密会
その頃――
朱雀帝に千紗の部屋から追い出された後、キヨとヒナ、そして成明の3人は各々自分達の部屋へと戻ってきていた。
三人は三人共に千紗と朱雀帝の事を心配しながらも、結局は何もできる事はなく、もやもやした気持ちのままま床についていた。
そして、更に夜は深まり、屋敷中の皆が寝静まったであろう夜半時――
一人足音を忍ばせて、寝間着のまま床を抜け出すヒナの姿があった。
ヒナは、侍女達に与えられた雑魚寝部屋を抜け出し、そのままの足で今度は内裏を囲う土壁、その一部修繕されぬまま手付かずとなっていた抜け穴を使って、こっそりと内裏をも抜け出した。
更に大内裏までもを抜け出すべく、大内裏を守る十二ある宮城門のうち、正門にあたる朱雀門を目指し闇夜を走った。
門の近くまでくると、用心深げに忍び足で付近の茂みへと身を隠す。
門番を警戒しての行動だったが、幸い今日の警備は手薄なようで、唯一姿を確認できた門番の男は、酔っているのかグーグーと大きなイビキをたてて眠っていた。
そんな門番の姿を横目に見ながら、ヒナは慣れた様子で手近な木をよじ登ると、その木をつたって6尺を少し越えようかという大垣の上に降り立った。
その際、微かにガサガサと木葉を揺らしていたらしく、壁の外側、下方から、突然「誰だ!」と怒気の籠った声を掛けられる。
だがヒナは、その声に驚いた様子もなく、それどころか嬉しそうに顔を綻ばせながら大きく両手を広げ、声の主目掛けて6尺を越す大垣を勢い良く飛び降りた。
「うわっ、馬鹿……」
飛び降りたヒナを、声の主は慌てて下で受け止める。
その勢いのままその人物は背中から倒れ込み
「あっぶないな。ったく、いつも無茶するなって言ってるだろ、ヒナ」
怒ったような呆れたような口調でヒナを叱った。
ヒナはシュンと肩を竦める。
「…………ごめ……な……さい。……あき……なり様……」
片言で謝るヒナの頭をワシャワシャと撫でてやりながら、その人物はヒナを立たせ、汚れた彼女の着物をパンパンと叩いてやる。
そう、ヒナに「あきなり」と呼ばれたこの男こそが貞盛が話していた今京で噂の男。
ヒナは、たまにこうして夜中に内裏を抜け出しては、こっそりと秋成に会っていた。
内裏での千紗の様子を、秋成に報告する為に。
◇◇◇
『どうして……どうして……約束したのに……』
2ヶ月前――
朱雀帝と千紗の結婚が発表された日の夜、一人千紗を守れなかった悔しさに、己を攻め続けていた秋成。
桜の大木を何度も殴り付け、自分で自分を傷付けていた秋成の姿をすぐ側で見ていたヒナは、彼の為に何かしたい、彼の役に立ちたいと強く願った。
それまで長い間声を失っていたヒナだったが、「秋成を守りたい」。自身の中強く芽生えた想いを何とかして伝えたいと、彼女は必死に自身の中に眠っていた声を絞り出したのだ。
『……が……私……が……秋成……様の代わりに……千紗様のお側に……』
『……ヒナ? お前、声………』
『私が……千……紗……様を………お守り……します……。だから………もう……自分を……傷付ける……事は……しないで………。一人で……悲し……まないで……』
あの日をきっかけに、ヒナは片言ではあったが、ゆっくりと言葉を喋るようになっていった。
そして、秋成との約束を果たす為、千紗の世話役として千紗の後を追い、キヨと共に内裏へ入ったのだった。
そして、内裏での千紗の様子や、内裏の内部情報、千紗に関わるあらゆる事柄を、人目を盗んではこうして秋成の元へと報告に来ていた。
そう、来るべきいつかの為に――
「………そうか。あのチビが姫様に……」
ヒナからの報告内容に、秋成の手にはきつく拳が握りしめられた。
「まるで、籠に囚われた鳥のようだな。あんなにも自由を求めていた方だったのに、さぞお心を痛めているだろう」
「…………キヨ……様も……心配して……おられました……。日に日に、千紗様の顔から……笑顔が消えて……行っている……って……」
「…………」
ヒナの口から語られる千紗の現状に、秋成は一人難しい顔をして考え込む。
「…………秋成……様……?」
ヒナは、心配げにそんな秋成の顔を覗き込んだ。
「ん?あぁ、すまない。何でもないんだ」
「………本当……に?」
「あぁ。ヒナ、姫様の様子を知らせてくれてありがとう」
秋成はそう言うと、再びヒナの頭をクシャクシャっと撫で付けた。
ヒナはくすぐったそうに、そして嬉しそうに微笑んでいた。
「さぁ、今日はもう戻れ。宮仕えの女の朝は早いだろ。早く体を休めないと、明日がつらいぞ」
ヒナに向かって優しく言うと、ふわりとヒナの体を持ち上げて、大内裏の内と外を隔てている土づくりの城壁を登る手助けをしてやる。ヒナを再び宮城内へと送り帰す為に。
別れを惜しむように秋成を見つめるヒナに、彼は笑顔を向けて言った。
「ヒナ、姫様の事……頼んだぞ」
秋成の言葉に力強く頷いて、ヒナは来た時同様、器用に木をつたって大内裏へと消えて行った。
ヒナの姿が見えなくなった後も、秋成は暫くの間、己の目の前に聳え立つ城壁をじっと見上げていた。
帝の后となった千紗と、大内裏にすら入る事が許されない己の前に、高く高く聳え立つ城壁を――
――『秋成~!』
目を閉じれば、今にも聞こえてきそうな主の声。
笑った顔や怒った顔、感情のままにクルクルと忙しく変化していた彼女の表情が色鮮やかに甦る。
――『…………キヨ……様も……心配して……おられました……。日に日に、千紗様の顔から……笑顔が消えて……行っているって……』
先程のヒナの言葉を思い出す。
あの千紗姫から笑顔が消えるなど、ずっと側で見てきた秋成には到底信じられない。
今すぐにでも、千紗の様子を見に行きたいのに、今は目の前の壁がそれを阻む。
つい2ヶ月前まで、すぐ近くにあったはずの主の温もりが、今は果てしなく遠い。
もどかしさに秋成は、再びきつく拳を握り締める。
そして不安を押し殺すかのように、「千紗」と主の名を小さく呼んだ後、目の前に聳える高い壁をきつく睨み付けながら、ある強い決意を口にした。
「待ってろ。絶対に俺が、お前をこの籠の中から助け出してやるから」
放った言葉が、言霊となる事を信じて――




