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万華郷  作者: 面映唯
第二章
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 車のアクセルを踏むといつも思う。このペダルは銃の引き金と似ている。


 想像するのは、事故が起きる寸前だ。


「ああ、しまった。これは事故るやつだ」そう予感めいたものが頭に啓示として浮かび、そのコンマ数秒後に、黄色から赤に変わった信号に急かされ、一台の軽自動車がこちらに向かって速度を保ったまま直進してくる。右折の矢印が出たことでハンドルを右に切る。右折しかかり、交差点の真ん中で「あっ」と思ったときには、その軽自動車が変わったばかりの赤信号を見ても止まる気配がないと知った。どうしようか、急いで曲がり切ってしまおうか。しかし、曲がる先の横断歩道では老婆が横断歩道をよたよたと進み、渡り切れていないのを見た。老婆が行く手を阻んでいる。もう逃れられない、と悟った事故が起きるちょうどその瞬間、運転手はアクセルを強く踏み込む。それは、一縷の望みをかけて、対向車と横断歩道上の老婆を潜り抜けようとしたためではない。中途半端に事故になって面倒になるより、エアバッグが衝撃を吸収しきれないくらいの衝撃を生み出し、ぐちゃぐちゃに死んでしまった方がよっぽど綺麗で楽だ、片麻痺なんぞで生き延びても仕方ない、そう思うからだった。


 銃は人を撃ち抜くことができる。車は人を轢くことができる。

 銃は引き金を、車はアクセルを。


 本当に覚悟ができたとき、きっと木田は迷うことなくアクセルを強く踏み込む。それは、彼の日頃からの心情が物語っている。息を吸っているだけで金が消えていく日本だ。だから生きている人間は皆素晴らしい。何かを成し遂げた芸能人、スポーツ選手、高尚な肩書や勲章を手に入れた者ばかり讃えられることが多いが、それ以前に生きているだけで人間は素晴らしいのだ。生きているだけで苦労するのだ。生きているだけで「がんばったね」だ。それは人間の命こそが一番大切だ、という絶対的な価値観が広く根付いているからだった。


 そんな生きているだけで褒めてやれるような社会で我々は生きているのだ。当然自ら命を絶つ者もいる。木田に彼らを止められるような言葉はかけられない。思い浮かばない。かけられたとしても「辛かったな、怠いよな」この濁世、その程度だ。


 人は死ぬとき、残された周囲の人間のことを想像するだろうか。木田は、車に乗っているといつもよく想像するものだった。自分が死んだ後、家族はどう思うだろう。祖父は、終末期医療に入って病院のベッドで過ごしている祖母の看病につきっきりだ。癌のせいで胃瘻(いろう)ができず、この間、鼻から入れている管を外せば、たちまち身体が衰えてしまうことを担当医から聞かされたそうだ。


 そんな祖母が生死を(かぐわ)せる病床に寝るようになってから、もう三か月は経った。見取りに入ったとはいえ、まだ祖母の身体は数か月持つことも事実。


 そんなときに、だ。孫の木田が交通事故で死んだと聞けば、祖父母は何を思うだろうか。年齢から見ても、身体の状況から見ても、先に死ぬ筈だと思っていた祖母よりも先に、これから先五十年程は生きるだろうと思っていた二十代の孫が死んだ。


 何を思うだろうか。

 きっと祖母は、ものを考えられる範疇に居ない。


 今の木田の中にある好奇心は、それぐらいしかなかった。


 アクセルを踏んだり、緩めたり、バックミラーからライトが近づいてくれば、前に押し出されるような圧迫感を抱き、もう少し速度を上げなければと法定速度を超えてまた踏み込む。そのたびに、「ああ、俺は今、右足の操作によって死ぬことも生きることもできるんだな」と実感する。反して、ハンドルを右に大きく切ることもできる選択肢を持ち得ていながら、まっすぐ進む農道の上で、右に切るにはハンドルが重すぎることを実感していた。


