裏切り
――翌日
「ん……」
静まり返る屋敷の中、ポツポツとやけに煩く耳につく音に目を覚ました貞盛。
ぼんやりする視界で昨夜この手に抱いた杏子姫の姿を探す。だが、見あたらない。
「…………杏子姫?」
貞盛は、怠い体を起こし、乱れた着物を整えると部屋を出た。
外に出て気付く。先程から耳につく音は雨音だったのだと。
それにしても、さほど雨足が強いわけでもないのに妙に耳に響く雨音だなと貞盛りは思った。
いや、雨音が大きいのではなく、些細な音さえ気になる程に屋敷が静か過ぎるのか。
そこまで気付いて、貞盛ははっとしてた。
「杏子姫様、母上、繁盛?いないのですか?」
大きな声を出して家族の名を呼ぶ。
だが、貞盛の呼びかけに返事はない。
「誰か……誰かいないのですか?」
どんなに呼びかけても返ってくる声はない。
それどころから、屋敷のどこを探しても誰一人姿を見かけない。人の気配が全く感じられないのだ。
あまりに静か過ぎる屋敷の様子に、貞盛は息を呑む。
――『言ったでしょ。貴方に復讐する為なら、私はなんだってすると。たとえ大嫌いな貴方に抱かれようと、受け入れてみせます』
昨夜の杏子姫の言葉が頭に響いた。
「は、ははは……。あははははは」
何かに気付いたらしい貞盛は狂ったように笑い出す。
「やってくれましたね、杏子姫。私に抱かれておきながら、弟にまで色仕掛けで迫りましたか。あれだけ牽制しておいた繁盛に勝手に兵を上げさせて……とんだ女狐だ」
まだ杏子姫の感触が残る手。その右手を憎々しげに握り締めるながら、怒りに全身を震わせた。
所変わって床下で一晩をあかした自称“大悪党"藤原玄明。
狂ったような貞盛の笑い声に驚き飛び起きる。
「うお?!何だ何だ?!どうした?奴さん(やっこさん)、一族郎党に裏切られて気でも狂ったか?だが、今は怒りってる場合でもないだろう。早く止めないと、あんたも裏切り者の仲間入りだぜ。さぁ、どうする?平太郎貞盛さんよぉ――」
***
「全く、どいつもこいつも余計な事ばかりしやがって、私の計画が台無しだ!本当に、血の気の多い連中しかいないんだなここには。だから私は嫌いなのだ。この坂東という野蛮な地が。あぁ……糞!!」
弟、繁盛の裏切りに気付いた貞様は、国香亡き後の平氏一門の棟梁を引き継いだ、平良兼。彼の屋敷がある武射群へと、馬を急がせていた。
いつも涼しげな顔をして、能面のような笑みを浮かべている彼にしては、珍しく気が立っている。
そんな貞盛の感情に比例するかのように、先程から降り続いていた雨もまた、荒れ始めていた。――嵐がすぐそこまで迫っている。
「何としても繁盛が伯父上達と接触する前に連れ戻さなくては。顔を合わせたら厄介な事になりかねん。頼む……間に合ってくれ……」
だが、貞盛の健闘も虚しく、道中繁盛達に追い付く事は敵わなかった。
仕方なく貞盛は良兼の館の門を叩く。
「頼もう。我が名は平太郎貞盛。伯父、良兼様に会いに来た。ここを通していただきたい」
「これはこれは貞盛様。こんな夜遅くに雨の中ご苦労様です。どうぞこちらに」
「………」
太郎が良兼の館に到着したのは、大分夜も深まった頃。
だと言うのに門番は、貞盛が来ることが分かっていたかのように、びしょ濡れになって立ち尽くす貞盛の姿に驚いた様子もなく、彼を屋敷の中へと招き入れた。
それどころか、用意していたらしい着替えを貞盛へと手渡してくれた。
「その前に、こちらにお着替えください。そのままではお風邪を召されてしまいます」
「……かたじけない」
***
「おぉ貞盛。やっと参ったか。待ちくたびれたぞ」
「……ご無沙汰しております。良兼伯父上」
「全くだ貞盛。帰ったら挨拶に来いと言っておいただろう」
「良正伯父上。なかなかご挨拶に来られず申し訳ございませんでした」
「まぁまぁまぁ、そう怒ってやるな良正。貞盛も、そんな所に突っ立っていないで、ここへ座れ」
着替えを済ませた貞盛が連れて来られた部屋には良兼と良正、二人の伯父が座していて、仲良く膳を囲んでいた。
二人の膳の前にはもう一つ膳が用意されていて、伯父達は貞盛をその膳の前に座るよう促した。
平良兼。貞盛の父である国香のすぐ下の弟で、小次郎の父良将からすれば一つ上の兄にあたる人物。
良兼は普段から垂れ下がっている目尻を更に垂れさせて、ニコニコと優しい笑顔で貞盛を迎え入れた。
体格はコロコロとした印象で肉付きがよく、背は低い。彼を一言で例えるならば、"狸"のようだと、貞盛は常々思っていた。
そんな良兼とは対照的に、仏頂面で睨むもう一人の伯父。平良正。
