29 目覚めた〝彼〟は―― 1
連れを待たせていると言って、一度ヴァーレンティアーズ家を後にする。
対抗する術がない、ワケじゃない。
恩恵は魔法だと言っていた。
なら……知っているマヒトが使える可能性がある。
頼るようで、哀しませるようで心苦しいけど、それ以外の方法を見つけるには、圧倒的に時間が足りなかった。
全てが終わったら、魔法は解いてもらおう――そう心に決め。
眠るマヒトの部屋に戻ると、タイミング良く反応があった。
「――気が付いた?」
目を開けたマヒトを覗き込むと、その色はいつもの彼だった。
相変わらずの空色で、相変わらずの哀しげに揺れて。
「……………………アル、ディ?」
「そ。どこか痛むトコ……よりも心か。水、あるけど怖くて飲めないとかない?」
「……大丈夫だ。海は、怖くなかった。うん……海は、大丈夫だ」
説得力のない笑みに、わたしは水を差し出すことで何も言わないことにした。
普通にゴクゴクと飲んでいる姿は、嘘を言っていないと分かったが……。
二敗目の水を飲んで、彼はコップを握りしめたまま俯いた。温かったのだろうか。
「………………この水も海も、降り注ぐ雨も……命に通じている。全ては、母なる…………恵み……――」
確かに、雨は『恵みの雨』と呼ぶこともある。時に、生き物全てに潤いを与える。
考えていると、
「マヒト?」
「……ごめん、ちょっと混乱しているらしい。少し外の空気でも吸ってくるから」
ベッドから降り、フラフラとした足取りで歩き出す。
手を貸そうかとも思ったが、多分それは望まれない行為。
「あっ、左に行くと屋上の階段あるから!」
――だからって、こう言うのはどうだろうか。
左方向に向けた姿。閉じられる扉。
別に『一人にしてくれ』とも言われていないし、『放って置いて』とも言われていない。
そうしないのは、わたしの勝手な想像と思い込み。
「…………あー、もう!」
ガシガシと乱暴に頭を掻き、彼の後を追った。
明らかに様子がおかしい……というか、海が怖くなかった自分を受け入れられないような。
己の変化を受け入れられないのは、世界共通だろう。誰に出もある。わたしにもあった。
どう乗り越えるかが問題だ。
一人じゃ、辛いこともある。他人が介入しても、逆効果になる。
うん。
放って置けないのが本音だ。
屋上に出ると、空はいつの間にか雨を持った雲に変わっていた。
まるで、今のマヒトの心を表すかのように。
「……えーっと…………マヒト?」
蹲る背に声をかけても無反応。
こんな時、〝女の子〟ならどうしただろう?
乙女心のなんたるかを知らないわたしでは、想像した行動では多分間違いだらけだ。
仕方なく隣に座り込み、寄り添ってみる。
何かが違う気がするのは、気のせいではない。
「………………キミが世界だったら、本当に良かった」
何度か聞いた言葉。
救いになるような言葉は、相変わらず浮かばない。つまり、わたしには救えないということ。
「大気は、抱擁。海は、胎内。なら、この世界は………――」
「マヒト?」
上げた顔は、泣き出したい苦痛に歪んで。
「……思い、出したんだ」
震える身体を、震える手で掻き抱いて。
「…………アル…………オレ、人じゃなかった……魔法が使える、人じゃ……なかった。
人でもなくて……魔人でもない…………なら『生きている』オレは誰で、何なんだ?!」
心の底からの叫び。
わたしは何も返せず。
ただ泣けないマヒトの顔を、隠すように抱くしかできなかった。
ポツリ、ポツリと雨が落ちる。
彼の流せない涙の代わりとしか、思えなかった。
全部、流れてしまえばいいんだ……――