初恋物語
――14年前
太郎13歳、杏子姫12歳、小次郎は11歳と、3人がまだ幼かった頃のある日――
「誰?そこにいるのは……誰?」
「やばい、見つかったぞ太郎。だから俺は止めようと……」
「バカ小次郎、お前が動くから悪いんだろう」
「無礼者!コソコソしてないで出て来なさい!」
上総の地で、平の名と肩を並べ力を振るっていた豪族、源護。その末娘の杏子姫を一目見ようと、太郎と小次郎の二人はこっそりと源護の屋敷へと忍び込んだのだ。
「貴方達は何者ですか?」
「あの、えっと……始めまして。私は、平国香の子。平太郎貞盛と申します。こっちは、従兄弟の小次郎将門」
「平?」
太郎の口からなされた“平”の名に、杏子姫の頭には父から言い聞かされて来た、ある言葉が浮かんだ。
――『杏子、お前はいずれ源家の更なる繁栄の為に、この坂東の地で我が源と供に名を馳せる平一門から婿をとるつもりだ。よくよく心に止めておけ』
物心ついた頃から、嫌と言う程聞かされて来た言葉。
その言葉通り、杏子の二人の姉達も最近、それぞれに“平”家へと嫁いで行ったばかりだった。
今目の前にいる、平と名乗る少年達のどちらかが、もしかして将来自分の夫となる人物――だったりするのだろうか?
まだ見えぬ将来をぼんやり考えながら、杏子は二人を見つめていた。
「それで?平家の貴方達が何故我が屋敷に?」
「それは……えっと……一目貴方様のお姿を拝見しようと思いまして」
杏子の問いに貞盛が答える。
「私の?」
「はい。先日、我が父の元に、我が伯父平良兼と良正が源家の姫様を連れ、結婚の報告に参りました。それはそれは美しい姫様方で、子供ながらに私は思わずみ見惚れてしまいました」
「……はぁ、そうですか。それで?貴方たちが源の屋敷に忍び込んだ事と今の話がどう関係あると?」
「はい。その時お二人の姫君から聞いたのです。源家にはもう一人末の姫君がいらして、しかも歳は私や小次郎と近いのだと。末姫様もきっと、姉上様達に負けず劣らずお美しい方に違いない!そう思ったら私達の好奇心をかき立てられ、一目貴方様の姿を拝見できないかと――」
「忍び込んだわけですね」
「はい。大変失礼な事をしたと、今は深く反省しております。ですが……ですがどうかお見逃しくださいませんか?」
太郎の懇願に、小さな溜め息を吐く杏子姫。
「事情は理解しました。……で?」
「??“で”とは?」
「私を見た感想は?」
「そ、それはもう想像通りの……いや、想像以上の美しさに思わず見惚れてしまいました。つい隠れる事も忘れる程に。なぁ、小次郎!」
「んぁ?あ、あぁ」
同意を求める太郎に脇を小突かれて、今まさに杏子姫の美しさに見惚れていたらしい小次郎は、はっと我に返る。
杏子が小次郎へと視線を向けると、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
小次郎の初な反応が何だか可愛らしく思えて、杏子はクスリと笑みを溢した。
「そうですか。お話は分かりました。では貴方達二人、私と友になる事を許可しましょう。またいつでも屋敷に遊びに来ると良いですよ。父上や屋敷の者達には私から話しておきますから、今度は正面から堂々と入って来て下さいませね」
「え?!宜しいのですか?」
「はい。私は歳の近しい者と触れ合う機会が殆どないので、貴方たちとお友達になれたら嬉しく思います」
この、杏子の誘いをきっかけに、太郎と小次郎は頻繁に源の屋敷を訪ね来るようになった。
杏子の父、護もこれ幸いと二人の出入りを歓迎した。
『杏子、よくやった。これで平家との絆も更に強固な物となろう。あの二人のどちらかを将来のお前の夫としよう。さぁ杏子、お前の気に入った方を上手く手玉に取るんだぞ』
『手玉にとるだなんてお父様、二人はただの友人で……』
二人との出会いによって、“平家に嫁ぐ”と言う漠然としていた将来が、少しずつ現実味を帯びてきて、二人に会う回数を重ねる度に、杏子は強く二人を意識するようになって行った。
***
「杏子姫様!今日は少し外に出掛けませんか?」
「外に?」
