御田植祭
清太へと使いを頼んだ四郎、彼はその足で祭りの準備で賑わう屋敷の外へとやって来た。
門を出た所で、早乙女姿に着替え、桔梗の元へ戻ろうとしていた千紗とヒナ、そして秋成の三人と出会った。
「おぉ四郎、お主もやっと来たか。……ん?清太とは一緒ではなかったか?桔梗が清太にお主を呼びに行くよう頼んでおったはずじゃが」
「あぁ姫さん。清太には会ったよ。けどその後、もう一つあいつにはお使いを頼んだんだ」
「……お使い?」
使いを頼んだと口にする四郎の表情が、どこか寂しげに映った気がして、千紗はキョトンと首をかしげる。
「さ~て姫さん、祭りが始まる。一年の豊作を願う大事な祭だ。姫さんに俺達の一年がかかってる。今日は早乙女としてしっかり頼んだぜ」
だが、次の瞬間にはいつものヒョウヒョウとした四郎に戻っていて、気のせいだったかと、千紗は一人納得した。
そして四郎の期待に元気な声で応えた。
「おう、任せておけ!」と。
千紗からの頼もしい返答に、満足気に微笑む四郎。
「良い返事だ。それに衣装も良く似合ってるぜ。可愛い可愛い」
そう言って千紗の頭をポンポンと叩いた。
と、その時、千紗の頭に乗せられていた四郎の手が、横から伸びてきた手によって力強く払いのけられる。
“バシン”
「痛っ。何すんだよお前」
「汚い手で姫様に触るな」
秋成だ。
秋成は、千紗を庇うように千紗と四郎の間に立つと、冷ややかな瞳で四郎を睨み付けた。
そんな秋成の様子に四郎は小さな溜め息を漏らすと、秋成の耳元へと自身の顔を寄せ、彼にしか聞こえない小さな声でこんな言葉を呟いた。
「嫉妬はみっともないぜ、あっきー」
「………………はぁ~?」
四郎から贈られた言葉に、一瞬思考を停止させた後、秋成は顔を真っ赤に染めながら、大きな声を上げる。
何ともからかいがいのある反応に、四郎はいつにも増してニヤニヤと嫌みな笑顔を浮かべながら、馴れ馴れしく秋成の肩に腕を回し、更に彼をからかってみることに。
「妬くくらいなら、お前も姫さんに対してもっと素直になればいいじゃん。姫さんに早乙女の衣装、似合ってるくらいの事言ってやったか?」
「なっ、お前……さっきから何わけの分からない事を言って……」
四郎のからかいに、秋成は更に顔を赤く染めながら、必死に四郎の腕を振りほどこうと、藻掻いた。だが、彼から逃げる事は叶わない。
「だからさ、姫さんを俺に触れさせるのが嫌だったんだろ?」
「そうだ。お前みたいな奴が姫様になれなれしく触るな」
「だからさ~、その触れて欲しくないって感情が嫉妬なんだよ、あっきー。あんたも鈍いなぁ」
「な?ば、馬鹿な事を言うな!俺は護衛として言っているわけであって……」
「そうやって、必死になる所が怪しいぞ、あっきー」
「な……何なんだお前は!さっきからわけのわからない事を。それにあっきーって言う、その変な呼び方もやめろ!鳥肌が立つ!」
「おい、お主等、さっきから二人して何をコソコソ話しておるのだ」
いつの間に仲良くなったのか、急にイチャイチャとじゃれ合い始めた四郎と秋成に、退屈を感じた千紗が堪らず二人の会話に割って入る。
「いやいや、何でもないよ。ちょっとこっちの話」
だが、意味深な笑みを浮かべながら、四郎によってはぐらかされてしまった。
余計気になる返答にムッとした千紗は、四郎にしつこく食い下がる事に。
「だからこっちの話って言うの何じゃ?何故そのようにニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべておる?余計気になるじゃないか!良いから千紗も混ぜろ」
「いやいや、本当に何でもないから、気にすんなって。なぁ、あっきー」
四郎から同意を求められた秋成。
彼は四郎とは対照的にとてもふて腐れた様子で「俺に振るな」と短く吐き捨てると、そのままぷいと背を向けてしまった。
そんな秋成を横目に、四郎はクックと堪えきれない笑いを漏らし初めて……ついには秋成は、悔しそうに四郎を睨み付けていた。
そんな二人の遣り取りに、今度はヒナが割って入った。
先程、千紗を庇った秋成のように、今度はヒナが二人の間に立ちはだかったのだ。
まるで、秋成を庇うように。
「――え?」
突然のヒナの乱入に、秋成は驚きを隠せない様子で彼女を見た。
「???どうしたのじゃ、ヒナ?」
千紗もまた、少し驚いた様子で首を傾げている。
驚きに固まる二人を余所にヒナはと言えば、小動物のような震える瞳で四郎を威嚇しながら、これ以上秋成をいじめるなと、必死に訴えていた。
