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第6話 荒野の死神③

 一般的な成人男性よりは体力があるほうだと自負しているが、それは万全の状態での話だ。朝イチの、栄養補給をしていない状態での岩登りは大層つらい。



 膝がうまく上がらない。すぐに息が切れる。影に隠された谷間は、今はまだ肌寒いほどだ。だが、すでに太陽が登ってくる気配を感じる。日差しを想像して嫌になる。太陽と陽炎の世界を意識すると、喉が渇いた。



「ほら、気張ってください。もう少しですよ」



 なにより隣で、涼しい顔をして空を飛んでいるディミトラさんの存在が僕の気力を奪っていた。


「この間の山登りでは、ヘロヘロになってたくせに」


「空を飛べる場所ならざっとこんなもんです」



 自慢げに口元を緩める表情も憎たらしい。


 僕だけが削られた岩棚の上を歩いていた。さっきからジグザグに延々と登らされている。


 時折、人一人暮らせるほどの穴窟も見られた。明らかに人為的に削られている。不思議に思って穴の中を眺めていると、「昔はここにも人がいたんですよ」と上から言葉が振ってきた。なるほど、穴の中には焼け焦げた跡や、なにかを数えるようにつけられた規則正しくつけられた傷跡が見受けられた。



 つづら折りを登り続けた。疲れた。膝に手をついて、右側を見た。目線の高さよりも少し下に、大地と見間違うほど平らかつ広大な岩塊があった。不毛だ。日光に照らされ続けるからだろうか、植物ひとつない。


 手前側に小さな丸い穴が開いていた。


「我々が寝泊まりしていた場所ですよ」


 そう言って、ディミトラさんは高度を上げた。


 あの穴の下にオアシスがあるのか。ずいぶんと登ってきたものだ。僕は息を整える間に、景色を楽しむことにした。


 目の前の巨大な岩塊の奥にも、高さが切りそろえられた岩塊群が見えた。上から見ると迷宮だ。どの谷間を歩いてきたのだろうか。


 やがてふわりとディミトラさんが下りてきた。水袋を渡される。



「もうひと踏ん張りで、死神の寝床ですよ」



 死神の寝床? なんだそれは。行けばわかるのか?


 水を飲んで、再び登り始めた。


 ひと踏ん張りというには長すぎたが、どうやら目的地に着いたようだ。ディミトラさんがひとつの穴窟の前に降り立ち、中を指差している。


 汗をぬぐいながら中をのぞき込んだ。


 先ほど見た、かつての住居跡のようだ。異なるのは、部屋の中央にあるのが、焚き火の跡ではなく、積み重ねられた枯れ木だということだ。


 膝元まで積み重なった枯れ木群の真ん中には、粗削りされた灰色の石がいくつも転がっていた。ほかにも、黄色の貝殻や、半透明の石が雑多に置かれている。



 中央には、群青色の楕円形の物体が五個並べられていた。


 まるで、恐竜の卵のようだ。


 しゃがみこんで、石を持って振り返る。



「……この石は?」


「青い石の残骸です」


 ディミトラさんは、もう石には興味がない様子だ。僕の肩に両手を置いて、卵のほうを見ていた。期待に満ちた笑みが、僕の肩にあった。


「ここはオオバラスの巣ですよ」


「オオバラス?」


 ディミトラさんは僕の頬を羽で撫でた。茶色の羽。今朝がた、腰袋にしまっていたものだろう。


「砂漠に住まう大型の鳥類ですよ。ボンサダの葉と死肉を食べる雑食性で、翼を広げた姿は商人の積み荷を覆うほどの大きさになる、砂漠の空の支配者です。ここに来る谷間でも見かけたんじゃないですか?」