彼は五人いる兄弟の一番末弟にあたる。
つり上がった目元に、ゴツゴツとしたえらの張った輪郭。加えて恵まれた大柄な体格は、パッと見た悪人のような印象を与える。
半年前、貞盛や千紗達が森の中で小次郎と再会した際に、小次郎から逃げるように慌てて去って行ったのがこの良正。
その際に、挨拶に来いと言われていたのに、実際に挨拶に来たのが半年も過ぎた今が初めてであったものだから、元来短気で怒りっぽい良正は酷く苛立っているようだった。
「ご挨拶が遅れて、誠に申し訳ありませんでした」
そんな良正の苛立ちに、貞盛はうわべだけの謝罪の言葉を述べる。
「よいよい。こうして今、挨拶に来てくれたのだからな」
「良兼伯父上、ありがとうございます。所で我が弟、繁盛はここに来ておりますでしょうか?」
「おぉおぉ、繁盛もな、少し前に来てくれたぞ」
「そうですか。では、妻の杏子、それから母上、我が家臣達も一緒でしょうか?」
「勿論だ。皆よく我の呼びかけに応えてくれた。感謝するぞ。さぁさぁ、その膳は私からのほんの感謝の気持ちだ。存分に食べて行ってくれ」
「そうですか。では皆を連れて私は失礼させていただきます」
「……な、何?!」
それまでニコニコと穏やかだった良兼の笑顔が、貞盛の放った一言で一気に凍り付く。
彼の表情に浮かんだ不満を代弁するように良正が怒鳴り出した。
「何を馬鹿な事を言っている貞盛!?お前達は父の敵を打つために、良兼兄者の元へ参ったのであろう?」
「申し訳ありませんが、私に小次郎と戦う意志はございません。ここへは弟達を連れ戻しに参りました」
「貞盛貴様っ!!我等にあだなすと言うのか?」
「いいえ、それも違います。私は誰とも争うつもりはございません」
「何を馬鹿な!お前は父を殺されて悔しくはないのか?」
「父は小次郎の土地を騙しとったのですよ。殺されても仕方のない事を父はしました」
「なっ……」
「では、逆に聞かせて下さい。伯父上達は何故小次郎と戦うのですか?小次郎と我が父、国香との間に起きた揉め事に、伯父上達は何の関係もないかと存じますが」
「関係ない!?馬鹿を言うな!奴は国香の兄者を殺したのだぞ!兄を殺されて関係ないわけないだろう!!」
「小次郎もまた、伯父上達にとっては実の甥。兄が殺されて怒るのに、甥を殺す事には何の抵抗もないと?」
「……それは……」
「この揉め事に平和的解決は望めないのでしょうか?同じ血を分けた一族同士が争うなど悲し過ぎるではありませんか」
「…………」
それまで貞盛の意見に噛み付いていた良正が黙り混む。
良兼もまた、目を閉じて静かに貞盛の言葉に耳を傾けていた。
「私は平和的解決を望みます。その為の話も小次郎とつけてきました。伯父上達もどうか怒りをお沈め下さい」
「…………そうか、そうか。お主の話は良くわか……」
貞盛の話を、それまで黙って聞いていた良兼が、閉ざしていた口を静かに開きかけた時――
「これはこれは貞盛様、お久しぶりです」
「……撫子様。……お久しぶりです」
良兼の妻、撫子がまるで時期を計っていたかのように突然に、部屋へと入って来た。
貞盛に軽く挨拶をすると、貞盛の横を通りすぎ、夫、良兼の隣へ座る。
そして――
「殿。殿は、私と約束してくださいましたよね?我が弟達の仇を打って下さると。国香殿と供に殺された弟、隆と繁の仇を打って下さると、そう約束しましたよね?殿は撫子との約束を破るのですか?」
甘えるように、良兼にすりよる撫子。
人目も気にせずに頬や胸板など、ぺたぺたと夫の体を嫌らしい手つきで撫で回すその姿に、ついつい貞盛は心の声を漏らした。
「……全く……姉妹そろってとんだ女狐だ」
「何かおっしゃいましたか、貞盛殿?」
「いいえ。何も」
良兼の、撫子――彼女は貞盛の妻、杏子の実の姉でもある。
「貞盛殿。これは決して貴方と将門だけの問題ではないのですよ。勝手に話を片付けられては困ります。あの男は貴方の父上と共に、私の実の弟二人をも殺したのです」
「ならば、貴方達源家で小次郎に復讐すればよい。何故、良兼伯父上に実の甥を殺すよう願うのです?」
「甥だからこそです。我が殿は今や平家の家長。だからこそ、身内の過ちは家長自ら正す責任があるのではないですか」
なんだかんだと理由を並べてはいるが、つまりは身内どおしで潰しあわせ、平家を衰退させたるのが狙いなのだろうと、貞盛は思った。
冷静な人間ならば、すぐに源家の女達が考えている腹黒い計画に気付きそうなものだが、良兼、良正達は気付いているだろうか?