「…………あ~……悪かった、悪かったよヒナ。ちょっといじめが過ぎたな。もうしない」
普段は温厚なはずのヒナの睨みに、四郎はいたたまれない気持ちになって、ヒナに謝罪の言葉を述べながら肩をすくめて見せる。
「……ヒナはずいぶんと、あっきーに懐いたんだな」
かつての仲間をすっかり取られた気分の四郎は、そんな事をぼやきながらポリポリと頭をかいた。
ヒナの活躍により、四郎による秋成いじりが終焉を迎えた頃――
「あぁー千紗姫様、ヒナも。やっと見つけた!!桔梗さん達が探してたよ。着替えが終わったなら早く戻って来てくれって」
少し離れた場所から、慌ただしく近づいてくる声に、何事かと四人が同時に振り向いた。その先には、春太郎の姿があった。
どうやら彼は、今日の祭りの主役である千紗とヒナの二人を、必死になって探していたらしい。
「おぉ、すまなかったな。春た――」
「急いで急いで!もうすぐ祭りが始まっちゃうから」
千紗の言葉を遮って、春太郎はそう叫びながら二人の腕を引っ張ると、嵐の如く、もと来た方向へ走って行ってしまった。
そしてあっと言う間に三人の姿は、人混みへと紛れ消えて行く。
「「………」」
ポツンと二人だけでその場に取り残されてしまった四郎と秋成。
「……俺達も行くか、あっきー」
「………あぁ」
一瞬の出来事に呆気に取られながらも、消えて行った千紗達の後を追って、二人もまた、人混みへと向かって歩き出した。
秋成達が人混みの中へ混じる頃――
雲一つ無い真っ青な初夏の空に、笛や太鼓の音が高らかに鳴り響く。
それが祭りの合図だ。
「始まったみたいだな」
四郎の言葉通り、賑やかな音色に会わせて、真っ白な単衣に、真っ赤な袴、白拍子の如く着飾った美しき女達が、人垣の中心で優雅な舞を踊り始めた。
「あれは?」
「田の神様への奉納の舞だ。田植えを初める前の、ちょっとした挨拶って所かな。この舞と、笛や太鼓の音色が、俺たちを田んぼへと導いてくれるよ。ほら、バラバラだった人の群れが、自然と行列を成して移動して行くだろ」
確かに四郎の言う通り、それまでバラバラに集まっていた人の群れが、楽の音色に導かれるように綺麗な列を成し、舞を踊る女達の後ろをぞろぞろと歩き出す。
本当に自然と形成された列に、秋成が関心して見とれていると、四郎が楽しそうにこんな説明を付け加えた。
「整った綺麗な行列だろ。この行列もまた、神様への奉納の一部なんだぜ」
秋成や四郎も行列に加わり祭りへ向けて歩を進める。
暫く歩くと、先頭を行く雅楽隊が静かに歩みを止めた。
雅楽隊の前に広がるは、太陽の光が水に反射され、キラキラと綺麗に輝きを放つ無数の田んぼ。くねくねと曲がりくねった歪な形の田んぼが幾重にも広がっている。
その田んぼの一角に、舞を披露した女達とはまた別に、今度は紺の単衣に赤い襷、白い手拭い、新しい菅笠を身に纏い綺麗に着飾った女達が、ぞろぞろと現れた。彼女達こそが早乙女と呼ばれる少女達で、皆一列に列を成し、一人また一人と田んぼへと入って行く。
そんな早乙女の中、最後尾に位置する三人を指差し四郎が言った。
「おっ、やっと姫さん達が出て来たぜ」
四郎が指さす先を見つめる秋成。
四郎の言った通り、早乙女の列の最後尾には、桔梗、千紗、そしてヒナの順に田んぼへと入って行く姿があって、桔梗に手を貸して貰いながら、おっかなびっくり田んぼへと足を踏み入れる千紗のなんとも危なっかしい姿を秋成はハラハラしながら見守った。
「姫さ~ん、ヒナ~、頑張れよ~」
楽しそうに手を振りながら送った四郎の声援に気付いたのか、ふいに顔を上げた千紗は、四郎と秋成に向かって大きく手を振り返してくれた。
だが、田んぼの泥に足をとられたらしい千紗の体は、ぐらりと大きく揺れ、顔面から田んぼ目掛けて倒れ込みそうになる。
「姫様っ!」
思わず秋成が声を上げた。
倒れそうになる千紗の体は、前にいた桔梗と、後ろにいたヒナによって支えられ、何とか転倒を免れる。
ペロリと下を出し、恥ずかしそうに笑いながら二人にお礼を言う彼女の姿に、秋成はほっと胸を撫で下ろした。
その後、横一列に並んだ早乙女達は、笛や太鼓の音色に美しい歌声を乗せ、その唄に一年の豊作の祈りを込めながら、田に稲の苗を植え付けていく。
その姿は何とも楽しげで律動的。
慣れた手つきで次々に田植えが進められて行く中、千紗とヒナ、二人の動作だけが遅く、周囲からは浮いて見えた。
