急降下
*この作品は銘尾 友朗さまご主催の「冬のドラマティック」参加作品です。
フェリーがドーバーの港に接岸した。桟橋から伸びているタラップが船に接続される。フランスは霙だったが1時間半の航海後、海峡のこちら側は漆黒。安全が確認されドアが観音開きに開く。潮風がどっと吹き込んだ。
千沙は病身の重たい身体を前に押し出し、階段までの水平通路を歩いた。
後ろから足早に抜き去って行く人がある。
ハニーカラーのキャットのブーツ。細身濃い目のダークジーンズにネイビーのセーター。ところどころにぷちぷちと色糸の混ざるアランツィードが、好みどんぴしゃだった。
――このひとのようにしっかりと人生歩けたらどんなにかいいだろう?
打ちひしがれた千沙は彼の足運びを見送ったのだ。
―◇◆◇―
その9日前のことだ、千沙は同じ港からフランスへ渡った。知人ピエールの庭園を手伝い、クリスマスを楽しく過ごすつもりで。
15年近くフランス語はまともに使っていなかったが、一年間は暮らしたことがある国で、ピエールは完璧な英仏バイリンガルだ。意思の疎通はできる筈。
しかし考えが甘かった。氷点下が毎日の大陸の乾いた寒気を舐めていた。30代半ばの自分に本気の肉体労働を求められるとも思っていなかった。
朝からまだ庭園の片鱗も見えない更地で寒風に吹かれ、身に余る大きさの熊手で石ころをかき集める。
ピエールは50代後半だというのに若手を指揮し、ブルドーザーで地をならし、千沙とは話す余裕もない。
二日目、肩で息をした途端に千沙の肺の底にカキンと音がした。その夜39度の熱を出し起き上がれなくなった。
ピエールは千沙を友人として招待したつもりだったが、彼より二周りも若い彼の妻君は違ったようだ。同年代の千沙を、近所から働きに来ている他の男の子たち同様「人足」だとでも思っているらしかった。
働けない肉体労働者はごくつぶしだ。千沙はフランスの片田舎の石造りコテージの、暖炉しか暖房の無い家の一番寒い部屋に、クリスマス用の保存食料品と一緒に寝かされた。
それでも往診の医者に診せてくれたのだから親切だったのだろう。診断は「気管支炎」、薬を飲んで寝ているしかない。
作ってくれる病人食はバターと胡椒をまぶしただけのパスタ。もしくはチーズ入り卵焼き。何とか少量口にしても千沙の日本製の胃腸はてきめんに反応しお腹を壊した。熱のせいか、体内の乳製品分解酵素が効きやしない。
咳も止まらずお腹も治らない。千沙は若妻に「アロマセラピーを止めてくれないか?」と頼んだ。トイレにお線香そっくりのインセンスが焚かれているのだ。
彼女は答えた。
「だって臭いんですもの。執筆に集中できないのよ」
「だめだ」と千沙は頭を抱えた。ここにいたら治るものも治らない。
若妻は植物研究者の一種で、日本で品種改良が進んでいる石楠花を専門にしていた。日本にも何度か行ったことがあり、どこかの農大の教授と懇意だという。
ピエールが厳寒の中ブルドーザーやトラクターを使って造っている庭は奥様のための石楠花園になるらしい。彼は一日中外で働き詰めで、千沙の病床に顔を出す時間もないようだった。
ある日、若妻さんは漁港から特上のイシビラメの尾頭付きを買って来て、「日本で食べたお刺身が食べたい」と言った。
「はあ?」
「高かったから無駄にしないでね」
――英語仏語のコミュニケーションの問題じゃない。この人は相手がいったいどういう状況にあるか感じる力がない。
やっと日中はベッドを離れ、咳をしながらも自分のことができるようになったところだ。千沙の体調を慮って買って来てくれたのだろう、日本食が食べたいだろうと考えてくれたのだろう、そう無理に解釈して包丁を握った。カレイの卸し方ですら記憶にあやふやだ。
アサツキを細く切り、お醤油と何とか食卓に載せた後で、若妻が言ったことは、
「台所が魚臭い。包丁も。もう一回洗って」
だった。
千沙が仕事もできないままイブが来た。ツリーの飾り付けを頼まれた。
フランスのクリスマスイブは神聖だ。家族そろってきちんとした格好で食卓に着き、夜通し歓談する。
「休ませてくれないか?」と訊くと「それではだらしなさ過ぎる」と返ってきた。皆に合わせろと。
食卓で若妻は、千沙はフランス語のRが発音できてないと笑いものにし、言い間違いをネタにする。
折り紙で「これ石楠花に見えないかな?」と紫陽花を折ってみせたら「何してるのかと思った」と不満げ。何をしても喜んではもらえない。
何とかクリスマスをやり過ごし、27日ピエールに、「翌日外で働けなかったらイギリスに帰る。迷惑かけるばかりですまない」と頭を下げた。
彼は申し訳なさそうに苦笑した。
