第9話 低い城の女(前編)
余談が長くなったので前後編に分けました。
物語が好きな人も、世界観が好きな人もそれぞれのペースで楽しんでくれたら嬉しいです。
それでは、どうぞお楽しみください(^-^)/
「まりぬは、お母さんは小官のことを恨んでいたであろー、小官は本当に酷い夫であーるから。」
「ううん、お母さんはね、お父さんは昔からドジだからって、最後まで笑っていたよ。」
我輩がエージェントAとともに駆けつけたとき、クララとゾグ教官は校庭のすみの木の下で和解していた。家族の絆というのは尊いものである。
「ふん、とんだ茶番だな。殺気だの正論だのを散々はなっておきながら、父も娘もよくわからない理屈で納得している。どうせすぐにまた喧嘩し始めるだろうよ。」
「家族って、そういうもんさ……というか、禁則事項でなければ随分とおしゃべりなんだな、エース?」
我輩が冷やかすと彼は、禁則事項だ!と早口に言い市街地の方へ歩き出した。我輩もついていく。家族の団欒はそっとしておくものだし、何より彼との話がまだ済んでいない。
「クララが心配だったから後回しにしたが、どうして我輩を尾行しているのだ?」
「命令だから……それ以上は禁則事項だ。」
なるほど、個人的興味による尾行ではなく、組織ぐるみの行動か。
「我輩が世話になっているザモイスキー家に何か悪さをするなら承知しないぞ!」
「好奇心は猫を殺す……言いたいことはそれだけか?」
「聞きたいことばかりなんだが……」
いつの間にか我輩達は路地裏にいた。エースの背中を追いかけて来ただけの我輩は、しまった!と思った。もし、ここで情報科のエージェント達に囲まれたら袋叩きに合うだろう。
「ひとつ勝負をするか、異世界大将軍?」
薄暗い路地裏でエースが我輩に向き直る。彼がスッと構え、我輩も構える。拳が直ぐにでも届く、緊張感のある距離だ。
パンッ!
突然、エースが手を叩き、足を踏み鳴らし始めた。
(騎兵科の先輩達のように魔法を使うつもりか?)
しかし、音や閃光は起こらない。では、ミャコ先輩のようにダンスを始めたのか?それにしては、あまりに単調でつまらない。
「ダンスが得意だそうだな、異世界大将軍?どうだ、この私のダンスは?」
……ダンスだったようだ。我輩も無言で踊りだす。お手本を見せてやるつもりだったが、どうもエースのトンチンカンなリズムが気になって上手く踊れない。なんだろう、この奇妙に繰り返されるリズムは……
(むむむ!まさか、このリズムは⁉︎ )
我輩の芦毛の脳細胞に本日2度目の電流が流れたとたん、エースはダンスを止めた。
「ダンス対決は私の勝ちだ、ノートン。慣れないことでも挑戦してみるものだな。」
「下手なダンスに合わせてやったのだ。次は我輩の魂をしっかり刻み付けてやるぞ!」
エージェントAは何も言い返さずに立ち去った。我輩は彼のサングラスに隠された瞳が笑ったような気がしたが、真相はわからない。
(『センシヘンサンカニキヲツケロ』か……)
彼はダンスの中にポーバニア式モールス信号を用いて暗号を仕込んでいたのだ。
『戦史編纂科に気をつけろ』
エージェントA、侮れない男である。
我輩は明日のナタンジーによる招待、『低い城』訪問に向けた準備をすることに決めた。
「ねぇ、ノートン君!今日のお昼、また使役者寮に来ない?今日は『眼の月の日』だから、『うどん』を食べられるんだ!……その、どうかな?」
「申し訳ないが、今日はナタンジーに誘われていてな。『うどん』は食べてみたいのだが……夕食でも良いならOKだ。」
「わーい!じゃあ、待っているからね!」
翌日の放課後、再びクララから食事の誘いを受けた。準備があるからと急いで帰路につくクララは、嬉しそうでなによりだ。
しかし、クララはてっきりゾグ教官への当てつけで我輩と仲良くしたのだと思っていたから、ゾグ教官と和解した今、もう一度食事に誘ってくれるとは意外だった。我輩としては嬉しいが、クララはもっと他のクラスメイトとも打ち解けるべきではないか?
