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時ノ糸~絆~  作者: 汐野悠翔
第1幕 京編
18/136

別れ

主である忠平との別れの挨拶を終え彼の部屋を後にした後、小次郎と秋成は二人並んであてどなく藤原の屋敷内を彷徨い歩いていた。

互いにどちらかが話し出すのを待っているのか、一向に口を開かない二人。

暫く黙って歩いた後に、やっと年上である小次郎が弟へと話題を切り出した。



「盗み聞きとは感心しないな、秋成」

「申し訳ございません。あの四郎と言う奴を見送った後の兄上の様子が気になって」

「ずっと後を付けていたのか?そんな事の為に、お前はまた千紗の元から離れたのか?あんな事があった後だと言うのにお前は……」

「っ!」


やっと口を開いた小次郎からされた話題は、秋成が聞きたかった本題とは違い、秋成の行いを責めるもの。予想もしていなかった展開と、突然の兄の剣幕に秋成の体は恐怖に震え上がった。


「もっ、申し訳ございませんっ!!」


状況が飲み込めないままに秋成は焦った様子で必死に謝罪の言葉を口にした。

そんな弟の姿に小次郎は、ふっと怒りを解いて今度は突然クスクスと笑い出す。

そして、その笑いは次第に大きなものへと変わって行った。


「冗談だ。冗談だよ秋成。相変わらずからかいがいのある奴だな」

「あ、兄上っ!」


からかわれたのだと分かった途端、秋成の顔は真っ赤に染まって行く。

赤く染めた顔でぷうと頬を膨らませて見せる秋成の幼い姿に小次郎は更に声を上げて笑った。


「悪い悪い。お前をからかうのもこれが最後かと思ったら、ついな」



“最後”と言う言葉に、先程まで赤く染まっていたはずの秋成の顔がみるみる曇る。

焦ったかと思えば怒って、怒ったかと思えば顔を真っ赤に染めて恥ずかしがり、そして忙しくも今度は曇った表情で眉間に深い皺を刻んだ秋成は、ポツリポツリと胸に宿した疑問を小次郎へと投げかけた。



「……先程忠平様におっしゃっていた“国へ帰る”と言う言葉は本当なのですか?」

「あぁ、本当だ。今日限りで俺はこの屋敷を去る。そして俺は俺の生まれ育った国へ帰る」

「そう……ですか………。兄上にも兄上の事情がある事は理解しているつもりです。ですが、あいつの眠っている間に行くと言うのは何故ですか?!せめて、千紗が目覚めてからでも」

「それは無理だ。あいつが知ったらきっと、またただをこねて面倒な事になる」

「そうだとしても……」

「きっとあいつは俺との別れを悲しんでくれるだろう。でもその時に、もしあいつの泣き顔なんかを見せられてしまったら、せっかく決断した俺の意志は揺らいでしまいそうだから」


真っ暗な夜の中、当て所なく藤原屋敷の庭を彷徨い歩いていたはずの二人だったが、ふと気が付いたら二人が辿り着いた先は千紗の部屋の前だった。

意志が揺らいでしまいそうだからと、弱音にも似た言葉を漏らした小次郎は、苦い笑みを浮かべながら千紗が眠っているだろう部屋を愛おしげに見つめていた。

言葉とは裏腹にまだ迷いの見える小次郎の姿に、秋成は何とか彼の気持ちを変える事はできないかと説得の言葉を探す。


「たとえそれで兄上があいつの泣き顔を見なかったとしても、兄上の知らない所できっとあいつは泣きます。泣かせる事実に変わりありません」

「俺が見ずに済めば良い」

「なっ!?」

「その時は、お前が慰めてやればそれで良い」

「…………兄上は……ずるい……」

「なんとでも言え」

「千紗を泣かせる事ができるのも、泣き止ませる事が出来るのも、全部兄上だけなんです」

「知ってる」

「知っていながら、どうして……どうして俺に、そんな事を言うのですか?俺じゃだめなんですよ。俺じゃ………」


秋成は悔しそうに唇を噛み締めた。


「……何をそんなに悔しがってるのか知らないが、俺はお前の方が羨ましいよ。何にも縛られる事なく、ただ千紗の側にいる事が出来るお前がな」


弟の悔しそうな顔を見守りながら、小次郎はそんな言葉をぽつりと漏らした。

小次郎が漏らした言葉の真意が分からなくて、秋成はキョトンとした顔で小次郎を見た。


「俺は、お前と違ってここに来た目的がある。帰らなければならない場所がある。守らなければならない物がある。果たさなければならない役目がある。家柄に縛られている俺と違って、お前は何も持たないからこそ自由がある。それが俺はずっと羨ましかった」

