両軍の思惑
不味い、
非常に不味い、
太平洋でのわが祖国の生命線が侵され始めている、
1943年5月、太平洋での再軍備を整えたアメリカは怒涛の巻き返しに打って出たのだ、
ウェーク、マーシャル、カロリン、いまやトラックは敵中に孤立、
ラバウルへの道のりは長くなった、
おまけに遮断されたらばうるも次第に補給が効かなくなった為に1943年中には撤退、
南方から徐々に押し上げてくる連合軍に対し日本は絶対防国圏をたたき出した、
マリアナ、フィリピンなどは、激戦地になることは、避けられないのだ、
1943年8月、ビルマ陥落、
1943年10月、シンガポール攻防戦、
1944年1月、重慶撤退戦
これを見てのとおり、
西側からも連合軍が猛攻撃を仕掛けてきているのだ、
おまけに、訓練された中国兵も大量に投入され質、量ともに劣る事態となった、
特に重慶撤退戦は味方の陣地に撤退する間に大損害を出す結果となった、
そして、1944年3月、硫黄島の戦いが始まる、
マリアナの遮断作戦が開始されたのだ、
これに伴い、
トラックから非難してきた機動部隊に出撃命令が下った、
しかし、
パラオ、ヤップなども既に連合軍が占拠、
フィリピン周辺はアメリカの潜水艦や戦艦がうろつく海域となってしまったのだ、
現在基地航空隊が何とか奮戦しているが、それでも被害は増える一方である、
そう、
この作戦はマリアナの防衛戦でもあり、
突破作戦でもあるのだ、
1944年4月、ブルネイより連合艦隊全ての戦力がその腹に重油を満たして出撃、
ちなみにこの出撃には陸軍の艦隊も加わっているのも忘れないでほしい、
輸送船護衛にてその低速が買われたのか、
輸送船の護衛任務は陸軍の艦隊が交替しながら引き受けていた、
その際に海軍がこれまでのお礼だと言い、
ロ号ボイラーと艦本式タービンを分けてくれたのだ、
むしろ出撃が遅れたのはこの陸軍の改装工事にあわせたのだとも言われている、
とにもかくにも、日本がもてる全ての海上戦力が、この戦いには投入されたのだ、
そして、
今世紀最後の、戦艦同士の殴り合いが展開されるのでもあったことを、この時誰も知る由はなかった、
フィリピンのど真ん中を強行突破する今回の作戦は、
少なからずの被害が覚悟されていた、
しかし、突破してみると突破してみたで何も起きなかったから全員が狐にまかれた感じであった、
しかし、
それもフィリピンを抜け出して直ぐまでであった、
偵察機が南東より突撃して来るアメリカの大艦隊を捕捉、
これを邀撃すべく機動部隊についていける高速戦艦を機動部隊に残し、
残りの戦艦全てが投入された、
もちろん、
陸軍戦艦もである、
河内型などの近代設計艦は一応機動部隊についていけるので残してきた、
旧式の富士型、敷島型など、それこそ大和型などと比べたら大型な巡洋艦に見えてしまうが、
それでも彼らは行く、
祖国の未来を願って、
たとえその体が引き裂かれようが、焼かれようが、
七生報国、忠君愛国、滅私奉公
曙光が一寸でも残っていれば戦い続け、
世界が闇に包まれようものなら彼らは迷わず世界を照らす旭光になるだろう、
艦隊決戦の、
始まりだ、
酸素魚雷によって勝負は何とか対等なまでに持ち込めた、
しかし、そこからはアメリカのレーダー射撃による猛攻にさらされた、
その状況を打開したのは陸軍だった、
レーダー射撃をものともせずにあいて戦艦への突撃を敢行、
後に言われた最後の衝角突撃であると同時に、最後の白兵戦でもあるのだった、
事前に自衛用に持ち込まれた半自動小銃(中国戦線で鹵獲したZH-29に九九式普通実包が使えるように現地改造した)
九九式軽機関銃、散弾銃まで、
重機関銃や対空機銃、機関砲はその銃身が真っ赤に焼けるまで火力支援を怠らなかった
なぜこんなにも簡単に接舷できたのか、
それは、富士によるアウトレイジ狙撃である、
その小口径な砲弾はたとえ装甲を貫通しなくても、
甲板上のものを排除するのには申し分なかったのだ、
こうしてやすやすと接舷できたわけである、
艦内の狭い通路ではたとえ少なくてもいいのだが、
大量の弾をばら撒いたほうが圧倒的に有利である、
特に軽機関銃、散弾銃を先頭に半自動小銃が後方からその不足分を補うのだ、
こうなってしまったらもう戦闘どころではない、
艦内の敵を排除するのにピストルだけでは無理なのだ、
そうこうして混乱している間に海軍はさっさと照準を定めて片っ端から撃沈していくのみである、
そしてマリアナ方面の機動部隊同士の航空戦でもかろうじて勝利を収めた、
これによって、
アメリカ海軍は少なからずの損害を受け、
長い時間をかけての再軍備が必要となった、
この間に日本は物資面での充実性のために物資輸送を積極的にし、
これのおかげでアメリカに対する徹底防戦を充実させた、
1946年、ハワイのオワフ島にて講和が成立、
結局、アメリカは日本の徹底防戦に屈服してしまったのだ、
後に、
世界で最も激しく、世界で最も平等に終わった戦争と記憶されるようになったのだった、
短編『○○の思惑』シリーズ、完。