第10話 低い城の女(後編)
注意。作中には『読者』にしかわからない嘘が含まれます。
この物語はフィクションであることを改めて強調いたします。
「ふふふ、君の悩みは『低い城』で解決するだろ、っととぉ!」
我輩がポーバニア王国の地政学上の危うさについて相談したところ、ナタンジーは不敵に笑った。しかし、ちょうど馬車が揺れたために今ひとつ締まらない。
「大丈夫か?あまり恰好をつけた座り方をしていると転がり落ちるぞ。」
我輩たちが乗っているのは戦史編纂科が本を運ぶのに使っているという馬車で、荷車に簡単な屋根をつけたような造りだ。当然、御者台も狭くて不安定なのだがナタンジーはそこで脚を組んで座りたがるのだ。
「こればかりは譲れない。カッコよさ、それが僕の自己同一性だ!」
「普段はどうしているんだ。今日は我輩が手綱を引いているから良いが、まさか脚を組みながら御者を務めることはできないだろう?」
ナタンジーはまた不敵に笑った。
「僕が『低い城』に行くときはいつも先輩と一緒だ。だから手綱を握ったことはない。というか、やり方を知らない!」
「それなら、せっかくだし教えてやるよ。」
我輩が姿勢を正すように促すと彼は渋々脚を解き、座り直した。広大な演習場の敷地を迂回した、そのさらに先にある『低い城』に到着する頃にはナタンジーの手綱さばきはそれなりのものになっていた。
「ふーん、これが『低い城』か。星形城塞かな?」
「そうだ。五芒星の土塁に加えて馬出が向こうにひとつだけある。ただし、工兵科が随分前に研究目的で築いたものだから実用性はないぞ!」
なんでも、地下施設が充実していて火災に強いからという理由で戦史編纂科の資料館に改装されたのだと言う。
干上がった堀(雨季には水を溜める)や土塁を見ながら城内にはいると、本でしか見たことの無い漆喰の壁を持つ建物が所狭しと並んでいた。
「地下施設は湿気が多くて本が悪くなる。だから、普段はこの辺の蔵に本、地下に現物資料をしまっている。確か地下には情報科の考古学資料もあったな。」
1年生なのにずいぶん詳しい。なんでも、彼は入学前の長期休暇の時に先輩に案内してもらったのだそうだ。一般公開されている資料も多く、戦史編纂科に限らないたくさんの卒業生、つまり現役軍人に会えるらしい。
「コネが欲しいなら通うといいぞ。僕はそうするつもりだ!」
「ナタンジーは野心家だなぁ。」
「無論だよ!僕はバニア人だからね、家は姉が継ぐ。ポーラ人の男と違って自分で稼いで、高い地位を得て、そうして理想の令嬢に見初めてもらわないと!君もポーラ人とはいえ、ザモイスキー家の婿養子となったならわかるだろう?」
「我輩がザモイスキー家の婿養子だって⁉︎」
彼が急にそんなことを言うから、我輩はびっくりした。慌てて否定する。我輩はお嬢さんに世話になってはいるがそれだけだ。それにポーラ人でもない。我輩は血は日本、育ちはアメリカ、そして前世の最後では大英帝国の保護の下にあった者だ。
「ふふふ、なるほど。これは重症だ!部長はさぞ喜ぶだろう!」
「?」
不思議がっているうちに馬車は繋ぎ場にとまり、我輩はナタンジーに引っ張られてゆく。そうして蔵とは違う、少し立派な建物に入った。
「部長!例の異世界人を連れて来ましたよ!」
「でかした!褒めてつかわすぞ、チビ助!」
「その呼び名はやめてください!しつこいようなら僕も昔みたいにお姉ちゃんって呼びますよ!」
ナタンジーがえらく取り乱して騒ぐと、すまぬ、すまぬと言いながら眼鏡の女性が出てきた。本をかき分けての登場でホコリが舞う。
「ゴホゴホ……ノートン、紹介するよ。戦史編纂科の四年生でオカルト部の部長のイフナ・ハルヘカ先輩。」
