第3話 龍の通り道②
村にきた。この世界で村というものに初めて入ったが、一番イメージに近いのは中世の欧州だ。おそらくそうだ。僕は高校で日本史を選択していて、世界史に詳しくないので大雑把なことしかわからないが、少なくとも日本にはない町であることは確かだ。
緩やかな緑色の丘に石垣とレンガ造りの家が立ち並んでいた。ロバが馬車を引き、子どもたちがその横を駆け抜けていく。ディミトラさんは丘の上に立つ領主の屋敷にさっさと飛んでいってしまったので、のんびり後を追っているところだ。穏やかな風が麦畑を揺らしている。相変わらず空に大きな星が出ているのが少し不気味だが、そのうち見慣れるだろう。
村の真ん中にひと際高い塔が立ち、その最上階から青い光が輝いていた。あれがこの村の青い石だ、とディミトラさんに教えてもらった。
五年後には、あの青い光が消えて、魔法も使えなくなるらしい。そういう運命なのだと、ディミトラさんは言っていた。
*
丘の上に住まうニットー十五世は、ちょび髭をなでながらカメラの画面をしげしげと眺めていた。
「龍の通り道」
「そうです」
「これは龍が通った跡なのか!」
「左様にございます!」
「するとこれは龍を呼び出す儀式なのか!?」
「いえ、それは単に気が高ぶっただけです」
「あ、左様か……」
カメラの画面に映し出されているのは、杖に膝をかけてコウモリのように逆さになったディミトラさんだ。
大きな屋敷に案内され、どんな厳かなしきたりがあるのかとビクビクしていたが、杞憂だった。屋敷の主であるニットー十五世は最初の挨拶のときだけ無駄に高い位置にある黄金色の椅子に座っていたが、今は庭先の石製のベンチに腰かけている。ニットー十五世を中心に、僕とディミトラさんと二名の御付きの方でカメラの画面を眺めていた。
「これはさすがに儀式か?」
「それは全身で龍のうねりを表現してみました」
「おお、龍を呼び寄せる舞というわけだな!?」
「いや、やはり気が高ぶっただけですね。なんの効力もありません」
先ほどからディミトラさんの曲芸の鑑賞会となっている。もはや龍の通った跡など誰も気にしていない。
さすがに恥じらいが勝ってきたのか、ディミトラさんがコホンと咳ばらいをしてみせる。
「ニットー様、そろそろ本題に戻りたいのですがね」
「おお、そうだった、そうだった。どれ、約束の品を」
そう言って振り返ると、御付きの方がパタパタと渡り廊下の奥へと消えていった。
「時にミタカよ」
ニットー十五世は僕のほうに向きなおった。
「すばらしい魔法だ。いい風景を見させてもらった。あれならば龍がいるというのも納得できるというものだ」
先ほどまでディミトラ曲芸ばかりに夢中になっていたくせに。労力の割に画角の妙を見てもらえず、心のうちでいじけていたところだ。
「次は鬼のねぐらを絵にしてきてくれないか?」
鬼のねぐら?
