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ヒロインの義姉は間違える

書きたい所だけ書きました。私は共依存が好きです。

 


「カイラのことを守れるのは私しかいないの」


 部屋の隅で可哀想で可愛い義妹が泣いている。

 埃っぽくかび臭い部屋に似合わない。美しくて愛らしい私のカイラ。



「私が世界で一番カイラのことを理解しているし、外の世界は怖いことばかりでしょう?」

 蹲り小刻みに震えるカイラに近づいたサフィは目の前でしゃがみ込んだ。

「欺瞞、偽善。カイラに降りかかる悪は私が取り除いてあげる。他の人の言うことなんて何も聞かなくていいの」


 陶磁器のように美しい頬に触れるとカイラの足が金属の音をたてた。部屋の外へ出るには短すぎる鎖は、しっかりとカイラの足を繋ぎ止めている。サフィは鎖の重さも、動くたびに部屋に響く不快な音も、よく知っていた。


「だから外の世界を知る必要はない。そうでしょう?」

「お義姉様だめです。こんなことをしたら今度はお義姉様が悪者になってしまう。だから早くやめてください」

「カイラは優しいのね。でもダメよ。これは私たちにとって必要なことなの」


 ポケットから小さな鍵を取り出したサフィは微笑を消して立ち上がる。

 窓を開けると湿っぽい室内に外の風が入りこんできた。拳を窓の外へ出したサフィにカイラが「やめて」と悲痛な声をあげる。


「だからこれは必要ない」

「お義姉様!」

「カイラには私がいるのだから。一生ここで暮らしていけばいいの」

「いや、そんなのは嫌よ。お願い誰か……カーレッジ様っ」


 婚約者の名を呼んだカイラをサフィは鼻で笑った。

 あの愚かで頭の悪い男はカイラに値しない。簡単に騙された男を思い出してサフィは高らかに笑うと地面に向かって拳を開いた。握りしめていた鍵が下に落ちていく。

 カイラは愛らしい顔を歪め、わっと泣き出した。すかさずサフィは窓を閉めるとカイラの元へ駆け寄り鎖に繋がれた義妹を優しく抱きしめる。


「泣かないでカイラ。何も怖いことはないの。慣れてしまえばここの暮らしも素敵よ。私はずっと一人ぼっちだったけど、貴方にはこの私がいる」

「うっ、ううっ。私だってお父様とお母様がお義姉様にした仕打ちは許せない。けどもう復讐は終わったのではないのですか?私はお義姉様を助けたかっただけなのに」


 嗚咽を堪えながら訴えるカイラにサフィは感激したように頬を上気させた。絶望に彩られたカイラの目元を優しく拭う。


「ええ、そうよ。カイラが私を助けてくれた。カイラが私を見つけ、名を呼び、人間にしてくれた。愛しい私だけのカイラ」

「ならばなぜっ、このような仕打ちをなさるのです」


 カイラの問いにサフィは首を傾げた。


「このような仕打ち?……いいえ、貴方は何か誤解をしているわ」

「……誤解?」

「カイラは外の世界に毒されている。何度も言っているでしょう?外の世界は恐ろしい。あの人たちのような人間がたくさんいるの。だから私がカイラを救ってあげるのよ」

「お義姉様、一体何を仰っているの……?」


 サフィはゆるゆると瞳を動かすカイラの頬を指でなぞる。


「私にはカイラしかいない。私を愛してくれるのはカイラだけで、カイラを愛せるのも私だけ。だから、カイラも“私のように”なってもらわなくてはならないの」


 この部屋にカイラが囚われてから十日が経ち、ようやく義姉の目的が明らかになった。

 カイラの喉から引き攣った音が漏れる。水晶玉のような瞳から涙が溢れだしカチカチと奥歯が鳴った。


「カイラも私と同じようになればきっと分かるわ。私はカイラに助けられた。だから私もカイラを“助けてあげる”」

「お、おねぇさま」

「ここで二人きり暮らすの。私はカイラの為ならなんでもするし、なんでもしてあげるから。カイラも私だけを見て、私だけを愛して、私に依存して」


 頬に残る涙の跡に口づけたサフィは立ち上がる。

 離れて行くサフィを引き留めるようにカイラも後を追うが、鎖が伸び切ってしまい近づいてこられない。


「いかないでお義姉さまぁっ」

「また来るわね」

「いや!お義姉さまっ、ここは怖いの」

「ええ、そうね。私もよく知っている」

「っ……」


 サフィの答えを聞いたカイラの瞳が悲しそうに歪む。罪悪感だろうか。そんなものカイラが感じる必要はないのに。この状況でもなお優しい義妹に向かってサフィは朗らかな笑みを浮かべた。