「ははは、ありゃ何とも頼りない早乙女だな」
「一年の豊作を祈るはずの早乙女が、あんなに不慣れで大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫~」
千紗達の不慣れさを心配する秋成に対して、四郎は秋成が不安に思っていることなど全く気にした様子を見せず、千紗達の不慣れを豪快に笑い飛ばしていた。
「だが…これは単なる田植えではなく、豊作を祈る奉りのための田植えなのだろう?あのような不慣れな姫様まで参加させて本当に良かったのか?田の神に失礼はないか?」
「だから大丈夫だって。あっきー心配しすぎ。奉りは奉りだけど、祭りでもあるんだ。要は楽しめれば良いんだよ。一番大切なのは、皆が楽しんでいるかどうかなんだからさ」
「………」
四郎の言葉に秋成が周囲を見渡せば、彼の言う通り、千紗とヒナの不慣れさを笑う者こそいれど、呆れたり怒ったりしている者は誰一人いなかった。
苗を植えてる早乙女達も、笛や太鼓の音色を奏でる楽士達も、それを見守る観客達も、皆が皆、不慣れな二人を受け入れて、祭りに浮かれ、笑い、歌い、踊り、子供は勿論、大人達も皆が一緒になってはしゃいでいる。
その光景は、秋成にとって、とても新鮮に映って見えた。
京で目にした貴族達の祭りは、形式を重んじる堅苦しい印象のものばかりだったから。
小次郎の屋敷付近に住む、大小いくつかの集落が集まり、開かれているらしいこの祭りでは、集落の垣根を越え、皆が一様に心から笑いあっている。そんな姿を、京で見た事があっただろうか?
今、目の前に広がる光景は、とても希有なもので、京では決して見る事のできなかった光景だろう。
その光景に、秋成の口から思わずポツリと言葉が漏れた。
「ここは……良い国だな。笑顔に満ちた平和な……。こうしていると、戦とはとても無縁に見える」
秋成の呟きに、四郎はどこか嬉しそうに微笑んだ。
「一時でもそう思って貰えるなら、俺達にとっては本望だ」
四郎の言葉の意味が分からず、秋成は四郎を見る。
「……初めてこの地に足を踏み入れた時、兄上はこの地は危険だと言った。だが、この地に来て半年。その言葉通りの出来事は、まだ自らの身で体験してはいない。この地は誠に危険な地なのだろうか?奪い奪われ……野蛮な地なのか?」
「この地が野蛮な地だと言う言葉。その言葉を否定は出来ない。いつ誰に土地を奪われるかもしれな。力がある者は、当たり前に武力で財を奪って行く。奪われた者を哀れむ人間など誰もいない。奪われる者は弱いから悪いんだと誰もが口を揃えて言うだろう。弱い事がここでは罪。それがこの地に住まう人間達の感性」
秋成は四郎の話に、信じられないと言った顔をして驚いた。
京では゛奪う゛と言う行為を行った者は法によって裁かれる。
今でこそ治安が悪く、賊が増えてはいるものの、それでも京には京の治安を護るべき検非違士が存在する。
賊を裁く法が存在する。
奪う事を良しとはしない。
それらは京だけでなく、全国でも機能していると思っていたから。
「信じられないって顔してるな」
「……」
「勿論、坂東でも奪うって行為自体は罪だ。だが、罪を犯した所で罰はない。咎める者が、ここにはいないんだ」
「……いない?」
「いや、“いない”って表現は少し違うか。前にも話したが、坂東にも朝廷から派遣されて来た役人、国司が存在している。本来ならば、国司が坂東の政治を司り、そして法を司る。だがここでは裁くべき側の人間が進んで罪を犯すんだ。国司と言う地位を利用してな。奴らは朝廷から定められた以上の税を民から絞り取り、己の私腹に肥やす。奴等国司こそが、税と称して俺達の財を奪いとって行く、賊そのものだ」
「………」
「そんな役人の仮面を被った卑劣な賊が治める国で、もはや法など機能すると思うか?するはずがないんだ。だから力ある者達は国司の真似をし、力尽くで他人の土地や財を奪い取ってい行く。力ない者は力の前に泣く事しかできない」
「…………なる程。それで奪い奪われ、弱肉強食の世界になったと。だが訊けば訊くほど分からないな。それ程までに弱肉強食の世界で、何故“豊田”に住まう人間達はああも呑気に祭りを楽しんでいられるんだ?とても彼らが死と隣り合わせの生活をしているなんて信じられない」
「……その為の、俺達なんだよ」
「?」
四郎から返された変化球の応えに秋成はキョトンとした。
彼らの暢気さと四郎と、何の関係があると言うのだろうか?