「……」

「だってそうだろう?何にも邪魔される事なく、自分が望むままに千紗の側にいてやれる」


初めて聞かされる小次郎の本心。

憧れていたはずの存在に、逆に羨ましく思われていななんて……

全く考えた事もなかった小次郎の思いを突然聞かされて、秋成はどう反応して良いのか言葉が出て来なかった。

秋成の戸惑いを感じながらも小次郎は更に話を続ける。



「お前は気付いてたか?あいつはな、どうしようもない我が儘姫だけど…でもその我が儘は、本当に心を許した相手の前でしか言わないんだ。いつの間にかあいつの我が儘は、俺じゃなくお前に向くようになっていた」

「……えっ?」

「俺が、家柄に縛られ千紗の相手をしてやれなくなってる間に、お前は自分が思っている以上に、千紗にとって特別な存在になりつつあるんだよ。悔しい事にな」

「…………」

「だから……あいつの事を頼める奴はお前しかいないと思った。どうしようもない我が儘で強がりで、意地っ張りなお転婆娘だけど、そんな千紗の相手が出来る奴なんて、俺以外にはもうお前くらいしかいない。お前の前でくらいは、あいつに弱音を吐かせてやってくれよな」



思いがけず聞かされた小次郎の本心。と同時に説得していたはずが逆に説得させられていて、今の話を聞かされた後では拒否などできるはずがない。

やっとの思いで秋成の口から出た言葉は


「………………やっぱり兄上は……ずるい……」


その一言だけ。


「なんとでも言え。俺は、ずるい人間なんだ」


弟の悔しがる姿に勝ち誇った笑いを浮かべながら、小次郎はべっと茶目っ気たっぷちに舌を見せた。

そんな兄の幼い姿が可笑しかったのか、思わず秋成から笑いが零れた。

秋成の笑いに釣られるように、小次郎も一緒に笑い出す。

そして、笑顔を浮かべたまま、踵を返した小次郎は秋成へと背を向ける。


「さ~て、これであの我が儘姫の顔も見納めだ。最後にあの間抜けな寝顔でも、拝んでおくとするかな」


そう言い残して小次郎は、ゆっくりと千紗の部屋へ向けて歩き出した。

これで最後となるであろう兄の後ろ姿を秋成は静かに見送った。



「あぁ、そうだ。一つ言い忘れてたが、勘違いはするなよ?お前に頼むとは言ったが、譲るわけじゃないからな」


焦心の気持ちで兄を見送る秋成に水を差すように、何故か小次郎は今一度秋成の方を振り返って、せっかくの義兄弟の綺麗な別れをぶち壊すかのように、突然宣戦布告を口にする。

された側の秋成は、そもそもの言葉の意味が分かっていない様子で、不思議そうに首を傾げている。

幸か不幸か、小次郎はまだ幼さの残る弟の純粋さと鈍感さに、苦笑いを浮かべながらこう続けた。


「ま、いいや。まだ気付いてないならそれでも。とにかくだ、千紗の事はお前に頼んだぞ!今度こそ何者からもあいつの事守ってやってくれよ」



今度こそ、秋成に向けて最後の捨て台詞を残した小次郎は、千紗の部屋へと続く階段を上がっていく。

そして、部屋を遮る御簾をくぐると、秋成の前から完全に姿を消した。

秋成は知らない。

小次郎が残してた、本当に本当に最後の彼の捨て台詞を。


「俺みたいなどうしようもない男から、な――――」






秋成に見送られる中、千紗の部屋へと入った小次郎。

彼の前にはろうそくの微かな明かりに灯されながら、穏やかな顔で横を向いて眠る千紗の姿があった。

そのすぐ側まで来ると、小次郎はゆっくりその場に腰を下ろした。

すっかり短くなった彼女の髪を、ゴツゴツと骨張った見た目に反して優しい手つきで撫でてやりながら、暫くの間千紗の寝顔を見守った。


「ん……」


声を漏らして突然寝返りをうった千紗に、頭を撫でていた小次郎の手がビクンと止まる。

もしや、起こしてしまったか?冷や汗を浮かべながら息を殺す小次郎に、全く気付く様子もなく体勢を仰向けに変えただけですやすやと寝息を立てる千紗。


どうやら起こしたわけではない様子に、小次郎はホッと胸をなで下ろす。

そして再びゴツゴツした大きな手で千紗の額に触れる。彼女のおでこを2、3回撫でた後、手を止め小次郎はそっと体勢を前屈みにして千紗の元へと自らの顔を近づけて行く。……と、自身の手を間に挟んで千紗のおでこに自分のおでこをそっと重ね合わせた。


