美しさの象徴
「千紗!秋成!無事か?!今の音は……」
騒ぎを聞きつけて、小次郎を始めとした摂関家藤原の屋敷に仕える武士団の者達がぞくぞくと千紗達の元へえと駆けつけて来た。
そして千紗の父である忠平を共に連れ、やっとの思いで駆けつけた小次郎だったが、その場の緊迫した状況に思わず息を呑む。
辺り一帯がしんと静まりかえる中、そこにはヒナがたてる不規則な荒い呼吸だけが響いていた。
地面に尻餅をつきながら、虚ろな瞳で目の前の光景を映すヒナ。
そこには、驚いた顔で仰向けに寝そべる秋成と、そんな秋成に覆いかぶさるようにして倒れる千紗、二人の姿があった。
「姫さん、無事か?」
「千紗~~~~っ!」
長い長い静寂の中、やっとの思いでそれを破ったのは四郎と小次郎。
四郎は刀を肩に担ぎ、すぐ側で難しい顔をしながら千紗と秋成を見下ろし、小次郎は慌てふためいた様子で秋成と千紗の元へと駆け寄った。
だが、そんな二人の呼びかけに千紗からの反応はなかった。
「……千……紗?」
自分の上で全く動く気配のない千紗の名を、今にも泣きそうな弱々しい声で今度は秋成が呼ぶ。
だがやはり、千紗からの反応はない。
「千紗、おい、大丈夫かっっ!?おいっっっ!!千紗っ!千紗っっ!!」
千紗の元へと辿り着いた小次郎が、激しく千紗の体を揺さぶりはじめる。
その呼びかけに、やっと千紗が反応を示した。
「…………耳元でうるさいぞ、小次郎」
気怠げにゆっくりと体を起こしながら小次郎を窘める千紗。
「ばっ……かやろう。心配かけやがって………」
千紗の無事な姿に安堵のあまりギュッと彼女を抱きしめる小次郎。
そんな彼の背中をぽんぽんと、軽くたたきながら千紗は「大袈裟な」と短く言葉を返した。
と同時に小次郎の腕の中、千紗はある人物の姿を探しはじめる。
意外にもすぐ側にいたその人物に、千紗はニッコリと笑顔を浮かべ、仰ぎ見ながらながら感謝の言葉を述べた
「あぁ、頭。そこにおったか。お主のおかげで助かった。礼を言うぞ」
先ほどの騒動の中、寸での所でヒナの振り下ろした刀を止め、千紗を守ったは四郎。
彼の咄嗟の行動に、千紗も秋成も救われたのだ。
そして四郎に礼を伝えた後には、虚な瞳で今なお荒い呼吸を続け座り込んでいるヒナの元へと視線を向ける。
自分を抱きしめる小次郎の腕を解き、ヒナへと体を向けた千紗は、四郎同様に彼女にも笑顔を崩さずこんな賛辞を送った。
「ヒナ、良かったな。お主、声が出るようになったではないか」
「……」
未だ焦点の定まらぬ瞳で荒い息を吐き続けるヒナの体をそっと抱き締め、まるで小さな子供をあやすようにに優しく声をかけ続ける千紗。
「すまなかったな。怖い思いをさせて。もう大丈夫じゃ。妾が守ってやる。両親の分も妾が。だから、もう何も怖がらずともよい。大丈夫。大丈夫。」
はぁ……はぁ……はぁ……
何度も何度も言い聞かせる千紗の“大丈夫”の言葉に、不規則だったヒナの呼吸がだんだんと規則正しいものへと戻って行く。
そうしてヒナが落ち着きを取り戻したのを見届けた後には、ニッコリ彼女に向かって微笑み掛けると体を離し、今度は未だ情けなく仰向けに寝転び続ける秋成の方へと振り返った。
「で?お主はいつもでそうしているつもりだ?」
秋成の顔を覗き込み、呆れた様子で訪ねる千紗。
「あ……あぁ…………ち……さ……………ごめ………ごめんな………千紗……」
目の前に現れた千紗の姿に、秋成は今にも泣き出してしましそうな情けない顔と声で、途切れ途切れに謝罪の言葉を口にした。
そんな秋成の顔を両手で包み込むように挟みながら、柔らかな声で千紗は秋成を励ました。
「お主の責任ではない。気に病むな」
「だけど…………」
「構わない。髪くらい、またすぐに伸びる。」
千紗は、不揃いに短くなった自身の髪を触りながらニッコリと優しい微笑みを浮かべて言った。
そう、先程の騒動で千紗が秋成を庇った際、ヒナの振り下ろした刀は千紗の頬を掠め、千紗の長い髪はバッサリ切り落とされてしまったのだ。
貴族の娘にとって、髪は美しさの象徴と言われたこの時代。自分が彼女から、その大事な髪を奪ってしまった。その重い責に、秋成は激しい後悔と懺悔に苛まれていたのだ。
だが、当の本人である千紗は、ただただ落ち着きをはらっていて……
「秋成。ちょっと借りるぞ」
責任を感じ起き上がれないでいる秋成の手から短刀を奪うと、すっと立ち上がり、悠然と武士団の元へと近づいて行った。
その中にいる父親の姿を真っ直ぐ瞳に捉えながら――
「千紗……」
娘の名ポツリと口にする忠平。
その眉間には、深い皺が刻みつけられていたものの、千紗は決して視線を反らす事はせず、父である忠平と真正面から対峙した。
「父上!お話があります。」
「………何だ?」
「千紗は、今はまだ結婚などする気はございません。見た目や噂だけでしか人を見ることの出来ない貴族になど、興味はない。」
