隣の家の主人公
俺ン家の隣には、ちょっとしたお屋敷がある。
その隣家は平屋の日本家屋だが、とにかく敷地面積が広い。本当の金持ちの家は、縦でなく横に広いと言うが、まさしくその通りだ。
曲がりくねった家屋の合間には、手入れされた中庭などがあり、江戸時代の武家屋敷はこうゆうものだったのかと思わせる。
そこには一昨年まで、物静かな優しい老夫婦が住んでいた。生憎、二人は老齢ということもあって、立て続けに亡くなってしまい、ちょっとの間だけ空き家の期間を得て、今は若い連中が住んでいる。
――そう、連中だ。
老夫婦の孫という冴えない男子高校生が、まずその家に住み始めた。それは、まあいい。いや、最終的に良くないのだが、当時は彼だけだったので、その時点では、まあいい。
それからすぐに、彼の婚約者だという可愛らしい女の子が、隣の屋敷に押しかけてきた。
そこからは、あれよあれよ。
本当の婚約者は私だと言い出して、転がり込むもう一人の女の子。トラブルを避けるためだと言って押しかける彼の幼馴染と、明らかに婚約者たちの邪魔するつもりの巫女さん女子高生。果てはフランスからの来たトップモデルの留学生や、同じく留学生のイギリス王家王位継承権三桁目あたりの縦ロール娘に、ロシアの諜報員とかいうふざけた設定のロリ工作員。
総勢、八人。うち七人が隣の家主である少年を狙う美少女たち。
彼と彼女たちが、今の隣人である。
「ちくしょぉおおおぉぉぉおっ! 一人くらい間違えて、俺ン家に来いやぁぁぁぁあああああぁあぁぁぁっ!」
二階から平屋の隣家を見下ろし、指を加えて見るしかない俺は嫉妬の雄たけびを上げた。虚しいが叫ばずにはいられない。
俺の行為は、断じて覗き見ではない。
隣家は毎日のようにトラブルを起こしているのだ。嫌でも目が行く。
今だって、漫画顔負けの騒動が起きている。
なにが原因で始まった喧嘩なのか知らないが、男子高校生を巡る女の子のうち二人……後から来た二人目の自称婚約者と、イギリス王家ゆかりの金髪縦ロール娘が、箒と塵取りで愉快なチャンバラを行っていた。
「日本にはまだサムライがいる、ということを貴女の骨と肉に刻み込んであげます!」
べっこべこの塵取りを構えて、サムライとか言ってほしくはない。
「ユナイデットキングダム・ソウルを見せてさしあげますわ!」
それはロックのことだろうか? 手に持つ竹箒はギターなのか? まさか王家の魂とかじゃないよな?
俺はカーテンの隙間から、隣家の騒動を眺める。
これは覗きじゃないぞ。隣の家が騒がしいから、つい目を向けてしまっただけだ。無様な恰好で隠れるように、カーテンの隙間から覗いているわけではない、決して。
「やめるんだ! 二人とも!」
二人の喧嘩に気が付いたのだろう。隣家の正式な主人である男子高校生が、二人の喧嘩を止めようと割って入った。
掃除道具を交差させる二人の間に、無理矢理入り込んだせいで、隣人の男子高校生は双方の攻撃を受けてしまった。
ざまぁみろっ!