「はい。いつもお会いになる時は杏子姫様のお部屋の中だけ。ふとたまに外を眺めては、切なげな表情をされる時があると小次郎が言うものですから、もしかして杏子姫様は外の世界に憧れているのではないかと」
「……小次郎様が?」
杏子が小次郎を見ると、小次郎は慌てたように顔を背けた。
その顔はどこか赤らんでいるようにも見えて、どうやら恥ずかしがっているようだと杏子は思った。
普段あまり喋らない小次郎だったが、自分の事をよく見てくれていたのだと分かって、杏子は何だか嬉しい気持ちになった。
「……よく、分かりましたね。誰にも不満を漏らした事はなかったのに……。実は私、生まれてから数える程しか外に出た事がありません。ですから、外の世界はどんなものかと少し興味を持っていました」
「やっぱり。ならば行きましょう。小次郎と私の秘密の遊び場にお連れいたしますよ」
「お二人の秘密の遊び場?お二人の秘密に私も入れて頂けるのですか?それは……素敵ですね。嬉しいです。でも……父が許してくれるかどうか……」
「大丈夫。内緒で抜け出せば良いのです。バレなければ怒られる事もありません。杏子姫の侍女の方々にも協力してくれるようお願いしました」
「で、でも……もし何か怖い目にあったら……」
「それも大丈夫。私と小次郎でお守りします。なぁ、小次郎」
「あぁ」
小次郎の短いながらも力強い返事に杏子が彼を見ると、今度は顔を背ける事無く小次郎は、杏子に対しても力強く頷いて見せた。
普段物静かな小次郎の後押しに何だか勇気づけられて、杏子もついに二人の申し出にコクンと頷いた。
「……はい。宜しくお願い致します」
「杏子姫様!こちらです。どうですか?水面がきらきら輝いて、凄く綺麗でしょ?」
「はい!とっても」
太郎と小次郎が杏子を連れて来たのは、太郎の父国香が治める領土と、杏子の父護が治める領土の丁度境目に流れる川だった。
小川ほどの細く頼りない川だったが、透き通る水は綺麗で、青々と生い茂る樹木が心地よい木陰をつくっている。暑い夏にはとても心地良い場所だった。
「そうだ。こちらに来て下さい。昨日、私と小次郎で罠を仕掛けたのです。きっと小魚がいっぱい採れているはずですよ」
「へえ、これがお魚?本当にいっぱいいますね。小さくて、とても可愛いらしいです」
大きめの石の上にしゃがみ込み、恐る恐る川の中を覗き込みながらも、初めて目にする小魚の姿に微笑む杏子。
そんな彼女の横顔を近くで眺めながら太郎は言った。
「杏子姫様のその笑顔もとても可愛いらしいですよ。こんなに喜んで下さるならお連れしたかいがありました」
「た、太郎様ったら、またそうやって、私をからかうのはおやめ下さい」
「顔を真っ赤にして怒る姿も、また愛らしい」
「もう、太郎様!きゃっ!?」
恥ずかしさに勢いよく立ち上がった杏子姫。その拍子に足を滑らせて体制を崩す。
「危ないっ!」
すかさず彼女の後ろに立っていた小次郎が、川に向かって落ちそうになった彼女の腕をグッと掴むと、自身の元へ抱き寄せる。
「大丈夫ですか?怪我は?」
すぐ耳元で聞こえる小次郎の声。
杏子の胸はドクンと大きく跳ねた。
更には背中に感じる小次郎の体温。そして小次郎から微かに香りくる橘の花の香が杏子の鼓動を早くさせる。
「は、はい。小次郎様のおかげで私は何とも。あ、ありがとうございました」
「いえ。ここの岩場は苔で滑りやすくなっていますのでお気をつけ下さい」
「は、はい……。お気遣い、感謝します」
「こら、小次郎。どさくさに紛れて何杏子姫に抱きついているんだ!抜け駆けは無しだぞ!」
「そんなつもりは。俺はただ、助けようと」
「ふん。そのわりにいつまでくっついているつもりだ?」
「こ、これはとんだ失礼を!!」
「い……いえ。お気になさらずに」
真っ赤になって照れる小次郎。杏子姫もまた、頬を染めていた。
(この方達のどちらかが私の将来の――もしどちらかを選ぶなら、いつも恥ずかしくなる程、嬉しい言葉をかけてくれる太郎様?それとも、口下手だけど影ながらそっと支えて下さる小次郎様?私はどちらの殿方を好きになれるだろうか?)
