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愛牛

作者: 間山三郎

 牛を飼う人々、特に酪農家の人は生活を支えてくれる牛たちを、「愛牛」と表現する。今日、酪農人生40年の幕を閉じいる人がいる。


 「こんちわ。ゲンさんいる。牛取りに来たよ」

農協の職員が二人が、2トン車から降りてきていた。

「どうもお世話になります。いい天気でよかった」

カミさんとゲンさんは、玄関の引き戸を開けて出てきた。

 ゲンさんには三人の娘がいたけれど、長女は市内に嫁ぎ、次女は東京へ出て行った。三女は北海道の大学を卒業して、そのまま北海道に住んでいる。

 ゲンさんが48歳のときだった。牛の共進会で、群馬県代表として全国大会に出たことがある。その頃は、酪農情勢も良く、3人娘のうち一人は、婿さんをもらって酪農をついでくれると思っていた。搾乳牛30頭の牛舎は、大きいほうで借金もあったけれど、そのときに新築した。

 「スターよ、お前だけだ。勘弁しろよな。おれも65歳だし、カミさんの腰も曲がった。娘らも、みんな出て行った」

 ゲンさんは、牛舎内に1頭だけつながれていた牛に向って、小さな声でつぶやいた。スターは人間の年齢にしたら、ゲンさんより年上だった。この1年、乳はださなかったけれど、ゲンさんはスターの母牛と一緒に全国乳牛共進会行ったのである。今では、スターは肉も削げ落ちて足も弱ってきている。他の牛たちは、昨日までにかたずいいた。元気のいい若牛は、近くの酪農家に引き取られ、乳の出が悪く、肉のついた牛はとさつ場へ向った。ゲンさんは、スターを最後まで残しておきたいと思っていたのだが。ゲンさんは、スターの頭にロープを回し、あごの下でしっかりと結ぶと、首のところについていたナスカンをはずした。

 「オシ、行くか」 カミさんに声をかけたようであり、スターに呼びかけたようでもあった。トラックのところまで来ると、

「オーイカミさん、酒もってこいや」

カミさんは、母屋に戻り一升瓶をもってきて、少し曲がった腰を伸ばし、ゲンさんにわたした。

「ありがとうよ。お前のおかげで、いい夢見せてもらった。オレの力が足りなくて、牛飼いやめることになった。時世だ。あの世で、今度はオレが牛で、おめえが人間だったりしてな」ゲンさんは、こころの中でつぶやき、スターの口の中へ、1升ビンの口をもっていった。

「飲んでくれや。カミさんコップ」

ゲンさんは、ガラスのコップに、酒を注ぎ、一口飲んでは、農協の職員に手渡した。二人は、コップにかるく口をつけると、カミさんに返した。カミさんもコップ酒を一口飲むと、玄関の方へ戻っていった。

 トラックに乗るスターは、一人に引張られ、二人にしりを押されて、一段ずつ上っていった。さすがに寂しそうだった。

「それじゃ、預かっていきます。あんまり期待しないでくださいよ。これだけばあさん牛ですから」

「分かっているよ。心配いらねえから」

二人はトラックへ乗り込み、庭から出て行った。ゲンさんと、カミさんが、スターを見送った後、牛舎へ行くと、先ほどまで見えなかった犬のベルが、走ってきた。

「ベル。どうしたア。スターが行っちまって寂しいかい。ベルはスターの乳飲んで、でっかくなったんだものな」


 ゲンさんは、牛舎の日当たりの良いところで、腰を下ろし、ベルの頭をなでている。

「おーいカミさんよ。さっきの酒もってこいや。コップも2こな」

「ハイヨ」

カミさんとゲンさんは、牛のいない牛舎の通路に座り、冷酒を口にしている。二人のそばに、老犬が鳴いているような眼をして、座していた。

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