「前にも話したよな?俺達平氏の祖は天皇家より親籍降下された高望王で、その高望王が国司として坂東に赴任した事をきっかけにこの地へ住み着いたと」
「あぁ」
「何故余所者である俺達が、今、こうしてこの地で財を成していられると思う?」
「それは、この地で開墾して、土地を広げたからだって前に……」
「勿論それもある。けど、開墾した土地以外にも、もともとこの地に住まう人間達から預かった土地があるから、広大な土地を有する事ができた」
「預かった?」
「そう。税収に苦しめられていた人間が、京から来た高貴な人間である高望王を信頼して預けたんだ。高望王は、他の国司達みたいな、自分の私腹を肥やす為だけの厳しい税の取り立てをしなかったらしいからな。そんな高望王を慕い、自分達を守り導いてくれる先導者になって欲しいと願い、土地を預けた。そうやって俺たち平氏は土地を増やし、力をつけて来た。そして今俺や兄貴は、力を持たぬ者達が高望王に掛けた期待と、民を守ると言う高望王の意思を引き継ぎ、この豊田の地を治めている。俺たちには豊田の地と、豊田に住まう民人達の生活を守る義務があるんだ」
「…………」
四郎の強い意志と覚悟に秋成は圧倒されていた。
今目の前に溢れている笑顔は、四郎や小次郎達の努力の賜であり、四郎達への信頼の証でもあると言う事か。
「なんて、格好いい事言ってみたけど、この半年俺がしてた事なんて屋敷の留守を守っていただけ。実際に豊田の土地を守ってくれていたのは兄貴だ。今こうして、暢気に祭りを楽しんでいられるのは、全部兄貴のおかげなんだよな」
「……兄上の?」
「そう。兄貴があちこちかけずり回って、賊や他国に目を光らせ、情報を集めてくれていたおかげで、この半年は大きな戦もなく、平和に過ごす事が出来ていたんだよ」
「……じゃあ兄上がなかなか屋敷に帰って来なかったのは、その為?俺はてっきり、姫様や俺を避けているのだとばかり……」
四郎がケラケラ笑いながら否定する。
「それスッゴい被害妄想。兄貴は姫さんやあっきーに対して過保護が過ぎるくらいだよ。二人が来てからの警護への力の入れようと言ったらそりゃもう」
秋成は小次郎の言葉を思い返す。
――『自分の身は自分で守れ』
あの時千紗を冷たく突き放した小次郎。
だが、突き放したふりをして、千紗を守っていたのは……小次郎だった。
そして、自分もまた小次郎に守られていた一人だった。
初めて知った事実に秋成は何故か悔しさを感じた。
「………兄上にはやはり敵わない……」
隠しきれない悔しさが、秋成の口からぽつりと溢れた。
「?何か言ったか?」
「……いや。何でもない」
「そうか?まぁ、そんなに寂しがるなって。もう少ししたら、兄貴は帰ってくる」
「……え?」
四郎の言葉に秋成の胸がドクンと跳ねた。
「兄上が帰って……」
***
その頃――
「何?小次郎が帰ってくるのか?」
「はい。今年もこうして無事に御田伝祭りを迎える事が出来ました。これから秋の収穫までは、稲作が忙しくなります。皆戦どころではなくなります。昔から坂東では、忙しいこの時期に戦をしないと言うのが暗黙の約束事なのです。小次郎様も隣国への警護に目を光らせる必要がなくなります」
「だから帰ってくると、そう言うことか!」
「はい!」
早乙女の任務を終えた少女達が一息つきながら、世間話に盛り上がる。
そんな世間話から、千紗の耳にも小次郎の帰京の話が届けられていた。
「そうか。やっと小次郎は帰ってくるのだな」
小次郎の帰京の知らせに千紗の胸は高鳴っていた。
●単衣
裏地のつかない、装束の下着のこと
●白拍子
平安時代末期から室町時代初期にかけて行われた歌舞の一種およびその歌舞を演じた舞女。
●菅笠
スゲを縫いつづった笠。また笠とは被り物のこと。
本文で四郎が語っていた平氏の領地に関する説明文に補足でさせて下さい。
(本文内で上手く説明しきれなっかたの…)
高望王が坂東で築いた領地や財は、高望王の死後、子供達(貞盛や小次郎の父親達)に分配相続されました。なので小次郎の住まう豊田の地は、高望王の領地の一部と言う事になります。