杏子姫がその問いの答えに辿り着くまでに、そう時間はかからなかった。
「えぇ……?小次郎様には、会えなくなってしまうのですか?」
「はい、杏子姫様。小次郎の実家は、下総にある相馬郡。半年の間、我が石田の屋敷へ社会勉強も兼ね遊びに来ていたのですが、近々実家に帰る事になりまして。今日は最後の挨拶に伺いました。なぁ小次郎」
「はい」
「……そう……なのですか。小次郎様は……」
「はい。数ヶ月と短い間でしたがお世話になりました。俺は実家へ帰る為の準備がありますのでここで失礼します」
杏子への別れの挨拶を終えた小次郎は一人屋敷を去って行く。
杏子を励まそうと太郎は今暫くその場へ残った。
「杏子姫様、そのような悲しい顔をなさらないで下さい。この先永遠に会えなくなるわけではなし。またいつか、この上総に遊びに来てくれますよ」
「……それでも、今までのようには……お会いできないのでしょう?」
「姫様、私はずっとここにいます。私はこれからも変わらず、杏子姫様に会いに来ますから」
「……」
太郎の慰めも虚しく、杏子の頬を大粒の涙が静かに流れ落ちた。
どうして涙が流れるのか、理由がわからず戸惑う杏子姫。
「泣いているのですか?そんな……小次郎に会えなくなる事は泣く程淋しいですか?私は、変わらず会いに来ると、言っているのに」
「……」
「貴方は……小次郎の事が好きなのですね」
「…………好き?私が……小次郎様の事を?」
思いがけず太郎から掛けられた言葉に、杏子の瞳からは止めどなく涙が溢れ出してくる。
ついに自覚してしまったから。知らぬ間に己の中に芽生えていた小次郎への恋心を。
「……好き。好き。私、小次郎様の事が好きです。行かないで小次郎様……。私から離れて……行かないで……」
それ以上、杏子姫の泣いてる姿を見る事に耐えられなかった太郎は、そっと静かに彼女の部屋から出て行った。
太郎がいなくなった後も、目を真っ赤に腫らして泣き続けた杏子姫。
屋敷の者達に心配されながら、その日は泣き疲れて眠りに落ちた。
***
「ん……」
目を覚ました時には外はすっかり暗く、虫の音さえも聞こえない辺りは、シンと静まりかえっていた。
だからこそ余計に耳に響いた。部屋の外から聞こえて来る足音が。
足音は、自分の部屋の前で止まる。
「……誰か、そこにいるの?」
御簾を隔てた向こう側に感じる人の気配に、杏子は恐る恐る声を掛ける。と、ゆっくり静かに御簾は上げられた。
沈み掛けの微かな月明かりに照らされながら、写し出されるその人物を必死に目を凝らし見る杏子姫。
背格好的にはとても侍女達とは違う。かと言って大人の男のものでもない。
体の線は細く、身長も自分とさほど変わらないくらいの――子供?
沈みかけの月明かりでは光が弱く、それ以上確認する事は敵わなかった。
次第に再び御簾は閉ざされ、暗闇が二人を包む。
「貴方は誰?どうしてこのような時間に、私の部屋へ忍び込んで来たのですか?」
「………」
杏子は侵入者に対して震える声で問いかける。
だが、相手からの返事はない。
ゆっくりと近付いてくる足音に、恐怖からか背中に汗が流れ落ちるのを感じた。
「それ以上、近付く事は許しません。今ここで、大声をあげて人を呼びますよ」
必死に虚勢を張る杏子姫。
だが、虚勢も虚しく次の瞬間には強引に口を塞がれてしまった。
「んん!」
「しっ。静かに。私です。杏子姫様」
口を塞ぐその人物から、ほのかに香る甘い香り――橘の花の香りに杏子ははっとした。
「もしかして、小次郎様ですか?」
香りに誘われ頭に浮かんだ人物の名を口にすると、相手は「はい」と短く返事をする。
「あぁ、小次郎様……小次郎様!」
忍び込んだ相手が、愛しの小次郎だと分かって安堵と供に込み上げる嬉しさから、杏子は小次郎へと抱きついた。
自身へと体を預け来る杏子に、その人物は優しく接吻する。
そっと杏子姫の体を押し倒しながら、おでこへ、頬へ、唇へ、顔中に接吻の嵐を落として行く。
杏子姫は、くすぐったそうに微笑んだ。
その行為は、次第に下へと降りて行き、着物の帯を器用に解きながら、首筋へ、肩先へ、
そして、まだ膨らみかけの小さな胸へ。
「あっ……」
小さな胸のてっぺんで硬く尖った突起をそっと吸われた瞬間、感じた事のない快感に襲われて、杏子姫の口から思わず甘い声が漏れた。
始めての快感を今一度求めるかのように、杏子は自身を抱く小次郎の背中へと腕を回す。
「……小次郎……様。小次郎様……。杏子は貴方をお慕いしております。どうか私を置いていかないで――」
●源護
平安時代中期の武士。詳しい素性は不明だが嵯峨源氏の流れと推測されている。
(清和源氏の流れである歴史上有名な源頼朝とはまた別の源姓になります。)
常陸国筑波山西麓(現在の茨城県つくば市)に広大な私営田を有する勢力を持っていたといわれ、真壁を本拠にしていたと伝わる。
因みに真壁郡は貞盛の父、国香の領土でもあったので、源護と平国香はご近所同士だったと思われます。