「だからいいのよ」

「お、ねぇさま……」

「早く私と同じところまでいらっしゃい。愛しいカイラ」

「まって。いかないでぇっ!」


 バタンと扉を閉めた部屋からカイラの悲鳴に満ちた声が聞こえる。それは次第に泣き声に変わっていった。


 サフィは部屋の入口と、離れの入口の両方に鍵を閉め母屋へ向かう。

 15年前サフィを拒んだ人が暮らしていたこの場所は、今ではサフィを受け入れる場所に変わっていた。

 そして数年も経てばサフィと同じ感性を持つカイラと共に二人で暮らす楽園となる。

 自分が望んだ未来が実現する日が来るとは思ってもいなかった。ますますカイラに感謝をしながらサフィは一人母屋に入った。



 ―――――――――― 



 領主の気まぐれによりサフィ・ヴァンサンはこの世に生を受けた。

 娼婦だった母は子を堕ろそうとしたが、長年正妻に子が出来なかったヴァンサン家の領主は、多額の金と引き換えにサフィを産ませ引き取ったのだ。


 まもなく流行病により正妻が亡くなり後妻を迎えた領主は念願の子どもを授かる。まっとうな血筋を持つ妹は正式に領主の娘としてヴァンサン家に誕生し、その名をカイラと名付けられた。


 サフィの何が気に食わなかったのか。

 五歳のとき母屋で暮らしていたサフィの新たな家は敷地内の離れに変わり、自我が確立した頃には自由に外に出られないように足に鎖がつけられるようになった。部屋の中は自由に行き来できる。けれど外の世界のことは何も知らない。


 初心で世間知らずで可哀想な深窓の令嬢……に成長するかと思いきや、サフィは違った。自分をこういう目に合わせる大人たちに怒るわけでもない。憎むわけでもない。

 全ては受け入れ諦めた。

 何も変わらないのだから怒りも悲しみも無駄なこと。

 一生このままこの埃っぽくかび臭い部屋で生きていく。ただそれだけだと思って生きてきた。


 けれど、18歳になったある日。

 この鬱屈とした部屋に飛び込んできたのは、目が眩みそうな光だった。


「お義姉様。今まで何もできなくてごめんなさい」

「……だれ」

「あなたの義妹です。カーレッジ様と一緒にあなたを助けにきました」

「おねえさま?それはわたしのこと?」

「そうです。サフィお義姉様。私はあなたの義妹のカイラです」


 光の正体は義妹と名乗った。

 婚約者と一緒に囚われていた義姉を助けにきたのだと言う。


「かえったほうがいい。こんなところに、きてはいけないのよ。あのひとたちは、わたしがよそのひとと、はなすことを、ゆるしません」

「お義姉様。そんなこと仰らないで」


 誰かとこんなに長く会話をしたことがなかった。

 たどたどしく言葉を紡ぐサフィの青白い手をカイラはぎゅっと握り潤んだ瞳で見上げる。


「カーレッジ様がお父様たちの罪を明らかにしてくれました。もうお義姉様を苦しめる相手はおりません」

「なにを、いっているのかわからないわ」

「ああ、ごめんなさい。私お義姉様に会えたことが嬉しくて。ゆっくりでいいんです。もうなにも怖いものはありませんから。これからは一緒に暮らしましょう」


 なんて美して、なんて聡明で、なんて……神々しいのだろう。

 囚われた姉を助け出し、姉の過去を思って涙を流してくれるカイラはまるで神の使いのようだ。


 この瞬間、サフィの世界が変わったのだ。


 ほしい。この子がほしい。この子に会うために今まで私はここにいたんだ。すべてはこのためだった。それからサフィは必死に勉強した。読み書きやマナーを覚えて見た目にも気をつかう。何の汚れもなく真っ白だったサフィは、赤子のような吸収力でそれらを短期間で習得した。

 そして邪魔だったカーレッジを排除し、カイラと二人で暮らすための楽園を作り出した。

 すべては計画通りだった。



 ――――――――――――――― 



 どぉんと外から轟音が聞こえサフィは目を覚ます。窓の外はまだ暗い。時間を確認して目を細める。まだ深夜だ。いったいなんの音だろう。嫌な予感がしてガウンを羽織りベッドから降りる。カーテンを開けて外を見たサフィは大きく目を見開いた。


 離れの入り口が壊されている。

 闇に紛れるように大勢の人影が見えて慌てて部屋を飛び出した。あそこにはカイラがいる。いったい誰がこんなことを……。一人だけこんなバカげたことをする人物に心当たりがあった。どうか勘違いであってほしい。躓きそうになりながらも全力で外に飛び出したサフィは絶望に顔を歪めた。