「殿、将門を討つその為に、既に千人を越える兵が貴方様の為にお集まり下さっているのですよ。今更戦を止めるなんて言ったら、殿はとんだ笑い者ですわ。私はそんな情けない殿のお姿など見たくありません」
「……撫子……」
「さぁ殿。撫子に殿の勇ましい姿を見せて下さいませ。殿の兄上の敵を、我が弟達の敵を見事果たして下さいませ。撫子は、そんな勇ましい殿が好きなのです」
「……そうだな撫子。男ならば、妻とした約束を違えてはならぬな」
人が見ている前だと言うのに平然とイチャイチャする二人の姿に貞盛は落胆する。
女狐の色香にまんまと惑わされている今の伯父には、この女の腹黒い考えなど、何も見えていないのだろう。
貞盛は、今の伯父にはこれ以上何を訴えても無駄だと悟った。
(まぁ、平家の未来などに興味はない。衰退しようが乗っ取られようが源家の好きにするが良い。だが、争いに巻き込まれて京に帰れなくなる、それだけは何としても避けなければならない事態。結果はどうであれ、一応は説得をしたのだ。これならば、自分は小次郎とした約束を違えた事にはならない。もう充分だろう。もう十分私は頑張った。これ以上厄介事に巻き込まれる前に……)
「分かりました。伯父上が本気だとおっしゃるのでしたら、これ以上の説得はいたしません。ですが、私達を巻き込む事はやめて下さい。私は弟達を連れて、帰らせて頂きます」
巻き込まれる前にここを離れよう。そう判断した貞盛は、伯父達に軽く一礼すると急いで席を立つ。
そして――
「繁盛、母上、帰りますよ。隠れていないでさっさと出てきなさい!」
そう叫びながら、部屋を出ていこうとした。
だが、廊下へと出た瞬間、廊下で控えていた見張りの男に、貞盛は刀を突きつけられた。一人だけではない。どこから湧いてでたのか、数多の男達がわらわらと集まり来て、貞盛を取り囲む。
「……これはなんのつもりですか、伯父上?」
「誰が帰って良いと言った?」
「…………」
「手を貸さぬと言うのなら、お主を裏切り者としてここで切り捨てるまでだ」
「…………」
「平家一門の長は私ぞ。私に逆らう事など許さん」
「殿!素敵です!それでこそ私の旦那様!」
「…………はぁ」
こんな時まで続けるバカップルのイチャイチャに呆れつつも、貞盛は背中に汗が流れ落ちるのを感じた。
狐に化かされた今の伯父なら、本気でやりかねない。
そう思えるほどに今の伯父の目は冷たい。
「さぁどうする?我等の味方につくか、今ここで殺されるか?」
貞盛りは、何がなんでこの争いには関わりたくないと思っていた。
関わったら暫くは京へ帰れなくなるから。
たが、命がなくなっては京に帰る事など一生叶わなくなるわけで。貞盛にとってそれは、更に避けなければならない事態に思えた。
「…………分かりました」
張り詰める空気の中、貞盛はそう小さく呟くと、観念したとばかりに両手を上げた。
「微力ながらこの太郎貞盛、伯父上に力をお貸ししましょう」
「おぉ。さすが貞盛。賢い選択だ」
(許せ小次郎。脅されては仕方あるまい。お前を裏切るつもりはなかったが、ここで脅しに屈せねば、私の命がないのだ。許せ……小次郎……)
***
「……呆気ない」
伯父と貞盛の話し合いの様子を、庭の木の上から覗き見ていた男、玄明。
両手を上げ、伯父に降伏する貞盛の姿に小さな溜め息を吐くと、これ以上見守る価値もないと、良兼の屋敷を抜け出し、風の如く走り出した。
「平太郎貞盛……。お前に寄せられていた信頼を裏切ったこの責……決して軽くはないぞ。人の上に立つ人間が、何の覚悟もなく言霊を放った。その罪はお前が考えているより余程重い。この裏切りの代償は必ず、お前の身に降りかかる。必ずな……」
貞盛に向け、呪にも似た言霊を紡ぎながら、小次郎が待つ豊田へと急いだ。
●平良兼
平高望の次男。父に次いで上総介を任される。
武射郡の屋形を本拠とした。
武射郡とは、現在の千葉県中東部付近。
●平良正
平高望の子。
筑波山麓の常陸国水守(現:茨城県つくば市水守)を本拠とし、源護の娘を妻とした。
良正は一族の将門ではなく外縁の源氏に真っ先に加勢して将門と争った。