「そういう場所があるらしいのだ。そうだろう? ディミトラ」
「ああ~、そうですね。……そんな場所の話もありました」
ディミトラさんは視線を斜め上に泳がせている。
「しかしですね、ミタカは私の弟子というわけではなく、一時的に行動を共にしているだけなのですよ」
「おや、そうなのか。てっきり弟子を育てているのかと」
「どうせ世界が終わるのに、今更弟子など取りませんよ」
世界が終わるのは共通認識らしい。その割に、みなずいぶんと凡庸なものだ。それとも、抗いようのない運命に対する諦めなのだろうか。
やがて御付きの方が分厚い本を数冊持ってきた。「おお!」とディミトラさんが声を弾ませる。
「持っていくといい。ついでにキコの実も持っていくか? 雪期の備えが余っていてな」
「ありがとうございます。これがなければタッカ山脈の稜線で野垂れ死ぬところでした」
どうやら龍の話が本当であれば、本をもらうという決め事だったようだ。そういえばピラちゃんに乗っているときも、暇さえあれば本を読んでいた。
ニットー十五世は僕にも笑みを向けてきた。
「ミタカはなにかほしいものはないか? できるだけ要望に応えようぞ」
そう突然に言われても。必要なものは山ほどある気がするが、何を優先すべきなのかわからない。もとの世界への切符があるわけではないだろうし。
僕が思案していると、ディミトラさんが助け舟を出してくれた。
「ニットー様、モカドリの服などございませんかね? ミタカの服はとても機能的で旅には有用なのですが、いかんせん人のいる場所では目立ちすぎますので」
そういえばそうだった。着替えの服を持っていたとは言え、もう何日も使いまわしている。今日、ようやく洗濯ができたのだ。どうあっても服が足りない。おまけに登山用のアウターは、遭難時に発見されやすいように蛍光の赤色なので、目立って仕方ないのだ。
「おお、それなら用意させよう。今日は離れに泊まっていくといい。明日の朝渡そう。夕食の準備もしているところだ。もっと旅の話を聞かせてくれ」
その日はニットー家の長い長い机に席を置いて、夕食にありついた。旅先で食べるものよりも丁寧な味わいだった。いつも気だるげなディミトラさんの表情が、少し和らいでいた。その日の団欒で特筆すべきことはそのぐらいで、しかしディミトラさんの表情の変化は、とても大切なことのように思えた。
*
三日後。ニットー屋敷一行に見送られて、村を後にした。よほどの目的がないかぎり、同じ村には三日以上、同じ国には五日以上とどまらないこと。先輩の旅人からの受け売りだという。
「あまり同じところにいては、鈍ってしまいますからね」
ピラちゃんの背中の上で、ディミトラさんは帽子を目深にかぶり直す。視線の先のニットー村は、ずいぶんと小さくなっていた。報酬としてもらった、羊色のケープをなでる。綿毛のように柔らかで、陽だまりのように暖かだ。
「とりあえず村や町を経由しながらトキオ公国の方向へ向かいましょう。ただし、遠いですよ。ピラちゃんの最高速度で五十日はかかります。それでもいいですね?」
僕は頷いた。こんなところでひとり降ろされても困る。
あの雪山での惨状だ。一度死んだ身として考えていた。唯一の心残りが、両親だ。生き返れるなら、自分は幸せだったと、両親への手紙だけ残したい。可能であれば、友人や仕事先にも送りたい。もっとぜいたくを言うなら、スパイスカレーが食べたい。口が香辛料を欲している。この世界の料理は、淡白すぎる。
思わず笑ってしまう。なんだ、やはり僕は元の世界に未練があるのだな。
ともあれ、ひとまず今はディミトラさんの好意に甘えることにする。見たことのない景色に気持ちが高揚しているのも事実だ。雄大な景色がある。奇妙な植物が生えている。龍も鬼もいるのだ。それらを写真におさめられるなら、心躍るというものだ。
そう伝えると、ディミトラさんは本を捲りながらつぶやいた。
「ああ、龍も鬼もいませんよ?」
「はい?」
だって龍の通り道があったじゃないか。
「あれはマグマと地下水によって作られた巨大な鍾乳洞が崩落して、氷塊で削り取られた跡らしいです。昔、『山鳴りの魔女』が教えてくれました。本当はもっと奇跡的な偶然が重なっているらしいですが、私には理解できませんでした」
ページを捲りながら事もなさげに話す。
「なんで嘘をついたのかって雰囲気を醸し出していますがね。もう残り少ない世界なんですから、浪漫をもってあの世へ行ったほうがいいじゃありませんか。貴方は嘘をつくのが下手そうだったんで、協力してもらったまでです」
そこまで言って本に顔を隠してしまった。
キュラキュラキュラとピラちゃんの走行音が乾いた空気に染み入っていく。
批判めいた視線を送り続ける。
ややあって、観念したディミトラさんはため息をついて、パタンと本を閉じた。
「……龍も鬼もいるわけないじゃないですか。御伽噺じゃあるまいし」
「だって……魔女がいるのに!」
「魔女はいるでしょうよ。常識的に考えて」
「オオアラだっていましたよ!?」
「オオアラってなんです?」
「この間襲われたでっかい生き物ですよ」
「ああ、デーモンのことですか?」
「デーモン!? あれデーモンなの!?」
「声でかっ——どうにも会話が嚙み合いませんねぇ……」
やいのやいのと言い合う僕たちを乗せて、ピラちゃんはぷしゅーと息を吐いて進み続ける。




