27 海。
『漁師』としての船に乗り込み、ガルンを後にする。
島に着く頃は町が活気出す時間帯。その頃になれば、誰かが町長の変貌に気づくだろう。
穏やかな海は、これからの波乱の前触れのような気がした。
ゆらり揺られる船。
忙しそうに仕掛けを放つ傍らで、マヒトは小さな壷を抱えていた。ラクアさんの灰、だ。
「…………海は、どこに還るのだろう」
彼方を見つめながら、壷を抱える手に力が入る。怖いと思っているのだろう。
「海は世界と――世界のどこにでも繋がっている。でも……どこへ還るか分からない。捨てられたままだったら…………オレは、どこへ還ったのだろうか?」
わたしには答えられない問いだった。
人には故郷や待っている人など、どこかに帰る場所というものがある。わたしにも故郷という帰る場所がある。
マヒトにはもう、帰る場所がない。ラクアさんという、帰れる場所も失った。
だからと言って、捨てられていた海が帰る場所にはならない。そこにレクアさんやラクアさんが埋葬されていても。
「……何でもない、忘れてくれ。ただ、巡り巡っている海は終わりがないな、って思っただけだ」
「ああ、『わ』の方の還る、か。難しい疑問だな」
意味の違いを理解し、考え直す。
「喩えるなら……人の身体を流れる血、かも。海もきっと、同じじゃないかな?
ほら、人間出血したら死ぬし。身体の中を巡っているからこそ生きられるワケだしさ。海は巡っている世界そのものが帰る場所で、わの還る方も世界だと思う」
「……でも、オレは魔人で異物だろうから」
「ただ魔法が使えるだけの人、だ。同じ世界に生きていて、還れないはずがない。土に埋葬して還るように、海からだって還れるんだ。死ぬのも一緒、還るのも一緒!」
分かったか――と、指を突きつけ反論を許さない。
もしも『本当に』異物なら、世界は病気だということになる。人で言う風邪だとしても、世界に異常があるという話は聞いたことがない。
逆に考えれば、マヒトの異物としての存在は『大したことない』と言えた。
「……………………キミが世界だったら、本当に良かった」
残念ながら、同じ人である。
心の傷は、どうすれば癒せるのか?
山が好きな人は山に、海が好きな人は海に癒されると言っていた。わたしにとっての癒しは何だろう……震える手で撒かれた灰を、ぼんやりと見つめながら考える。
山のどの辺が癒しなのか。海は時として、島を壊す恐怖だから癒しには思えない。
しかし、それは稀なこと。
潮の匂い。波の音。
空の色を反射した果てのない領域は、きっと飽きないだろうことからは『癒し』だとは思うが。
うっすらと、港町が見え始める。
ふ、と――
異変に気づいた時には遅かった。
灰を埋葬してからずっと、マヒトは動かなかった。
それは悲しみに浸っている、という思い込みが原因だった。
海が怖いと思う――思うじゃなく、本当に怖いと感じていることに自覚ができなかっただけだ。
硬直していたマヒトは船が揺れた瞬間、海に投げ出されてしまっていた。
派手な音を立て、上がる水飛沫。
「マヒト!!」
一呼吸遅れ、わたしは剣を投げ出し飛び込んだ。
陽の光が差し込む海中は、幸いなことにサメの居ない領域だから、ガルンやタキオンに漁船が多いのだと納得。
――している場合じゃない!
もがくことなく、ゆっくりと落ちていくマヒトを抱える。気を失っているためか、その身体は重く。思うように海上へ上れない。
いや、この感覚は違う。
引っ張られている?
渦潮などはない。吸い込まれるような流れも起きていない……などと、考えるのは上がってからだ。
コポコポと、マヒト口から息が零れる。動く口は――喋っているようにも思える。
開かれていた虚ろな瞳は、光に揺れる波間を映して。
『母さん』
確かにそう紡がれていた。
多分、空色の瞳を濡らして…………――