「あ、あぁ。だめ。だめよ。まだ十分じゃない。それにその役目は私が……」


 月明かりが庭を照らす。

 サフィの目の前には愛しいカイラを抱き上げた一人の男がいた。

 男が纏う怒気と鋭い眼光を目の当たりにしたら普通の人間なら足が竦むはずだ。だがサフィの目にはカイラしか映っていない。躊躇うことなく二人の元に駆け寄っていくが、その途中で腕を掴まれた。そのまま身体を拘束されそうになり暴れたせいで地面に倒れこむ。


「やめて。カイラを取らないで。カーレッジ!……あなたはカイラに相応しくない。カイラには私がいればいいの。私だけがカイラを……」

「殺せ」

 地を這うような声で非常な命令を下したカーレッジに、サフィを抑え込む部下ですら一瞬怯んだ。けどすぐにカイラが「だめ!」と言う。

「カーレッジ様っ。そんなこと言わないで!」

「……自分が何をされたのか理解していないのか?」

「わかっています。けど、お義姉さまは心が壊れかけているの。それも私たちのせい。だから許してあげて。お願い」

「お人好しもここまでくると罪だぞ」

「ごめんなさい……でも、これだけは譲れない」


 はっきりとそう言い切ったカイラを前にカーレッジは言葉を失った。考え込む間もカイラは意志の強い目でカーレッジを見つめ続ける。先に折れたのはカーレッジだった。


「本当にそれでいいのか?」

「もちろんです。お義姉さまは人との接し方を知らないだけだから」

「分かった。とりあえず拘束だけして連れていく」

「まさか牢にいれるの?」

「当たり前だろう。これでも譲歩しているんだ」

「でも……」

「これ以上はいくらカイラの願いでも無理だ。離れている間カイラのことを考えない日はなかった。そんな俺の気持ちも考えてくれ。……頼む」

「カーレッジ様……心配かけてごめんなさい」

 顔を歪めるカーレッジの頬にカイラが手を添える。

 見つめあった二人はそのまま顔を寄せあって口づけをした。囚われの心優しき令嬢が助けに来た婚約者と結ばれる。


 悪は地に伏しハッピーエンドだ。


 その光景を目の当たりにしていたサフィは拳で何度も地面を叩く。

 あと少しだった。

 素直で無垢なカイラをあと一ヶ月で迎えにいこうと考えていた。そうすれば、今ああしてカイラの身も心も埋め尽くす人物になったのはサフィだったはず。

 サフィが望む楽園まであと少しだったのに。


「……ころせ」

「カーレッジ様!女が何か言っています」

 抑え込む部下が伏したままぶつぶつ言うサフィに気付いて声を張った。完全に二人の世界を作っていたカイラたちが思い出したようにサフィの方へ顔を向ける。

 シンクロした二人の動きに苛立ちと悲しみが一気に押し寄せてきた。頭にカッと血が上り口が勝手に動く。

「カイラがいない世界に生きる理由なんてない。私にはカイラしかいないの。だからカイラを私から取り上げるなら殺せばいい!ほら、早く殺せっ。殺してよっ!」

 わあわあ喚き散らすサフィにカイラが顔を歪めた。

 カーレッジは冷たい瞳で一瞥するとサフィからカイラを隠すように背を向ける。

「牢につれていけ」

「はい」

「待って!カイラを連れていくならカイラの前で殺してよ!そうすればあの子の中で私は一生消えない存在になれる」

「お義姉さま……」

「心配するな。あんな奴の思い通りにはさせない。カイラは何も心配しなくていい」

「おねがい。お義姉さまは間違っているだけだから。だから助けてあげて」

「分かっている。落ち着いたらカイラに会わせると約束しよう。だから何も心配するな」

 

 二人の会話が聞こえてくる。

 その場を離れようとする二人になおも声を張り上げるサフィの口元に布が当てられた。独特の香りが漂い、布に含まれていたそれを吸い込んだ途端サフィの意識は遠のいていく。もうこれでおしまいだ。カイラがサフィのものになることは二度とないだろう。



 ――――――――――――― 



 カイラのことを愛している。

 王国騎士団の中でも群を抜いて非情な男と呼ばれるカーレッジが初めて本気で愛した女だ。まるで大きな海のように深い包容力と純粋な愛情は、カーレッジの頑なだった心を包み込みそして溶かした。

