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ウィザード・プロンプト ~落ちこぼれ少年は、漢字で魔法の常識を覆す~  作者: 早野 茂
第一部《定義の芽生え・マイナスからの出発編》

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第1話「未定義の世界」

「違う、アキル!もっとこう、胸の奥から熱いものをグワッと引き出して、指先にフワッと乗せる感じだ!」

「……グワッと、フワッと、ですか」


村の広場で十歳のアキルは何度目かわからないため息をそっと飲み込んだ。

目の前では村の大人である狩人の男が、手のひらから見事な松明ほどの炎を立ち昇らせてみせている。

この世界において、魔力操作は生きていくための必須技能だ。

火を起こし、水を呼び、土を耕す。

すべてに魔力が絡んでいる。

しかしアキルにはその「センス」が絶望的に欠如していた。


「胸の奥の熱いもの、というのは、心臓の鼓動とは違うんですか?グワッと、というのは、具体的にどれくらいの魔力量を、何秒かけて移動させる感覚ですか?」

「はあ?お前はまたそんな理屈っぽいことばかり言って!グワッと言ったらグワッだろうが!」


結果として、アキルが額に汗を浮かべて手のひらに集められたのは、かろうじて蝋燭の火程度の情けない種火だけだった。

それも、風が吹けば今にも消えそうだ。

周囲に集まっていた同年代の子供たちから、クスクスと冷笑が漏れる。

「また落ちこぼれが失敗してる」

「あいつ、頭ばっかりでかくて、魔法は全然ダメなんだぜ」

アキルは俯き、ぎゅっと拳を握りしめた。

情けない種火は、あっさりと空気に溶けて消えてしまった。


家に帰ると、すでに夕食の準備が進んでいた。

「おかえりなさい、アキル。今日も訓練、お疲れ様」

母のリーナがかまどの火の加減を見ながら温かいスープを木の器によそってくれる。

鍋からは野菜と肉の煮える香ばしい匂いが漂っていた。

父のゴルドは黙々と使い古した農具の刃を泥から拭い、丁寧に研いでいたが、アキルが帰ってきたのを見るとその手を止めて短く頷いてみせた。


「お兄ちゃん、炎出せなかったの?」

八歳になる妹のミナが木のスプーンを握りしめながら悪気のない無邪気な声で尋ねてくる。

その後ろから六歳の弟トールがひょっこり顔を出し、「火って、どうして熱いの?」と不思議そうに首を傾げた。

「……ごめんね、二人とも。お兄ちゃん、やっぱり魔法は苦手みたいだ」

アキルは力なく笑って二人の頭を撫でた。

家族は自分を愛してくれている。

出来の悪い自分を責めたりはしない。

だからこそ、何の力も持たずやがて来る厳しい冬に向けて家族の役にも立てない自分がひどくちっぽけに思えた。


それと同時にアキルはずっと一つの「違和感」を抱えていた。

村人たちの使う魔法は、あまりにも不安定なのだ。

昨日まで見事な火を起こしていた大人が、今日は体調が悪いからと小さな火しか出せない。

感情が昂ぶれば炎は無駄に大きくなり、気が散ればあっさりと消える。

「なぜ、同じことをしようとしているのに、使い手によって、あるいは日によって結果が違うんだ?」

誰の魔法も使い手の心や感覚に依存しすぎている。

まるで土台のない家の上に立っているような危うさ。

それが当たり前とされているこの世界にアキルはどうしても馴染めずにいた。


悲劇はある穏やかな昼下がりに起きた。

村の共同備蓄庫の前で、数人の大人たちが冬越しのための干し肉を作る乾燥作業を行っていた。

そこで火の魔法を使っていた一人の男が、突然、激しく咳き込んだ。

数日前から高熱を出していた男だ。

「おい、大丈夫か?」

仲間が声をかけたその瞬間、男の指先から放たれていた炎が、まるで意思を持った獣のように異常に膨れ上がった。

「うわあっ!?」


制御を失った魔力が暴走し、炎は瞬く間に大蛇のような姿となって備蓄庫の木壁に燃え移った。

パニックに陥る大人たち。悲鳴を上げて逃げ惑う村人たち。

「ミナ!トール!」

アキルの視界の端で、近くで遊んでいた妹と弟が突然の爆炎に腰を抜かし、座り込んでいるのが見えた。

熱風が吹き荒れ、炎の舌先が二人の小さな体に迫っている。


「やめろ……!」

アキルは無我夢中で駆け出した。

炎の熱が肌を灼く。

だが彼には二人を守るための盾を生み出す魔力も、炎を打ち消す水を生み出す魔法のセンスもない。

圧倒的な無力感。

大切なものを奪われるという根源的な恐怖が、アキルの心を激しく締め付けた。

何もできない。

自分はただ見ていることしかできないのか。


その時だった。

恐怖と絶望が極限に達した瞬間、アキルの脳内に、唐突に激しい「ノイズ」が走った。


ザザッ……ピピッ……!


