男性に慣れてないだけよ!」
私はそう言うと、声の主を振り返った。そして、腕と足を組んで壁にもたれかかっているのは、やはりカイルだった。