 思い返せば、茶色の大きな鳥がいた気がする。高すぎて大きさがよくわからなかったが、そんなに大きかったのか。


「女性の叫ぶ声に似た鳴き声を出すんですよ。それでピンときました」


「……それで、そのオオバラスがなんで死神なんです?」


 ディミトラさんは巣の中に入っていく。バキバキと枝が折れる音が反響する。


「オオバラスは求愛の際に、光る物を雌に渡すんですよ。砂の結晶だったり、スナヅムリの殻だったり、キラキラしたものを巣に置いて、雌を招待するんです」


 キラキラしたもの。青く光る石が思い浮かんだ。


「じゃあ青い石を、オオバラスが求愛の道具に使ったってことですか?」


「そういうことになりますね。今はもうただの石ころのようになっていますが、元は結晶や貝殻とは比べ物にならない美しさに見えたことでしょうね」


 そういえば昔、動物図鑑で見たことがある。オーストラリアに、求愛の際に青いものを好んで集める鳥がいると。それの巨大鳥バージョンというわけだ。


 ディミトラさんは卵を持って、耳元に当てている。ディミトラさんの顔の半分を覆い隠すほどの大きさだ。



「求愛のために命を奪われるんじゃ、たまったもんじゃないですね」


「たまったもんじゃないですが、人間もたまったもんじゃない行為をしますからね。お互い様です」


「……さっきからなにしてるんです?」



 人差し指を立てて、唇を優しくなぞった。静かにしろというジェスチャーだろうか。コツコツと殻を叩いて、なにか確認しているようだ。


 いくつか聞き比べてみたあと、とあるひとつの卵を持ちあげた。なんの説明もなしに、僕に「はい」と渡してきた。



「はい?」


「これを朝ごはんにしましょう。オオバラスの肉は筋ばっかりでまずいんですが、卵は甘みがあっておいしいんです。干し肉と一緒に鉄板で焼きましょう。腹をすかせた甲斐があるというものです」



 僕は卵を受け取った。ずしりと重たい。



 沈黙する僕に、ディミトラさんが付け加える。



「大丈夫ですよ。中身はまだ成熟してません。音を聞けばわかります」



 そういうことではない。



 顔の前にもってくる。深く濃い青色の卵だ。やはりずしりと重たい。


 巣の中には暗い色の石ころがいくつも転がっている。



「こ、これを食べるんですか?」


「調理は私がやりますよ。その代わり、卵を割る作業はお願いしますね。結構力作業になりますから」


 そう言って、さっさと出口へ行ってしまった。



 しばらく固まって、固まっていてもしょうがないので、卵をタオルでくるんだ。ザックにそっとしまう。立ち去る前に、巣に向かって手を合わせた。



 いただきます。恨まないでくれよ。



 巣の主に言っているのか。それとも今は亡き旅人たちに言っているのか。わからないまま、僕も出口に向かった。




 外はすっかり朝だ。日差しが谷間に差し込みつつあった。巣の主が帰ってくると面倒そうだ。足を滑らせないように気を付けながら、ジグザグ道を下り始めた。


 ふわふわと横を漂うディミトラさんに話しかける。


「しかし、オオバラスの習性は、魔法使いや商人たちに知られていなかったんですか?」


「知らない者も多いでしょうね。極稀に人を襲うことがあるということは共通認識として持っているとは思いますが、襲撃理由まで知っているのは、それこそ砂漠のことをよく知る者だけでしょう」


 砂漠のことをよく知る者。


 はるか上空から降りてこなかった、顔も知らない魔法使いが思い浮かんだ。


「じゃあ、ノートスさんでしたっけ? あの人は?」


「間違いなく知っていたでしょう。ノートスは『この地に死神がいるとすれば、死体をついばむオオバラスだけだ』と言っていたんです。嘘ではないが、真実は隠す。直接的には教えなかったというわけです。まったく腹立たしい」


「なんだって情報を共有しなかったんです?」


「理由はいろいろ考えられますがね。……好意的に解釈するなら、オオバラスのことを守りたかったのでしょう。ノートスは砂漠の空を愛していますからね。もしオオバラスが旅人殺しの真実だとわかれば、大規模な駆除作戦がしかれるともかぎりませんから」


 たしかに。事実として、僕たちはオオバラスの卵を奪っているわけだし。彼らを守りたいのなら、少しでも情報を伏せておきたいものなのかもしれない。


「……じゃあ悪意をもって解釈するなら?」


「このまま死神のせいにしておけば、用心棒として金を稼ぎ続けられるからです」


 ディミトラさんは忌々し気に顔をしかめた。


「私はこちらの説を推しておきますよ。あのがめつい爺のことですから、稼げるうちに稼ぎたいのでしょう。世界の終わりに、金なんて集めてなんになるのやら……」


 そこまで言って、空中ではたと止まった。僕は振り返って何事かと視線を送る。


 ディミトラさんは地上を覗き込んでいた。落ちないように細心の注意を払いながら、岩壁の下を見下ろした。


 青い穴があった。僕たちのいたオアシスだ。太陽の光が差し込んで、赤褐色の台地の合間に、水面がかすかにキラリと輝いて見えた。空よりも濃く、きらびやかな青色だ。


「昨日は水場のそばで火を焚いていましたから、空から見れば、宝石のように見えたでしょうね」


 空から砂漠を見下ろして滑空するオオバラスを想像してみた。この砂色の乾いた世界で、あのオアシスは、単なる水飲み場以上の魅力があったのかもしれない。


 死神の真相を知った今、どうするつもりなのか、聞いてみた。


「どうもしませんよ。ここを通ることはもうないでしょうし、魔法使いの商売は極力邪魔しないのが暗黙の了解です」


 ほっとすると、ぐうとお腹が鳴った。ザックの中の卵の重みをはっきりと感じる。僕はザックを背負いなおして、岩壁の斜面を降りて行った。




 朝食は干し肉入りのスクランブルエッグとなった。




 すこぶるうまかった。



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