彼へ、彼のもとへ。
敏い女でごめんなさい。
そう謝らずにはいられない。
付き合い始めてもう六年が終わるところだった。
いい加減プロポーズが欲しくて、でもそんなこと言えなくて。
「今日も楽しかった」
「そっか、それは良かった」
同じような会話をしていつものように別れた。
デートはもう何回目か数えられなくなっていた。
(そういえば、もうすぐか…)
カレンダーを捲って日付を軽くなぞる。
「今年の誕生日プレゼントは何にしようかな…」
去年はブレスレットをあげた。
プレゼントを大好きな彼へ差し出す。
「ハッピーバースデー!」
息が白い。
本当に彼は冬の似合う人だ。
「どうかな?」
そう言ってプレゼントのコートを着てみせる。
わざわざ寒いのに上着を脱いで着てくれる。
「うん、似合ってるよ」
どちらかともなく照れる。
(道端の街のど真ん中で…)
「じゃ、じゃあ行こうか…!!」
裏返った声は毎度のこと。
慌てることが丸わかりなのはちょっと可愛い。
「はい!」
握った手はとても暖かかった。
「今日はここで。今から用事なんだ。」
珍しくデートを早く切り上げようとする。
「あ、そうなんだ。うん、またね…」
手が離れた後、足早に去っていく彼が不思議だった。
思い返せばデート中もそわそわしていた気がする。
(また何かするつもりなのかな…?)
隠し事をすると分かりやすく、いろんな癖が出る。
本人に教える気はないが。
その日、彼なりのさり気なさを装ったメールがきた。
『そういえばマジックリング買ったんだけど、久しぶりに填めようとしたら入らなくってさ。菜々って指の大きさっていくつ?』
見た瞬間笑ってしまった。
最近の変な動きは全てアレの為だったのかと理解する。
敏い女でごめんなさい。
とても待っていたの。
(もうすぐ記念日だもんね、頑張ってよ)
意地悪せずにメールを返した。
心が温かくなる。
彼だから、頑張ってくれる可愛い彼氏だから。
きっと後三日。
私は受け取るのを楽しみにしていた。
気づくのが早いのはサプライズにも驚けない、でも、これは性分なのだ。
嬉しければ変わらなく意味がある。
もう後二日。
デート中に慌てている彼を見るのは楽しい。
知られていないと思っているのだから、知らないフリをする。
確信をした私はしっかり道化を演じよう。
大好きな彼の為。
後一日。
見てしまった。
今日はつい見えてしまった。
待ち合わせ場所で眺めている彼を。
持ち歩いているらしい。
少しの間、近づけなかった。
真剣な目をして見つめている姿はスイッチの入っている彼だった。
(かっこよかったな…)
恥ずかしい。
明日なのだ、大丈夫だろうか。
今でさえ顔が熱い。
分かっていても緊張する。
なんて言ってくれるのか、楽しみで寝れそうにない。
幼い子供の頃の遠足みたい。
「時間まだあるし、ちょっと歩こうか」
スイッチが入っている。
朝から、最初から、ずっと。
(孝くんめ…)
真っ直ぐ目を見れない。
恥ずかしい、照れる、恥ずかしい。
思いがぐるぐると回って頭が沸騰してきた。
(普段、ドキドキしていないわけじゃないけど…)
余裕がなくなる。
大好きだから、愛してるから。
「菜々、あのさ、」
言葉の続きを聞けたらどれだけ良かっただろう。
仕事の電話が鳴った。
「あ…ごめん、孝くん…」
大事な話は違う意味の大事な話に切られてしまった。
「いいよ、出て?」
タイミングを見ていたのだろうに。
優しい彼は電話に出るのを促してくれた。
「はい、もしもし…」
今日は休日ですので失礼します、とか言ってやりたかった。
ジェスチャーで、いつもの公園でと伝えると、先に行ってると返ってくるのを見終わってから何十分も電話をすることになってしまった。
(クライアントの話より大事だったのに…)
たまにあることとはいえ、だいぶ遅れてしまった。
公園へ走る。
高さを上げてある靴は少し走りづらい。
真っ直ぐ彼の待つ場所へ、息が切れても前へ。
『ごめん、もうすぐで着くから待ってて』
メールは送っておいた。
信号待ちで呼吸を整える。
「危ない!!」
ふと後ろからの誰かの声で振り向く前に衝撃があった。
全神経が痛みを脳に伝えてくる。
何が起きたのか分からない。
でも、気づけばアスファルトの上に寝転がっていて。
普通のアスファルトではなくて。
何故だか赤く染まっていて。
それが広がっていくのをボーっと見ていて。
(あぁ、終わりなんだ…)
分かってしまった。
彼の隣で終わらせるつもりだったのに、それが無理であることを。
(寒い、冬だからかな、孝くん)
敏い女でごめんなさい。
あなたの隣で歩むことはどうやら叶わないみたいです。
虚ろになっていく感覚と伝った涙の感覚を最後にして記憶が途切れた。
信号が青になる。
さっき一瞬、何かにぶつかられた気がした。
疲れすぎで風にでもよろめいたのかもしれない。
フワリと体が嘘みたいに軽い。
元運動部のスイッチが入った感覚と少し違う。
(なんなんだろう…?)
後ろを振り返らずに走り出した。
なんとか約束の公園へ辿り着いた。
でも、なぜだか夜になってしまっていて焦った。
(孝くん…?)
彼が居ない。
どこにも居ない。
そんなに広い公園ではない。
見えるはずだ。
(あれ、この公園じゃ…)
そこで気づく、違ウ、ココジャナイ───。
待っていてくれている彼を追いかけて走り出した。