 カーレッジにとってカイラは唯一無二で、カイラを傷つける人間は誰であろうと排除の対象だった。けれど、守ろうとしている当の本人が助けてほしいという。


 カイラの優しさに救われた一人としてその優しさは尊重したいが、カーレッジを陥れカイラを攫ったサフィを許すのは難しい。

 だが話を聞いてみればカイラの言うことにも一理あった。

 カイラは閉じ込められていたとはいえ不自由ではなかったと言う。退屈させないように書物や趣味の刺繍を与えられ、食事は囚われる前と変わらないものを毎食用意してくれていたらしい。たしかにサフィを助け出した時とは状況が違った。

 カイラの言う通りサフィの心は壊れている。狂気とも思える情は間違った方向に進まなければ、きっと良い姉妹になり得たのだ。だからこそ対応が難しい。


 今は牢にいれており万が一がないように見張りも立ててある。

 サフィの今後をどうするべきか考えていた矢先、カーレッジの元に一人の男が訪ねてきた。


「こんな時間にどうした?」

「カーレッジ……折り入って頼みがある」

 深刻そうな顔をしてやってきた同期のレイア・ジームは開口一番そう言って頭を下げた。

「頼む。サフィを俺に預けてくれないか?」

「は?」


 あまりに突拍子もないことを言われ思わず怪訝な声を上げた。レイアはどちらかと言えば穏やかな性格でカーレッジとは真逆のタイプだが、妙に馬が合い入団当初から現在まで一番そばで支えあってきた大切な友でもある。

 そんな男が、あの悪人になんのようがあるというのか。


「冗談ならあとにしてくれ。俺は疲れているんだ。早くあの女の処遇を決めて王宮に戻らないと……」

「信じられない気持ちは分かる。俺だってこの選択が正しいか分からない。けど、ほかになにも思いつかないんだ。……叔父が死んだ」


 唐突に告げられた事実に言葉を飲み込む。たしかにいつもよりレイアの顔色が悪い。


「……いつだ?」

「俺たちが王宮を出てすぐらしい。……さっき連絡がきた」


 ぐっと眉間に皺が寄る。

 今回はカーレッジが個人的に動いていることだ。騎士団長には許可を得ているが、レイアがついてくる必要はなかったのに、心配だからと彼はカーレッジと共に来てくれたのだ。そのせいで看取らせてやることが出来なかった。


「ザインさんのことは本当に気の毒だ。俺の事情に巻き込んだせいでお前にも申し訳なく思う。……けど、だからといって自棄になるのは」

「カーレッジが気にする必要はない。俺が自分でついていくって決めたんだから。それに自棄になっているつもりもないよ」

 カーレッジの言葉を遮るようにレイアはそう言うと力なく笑った。

「お前も知っているだろう?俺は、本当に人に恵まれていない。唯一俺の人生で良かったと思えるのはザイン叔父さんと、カーレッジ。……お前と出会ったことだけだ。それ以外は本当に、救いようもない」


 そんなことない。と安易に慰めの言葉は口に出来なかった。

 カーレッジが知る得る限り、レイアの言葉は大袈裟でもなんでもない。レイアの立場に自分を置き換えた時に、よくこんな風に穏やかにまっすぐ育ったものだと感心する。ただそれは全てザインがいてこそだ。カーレッジがレイアと出会った時は多少擦れていたとはいえ、今の穏やかさは持ち合わせていたはずだから。


「だからといって……」

「頼む。カーレッジからサフィの話を聞いて、もしかしたらと思ったんだ」

「もしかしたら?」

「言うならあの子は雛と同じだ。初めて見た相手をすべてだと思い行動している。こちらが怖いと思うくらい純粋で真っすぐで。やり方は間違っていたが……それくらい依存してくれる相手が今の俺には必要なんだよ」

「本気か?」

「ああ」


 信じられない。到底許可など出来ない。出来るはずがない。すぐに考え直すように説得をするべきだ。それに傷ついて不安になっているレイアをカーレッジなら支えられるはず。だけど……。