「……ごめんな、千紗。側にいてやれなくて。いつも傷つけてばかりで本当にごめん……。でもいつか、いつか必ずお前の元に帰ってくるから。お前に釣り合う男になって帰ってくるから。俺の事信じて待っててくれな」


それだけ言い残した後小次郎は、今度は千紗の額にほんの一瞬の口付けを落とす。

正確に言えば、千紗の額に置いていた小次郎自身の手の甲に。


千紗から手を離した後、暫く名残惜しそうに千紗の寝顔を後、小次郎は懐から手紙を取り出すと千紗の枕元にそっとそれを置いた。



「……じゃあな」



最後に一言、それだけ小さく呟いた小次郎は立ち上がり、千紗の元を離れた。

そしてそれ以降はもう二度と彼女を振り返る事なく千紗の部屋を後にした。


千紗の部屋を出た小次郎は、そのままの足で12年と言う長い歳月を過ごした藤原の屋敷から旅立っていった。






----------------


千紗へ――


突然こんな事になってすまない。

お前に何の挨拶もなく去る無礼を許して欲しい。

でも、これがさよならじゃないから。

俺はまた、京へ戻ってくる。

藤原の屋敷へ。

千紗のもとへ。


お前と過ごしたこの12年は本当に楽しかった。

ここでの生活の中、俺の考え方が変わって行った事にお前は気付いてたか?

最初は国の為、一族に言われるがまま嫌々京へ上って来た俺が、気が付いたらいつか京を離れる日を想像して寂しいと思うようになっていたんだ。

お前と共にいる時間があまりにも楽しかったから、この時間が永遠とわに続けば良いのにと、いつの頃からかそんな事を願うようになっていた。


でもお前とこの先もずっと一緒にいたい、その為には俺は、お前に少しでも釣り合う人間にならなければいけないと思った。京へ来た最初の目的通り、役職を手に入れなければと……



お前にこんな話をすると、身分なんて関係ない。

きっとお前はそう言うんだろうな。


でもこの世の中は、千紗が思っている程簡単じゃない。

お前がいくら気にしないと言った所で、周りはそれを許してはくれない。

身分の低いままの俺がいつまでも千紗の側にいれば、俺だけではなくお前や忠平様までもが周りから笑いものにされ、後ろ指を指される事になる可能性がある。

俺のせいで、お前に辛い思いをさせるのは嫌だった。

だから俺は、位を得る事に躍起になった。

お前に釣り合う男になる為に。


結果、千紗と過ごす時間が減ってお前に寂しい思いをさせる事になってしまったけれど、俺はお前を手に入れる為にお前と一緒にいられる時間を犠牲にする事にしたんだ。

矛盾して聞こえるかもしれない。でもこれが俺が信じ続けてきた想いだ。


今回の事で俺は一度国に戻る事にはなってしまったけど、でも俺は、お前を諦めるつもりはない。

俺はまた必ずここに戻ってくる。

必ず。

必ずだ。

だからそれまで、俺の事を信じて待っていてくれ。



~追伸~

久しぶりに再会した時、お前がどれほど美しく、気品溢れる姫に成長しているかを楽しみにしている。

だからくれぐれも俺をがっかりさせてくれるなよ。

藤原の家名に恥じない、立派な姫になってくれ。


じゃあまた会う日まで。

どうか元気で。



平小次郎将門たいらのこじろうまかど


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平小次郎将門たいらのこじろうまさかど

平安時代中期の武将。桓武(かんむ)平氏の出で、父は鎮守府鎮守府将軍良将の子。上京して藤原忠平に仕えたが、官途を得ず本拠地である下総しもうさに帰った。父の遺領争いなどから一族と抗争をくりかえしていたが、伯父の平国香(くにか)を殺害して抗争は内乱へと拡大。のち常陸国府を焼打ちし、下野・上野の国府を攻略して自らを新皇と名乗った。この反乱を「平将門の乱」、または「承平・天慶の乱」と呼ぶ。朝廷によってこの反乱は鎮圧され、将門は処刑された。

将門の死後、その霊は神田明神の将門社に祀られている。


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