「ふふふ、どうも。ナタンジーから聞いてるよ。君が異世界大将軍のノートン君か……ふふふ、いいね!只者じゃない感じがする!」
先輩は眼鏡をクイッとやると、舐めるように我輩を見た。軍の身体検査を受けているみたいだ。我輩は居心地が悪くなって話しかける。
「どうも、初めまして。今日は何かを見せていたたけるとかで参りました。」
「そうだった、そうだった。チビ助!資料を持ってきてくれ!」
「わかりましたよ!お・ね・え・ちゃ・ん‼︎ 」
ナタンジーは恥ずかしそうに叫ぶと建物の奥の部屋に駆けて行った。先輩はニコニコしている。
「私はね、彼にお姉ちゃん、って呼ばれるのは嫌じゃないんだ。しかし、あの子はチビ助って呼ばれるのを嫌がっていて、自分がそうだから私も昔の呼び名を嫌がっていると思い込んでいるらしい。ふふふ……」
「自分が嫌だと思うことを相手にする、戦いの基本ではありますがこの場合は見当違いですね……」
「ふふふ、相手の立場に立つって視点がまだ足りないみたいだ、ふふふ……」
先輩はとにかくずっとニコニコしていたが、我輩が見るにナタンジーもアダ名で呼ばれるのをそう嫌ってはいない気がした。彼も複雑な心境なのだろう。
「先輩とナタンジーは親戚か何かですか?」
「ふふふ、ただの幼馴染さ。あの子に懐かれてしまってね、昔からお姉ちゃん、お姉ちゃんと追いかけられて、ふふふ、士官学校まで来てしまった、ふふふ……」
そんな感じで談笑しているとナタンジーが書類の束を抱えて戻ってきた。ハルヘカ先輩は彼から受け取ったものの中から特に大きな紙を選び、机に広げる。
「ふふふ、この地図に見覚えはないかね、異世界大将軍?」
「こ、これは⁉︎ 」
そこに描かれていたのは2色に色分けされたヨーロッパの地図だった。3分の2を占める青色は西、残りが赤色で東と表記されている。
「ふふふ、我々のOBが書き残したものだ。何でも我々の世界とよく似た歴史をたどった異世界の地図らしい。ふふふ、君のもといた世界ではないかな?」
ロンドン、パリ、ベルリン、ワルシャワ、モスクワ……ポーバニア語なまりが入ってはいるが、確かにヨーロッパの地名に違いない。地形の上での位置もぴったりだ。しかし、西と東とは何だ?
「ふふふ、君の話はナタンジーから簡単に聞いている。この地図は前世の君が死んだ年、西方預言者紀元1941年から10年後の世界を描いているのだ!」
先輩はバルト海沿岸の都市ダンツィヒに指を置いた。そして、ポーランドを二分するように南下し、アドリア海の沿岸都市トリエステへと伸びる青と赤、西と東の境界をうっとりするような動きで撫でた。
「君が最後に見た戦争、2度目の世界戦争の結果がこれだ。『どいつ』が引き起こした戦争は長く激しいものだったが、『いぎりす』による『かれえ』上陸作戦と『それん』の反攻作戦の成功によって戦局は定まり、1946年には『べるりん』に『ゆにおんじゃっく』が翻った……」
(そうか、大英帝国はナチスに勝利したのか。)
我輩は少しだけ泣きそうになった。馬好きの友や彼の家族は無事に終戦を迎えられただろうか……
「しかし、戦後処理で対立した『いぎりす』率いる西側と『それん』率いる東側は『ぽうらんど』を東西に分断して睨み合った……ふふふ、これが我々のOB、私が『低い城の女』と呼ぶ先輩が書き残した異世界の歴史だよ、ふふふ……」
「しかしおねえ、じゃなくて部長!お言葉ですが、この文書は歴史を基にOBが書いた架空戦記小説だと結論が出たと聞きましたよ?僕らはオカルト研究部なんですから、もっと『フライングソーサー』でも探しに出かけましょうよ!卒論が大変だからって、引きこもってばかりいたら病気になります‼︎ 」
「ふふふ、ならどうしてノートン君を連れてきてくれたのかな?ふふふ、口では何と言っても、チビ助は私のやりたいことを手伝ってくれる、ふふふ。」