と、俺が喜んだのも束の間、隣人の男子高校生はアクロバティックな転び方で、二人の女の子を巻き込んだ。
信じられないことに、彼の顔は縦ロール娘のスカートの中に突っ込まれ、右手は二人目の自称婚約者の大きな胸を鷲掴みにしている。
どこのセクハラ主人公だ、お前は。
「きゃぁあああっ!」
「ぐわぁあああっ! ご、ごめんなさぁい!」
二つの悲鳴が重なり、羨ましい?悲鳴と謝罪の声が隣家の庭から響いた。
「ちくしょう! ホント、なんだあのうらやましい生活は!」
俺は堪らず隣家の騒動から目を背けた。
隣人の高校生が殴られるのはいい気味だが、女の子たちはどこか二人は手加減している。じゃれ合いにしか見えない。
ちくしょう。まるで世界の中心がここに……、いやここではない。世界の中心は隣だ。
そう、まるで隣の家に――
この世界の【主人公】が住んでいる。
かのようだ。
わずか数十メートル先が世界の中心で、隣りの家にいる俺はモブですらない。
俺は悔しさで歯ぎしりを抑えられない。
「これが隣町……。せめて騒動の見えない、いや、聞こえないくらい離れた場所なら……」
「あんまり気にすると将来、頭頂部が不自由な人になっちゃうぜ」
背後から声をかけられ、頭が少し冷えた俺は部屋の中を顧みた。
そこでは俺の友人がいた。いつの間にか上がり込み、俺の部屋でテレビの前に座ってゲームをしている。
学校でぼっちの俺にだって、親しい友人の一人くらいいる。
決して隣の家――憎たらしいアイツの家の逆隣――に、たまたまいたから幼馴染になったわけではない。ちゃんとした友人だ。友達だ。
幼稚園の頃、冒険と称して隣町までいったり、小学校のころは一緒に希少価値のない街中の虫取りをしたり、飽きてゲームを一緒にしたり、中学にはやる事なくて、ひたすらだらだらしたり、この間の夏休みには、海へ自転車で行く途中で、二人そろってトラックに轢かれそうになったり――。とにかくそういう友達だ。
もっとも進学で高校が別になってしまったので、同じ学校の友人にならないのは残念だが……。
「木田……お前、いつ来たんだよ」
「ついさっきな」
国民的RPGを勝手にプレイしながら、クッションを重ねて座りくつろぎモードである。勝手知ったるなんとかというヤツか?
気が付かない俺も俺だ。ちょっと隣家に執着しすぎかもしれない。
「まったく。黙って入ってくるなよなぁ。しっかし、いつもいつもどうやって入ってくるんだよ」
「気にするな」
「めちゃくちゃ気になるわ。プライバシー的にもセキュリティ的にも!」
「だったら予備のカギを呼び鈴のカバーの中に隠しておくとか、やめろよな」
「……ぐぬぬ、そ、そうか」
予備のカギの隠し場所を木田に指摘されて俺は言葉を詰まらせた。
確かに彼に言う通り不用心かもしれない。呼び鈴のプラスティックカバーのネジは壊れており、ちょっとしたコツで取り外すことができる。
鍵を無くしたときにひと手間で家のドアを開けられる利便性はなかなか捨てられない。
などと思いつつ、一度も利用したことないカギだが……。
「隠し場所を変えるか」
「そういう場合は隠すのやめるかって言えよ。呼び鈴のカギがなかった次回、ほかに隠してあるかと俺様が探すだろうが。そのセキュリティ意識の低さは心配だぞ」
木田のいうことはいちいちもっともである。
ん? このゲームのあの場面は――。
「お……なんだ、木田。そのゲーム、もうそんなところまで行ったのか? 俺はだいたいこのあたりでやめちゃったんだよなぁ」
「え? なんだここより先には進めてないのか? このゲーム」
「ああ、なんか熱が冷めちゃってさ」
「ふーん」
木田はセーブすると、そのままゲームを終了させた。
「あれ? 続けないのか?」
「俺様は人様のゲームを持ち主以上に進めないポリシーがあってね」
「勝手に人ン家上がって勝手にゲームやってるわりには変なところで律儀だな」
見上げたものだが、勝手にプレイしないポリシーも持ってほしい。
ゲームを止めた木田は、漫画でも読むつもりなのか勝手に本棚を漁り始めた。あ、そこはだめ。漫画読むんでしょ? 辞書とかに手を伸ばさないでお願い。そっちはダメっ! ……お、よーし、いい子だ。
「おお? このゲーム買ってあったんだ?」
本棚の危険水域を漁っていた木田が、積みゲーの一つを見つけて取り出し、勝手にセットし始めた。
後ろにゲームを開始する木田がいるが、気を取り直し俺は隣の家の開始を再開した。
「ほうほう……古いゲームだけど面白そうだな。おや、セーブデータを見るに、このゲームはクリアしたのか」
「まあな」
俺は隣の家を見下ろしながら、気の無い返事をした。
「また隣の家を覗き見てるのか」
「まあな」
「そりゃ気になるよな。あんな隣の家じゃ」
「まあな」
「でも趣味悪いな。変態だな」
「まあな……じゃねーよ!」
思わず流れて同意してしまった。
「お前が隣の家を気にする気持ちも分からんではないが……。たしか自称婚約者が二人に幼馴染と、従妹の女子高生巫女さん。これだけで信じられない属性なのに、イギリスから留学してきた金髪美少女とか外国人も数人いるんだっけ? こうなると一人くらい『宇宙人』とか『実は幽霊でした』とかいるんじゃねーか?」
「はは、まさか。幽霊とかバカバカしい」
「幽霊ならお前の友達くらいにはなってくれるかもしれないぜ」
「おい木田! それはどういう意味だ? 俺が学校で幽霊みたいに存在感がないからか?」
「……え? そうなの?」
木田が素で驚いている。
「い、いや違うけど」
実はそうだけど、すっ呆ける。
「そうか。それは安心だ」
木田がゲームのプレイに戻ったので、俺も隣家の監視に戻った。
見下ろせば、縁側で【主人公】が両サイドと後方を女の子に固められている姿があった。さっきまでの喧嘩とセクハラ制裁は、どこにいった?
