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第9話 ジフバの影送り③

 

 ニットー村はなんの審査もなく入村することができたが、ウトゥラ公国はそうはいかなかった。噴水からしばらく小道を進むと、簡素な立ち入り禁止の紐が道路を横断していて、その向こうに守衛が槍を構えていた。その脇の天幕で入念な身体検査と詰問を受けた。「はるか東の国から来たと言っておけばよいです」と事前にディミトラさんから聞いていたが、守衛はろくな説明もないままに僕に紙と羽ペンを渡してきた。



 文字が読めないと伝えると、守衛は舌打ちをして奥へ引っ込んだ。そのまま薄暗い天幕で日が傾くまで待たされた後、装飾の施されたロバ車に乗りこめと言われた。馬車の中は少しかび臭い。ずっとディミトラさんと離れ離れだ。不安だ。


 窓から外を覗くと、夕焼け色に染まった町が見えた。城が近づくにつれて道も家も整備され、人々の往来も多いようだ。みな青いケーブを身にまとっている。


 やがて城を目前にして、一軒の小屋の前で止まった。扉の上部に看板が掲げられているが、読めない。読めないが、一階は酒場のようだ。すでに明かりが灯り、酒が並ぶカウンターが入口から見えた。


 兵士に酒場の裏手に誘導された。階段を登った先の部屋に連れていかれ、今日はここで寝ろと言われた。「飯はどうすれば?」というと下を指差して、カウンターで頼めと言われた。鉄製のプレートのついたネックレスを渡される。


「それを見せろ。料理も酒もこちらで決めてある」


 ぶっきらぼうに告げて、足早にいなくなった。


 かすかに階下から人々の声が聞こえてくる。僕は湿気たベッドの上に寝転がってしばらくカメラに保存された写真を見ていた。ほとんどディミトラさんが写っている。思えばこの二週間ほど、ほとんどの時間をディミトラさんとともに過ごしていた。寂しいし、不安だ。文字も読めない男が異世界で置き去りにされているのだ。




 僕は意を決して、外に出て階下の酒場に入った。中には十人ほどの客がいた。ほとんど男だ。青いマントを身にまとっている。兵士なのだろうか、兜を机の上に置いている者もいた。


 僕が入店した瞬間、みながこちらを振り返った。一瞬会話が止まり、すぐにざわめき始めるが、先ほどまでの歓喜やねぎらいの声色ではなかった。


 好奇と懐疑の視線を受けながら、僕はカウンターに座った。座って、……座って、次はどうするんだ?


 カウンターで木製のコップを拭いているちょび髭の男性は、こちらに目線を向けることもない。僕が「すみません」と声をかけるとノロノロとこちらにやってきた。プレートを見せる。プレートと僕の顔をじろじろと見比べてから、奥に引っ込んでいった。


 やがて、料理が出てきた。パンと、スクランブルエッグのようなものと、肉と豆の炒め物のような料理だ。コップに赤い飲み物が注がれる。手を合わせてから、炒め物をいただく。酸っぱい。あまりおいしくはない。「酒場で料理なんざ、いいご身分だ」と背後から聞こえてくる。酒場なんだから料理ぐらい出てくるだろ、と思ったが、この時代では珍しいのかもしれない。あるいは、欧米では酒場で料理って出てこないのか? 自分の知識のなさが情けない。黙々と食べる異国の料理というものは、こうも味気ないものなのか。