そこまで言い終わると、千紗は忠平の数歩手前で歩みを止め、不揃いに残った残りの長い髪を掴むと秋成から奪った短刀で自ら思いきり切り落として見せた。
「千紗っ!お前、何を……」
「結婚するのなら、見た目だけじゃない。たとえ髪が短くても、こんなボロボロの着物を着ていても、千紗を……千紗自身を好きになってくれる、そんな人が良い!」
「千紗………」
「それからもう一つ。この者達を我が藤原の屋敷で雇ってはいただけませんか?この者達は、千紗達貴族のせいで親を無くしたと聞きました。ならば、妾達は責任を持ってこの者達の生活を支援しなければならないのではないですか?」
「……」
「父上!これは千紗の我が儘だと言う事は分かっています。ですが、どうか……この我が儘を受け入れてはもらえないでしょうか?」
「……」
「…………」
親子の間に、長い長い沈黙が続いた。
「お前と言う奴は…………とんだお転婆娘だ」
千紗の言い分に、「はぁ」と小さく溜息を吐きながら、そう小言を漏らす忠平。
娘を鋭く睨みつけたまま一歩二歩、ゆっくり娘との距離を縮めていく。
父のどんな叱責にも、決して視線を反らすまいと、ただ真っ直ぐに父の瞳を見つめ続ける千紗。
そんな娘に根負けしたのか、千紗から先に視線を下に反らしたのは忠平の方だった。
「その我が儘な所と言い、芯の強い所と言い………本当にお前は、お前の死んだ母親そっくりだ。まったく」
呆れているような、怒っているような、そんな言葉とは裏腹に、表情には優しい笑みを浮かべながらそれだけ吐き捨てた後忠平は、そっと千紗を自分の胸へと抱き寄せた。
「っ………」
「無事で良かった。」
父の口から漏れ出た安堵の言葉。
久しぶりに感じる父親の温もり。
千紗は一瞬目を見開くも、規則正しく聞こえてくる父親の心音と、自分を包み込む温かな腕に、次第に力が抜けて行き、千紗はゆっくりと意識を手放した。
「千紗っ?!」
急に力なくその場に崩れゆく我が子を、忠平は慌てて抱き留める。
その様子に小次郎と秋成も慌てて二人の元へと駆け寄った。
抱き留めた娘の顔を覗き込むと、暫く後に笑みを零す忠平。
心配気な二人に向かって穏やかな口調でこう囁いた。
「気をはって疲れたのだろう。眠ってしまったみたいだ。でも……見てみなさい。穏やかな笑顔を浮かべているよ」
忠平の言葉通り千紗の穏やかな寝顔に、小次郎も秋成もほっと胸をなで下ろす。
そんな千紗と忠平の親子のやり取りに皆が気を取られている隙に、一人息を潜めその場から離れようとする者がいた。
幸せそうな千紗の寝顔に安堵しながらも、小次郎だけは背中ごしに感じるその気配を逃さなかった。
「おい、四郎。お前、何処に行くつもりだ?」
「げっ!」
小次郎の呼び止めに、皆が一斉に盗賊の頭、四郎へと視線を向ける。
背中に突き刺さるいくつもの視線。
四郎の背中に冷汗が垂れた。
そして、とどめとばかりに小次郎の誰よりも鋭く冷たい視線が加わって、逃げられないと観念してた四郎はゆっくりと後ろを振り返る。
「おっす…。久し…振り……」
笑顔を引き攣らせながら片言に言葉を返した四郎。
「兄上?何故盗賊の男の名前を?この男と知り合いなのですか??」
二人の様子に、秋成は驚き口を挟む。
その問いかけに、小次郎の口からは予想もしなかった答えが返って来た。
「あぁ。そいつは俺の弟だ。」
「…………へ?」
突然の小次郎からの爆弾発言に、秋成の思考が思わず停止した。
それは秋成だけに留まらず、四郎の仲間の盗賊の少年達も、武士団の者達も、普段冷静な忠平でさえも驚いた様子で、皆が好奇の目で二人を見守った。
「四郎、何故お前がここにいる?どうして千紗を攫った?こいつが、俺の主だと知っての狼藉か?!」
「いや、違うんだ!その姫さんを攫ったのは本当に単なる偶然で、兄貴を怒らせようとしてやったわけじゃ……」
「ならば、平の名を持つ武士であるはずのお前が、何故このような所で盗賊紛いのことをしている?」
「そ、それには……深い深~い訳があるんだ。頼むからせっかくの再会なのにそんな怖い顔で睨まないでくれよ兄貴~」
「ほぉ、さぞかし立派な“言い訳“なんだろうな?その話、ゆっくりじっくり聞かせて貰おうじゃないか」
焦った様子の四郎とは対照的に、怒りをチラつかせながら四郎の元へゆっくりと近づいて行く小次郎。
小次郎からピリピリと伝わってくる威圧に、一歩一歩後退る四郎。
そしてついにはその威圧に耐えかねて、背を向けて逃げ出そうとした。
だが小次郎はそれを許さず、背中を見せた途端、物凄い勢いで四郎の首根っこを捕える。
そしてそのまま……首根っこを掴まれたまま四郎は小次郎にズルズルと引き摺られる始末。
「このまま連れ帰って、親父の元へ強制送還だっ!!」
「あ、兄貴~……首……首がしまって………苦し……」
こうして、千紗の誘拐事件は無事に幕を閉じた。
だが、この事件をきっかけに、千紗、小次郎、秋成、幼き日々を共に過ごして来たこの三人の運命の歯車が、少しずつ狂いだしていた事を、この時はまだ誰も気付いてはいなかった。