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流星群の夜

 三人で過ごす何気ない日常の中で、ぼくはふと、始まりは何だっけ、と思うときがある。そう思うときはいつも、ぼくはその場に居ながら、瞼の裏に宇宙を見る。宇宙、と見紛うけれど、それは本当は宇宙ではなくて、昔見た星空の記憶だ。それは奈月ちゃんのお母さんが突然いなくなってしまった日で、ぼくたちは小学三年生だった。


 その日、ぼくらはいつものように「宝探し」をしていた。「宝探し」というのは、ただ大河の家の裏手にあるちょっとした丘をむやみやたらに掘り起こすことで、その遊びをしよう言い出したのはもちろん奈月ちゃんだった。

 奈月ちゃんは勉強が大嫌いだったからテストの成績はさっぱりだったけれど、本は読む子だったから決してばかではなかった。ただ、奈月ちゃんの場合、トム・ソーヤ―の冒険も、相澤忠洋が岩宿遺跡を発見したことも、全部一緒くたに本当のことだと思い込んでいるから質が悪いのだ。

「もしかしたら海賊のお宝とか、すっごい土器のかけらとかが埋まっているかもしれないじゃん!」

 そう言いながら奈月ちゃんは目をきらきらと輝かせながら土を掘り返していた。

 大河もただ黙々と穴を掘っていた。大河はテレビゲームに熱中しすぎてお母さんに雨の日以外に家の中で遊ぶことを禁止されていたから、こういう終わらない遊びは好都合だった。ぼくはというと、この町に引っ越してきてから奈月ちゃんと大河くらいしか友だちがいなかったから、ぼくにとっても好都合だったといえる。

 奈月ちゃんは初め、喜々として穴を掘っていた。いつもならせいぜい二時間もすれば飽きて他の遊びを始めるのに、この日の奈月ちゃんは、時間が経つにつれて必死になって穴を掘り続けていた。ぼくと大河が完全に放り出して草笛を吹く練習をしていたときも、奈月ちゃんは黙ってあちこちに穴を掘り続けていた。夕日が空を真っ赤に染めても奈月ちゃんはスコップを手放そうとしなかった。辺りがすっかり暗くなって、ぼくが奈月ちゃんの腕をそっと引いたとき、奈月ちゃんは泣いていた。


「うち、貧乏だからさ、もし、すごいお宝を見つかったら、お金持ちになれるかなって思ったの」

 ぼくらは草の上に寝転がって空を見上げながら、奈月ちゃんの話を聞いた。

「お父さんは()()()()()なしだから、奈月がお宝を売ってお金持ちになれたら、お母さんは戻ってきてくれると思ったんだ」

短い話の後、ぼくらはまるでひとりぼっちになったように黙り込んだ。どこからともなく虫の鳴く声が聞こえた。葉擦れの音はまるで波のようにぼくらを包み込んで、ぼくは風がかけ抜けていくのをいくのを感じた。