「カーレッジ。お願いだ。彼女を俺に任せてくれないか」


 目の前にいるレイアはまるで幻想のようだった。このまま部屋の外へ出したら、霧のように消えてしまいそうな不安を覚える。

 苦渋の選択だ。さっきも似たような状況だったこともあって頭が痛くなる。カーレッジは深く息を吐きながら絞り出すように言った。


「……三ヶ月だ」

「え?」

「とりあえず三ヶ月。お前にサフィを任せる」

「いいのか?」

「ただ、今サフィはカイラのことしか考えていない。無理なら早々に諦めろ。それまでに万が一お前が傷つくようなことがあればそのときは俺が手を下す」

「お前を陥れようとした相手だと知っているのに。こんなことを頼んで申し訳なく思う。ほんとうに、……ありがとう」


 震える声に気付かないフリをしながらカーレッジは目を細めた。


「謝らなくていい。俺はただ心配なだけだ。カイラだけじゃなくてお前も。俺の周りはお人好しでバカばかり集まる」

「カイラのことをバカなんて言っちゃダメだよ」

「バカはお前だ」

「ああ、……いや、俺なら良いとかないから。でも、うん。バカって言われないように気をつけるよ」

 乾いた笑い声をあげるレイアに少し安心した。あとは……サフィ次第だ。



 ――――――――――――― 



 暗くて埃っぽくて。ここは一人ぼっちだった頃の離れの部屋にそっくりだ。足だけだった鎖が手にもついていること以外変わりはない。

 

 カイラはサフィの元から離れてしまった。

 もう生きる理由はない。一晩がたち冷たい牢の中でごろりと横たわるサフィはこの世のすべてに絶望していた。最初から諦めていたあの頃は楽だったのに。一度夢を見たせいかとてつもない孤独に心が悲鳴をあげている。


「君がサフィ・ヴァンサンだね?」

 

 近づいてくる足音には気付いていた。

 また見張りの交代か、それかやっぱり殺そうとやってきたカーレッジかもしれない。ジッとしたまま振り返りもしないサフィに、透き通るような凛とした声がかけられる。


「俺の名前はレイア・ジーム」


 初めて聞く名だ。

 だけど興味はない。誰であろうとサフィには関係ない。返事をしないで目を閉じる。もうどうでもいい。もう何も期待しない。夢なんてみない。

(ああ、カイラ。もう一度あなたに会いたい。私だけの……)


「なぁ。俺は君をここから出してあげたいんだ」


 心の内にいるカイラに思いを馳せいていたサフィを、男の言葉が強引に現実に引き戻した。

 薄く目を開いて眉を顰める。聞き間違いだろうか。俄かに信じられないが耳をそばだてているとスッと息を吸い込む音がする。


「俺は君の為ならなんでもするし、なんでもしてあげると約束する。だからサフィ。君も俺だけを見て、俺だけを信じて、俺を裏切らないでほしい」


 思わず身体を起こした。

 聞き間違いではない。振り返ったサフィの前にいた男はカーレッジと同じ服を身に着けていた。あれは王国騎士団の制服だ。襟足だけ少し伸びた短髪の男は顔を向けたサフィを見て嬉しそうに微笑む。


「ね?どうだろう?もし君がこの約束を守ってくれるなら、俺は君をここから出してあげる」

「……あなたも、私と同じ気持ち?」

「どうだろうね。一緒かもしれないし、違うかもしれない。ただ約束は守る」


 初めて会う男の言葉など信用できないが、自分がカイラに言ったことと同じようなことを言う男のことが気になる。それに自分と同じ考えの人間がほかにもいるなんて考えたこともなかった。

 ただ心の中にいるカイラが消えることはない。


「でも私がなんであなたを……私にはカイラがいればそれいいの。カイラ以外いらない」

「分かっている。でもカイラはもう君だけのカイラではないよ。……俺はカイラの代わりにはなれないか?」

「なれるわけない。……だって、あの子は、私の特別で、私を初めて人間にしてくれた」

「だったら三ヶ月でいい。三ヶ月だけ試しに考えてくれないか?」

「三ヶ月?」

「そうだ。それで無理なら俺も諦める。だからこんな暗くて冷たい場所で過ごすより、俺と一緒に外の世界へいこう」


 この男は何を一生懸命になっているんだろう。

 なぜ初めて会った私にここまで言ってくれるんだろう。

 分からない。分からないし、カイラの代わりなんて誰にも務まるはずがないのに。足をつなぐ鎖ががちゃんと音を立てた。


 座りこんだままお尻と足で格子の方に近づいていく。

 レイアと名乗った男がしゃがみ込んで格子越しから牢の中に手を差し伸べてきた。

 その手と男の顔を見比べたサフィはおずおずと手を乗せる。牢にずっといた自分と同じくらい冷たい指先で指を絡めとられ優しく握られた。


「ありがとう」

「……お礼を言われるようなことはまだなにもしていない」

「この手を取ってくれただけで俺は嬉しいよ」


 この選択は間違っているのだろうか。

 ぞわりと肌が粟立つ。それは防衛本能でなければいいが、サフィは小さくこくりと頷いた。




最後まで読んでいただきありがとうございました!共依存好き増えないかなぁとか思いつつ、よかったら評価などいただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
面白かったです。 共依存で成り立つ関係も良きですね。
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