視界が明滅する。

目の前で暴れ狂う炎の赤が一瞬だけ無機質な青白い光にすり替わった。

無数の文字列。

モニターの明かり。

サーバーの排熱音が響く。

深夜のオフィスで一人、コーヒーの空き缶に囲まれながら、果てしなく続くバグと格闘し続ける孤独な日々。

仕様書のない滅茶苦茶なコードを読み解き、システムを維持し続け、そして過労の末に倒れ伏した、あの冷たい床の感触。


「……天城あまぎ、アキラ」

ポツリと、アキルの口から彼自身も知らないはずの名前がこぼれ落ちた。

前世の記憶。

現代日本でシステムエンジニアとして命をすり減らした孤独な男の記憶が、アキルの小さな脳の髄にまで奔流となって流れ込んできたのだ。


記憶が統合された瞬間、アキルの目の前に広がる世界はまったく別のものに変わった。

恐ろしい怪物のように見えていた暴走する炎。

だが今の彼、いや「天城アキラ」の視点を通せば、それはひどく歪で異様なものに見えた。

炎の輪郭が明滅し、不規則な魔力の塊がただ無秩序に周囲の空間を喰い散らかしているように映る。

「……違う。これは魔法じゃない」

アキルは無意識のうちに呟いていた。

「ただの、未定義によるエラーだ」

使い手の感覚に依存しすぎているから、体調や感情の揺らぎで簡単に暴走を起こす。

この世界の魔法は根本的に「定義」がされていない。

危うすぎる欠陥システムなのだ。


「アキル!下がれ!」

間一髪のところで父のゴルドが飛び込んできて、ミナとトールを抱え、アキルの首根っこを掴んで後方へ転がった。

直後大人たちが総出で土をかけ、水をかけ、ようやく炎は鎮圧された。

備蓄庫の一部は焼け焦げてしまったが、幸いにも死者は出なかった。

村人たちがへたり込み安堵の息を漏らす中、アキルだけは一人、異様な感覚の残る視界で焦げた地面をじっと見つめていた。


その夜。

家族が寝静まった後、アキルはこっそりと家を抜け出し裏の空き地に向かった。

昼間の記憶が彼の心の中で確かな熱を持って脈打っていた。

世界の見え方が変わった異様さと共に、一つの仮説が頭を離れなかった。

魔法が、ただ魔力を垂れ流すだけの「感覚の産物」であるならば。

「意味を持つコードを与え、現象の枠組みを作ってやれば……どうなる?」


アキルは地面にしゃがみ込み、木の枝を握った。

思い浮かべるのは、この世界の文字ではない。

前世の記憶にある漢字だ。

仕様書のないバグだらけのシステムに苛立つ日々の中で、天城アキラは意味と形が噛み合ったあの文字体系に異様なほどの執着を持っていた。

趣味で漢検一級まで取った知識が指先の感覚と一緒に蘇る。

象形から積み重なり、形そのものに意味が貼りついている文字。

彼は冷たい土の上に真っ直ぐに線を引いた。

中央に人を描き、その両側に火花が散る様。


『火』


その文字を書き終えた瞬間、アキルは自分の内側にある微弱な魔力を、その「形」に沿ってそっと流し込んでみた。

「グワッと」でも「フワッと」でもない。ただ、文字の輪郭をなぞるように、冷静に。

するとどうだろう。

今までどれだけ念じても空中に霧散していた魔力が、地面に描かれた『火』という形に吸い込まれるような奇妙な感覚があった。

そして文字の線の部分から、じんわりとした確かな「熱」が立ち昇ってきたのだ。

炎が灯ったわけではない。

ただ土の表面が、かじかむ手を温められる程度に熱を帯びただけだ。


だがアキルは息を呑んだ。

感覚のブレを排除し、魔力に「意味を持つ形」を与えることで、現象の兆しを引き出したのだ。

「……何かが、起こる」

夜の闇の中で、少年の瞳に静かな、しかし強烈な光が宿った。

この世界はバグだらけだ。

感覚だけに頼った危うい技術が、大切な家族の日常を脅かしている。

「これは、もしかして使える……いや、試すしかない」


落ちこぼれと呼ばれた少年のマイナスからの反逆が、土に描かれたたった一文字の漢字から今、始まろうとしていた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると嬉しいです。

この物語は、落ちこぼれの少年が“文字”で世界を変えていく話です。

ぜひ次話もお付き合いください。

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