(まあ、余計なお世話か。まだ学園生活は始まったばかり。来週からは忙しくなるだろうが、のんびりやればいい……のか?)
今朝もミコワイやタマと馬の世話をし、騎兵科の先輩達とも談笑した。士官学校とはもっと上下関係の厳しい場所かと思っていましたと先輩に言ったら、みんなのんびりしているからポーバニアの軍隊は弱いのだと苦笑された。
先輩からしてこんな様子であるから、我輩はついついここが士官学校、軍人を養成する施設であることを忘れてしまうのである。
(以下、しばらく「同時代の歴史家」による余談につき読み飛ばし可)
ポーバニアの軍隊はミエシコ1世(この人物については以前話した)の時代から義勇軍的な性質が強く、いまひとつ上下の意識が弱い。
おかげで中世後期に各国で皇帝や国王を頂点とした組織的な軍隊が編成されるようになると、その場のノリで集まり緩やかな命令系統の下で動くポーバニアの軍隊は敗北を重ね、軍隊とともに国そのものが消えてなくなった。
前の大戦とそれに続いた独立戦争の後、再建されたポーバニア王国では過去の反省から貴族階級に指導される強力な軍隊を目指し、士官学校の最終入学試験のような貴族優位を印象づける慣習を作った。ところが、ほぼ同時期に他国から100年遅れた産業革命が起きたのが不味かった。
もしポーバニアの産業革命が、神聖帝国や旧ロンシャン帝国のように貴族や国家の主導による『上からの産業革命』であったら貴族優位による中央集権的な国家や軍隊が実現しただろう。実際、士官学校は国営軍需工場を含む国家主導の計画都市である。
しかし、ポーバニアの産業革命は旧共和国やパンタラッサ連合王国で起きたような『下からの産業革命』だった。シェルナの実家、カストリオティ家が平民でありながら金融業で築いた富をもって工業化を推し進めたのである。
この成功の陰には前の大戦によって崩壊した共和国や水没したパンタラッサ連合王国から移住してきた知識人階級の協力や、国有化されたはずの旧ロンシャン帝国の工場群に対する民間への不正な払い下げがあったと言われるが、定かではない。
ともかく、ポーバニア王国は歴史上初めて『中産階級』というものを持った。彼らが強い軍隊や国家の建設を邪魔したのかと問うならば、断じて否である。彼らは貴族と同様に、いやそれ以上に強いポーバニアを望んだ。
強く偉大な祖国の一員であること。それは大国の支配下に置かれ続けたポーバニア諸民族の、とりわけ貴族のように自身の血統を誇りを持つことさえ叶わなかった平民達の悲願であった。
カストリオティ家は各国の産業革命を研究し、低賃金労働は資本家の利益は産んでも国家全体の工業化には不要であると断じる。
しかし、理想論者のように労働者の賃金を意味もなく引き上げようとも思わなかった。カストリオティは金融業の家である。彼女らは農業の効率化によって故郷を追われ、都市へと流れ込んだ人々に言った。
「カストリオティの企業で働くならば、自分の未来を担保にしろ。」
ようは会社に生涯をかけて尽くせ、運命共同体になれ、と言ったわけだが、この言葉を曲解し現代の封建体制であると批判する声もある。しかし、 私はそうは思わない。
カストリオティ財閥の企業は今も昔も過去の労働に対してのみ報酬を払っているわけではない。今日働いたように、明日も働け。未来を担保に入れさせて、時間を青田買いする。それが彼女らの金融業式雇用理論である。
カストリオティ家は労働者に幾つかの約束をした。悪事を働かない限り決して解雇しないこと。病気や怪我で仕事ができない期間も最低限の賃金を保証すること。始めは安い給料でも働いた年数に応じて給料を上げていくこと。努力すればそのぶん手当をつけ、優秀な者は取立てること。工場の利益の増加に応じて給料を上げるが、利益が減少しても給料を下げることは控えること……
もし、ひとつかふたつの工場だけが上記の方針をとったならその日暮らしの平民達はすぐに高い給料を得られる他の工場や炭鉱、魔力充填業に流れただろう。
しかし当時の民間産業はほとんど全てカストリオティ資本の影響下にあり、他国の産業革命において貧民の血をもって支えられた暗部は、機械化と魔法理論の洗練によって照らされていた。
そのため、最初のうちは安い給料に文句を言い渋々働いていた労働者達であったが、働いているうちに病気や怪我の際の保証のありがたみや努力と年数に応じて少しずつ上がる給料の良さに気がつく。