トドメをさせよ。
会話は聞こえないが、並べられた皿を見るに、誰の買ってきた茶菓子が旨いかを【主人公】に食べさせ決めさせているようだ。
七人が申し合わせず買ってきた菓子を、残さず食わせられる【主人公】には多少の同情があるが、食べさせる女の子が露骨に肌を密着させるのには、ホント心底マジで腹が立つ。
「くっそぉ、またいちゃいちゃしやがって……。憎しみで人を殺……」
俺が呪いの言葉を発しようとした直後――。
女の子たちの茶菓子合戦の喧騒を、一人離れて見守っていた巫女さんが振り向いた。
その視線は俺へ向かって飛んでくる。
俺は全力で身を捻って窓から飛び退いた。
見られた?
隣の家とはいえ、向こうは庭付きの大屋敷だ。20メートルは離れている。しかもこっちはカーテンの隙間から覗いているにも関わらず――。
「目線が合った……ような気がする。な、なんだあの巫女さん!」
「あー、あの巫女さんかぁ。あんまり覗いてると祓われるぞ」
木田がゲームをプレイしながら、ひどいことを言ってきた。
「俺は悪霊かよ!」
「似たようなもんだろ。悪霊ストーカーってな」
親友の俺に対する評価が厳しい。
「でもホント、自重しろよなぁ。探偵や刑事でもないのに、覗き見とか趣味悪いぜ」
「お、おう」
これについては反論できない。とにかく、今日は隣りを覗くのは危険かもしれない。俺はひとまず監視を中止することにした。
巫女さん、怖い。
* * *
翌日――。俺は学校の教室で一人、静かに外を眺めて休み時間を潰す。
「ああ、ヒマだ……」
俺のつぶやきに反応してくれる者はいない。「よう、どうした? 退屈そうだな」とか話かけてくる友人もいない。宿題見せてくれ! とかもないし、借りてたCDを返しにくる奴も、一緒にメシ食おうぜといってくるクラスメイトもいない。
俺は学校では誰とも会話しない。
高校デビューに失敗したというべきか。それとも俺のコミュニケーション能力が自分で思う以上に低いのか。
どちらなのかは、解き明かしたくない。
だいたい地元の高校に進学して、中学からの顔見知りがクラスにいないとはどういうことだ?
中学の時には人並みに友達もいたし、知り合いもいたぞ。確率が敵なのか?