 人は思った以上に臆病なようだ。


 きつく死を匂わせる事柄に対しては、臆病でなくてはならないのが人間なのかもしれない。祖母が死んだ――そのときに感じた空虚な心。悲壮。それらの記憶を思い出して、死は恐れ多いものだと言い聞かせる。ガキの頃にすっ転んだそのときの痛み。その痛みの記憶があるからこそ、もうその痛みは味わいたくないと、人は痛みを恐れる。


 記憶――痛み――人が人らしく生きるための防衛本能。自殺志願者にとっては猿轡(さるぐつわ)、手錠、足枷(あしかせ)でしかない。


 バックミラーを覗こうとしたときに、視界の端で助手席に座っている鍋島の姿が映った。


 隣に鍋島が座っているにもかかわらずそんな感情を抱く木田は、自分が一番自分のことを奇妙だと思っていた。自分一人が突っ込んで死ぬのはいいとして、久々に会った旧友と一緒に突っ込むのは的が外れている。自分が一番そのことをわかっていた。仮に自殺する覚悟は持てたとしても、他人の死に道連れにされる覚悟なんて持ち得たくもなかった。心中なんて滅相もない。(うれ)いを漂わせた、ただの殺人としか思えない。


 要するに、今の木田はその「ただの殺人」になり得る感情を抱いてしまっているというわけだ。


 木田は右手をハンドルから離し、顔をしかめ、頭を掻いた。左手だけでハンドルを持っていたせいで、一瞬蛇行する。助手席に座っていた鍋島の肩が軽く揺れるのが振動で伝わってきた。


 ……これは絶好のチャンスではないか。


 そんな人道に反した、木田自身も不愉快だとわかる感情を抱いた。鍋島が車に乗ったときのフロントガラスの曇り具合。あれはきっとそういうことを示唆(しさ)していた。木田自身もしっかりと感じた。人が一人空間の中に増えるだけで、いろいろと変わってしまうことがある。どんな人間でも一人だけだった空間に入れば何かが変わる。運転席の座布団ばかりがよれて、助手席、後部座席の座布団は買って間もない頃と同じくらい汚れていない。そんな車内に、人が一人増える。


 恐れ入ってしまう。たった一人。それも中学時代偶(たま)に話した程度の、特に仲が良いわけでもなかった顔見知りの同級生。接点の少ない人間でも、同じ車の中にいるだけで普段感じていることとは別のことを感じさせてくれる。


 一瞬だけ、あれだけ心中はただの殺人だと思っていたのに、少しだけ心地の良いものなのではないかと思ってしまった。


 再び木田は頭を掻いた。

 人一人の持つ影響力に驚いた。


 でも考えてみれば、と思う。会社員時代は、同僚や上司が複数人いた。今みたいに二人だけではない。二人でも変わってしまうのに、会社は三人四人なんてものではない。数十人、数百人、数千人規模だ。そりゃ、多くの人々が持っている影響力が入り乱れて訳わかんなくもなる。この人にいい顔をしていれば、あの人から悪い目で見られる。できるだけ嫌われないように、できるだけ居心地のいい場所でいられるように、そうすればそうするほど、隣の芝生からは色眼鏡で見られる。あんなに()びうっちゃって……。


 人の影響力は、集団になると途端に悪影響となった。


 個人の優しさが埋もれた。


 思い返せばそんな(ふし)が多々あった。


 木田が会社を辞めるときに声をかけた同僚の言葉だって、きっと彼の優しさだろう。


 優しさすら、万人に共通しない。木田にとっての優しさは、「放っておいて欲しい」だった。自分がされて嬉しいことは他人にもするべきではないか。確かにそうだ。でも木田が、同僚が落ち込んでいるときに放っておいてしまえば、同僚は落ちていくばかりだ。木田が落ち込んでいるときに、同僚は優しさをもって「大丈夫? 話聞こうか」と声をかけてくれた。木田にとってその優しさは有難迷惑で、鬱陶しいものだった。早くどっか行ってくれ、一人にしてくれ、放っておいてくれればなるようになる、時間の無駄だ。


 うまくいかないのは当然だった。


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