さらに平民にとってのコンプレクックスであった拠り所の無さが、職場での役職や地位によって満たされたという点も、後に研究者から指摘されている。
この仕組みで育てられた熟練労働者達がポーバニアの産業を、神聖帝国のための原料供給に終わらせない高度なものにしていったことは疑いない。
この時代、このシステムは実利と名誉、肉体と精神という相反するものを両立させたことで、平民にとっての「理想の貴族社会」を作り出したのだと数十年が過ぎた今、評価されている。
ここでひとつ、役職や地位について私の好きなエピソードを紹介したい。
ある時、カストリオティ家の当主が自分の傘下にあるあらゆる産業のなかで最も重要なものは何かと考えた。彼女はすぐに、それは金融業だ! と気がついたがちょっと深く考えてみた。
金融業はカストリオティ財閥を支える最重要産業である。しかし、金融業はお金を借りる人がいて、さらにその人が上手く儲けて借金を返してくれないとダメだ。
神聖帝国の皇帝や貴族に貸した金がキチンと返済されたことが何度あっただろうか?
それが嫌で、まだ信用できる中産階級の資本家達に投資するようになったのではなかったか?
彼女はそこでひらめいた。
いざ切り捨てる時に迷わないよう、今のうちから産業ごと、工場ごと、役職ごとにランクを付けておこう!
カストリオティ家の私的研究機関がフル回転させられ、生み出す利益の大きさや動かせる人員の数、他の産業に与える影響力……ありとあらゆる要因を検討した末に、西方表音文字によるAからZまでの評価が完成した。
例えば、最も重要な産業である金融業の、最も重要な部署である本社に、ひとりの幹部役員がいたとする。
この人物はまず産業のランク、Aを与えられる。次に産業内の部署のランク、Aを与えられる。最後に本人の役職のランク、Aを与えられることでこの人物はランクAAA、すなわち他社に引き抜かれるくらいなら暗殺してしまえレベルであると表記されるのだ。
カストリオティ家の当主は満足した。これで産業の重点も理解できたし、産業ごとに様々な役職の名称もいちいち覚えずに済む。困った時はこのランクを参考に投資するか、切り捨てるか決めれば良いのだ。
ところがどっこい、ある時このランク表が外部に流出してしまった。
投資に影響が出ないように、ありとあらゆる手段が取られたがかなりの情報が出回ってしまった。
財閥の当主にとって見やすいランク付けは、誰にとっても見やすく覚えやすかったのである。
困った当主に対し、ある側近が酒場で聞いてきた話を伝えたところ、当主はすっかり安心して次の投資話を検討する作業に戻ったという。
その酒場での話がなかなか愉快なのだ。
「俺のランクはSSSだから19番目の19番目の19番目の人材なんだとお前達は馬鹿にするが、それは違う!Sとはsuperやspecialの略だ。これはパンタラッサ語でスゲェ!という意味。つまり、俺が最強なんだよ、ウーイ、ヒック‼︎ 」
「んじゃ、おいらのZってのも大したもんだろ。なにせ、1番最後の文字だろさ。終わり良ければすべて良し、ってわけ!ヒック‼︎」
「学のない奴はこれだから困る。俺のランクにはWがつく。WとはAから数えて23番目の文字。23とは西方表音文字の文字数である26までのなかで最大の素数だ!素数は魔法理論においても重要な数、すなわち私が神だ‼︎ ウップ、ちょっと便所にいってくる……」
……果たして本当にこのような会話があったのか?当主を落ち着かせるための側近のジョーク、あるいは情報流出の影響を抑えるためにカストリオティ家が意図的に流した噂ではないか?今に至るまで謎の多いエピソード、都市伝説の類である。
しかし歴史家である私があえてこのエピソードを紹介したのは、この話から当時の労働者達が抱いた自分の仕事への誇りが感じられるからだ。誰がなんと言おうとこの仕事には価値があるんだ! 彼ら彼女らはそんな誇りを胸に仕事をしていたのである。
現在ではカストリオティ家の産業独占は、新しい当主の方針転換と法改正によって改められた。国内外から多くの新企業が参入し、雇用の形も変わった。
カストリオティ財閥の企業は労働者との約束を守るために人件費を抑えられず、高級品の生産・販売に注力しつつあり、それ以外の新興企業は人件費を切り詰めた厳しい労働条件を社員に強制している。
覇権国家である神聖帝国の圧力。長き内戦を終え、膨大な労働力を活用し始めたロンシャン連邦の安価な輸出品。2つの経済大国の狭間でポーバニアの産業はどうなるのか?