そういえば夏休み明け、俺の机の上に花瓶が置いてあったがアレはきっとは冗談だ。いじめじゃない。……はずだ。そう思いたい。その後、いじめられたことないし――。ボッチだけど。
一人、自分に言い訳をしていると、隣りのクラスが騒がしくなってきた。
隣のクラスには奴がいる。俺の隣の家にいる【主人公】だ。
その隣のクラスが、俄かに騒がしくなった。
『ほーっほっほっ! どうかしら、――様? このわたくし専用の制服は?』
おおぉっ! と隣のクラスからどよめきが響いてきた。
『ハ、ハレンチな! モデルとはいえ、遅刻してきた上に、そんな布地の少ない服を!』
『たかが肩が出ているだけでしょう? それに遅刻したのはモデルのお仕事があったからよ』
お仕事、お疲れ様です! という親衛隊たちの声が聞こえてきた。何人いるんだ? 親衛隊。なんだよ、親衛隊って、マジ漫画かよ。
壁一枚を挟んだ向こうなので、内容までは分からないが、いつもの騒ぎのようだ。
そんな隣のクラスの大騒ぎが、こちらの生徒を黙らせる。聞き耳を立てているわけではない。あまりの騒々しさに呆れて、みんなが脱力してしまうのだ。
騒ぎが終わったころ、隣りの教室のほうを見ていたクラスメイトたちが正気に戻る。
「まーた、隣りのクラスか」
「騒がしいよなぁ」
「前は珍しくて見にいったけど、今じゃ日常風景すぎて野次馬しにいくのもバカらしいぜ」
「ああ負けたような気分になるしな……」
「ぉぅ……」
口々に小市民的な事を言っている。
だが、俺は違う。
出遅れたが、まだ休み時間に余裕がある。少し様子を伺いに行ってみるか。
と、席から立ち上がるが、クラスメイトは誰も俺を気にしてない。隣のクラスの様子を伺おうとする俺を気にしてないようだ。
ちょっと辛い。
でもまあ俺が好き好んでやってることだ。隣のクラスの騒動に対して、達観モードに入り、活気のないモブ化したクラスメイドなど、もはや負け犬。声優すらいない背景だ。心底どうでもいい。
いや、ボッチじゃないよ、俺、ホント。
俺は隣のクラスを覗……偵察するため、通りすがりのように教室を横切ることにした。
さも興味はありませんよ、トイレにいくだけですよー。という雰囲気を纏って、廊下を進む。
開け放たれた教室の戸の前で、意図的に歩調を緩める。そして横目で見――。
ギンッ!!
巫女さんと目があった!
【主人公】の席の後ろにいる巫女さんは、さながら彼の守護神のようだった。制服姿でも、巫女としての神秘的な雰囲気を纏い、清浄さを周囲に放っている。
俺は早足、駆け足へとギアチェンジしていき、慌てて隣のクラスを通過した。
なんとか男子トイレまで逃げてから、肩の力を抜く。
あの巫女さんに睨まれると、消えてしまいそうになる。巫女さん、マジ怖い。
* * *
学校から帰宅すると、木田がいた。
「よう!」
木田は俺んちの一階リビングで、映画のDVDを見ながらくつろいでいる。すっかり勝手知ったるなんとやらだ。
だが、嬉しい。
無遠慮だが、こうして一人でも友人がいてくれることが嬉しい。
だから――
「おーまーえーなー。いい加減にしろよなぁ」
顔をニヤける。隠せない。木田は映画に夢中だから、気が付かない。俺は言葉だけで不満を上げた。
映画を見ている木田も、口先だけの不満を理解してくれているのか、適当に聞き流してくれる。
俺には友人がいる。隣の家の【主人公】は、女の子にこそ囲まれているが、男の親友がいる様子はない。彼の家を訪れる男子生徒なぞ、ついぞ見たことがない。
俺には図々しいが友人が一人いる。
【主人公】に僅かな優越感を抱き、隣家の壁を見た。
「――ん?」
庭に見慣れぬピンク色の物体が落ちている。見れば壁の向こうには洗濯物が見えた。
すわっ! パンツか! と思ったがその膨らみは違う。
ピンク色の物体は、ファンシーな動物の姿をしていた。風にでも乗って、ぬいぐるみが飛んできたのだろうか。
確か、いつもあのロシア幼女が抱えてるクマだかウサギだか分からないぬいぐるみだ。
返しに行くついでに、隣人の女の子たちとお近づきになるか?
いやこっちに落ちてきたという確証がないと、盗んでのに素知らぬ顔して返しにいく隣人と俺が思われるだろうか?
ちょっと想像がネガティブすぎるか? 俺?