翌朝帰英を決めた千沙をピエールは本宅の庭に誘った。
「元気になったら見せようと思っていたんだ」
そこはイギリスの著名造園家が19世紀末にフランスに創った幻のイングリッシュガーデン。千沙はもとよりここを見たくてピエールの話を受けたのだった。
「身体壊すくらいなら手伝ってもらわなけりゃよかった……」
ピエールの呟きは千沙を労ってのものなのか、奥さんのお荷物になってという意味なのか図りかねた。
他人の優しさが受け取れないほど、千沙の心が冷え切っていたのかもしれない。
シャトーと呼ぶべきお屋敷の周りを心地よい庭が取り巻く。冬は庭のアウトラインが如実に表れるから、どれほど入念にデザインされたものか、まだ勉強中の千沙にも容易に見て取れた。
屋敷の北側は英仏海峡に向かって谷間になっている地形を活かし、石楠花、つつじ、紫陽花、カエデ、モクレン、桐など日本で馴染みの植物が、抱き護られるようにして春を待っていた。
散策しながら千沙は不思議な夫婦だと思った。普段彼は年老いたご母堂のいるこちらの本宅で寝泊まりし、週に一、二度妻のコテージで夜を過ごす。ピエールは妻のために庭作りはしても、執筆、研究、生活面の干渉はしないようだった。
「嫁姑問題がちょっとあってね……」
ピエールはイギリスで知り合った時より疲れて見えた。
千沙の頭には若妻が研究と石楠花園作りのために、地主であるピエール一家に近づいたのではないかとの疑念が湧いてくる。
「どうしてあんなに歳の離れた奥さんもらったの」と訊くと「結婚したかったんだよ」との返事だった。それ以上、聞くのはやめた。
お屋敷を見た後では倍がけでみすぼらしく感じるコテージに戻り荷づくりをした。
若妻には体調のいい時間をぬって翻訳した日本語の石楠花カタログを手渡した。一応「お手数掛けました、ありがとうございました」と頭を下げて。
「アンタは夜早く寝ないから朝起きれないのよ」と文句を言っていたから、これを見て「私が何をしていたか、思い知ればいいわ」と千沙は思った。
「もう少し、少しだけでも優しくしてくれたら、信用してくれたら、もっとお手伝いもしてあげたのに」
相手が千沙のその気持ちを推し量れたかどうかは、千沙にもわからない。
食事を作ってくれていたおばさんが昼過ぎ、最寄り駅まで車を出してくれた。もう何も話さなかった。笑顔で別れて電車の時間を調べた。
年末ダイヤで夕方まで便がない。待ち時間が長すぎる。一刻でも早くイギリスに戻りたかった。フランスが悪いんじゃない、大好きだったフランスが変わったんじゃない。でも千沙は困憊していた。お腹はまだ緩いまま、咳も止まっていない。
駅前タクシー乗り場の運転手に話しかけた。「イギリスへのフェリーが出るカレーの港までいくらか?」と。
「カレー? 冗談じゃない、二万円近くする」と驚いていた。
そんな大金タクシーにつぎ込むフランス人は普通いない。レンタカー借りるとか友達探すとか電車をゆっくり待つとか、安い選択肢はいくらでもある。その町で一泊して翌日電車に乗ったとしても二万はかからない。
「いいから、現金でちゃんと払うから、カレーへ連れてって」
千沙は頼み込んでいた。イギリスの銀行カードで、フランスのATMから現金がおろせる。片道二時間、予想外の遠距離を運転手さんは千沙の話に適当に相槌を打ちながら走ってくれた。うとうともしたのかもしれない。
カレーの街は既に暗く、大粒に泣く霙だった。駅前でタクシーの精算をして港行きのバスに乗った。フェリーの復路チケットはオープンで既に持っていたし、徒歩客は定員越えで断られることはない。18時半の便に乗り込むことができた。
「ああ、イギリスに向かっている」
ほっとして船内の階段の陰のイスにどさっと座り込み、鞄を抱きしめてほとんど朦朧としていた。
無意識に徒歩客下船口の近くに座っていたのだろう、船が止まった時、千沙は行列のほとんど先頭に鞄を抱えて立っていた。ドアが開いてタラップへと足を踏み出した。
フランスでクリスマス休暇を楽しんだ英国人や、イギリスでニューイヤーを迎えようというヨーロッパあちこちからの人々がのんびり足を運ぶ。その流れにやっとの思いでついて行く千沙を颯爽と抜かしていく男がひとりいたくらいだ。
EU加入国の人々にはパスポートコントロールがない。この時期移動するアジア系、アフリカ系も少ないのだろう、手続きはすぐに済み港湾ターミナル建物の外に出た。
冷たい空気を吸ってやっと千沙の頭が動き出す。
――ひとまずドーバー駅に行かなくちゃ。ロンドンの下宿まで今日戻れるかわからない。だめなら宿屋を探さなくちゃ。でもいい。イギリスに着いたから。行きに泊まったB&Bにまたお世話になってもいい。