「お宝なんて、ないのかな」

 奈月ちゃんがぽつりと呟いた。

「ないよ」

 と大河がすかさず言った。奈月ちゃんは何か言い返すと思いきや、大きく息を吸い込んでから、

「夢のない町だなー!」

 やけっぱちになって叫んだ。

――夢のない町だなー、…のない町だなー、町だなー、あぁー……。

 こだまが消えると、辺りはまた静かになった。

 月のない晩だった。空は博物館で見た紫水晶の原石の色をしていた。辺りに光のない丘の上で、いつもの星の隙間を星くずでうめたような、それはきれいな空だった。

「流れ星が流れるあいだに願いごとをすれば叶う、っていうじゃん。でもふつう、流れ星が流れている間に三回もおまじないなんてできないよね」

 空を見上げたまま、奈月ちゃんが言った。

「お母さんは、奈月が悪い子だから出ていったのかな」

 奈月ちゃんの向こうから、小さな寝息のような音がするのを聞いて、ぼくは隣にいる奈月ちゃんをの方を見た。鷲鼻の稜線がなだらかに伸びる横顔はまっずぐ空を見上げていた。

「そんなことないよ、きっと」

 そう言って慰めようとすると、奈月ちゃんはぼくの方を横目で見た。

「じゃあ、どうしてお母さんは奈月を置いていったの」

 そう言った声は、まるで泣き声のように高く、掠れていた。

「あと三日で誕生日だったのに」

「大丈夫だよ、おばさんはきっと、奈月ちゃんの誕生日には帰ってくるよ」

 奈月ちゃんの顔は晴れなかった。多分奈月ちゃんは、お母さんが帰ってこないだろうということが何となくわかっていたのだろう。

いつも勇敢だった奈月ちゃんは、今にも消えてしまいそうに弱々しくて、ぼくは初めて奈月ちゃんを守らなければいけないと思った。

「ぼくが奈月ちゃんのそばにいるよ、置いていかない。約束する」

 奈月ちゃんがこっちを向いた。思ったよりも顔が近くなって、ぼくはどきりとした。

「本当?」

 そう言った目が闇の中でちらりと光った。ぼくはただ、奈月ちゃんを元気づけようと思って、小さな白い手を取った。

「ね、約束」

 そう言って、ちいさな蛇のように小指を絡めた。ぼくを見つめる奈月ちゃんの顔はまだ憂いを帯びていて、次はどうすればいいかぼくが考え始めたとき、

「流れ星!」

 と、大河が叫んだ。はっとして空をあおいだ、その瞬間にはもう星はもう宇宙のちりになって消えていた。

「見えなかったよ」

 奈月ちゃんが不機嫌そうな声で言った。僕の横で奈月ちゃんの黒い影がむくりと起き上がるのがわかった。ぼくも起き上がろうとした視界の端が、流れていく光の尾をとらえた。

「あ」

 小さな叫び声をあげたそのときには、やっぱり星は消えていた。

「え、風太も見たの?」

 隣の影は素早く弧を描き、ぼくたちは息を殺して流れ星を待った。

 どれくらいの時間が経っただろうか。

「あっ」

 と声を上げたのは奈月ちゃんだった。南東の方角から小さな流れ星がひとつ、尾を引いて流れていった。それが呼び水になったように、あとからあとから無数の星が空を流れていった。

 ぼくらはただ呆気にとられて流れ星を見た。目を皿のようにして、口を酸欠の金魚のように動かして、空を見上げていた。ぼくらは生まれて初めて、自然を知ったのだ。

「ねぇ、」

 奈月ちゃんはゆっくりと立ち上がった。

「できたよ。消える前に三回、できた……」

 振り向いた奈月ちゃんは笑っていた。光がなくて影絵のようにしか見えなかったはずなのに、ぼくは不思議とその顔をはっきりと覚えている。安らかな達成感に満ちた、はっと胸をつくような表情だった。細くなった目から涙が二筋こぼれたかと思うと奈月ちゃんはにわかに顔をくしゃりと歪めて、静かに泣きだした。

「泣くなよ奈月」

 大河が奈月ちゃんの背中をさすった。ぼくらを取り囲む空はまだ惜しげもなく星が降り注いでいたけれど、いつまでつづくのかはわからなかった。そのときのぼくはそれが流星群だということを知らなかった。まるで魔法のような奇跡の中にいるのだと思っていた。だから、おまじないも、奇跡も、本当に起こせる気がしたのだ。

 ぼくは、たくさんの流れ星に何度も願いをかけた。奈月ちゃんがもうこんな悲しい顔をしないように、また心から笑えるように。

「奈月ちゃん」

 奈月ちゃんは泣きぬれた顔をそっと上げた。

「同盟を結ぼう、三人で」

「同盟?」

「『ドウメイ』って何?」

「『約束』のかっこいいバージョン」

 ひとりきょとんとしていた大河に

は奈月ちゃんが説明してくれた。

「だから、喧嘩しても、どんなに遠く離れても、困ったときや悲しい時は助け合おう」

「カッコいいじゃん!」

 と大河が目を輝かせた。

「奈月もそう思うだろ?」

 うん、と言って、奈月ちゃんは頷いた。

「ようし、俺たちは一生友だちだ! 大人になっても、おじいちゃん・おばあちゃんになっても、ずーっと一生友だちなんだぞ!」

 大河は星空に向かって高らかに叫んだ。

「だから奈月、もう泣くな。おれと風太は、奈月のそばから勝手にいなくなったりしないからな、本当だぞ」

 奈月ちゃんは何度も頷いた。五年前の話だ。


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