――ぴんぽーん。
自宅の呼び鈴が鳴った。
うちの呼び鈴が鳴らされるなんて、かなり久しぶりのような気がしたが、たぶん気のせいだ。
「もしかして、隣りの家の子が取りにきたのか?」
期待で胸が膨らむ。これでお近づきできるかもしれない。
俺はぬいぐるみも拾わず、玄関へと駆けた。
まさか【主人公】が、一人で取りに来ているなんて、オチはないだろう! 絶対にあってはならない。
『もー、誰もいませんよぉー』
玄関から女の子の声が聞こえた。弛んだ話し方をするわりに、気が早い子がいるようだ。
『そうですよ。このお家はいつも留守じゃないですか。インターフォンもならなかったような気がするし』
いや鳴ったよ。
いつも俺が息を潜めて覗いているからって、それはない。ちゃんと俺が住んでいる。
『ならば、ワタシ自らが、バガトルをさがすのダ!』
この舌ったらずな日本語は、自称諜報員のロリっ子だ。
彼女はそう言って庭に周る気なのだろう。玄関前から立ち去る気配がした。
「お、おい! ちょっと待ってよ!」
気の短い子たちだ。俺を露骨に避けてるんじゃないかと疑いたくなる。
玄関から飛び出すと、制服姿の女の子たちが庭に向かっていく後姿が見えた。
――待てよ?
追いかけようと踏み出したが、思うところあって立ち止まる。無理に追いかけて驚かすより、こっちに戻ってくるのを待った方がいいのではないか?
慌てて荒い息で後ろから駆けつけても、女の子相手には印象が悪いだろう。ここで息をおちつけ、キメ顔で待っていたほうがいいかもしれない。
俺は息を整えつつ、女の子たちが戻ってくるのを待った。
「おー、こんなところにいたのカ、バガトル! 潜入工作はお前にはまだ早いぞ! ヨロシイ! ならば帰ってすぐに特訓ダ」
庭に周った女の子たちが、ぬいぐるみを見つけたのだろう。ロリっ子の嬉しそうな声が聞こえてきた。
「わー、よかったですわねー」
のんびりした声が聞こえた。
それはぬいぐるみが見つかってよかったのか、ぬいぐるみが特訓されるのがよかったのか、よくわからないタイミングだ。
「ほんと。この家は危ないとか聞いてたけど、拍子抜けねぇ」
人ん家に、ひどいこという子がいるな。誰だ、まったく。この毒舌は【主人公】の幼馴染か?
三人の女の子たちは、口々に勝手な事を言いながら戻って来た。
ロリっ子諜報員は、玄関先で待ち受ける俺に気が付かない。やはり幼女が諜報員とかいうのは、漫画の中の話なのだろう。
のんびりしてるが気の早い女の子は、歩くたびにノーブラなのかと胸が揺れている。犯罪だろ。
何気にひどいことを言う女の子は、【主人公】の幼馴染だ。あの毒舌で許嫁たちを、普段から口撃している。
さあ、そんな美少女たちは、俺に気が付いてどう反応する?
「そろそろ、みなさんが戻られるころですねぇ」
「よし、今日の夕飯はワタシがつくるゾ」
「またボルシチかよ。いい加減、テンプレ脱却しなよ、偽ロシア人」
「うなっ!? な、なにをいうのダ!」
玄関先にいる俺に気が付かないのか、三人の女の子たちは門扉へ向かって行ってしまう。気が付かないのか? 俺ってそんなに目立たない? 視界に入らない? ひどくない?
……ていうか、これって無視されてませんか、俺?
露骨すぎるでしょ?
無防備とかじゃなくて、これガンスルーじゃね? ひどくね? 自殺もんでしょこれ?
あれ? そういえばリビングにいる木田はどうした?
アイツ、DVD見てるだろ? その庭先でこの女の子たちは、気が付かずぬいぐるみを拾ったのか?
木田は……まあ、DVDに夢中になって気が付かなかったって可能性もあるが――。
あれこれと考え、戸惑っているうちに天使のようなロリっ子諜報員と二人の女の子は、門の向こうへと消えて行った。
三人の女の子たちが立ち去り、代わりにあの怖い巫女が門扉の向こうに現れた。
彼女の鋭い目線は、俺を見ている。さっきの女の子たちのように俺を無視していない。
ほっとするような、嬉しいような、怖いような……。
引き攣りながらも、笑顔で巫女さんに挨拶しようとした瞬間――。
「やはりあなたでしたか」
「……え? な、なにが?」
睨まれた蛇……。俺は女子高生巫女を前にして、一歩たりとも……指先一つ動かせない。
巫女の一言で、俺は心臓が握り潰されたかのようになった。
声をかけられて嬉しい反面、なにか怖い。
ボッチ故の対人恐怖ではない。もっと、根源的な怖さだ……。手が震える――。
「そう、緊張なさらないでください。もう私に敵意はありませんよ」
――もう? ってことは、敵意あったの?
