坂東との別れ
貞盛が小次郎への恨み言を吐き捨て、小次郎屋敷を去ろうとしていた頃、千紗達は屋敷の離れにある彼女達の部屋へ戻るため、渡殿を歩いていた。
風に乗って微かに聞こえ来た音に千紗は振り返り小次郎に尋ねた。
「ん? 今、何か聞こえなかったか? 先程の野良犬とやらか?」
「……いや、俺には何も聞こえなかったが。野良犬だとしたら、四郎が何とかしてくれている。千紗が気にする事はない」
どこか寂しそうに小次郎は言った。
そんな小次郎を、千紗は不思議そうに見上げていた。
「で?話って何だ?」
そうこうしている間にも千紗の部屋までやって来た小次郎は、遠慮なく部屋へ入るなりドカっと腰を下ろして、彼女が小次郎の部屋を尋ね来た理由を改めて問うた。
「あ、小次郎の兄貴、こんな時間にどうしたの?」
そんな小次郎の周りに、部屋でそれぞれ寛いでいた清太や春太郎、ヒナ達が何だ何だと集まって来る。
秋成だけは相変わらず護衛の任に勤しんでいる様子で、部屋の灯りも届かない庭の片隅から、小次郎に向けて小さく頭を下げてみせた。
小次郎からの問い掛けに、「おお、そうだった」と、小次郎と向き合う位置に正座して座った千紗は、珍しく畏まった様子で小次郎の元を尋ねた理由を語り始めた。
「実はな、秋成やチビ助とも話し合ったのだが、お主が京へ上るのと一緒に、私達も京へ帰ろうと思うのだ。だからな小次郎、私達も共に京へ連れて行ってくれぬか?」
千紗の申し出に、小次郎は別段驚いた様子もなく「言うと思った」と小さく漏らしながらクックッと笑い、クシャクシャに千紗の頭を撫でた。
「な、何をする。子供扱いは止めろ」
「勿論、俺もそのつもりだったさ。お前から切り出さなくても、この機会にお前を京へ連れて行く、そのつもりでいた。そろそろお前を、忠平様の元へお返ししなければな」
千紗をからかうような態度とは裏腹に、小次郎の言葉は何処か切なげに聞こえる。
だが、そんな事には微塵も気付いていないだろう千紗は、嬉しそうに微笑んで言った。
「そうか、ならば話は早い。小次郎、お前の無実は京で私自らが説明してやるからな。お主の事は必ず私が守ってやる。だから、大船に乗ったつもりでいろ!」と。
「それは、頼もしいな」
無邪気な千紗の笑顔に、小次郎も優しい顔付きで穏やかに微笑んで見せながら、目の前に座る千紗の頭を改めてクシャクシャに撫でつけた。
「だからよせ。子供扱いはするなと申しておるではないか」
「そうだぞ! お前のような下賤者が千紗姫様に馴れ馴れしく触るな!」
小次郎に頭を撫でつけられ怒る千紗に、朱雀帝も一緒になって抗議の声を上げた。
「何だ? そっちのお前も撫でて欲しいのか? よしよし、そう怒らずとも、お前の事も撫でてやるさ」
「よ、よせっ!この私を愚弄する気か? その汚い手を今すぐ退けろ!」
「よ〜しよしよし」
嫉妬心からくる朱雀帝の本気の苛立ちも気にせずに、まるでキャンキャン吠える子犬をあやすように、小次郎は千紗と共に朱雀帝の頭を撫で付けた。
そんな三人仲良くじゃれ合う隣で、清太と春太郎の二人は何故か千紗達の話に何やら動揺している様子で互いに顔を見合わせていた。
「ん? どうした清太、春太郎。お主等何をそわそわしておるのだ?」
二人の様子に気付いた千紗が声を掛ける。
と、清太が遠慮がちに口を開いた。
「………だ……嫌だ……おいらはまだ、ここにいたい……」
「僕も……まだ京へは帰りたくない」
「……清太……春太郎?」
二人の思いがけない告白に、千紗はどこか寂しげに彼等の名を呼んだ。
「おいらはここに残る。四郎の兄貴と一緒に、ここに残る。おいら馬鹿だけど、これだけは分かるよ。小次郎の兄貴の不在を狙って、またこの前みたいに戦を仕掛けられたら? 今の四郎の兄貴には助けてくれる味方は誰もいないんだろ? 四郎の兄貴は一人でこの豊田の地を守らなくちゃいけないんだろ?」
「……それは……」
清太からの問い掛けに、小次郎は言葉に詰まった。
「だからおいらはここに残って、四郎の兄貴を助けたい。兄貴の力になりたいんだ」
「……僕も」
清太の言葉に、春太郎もまた同意を示した。
二人の語った熱い想いに、千紗は小次郎の意見を求めるように視線を向ける。
小次郎も同じ事を考えたようで、困った顔で千紗を見ていた。
