30 目覚めた〝彼〟は―― 2
もしもカインディスの言っていたことが本当なら、『後に生み落とされた代弁者』が指すのはわたしではなく、マヒトになる。
人じゃなかった。
魔人でもなかった。
同じように生きて、同じように血を流しているのに、どこが違うというのだろう。
温もりさえ、偽りだというのか?
タオルを渡す際に触れた手は、そうじゃないと言っていた。
「マヒト、ちゃんと拭いたか?」
「…………うん。オレは大丈夫だ。大丈夫だよ。アルこそしっかり拭かないと。身体、輝きがなくて驚いた」
「流石に、分かるんだな……」
食堂でもらったホットミルクを飲みながら、どこか他人事のように呟く。
わたしの恩恵がないことよりも、自分のことの方がよほど驚いただろうに。取り乱した彼は、形を潜めたかのようだ。
「……アルディ。聞いてくれるか?」
頷いて返す。
「オレは海に捨てられてなかった。海の中で、〝オレ〟という意識が目覚めたんだ。
その時のオレは空っぽな存在で、何も分からなかった。それが怖くて、海が怖いことに繋がったんだ。
海は……母の胎内。大気が母の抱擁なら、この世界は〝母〟そのもの。
だから、海で『生まれた』オレは…………人でも、魔人でもなくて……」
世界――
魔法は世界自身が与えた力であり、冒涜でも何でもなかった。むしろ冒涜しているのは、世界に生きるわたしたち人だ。
魔人と罵り、虐げて。知らず、世界を傷つけて。
マヒトが哀しげな表情しかできない理由が、ようやく理解と納得するに至った。
そして、行き場のない悪意の集結を自分と言ったカインディスを怖いと言ったのは、世界が恐怖しているということだ。
「変、だよな……〝オレ〟という自分が『何』なのか分かったのに、こんなに哀しいだなんて……」
「そんなの、当たり前。嬉しいことの方が少ないよ」
「…………うん」
という薄い反応は、どうやら空振りだったらしい。フォローにすらならなかったか。
ホットミルクが冷めていく。
「――多分、だが……これから先、オレはもっと思い出すと思う。今の〝オレ〟の前……オレとして覚醒する前に存在した〝オレ〟を」
それがきっと、金色イコール魔人を成り立たせた、この世界の『魔人』の始まりだと思った。
マヒトは世界のはずなのに、どうして悪意を一身に感じなければならないのだろう?
何だか、人が心を守るために別人格を生み出すのと似ている気がする。
代弁者という名の、身代わり――
「でも……マヒトは、マヒトだ。ボクが名付けた、この世界でただ一人の存在だよ。
たとえその前……『前世』の記憶が戻ったとしても、マヒトが変わらなければマヒトなんだ――って、文脈変だし意味不明だな」
思ったことを口にしてみると、マヒトは驚いた表情を向けた。
今まで何も言えなかった自分が嘘のようで、フォローしようと考えるのが悪いのだと納得する。
やっと、言えた。
「…………………………やっぱり、キミが世界だったら良かった」
「それは嫌だね」
「え……あ、そう……か」
「いや、アンタが想像したのとは違うよ。ボクが世界なら、マヒトを辛い目に遭わせるために存在させることになるだろう? それが嫌だってこと」
言った瞬間、何故だろう?
何故かマヒトの顔が少し、朱に染まった。そう、ほんのりと――
よく分からないが、嬉しかったから出た反応なんだと思う。妙に照れくさいと感じるのは気のせいだ。
気まずい沈黙を、わたしは打ち破る。
「…………ヴァーレンティアーズ家が崩壊した。じぃサマがケガをして意識が戻らない。そして、ヤツに対抗する術がない」
だから、
「――力を貸して欲しい」
「うん。絶対に助けるぞ」
間髪入れず、迷いのない答え。
十分に嬉しかった。
「……けど、それってキミに補助魔法を使えって言われている気がするが」
「いや、そこまでは言ってないけど。そう捉えてくれたなら、是非お願いする」
言うと、迷いのない目は一転。マヒトは複雑な表情を向けた。
使いたくないと思っているのはバレバレだ。
「………………オレ自身が魔法を使うことは構わないし、使うのも構わない。けどこれは結果として、キミも魔法を使うことになる。
一時的な効力じゃダメなのは分かる。だから……あの陣を、キミに刻むことになる」
刻むということは、身体を傷つけるという意味だろう。
そんなことは平気だけど、
「カインディスは多分……世界を壊そうとしている。世界に対して悪意しか持っていない。だから――」
だから、で言葉が詰まる。
力を欲する動機は、これで良かったのだろうか?
けど、これ以外の理由はない。いや、これしか浮かばなかった。
「強くなりたい。ボクは……わたしは〝世界〟を守れるだけ、強くなりたい」