現代に生きる歴史家の私は、まだ知らない。
……えーと、何の話の解説だったかな?
そうそう!何でポーバニアの士官学校は上下関係がフワッとしているか、だったね。
3行でまとめると、
・昔からボランティア感覚で兵士が集まっていた。
・平民の力が強くなって、貴族に従わなくなった。
・みんな気分が乗らないと働かない。
こんな感じかな?
まぁ、お隣のロンシャン連邦では昔から「良い鉄(純度の高い鉄)は柔らかいから剣を作るのに向かない。まともな人間は善悪の区別がつくから兵士に向かない。」って言ってね、敬語を使えて上下関係をきっちりできるような人間は士官学校なんか入学しないわけよ!気に入った奴は生意気でも可愛がるし、年上でも気に入らなければボロクソに貶すわけ!もうクズばっか‼︎
おっとっと、士官学校といえば私の母校じゃないか!
読者諸君、これからノートンが向かう戦史編纂科は例外だよ‼︎ きっと素敵な歴史家志望の学生達が歓迎してくれるよ。OBである、この私みたいなね!
(余談おわり。ノートン視点に戻ります。)
(かつて兵士は略奪によって食料や生活費を稼いでいた。そんな時代に比べたら、平和なこの国の軍人がのんびりしているのも仕方がないのかもしれない。)
我輩は前世の戦場を思い出した。武器を持たない者は殺さなかったし、できるだけ法的根拠に基づいて物資を調達するよう努めたつもりである。
(だが、奪われる者からすれば、何でも同じか……)
我輩は何度も軍人という仕事を止める機会があったのだ。それなのに、転生した今もこうして士官学校にいる。
(やっぱり、ここは地獄かもしれない。我輩は散々楽しい思いをした後で、全てを奪われるのだ。)
ポーランドやユーゴスラビアのように大国に踏み潰される未来。
平民と貴族の潜在的な対立。不安定な諸民族のバランス。士官学校でさえ見られる兵科間対立。先行きの見えない経済……
(いかん、いかん。本で読んだことを鵜呑みにするところだった。)
我輩は自分の目でこの国を見るために、突撃精神をもってこの学校に来たのだ。ザモイスキーのお嬢さんはずいぶん心配して引き止めてくれたが、それでも士官学校を希望したのは……
「おーい、異世界大将軍!考えごとか?そういう時は歴史に学ぶのが一番だ。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。なんなら馬車の中で相談に乗ってやるから早く来い。『低い城』は結構遠いんだぞ!」
「すまない、すぐ行く!」
歴史編纂科のクラスメイト、ナタンジーの呼び声で我輩は思考を中断し、駆け出した。
悩んだ時にはそう、突撃あるのみである!
ノートンは優しい先輩や友達に恵まれたようですね(^-^)/
でも、まだまだ士官学校での生活は始まったばかりですよ!
それでは、次回予告。
『低い城』でナタンジーがノートンに見せたもの。
それは懐かしの『ヨーロッパの地図』だった⁉︎
オカルト部の部長が語る、第二次世界大戦の結末とは⁉︎
第10話 低い城の女(後編)
早めに投稿できるかもしれません(^_^;)
お楽しみに(^-^)/