そんな困ったような二人の顔に、清太は潤んだ瞳で尋ねた。
「………だめか、姫様?」
「う゛……」
我儘を言い慣れていている千紗も、言われる側の立場には全く慣れてはいなくて、捨てられた子犬のような目で懇願する清太に、思わず言葉に詰まった。
「お願いだよ姫様、おいら達、今は藤原家に遣える身だって分かってるけど、でも四郎の兄貴の力にもなりたいんだ。ここに残る事を許して下さい。せめて小次郎の兄貴が戻ってくるまでの間だけ――」
「う゛ぅ………」
こうも必死にお願いされては駄目とも言えまい。
何せ今まで散々我儘を言って来た側なのだから。
お願いされる立場になって初めて思い知らされる。
こんな風にいつも秋成や小次郎達を自分も散々困らせて来たのだなと。
「……分かった。お主達はお主達の好きなようにしろ。父上には私から話しておく。小次郎、お主もそれで構わないか?」
「あ、あぁ。こちらも構わない。寧ろありがたいくらいだが、清太達は本当にそれで良いのか?」
「本当か!? やった~! ありがとう姫様、小次郎の兄貴!! 勿論だよ!! おいら達は四郎の兄貴に京でお世話になった恩返しをしたいんだ」
「やったね清太!これで僕達、四郎の兄貴の役にたてるかな。恩返しできるかな」
「あぁ、姫様が小次郎の兄貴を守るように、おいら達もここで四郎の兄貴を守ろうぜ、春太郎!」
坂東へ残りたいとの願いが通じて、本当に嬉しそうにハシャグ二人。
そんな二人の隣で、今度はヒナが何か言いたげな様子でおどおどと狼狽えていた。
「どうした、ヒナ? ヒナも、清太達とここへ残りたいか?」
「…………」
千紗からの質問に、ヒナは困ったような顔で、同郷の清太達と、想い人である秋成とを見比べた。
「……っ!」
チラチラと視線を向けるその中で、不意に秋成と視線が重なって目が、ヒナの瞳が緊張に奮える。
「ヒナ? どうかしたのか? 顔が少し赤いぞ」
「………………」
暫くの沈黙の後、俯いたヒナはそっと千紗の着物の袖を掴むと、小さく首を横に振った。
「ん? お前は清太達と残らないのか? 私達と共に、京へ帰ってもよいと?」
二度目の千紗からの質問に、ヒナは今度はコクンと小さく頷いてみせて、京へと帰る意思を示した。
「……そうか。では私達と共に参ろうぞ、京へ――」
こうして千紗達は、京から共に旅をして来た清太と、春太郎の二人と別れを迎える事となった。
そして四郎を始め、景行や桔梗、この坂東の地で出会った多くの人々とも――
***
――2日後
小次郎や千紗達の旅立ちに、小次郎の屋敷で働く多くの家人達が屋敷の門前に集まり、別れを惜しんでいた。
「では行ってくる。四郎、俺が留守の間、豊田と皆の事を頼んだぞ」
「任せとけって兄貴」
「お気をつけて。必ず、無事に帰って来て下さいね、小次郎様」
「あぁ、心配するな桔梗」
「千紗姫様も、どうかお元気で。千紗姫様と過ごしたこの数ヶ月は本当に楽しかったです。いつかまた、この地に遊び来て下さい。約束ですよ」
「うむ、約束だ桔梗。お主も元気で。清太と春太郎の事、宜しく頼んだぞ」
「はい」
「清太、春太郎、お主達はくれぐれも桔梗や四郎、豊田の者達に迷惑をかけぬように。良いな」
「わ~かってるって姫様。姫様も、我儘は程々にな〜」
「う゛……清太のくせに生意気ぞ。だが……お主達とこれで暫くは会えぬのだと思うとやはり寂しいな。主等、いつかは京へ帰ってくるのだろ?」
「うん、勿論そのつもりだよ。ヒナや京で僕達の帰りを待ってる仲間の事も心配だしね。僕達はあくまで小次郎の兄貴が留守の間の用心棒さ」
「そうか。それを訊いても安心したぞ春太郎。いつのまにやら主等も頼もしくなって」
「へへへ」
「何照れてるんだよ春太郎。気持ち悪いぞ」
「う、うるさいな~清太」
「コラコラ喧嘩をするな。先程迷惑をかけるなと申したばかりではないか」
「「……は〜い」」
「では本当にこれで暫しの別れだ。必ずまた会おうぞ清太、春太郎」
千紗の別れの言葉に清太と春太郎は力強く頷く。
「豊田の皆も、いつかまた、必ず会える事を――それまでどうか元気で」
「「「はい、千紗姫様。必ずまたお会いしましょう。姫様もどうかお元気で――」」」
こうして千紗は豊田の地を旅立って行く。
別れを惜しむ者達との、再会の約束を交わしながら――