ナタンジーは騒いだ。それは言い訳であるようだったが、余りにも必死なのでハルヘカ先輩も我輩もつい笑ってしまった。
「ふふふ、それでだ、ノートン君。君にはいくつか質問したいんたけど良いかな?」
「夕食に招待されているので、それに遅れない時間まででしたら喜んで。」
「ふふふ、女の子かい?入学してすぐにとは、とんだ『リア充』だねぇ、ふふふ。」
そんなこんなで我輩は、前世の世界各国についてハルヘカ先輩やナタンジーに話した。先輩は魔法と科学の理論を統合する研究をしているとのことで、化学や工業技術、宗教儀礼や呪術に関する質問が多かったのだが、あいにく我輩はその分野に詳しくない。仕方がないので主に体験談を話した。
「……経験に学ぶのは愚者だし……僕は歴史に学ぶし……部長のことなんて何とも思ってないし……」
ナタンジーがぶさくさ言っていたが、その辺も含めてハルヘカ先輩との会話は楽しいものだった。我輩もせっかく学校に入ったのだから騎兵のことばかりでなく科学や文化に触れる必要があると再認識できたし、先輩も何か思うことがあったようで度々(たびたび)メモをとっていた。
「……ふふふ、なるほど、なるほど。おっと、もうこんな時間だ。名残惜しいがチビ助、ノートン君を送ってあげてくれ。君もそろそろ寮に帰ったほうが良いだろう。」
「チビ助はやめてくださいよ、お姉ちゃん。僕だってもう士官学校の生徒なんですよ!もう!」
ナタンジーは子供っぽく怒ったが、我輩の暖かい目線に気がつくとコホン、とひとつせきをした。
「では、部長はまた『低い城』に泊まり込みですか?缶詰めばかり食べていると体を壊しますよ。僕は明日も来ますから、何か作って来ます。」
「『にぎり飯』が良いな。具は『イクラ』で。」
「そんな高価なものは無理です!『シャケ』で我慢してください。」
「ふふふ、ふふふ……ちくしょう!」
夕焼けが綺麗だった。前世でもこの世界でも太陽の在り方は変わらない。
「なぁ、ノートン。お前は本当に異世界から来たのか?」
我輩が馬車の揺れを楽しみ感傷に浸っていると、ナタンジーが話しかけてきた。すっかり手綱さばきになれ余裕ができたらしい。まぁ、何事も余裕ができてからが大変なのだが。
「……少なくとも、我輩にはこの世界ではない場所で生きた記憶がある。人がなんと言ってもそれは今の我輩の……自己同一性だ。」
我輩がそう言うと、ナタンジーは手綱を押しつけてきた。御者の役を代わってやると、彼は脚を組んで満足げに胸を張る。
「今度は乗馬でもしながら来いよ、異世界大将軍。『低い城』とオカルト研究部は来るもの拒まず、だ!」
格好をつけるナタンジー。我輩はつい、子供っぽかった『低い城』での彼を思い出して笑った。
歴史的な事実としては、
・連合軍が上陸したのはノルマンディー
・ベルリンの陥落は1945年、ソ連軍によるもの
・東西に分割されたのはドイツ
(東西の境目、いわゆる『鉄のカーテン』は、ステッティンからトリエステまでと言われる。)
です。
他にも都市の名称も統一性がないので気をつけてください。
まぁノートン達はそんなことは知らないのですが、果たして『低い城の女』はどうでしょう(^_-)
それでは、次回予告。
ポーバニアは東西の境目。異世界のポーランド。
まともな道を選んでも生き残れはしない。
今宵は『眼の月』、魔の騒ぐ夜。
使役者寮に招かれたノートンは、『うどん』を体験する。
「『ざるそば』だけじゃないよ、『うどん』も飲み物なんだよ、えへへ……」
すなわち、兵は詭道なり。
第11話 眼の月の夜
投稿は1週間後を予定していますが、遅れる可能性大です(^_^;)
お楽しみに(^-^)/