「——魔法使いさん、水ならおかわりをご用意できますからね」



 急に右側から声をかけられた。横を見ると、赤毛の三つ編みでそばかすの目立つ女性がカウンターを拭いていた。若い。まだ成人を迎えていないように見えた。


 固まる僕の顔を見て、笑みをこぼす。


「ごめんなさい、急に話しかけてしまって。驚かせちゃいましたね」


 僕は首をぶんぶんと横に振って、話し相手がほしかったのだと伝えた。


「ええと、店員さん? 上の宿もここの店が仕切っているんですか?」


「アリーザです。ここは酒場と一緒に、旅人の宿も営んでいるんですよ。魔法使いさんが訪れたのは、数年ぶりですね。前回もディミトラさんでした」


 僕も「ミタカです」と名乗った。ディミトラさんと知り合いのようだ。今どこにいるのだろう。


「ディミトラさんは、入城の手続きをしてから、今日は城内で泊まると聞いています。明日には会えますよ」


 アリーザさんは店内を見渡してから、少し身を寄せた。小さな声で僕に話しかける。


「あなたは新しい魔法使いさんなんですよね?」


「魔法……まあそういうことになるんですかね」


「どんな魔法が使えるんですか?」


 今度は僕が店内を見渡す番だった。客はもう僕から興味を失ったようで、思い思いに酒に話に酔いしれている。


 僕はアリーザさんに「そこで止まっててください」と伝えて、身を引いて店員さんにカメラを構えた。シャッターを切り、画面を見せる。アリーザさんは「おおっ!」と声を上げて、慌てて口を塞いだ。店内の様子を伺ってから、再び小声で話す。


「これは、いつでもなんでも描けるんですか?」


「ええと、暗すぎると厳しいかもしれないです。対象は、フレームにさえ収まればなんでも」


「フレーム?」


「ええ~……とにかく大きすぎると描けないってことです」


 アリーザさんはふんふんと頷いて、「私も魔法が使えればなぁ」とつぶやいた。


「アリーザさんは、魔法使いに対して忌避感はないんですね」


「不快な思いをさせていたらごめんなさい。この国は外訪者には冷たくって」


 アリーザさんはカウンターを吹きながら言葉を続ける。


「ここはもともと私の母の店だったんで、幼い頃から働いていたんです。訪れる魔法使いさんはみんなよくしてくれましたよ。自慢じゃないですが、私の父はちょっとした有名人なので」


「父って、あの方ですか?」


 僕はカウンターの端のほうで別の男性客と談笑しているちょび髭の男を見る。


 アリーザさんは苦笑しながら首を横に振る。


「あれは叔父です。父は、今は旅に出ているんです」


 この国にも旅人はいるのか。青い石を削らなければならないので、選ばれたものしか外へ出る権利は与えられないと聞いていた。



 別のテーブル席からアリーザさんを呼ぶ声がした。「ゆっくりしていってくだいね」と笑顔を残して、アリーザさんがカウンターから離れた。アリーザさんと話している男は、渋い顔でこちらをちらりと見て、なにやら話し込んでいる。アリーザさんの横顔は、困ったように笑っているばかりだった。迷惑をかけていないといいのだが。



 その後は黙々と料理をいただいた。パンも残り一かけらというところで、再びアリーザさんが隣に肩を寄せてきた。


「ねえ、ミタカさん。もし道中で灰色の目をした旅人に出会ったら、私の写真を見せてくれませんか? 父のことです、きっと無精ひげを生やして、酒に顔を赤らめていることでしょう」


 アリーザさんは、期待に満ちた茶色の瞳を僕に向けてきた。「もちろん」と快諾した。快諾してから、少しばつの悪さを感じた。もう一度、この国に立ち寄るのがいつになるのか、わからないのだ。もしかしたらもうアリーザさんと会うことすらないかもしれない。


 僕の気持ちを推し量ってか、アリーザさんが笑顔で付け加えた。


「もちろん、旅のついででかまいませんよ。私だってそのうち——」


 話の続きは、カウンターの男の「おい、店を閉めるよ」という言葉にさえぎられた。アリーザさんは残念そうに「はぁい」と返事をして、カウンターの奥へと引っ込んだ。


 いつの間にか、店内の客たちもほとんどいなくなっている。僕は慌ててパンを口に放りこんで、赤い飲料——ワインだ。ワインを一気に流し込んだ。


 帰り際、「ごちそうさまでした」とつぶやいて帰ろうとすると、アリーザさんが奥から顔を出した。


「明日もまたいらしてくださいね! ディミトラさんにもお伝えください!」



 僕は頷いて、外へ出た。ひんやりと肌寒い。



 空を見上げる。きらびやかな星々が輝いていた。満天の星空だ。店を訪れたときには気づかなかった。この世界でも、星は変わらず寂しげで、美しい。




 僕はしばらく星空を眺めてから、部屋に戻った。



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