それを問いただす気力がでない。
そんな俺に、巫女さんが近づいてきた。俺は一歩退く。
「こちらを見ていただけますか?」
目の前で立ち止まった巫女さんは、学生カバンから取り出した紙を手渡してきた。
それは地元新聞の写しだった。
図書館などで、昔の新聞をコピー印刷するサービスがあるが、たぶんあれだろう。
日付は一五年前。俺が生まれたころか。
「え、これがなにか?」
「事故欄のところを、読んでください」
促されるまま、俺は紙面に目を落とす。
新聞をコピーした特有の読みにくさ。だが、その中で一瞬にして目を引く名前。
紙面には、見慣れた名前が二つあった。
「俺の名前――と、木田?」
名前を視認してから、内容を読む。
そ、こ、に、は――。
「な、夏休み中――俺と木田が――? トラックと?」
記憶にある。
二人で、海へいこうと自転車に乗って国道脇を走っていたとき、接触事故を起こしたトラックが俺たちの方に飛び込んできた。
だが、無事だったはずだ。
運よく、俺たちは避けることができた。自転車は壊れたがそれだけだったはずだ。
だいだい俺はこうして、ここにいるし――え? 一五年前の新聞?
あ、ああなんだ。
俺は安心――できていないが、一つの可能性を口にした。
「な、なぁんだ。これって、ど、同姓同名の人の事故?」
「あなたです」
巫女さんが冷たくいった。
「あなたは、一五年前にトラック事故に巻き込まれて亡くなっています」
俺は振り返る。
見慣れた自宅が古ぼけてみえた。
玄関扉のニスは剥がれ落ち、まだらに素地が見えている。ひさしの裏のベニヤはめくれ、ベランダの柵はさび付いている。庭には雑草が茂り、適当にまかれた除草剤で枯れたまま放置されている。
玄関も開けずに、俺は自宅の中に飛び込んだ。
ガランとした空間。ダイニングにもリビングにも何もない。
二階に上がると、開け放たれたままの自室があった。
中にはやはり何もない。
ゲームもテレビも本棚もない。
今にして思えば――。
クラスメイトに顔見知りがいない。本当のクラスメイトは十年以上前に、あの高校を卒業しているから……か。
記憶に残る夏休み明けの花瓶。あれはイジメなんかじゃない。当時のクラスメイトが、本当に悔やんでくれていたんだ。
木田が俺の持ってるゲームを進めない。きっと俺がやったことないゲームシーンは、イメージすることができなかったからだ。
女の子たちが俺を無視する。幽霊なんて見えないんだ……。
そうか……、俺はとうの昔に死んで幽霊だったのか。
ん? てことは。
そうか……、幽霊だったなら女子更衣室に気が付かれずに――
「なにやら邪なことを考えてますか?」
――侵入しようと考える不埒な輩がいるだろうが、俺はそんな事はしない。巫女さん怖い。
巫女さんの視線を避けていた俺は、 ふとリビングで映画を見ていた友人のことを思い出す。
二階の廊下の窓から、木田の家を見るとそこには何もなかった。更地になっている。
「なあ、木田のヤツは? あいつも彷徨ってるんじゃ?」
「彼は残留思念のようなもので、幽霊ではありません。彼の残留思念に反応して、あなた自身が投影する鏡像のようなものです。彼はすでに黄泉路を終えてます」
良かった。
一緒に死んだあいつは、俺のようにはなっていないらしい。
「そうか。じゃあ、あいつは成仏してるのか」
俺の身体消えて行く。力が抜けて、視界が薄く白くなっていく。消える――いや、成仏するのか。巫女さんに言わせれば、黄泉路へ行くのか。
消えかかる俺の質問に、巫女さんが笑顔で答える。
「ええ、彼なら異世界にチート転生。今では勇者としてハーレムを作っているそうですよ」
「木田ぁぁぁっ! 俺は成仏を止めるぞぉっ! うぃりぃぃぃいっ!」
ちくしょうっ!! 吐きそうだっ!!
俺ン家の両隣が【主人公】かよッ!!
これも中編くらいで考えていたネタです。
前回の短編と違って、プロットをあまり削らないようにしてみました。