第14話 蜘蛛糸の社③
帽子にキヌダカを七匹乗せたディミトラさんが、森の中で立ち止まった。
「どうにもおかしいですねぇ」
「今のディミトラさんの見た目がですか?」
「……ミタカ、あなたもなかなか言うようになってきたではありませんか」
ディミトラさんは呆れた感を出しながらも、隠せないほどには声が弾んでいる。案外冗談を言い合うのが好きなのかもしれない。
多少の言い合いは許してほしい。昨日はキヌダカのカサコソと耳障りな足音でろくに眠れなかったのだ。夜行性なのか知らないが、人の周りで歩き回るのは勘弁してほしかった。寝不足で歩くたびに頭に鈍い痛みが走る。
「おかしいのはキヌダカたちの様子ですよ」
ディミトラさんは、杖で中空を指し示した。
樹上で糸が幾重にも絡み合っていた。もうほとんど上部の葉が見えない。白い天井は、それだけ見ればきめ細やかで美しく、暗い森の中では底知れない奇怪さが肌を粟立たせた。
今朝方歩き始めたときは、目を凝らせばどうにか見えるほどのか細い糸だった。それが、進むにつれて糸の本数とキヌダカたちの数が増えていった。
「キヌダカは本来、社が世話していて、管理範囲外にはいないはずなんですよ。それが森を覆いつくすほどになるなんて……。カノキジたちの身に何事もなければいいのですが」
僕は隣の木の幹に絡みついている糸に触れてみた。元の世界の蜘蛛の糸とは異なり、べたつきはない。むしろさらさらと流れるような滑らかさだ。体温で解けてしまわないか心配になるほどの、繊細な触り心地だ。
「もしかして、これを結い上げて布にするんですか?」
「そうですよ。今となっては高級品ですよ、キヌダカの布は」
なるほど、蚕だ。この世界では、蜘蛛で養蚕業のようなことをしているのだ。蜘蛛の糸で、絹織物を作り上げているというわけだ。
合点がいった僕に自慢するように、つばの上に立つキヌダカがえへんと足を動かしてみせた。
絹の川に導かれて、森の奥へと行きつくと、目に飛び込んできたのは、薄金色の極大の繭だった。背後の荒々しい岩壁を包み込むように糸が縦横無尽に張り巡らされたその中心に、貨物船舶ほどはあろうかという巨大な楕円が静かにたたずみ、降り注ぐ日光を受けて後光のように優しく輝いていた。
繭の下には、くすんだ紅色の社が見えた。この世界に来て、初めて見る和風の建築物だ。三階建ての、小さな城のような絢爛な見栄えだ。神々しい繭の下にあってか屋根や外壁に数百本の糸が垂れ下がっている。
社の門扉に立ち、ディミトラさんが杖を振るった。しばらくすると、白装束の人間二人が、観音開きの扉を開いて、こちらに頭を下げた。交差する八本線が描かれた布を顔につけていて、表情は見えない。「彼らは機織たちです」と小声で教えてくれた。
「カノキジはいますか?」
ディミトラさんが帽子を取って尋ねると、機織たちは社の奥を手で指示した。社の奥へと入っていく。
社の内部は吹き抜け構造になっていた。木組みの柱と梁から無造作に糸が伸びては垂れ下がり、時折ゆらゆらと揺れ動いている。一階の壁には赤に紫に、色とりどりの布が展示されている。
広間奥にある木箱に案内にされた。箱の内部に入ると、ギリギリと音を立てて扉が閉まり、上階へと動き出した。
「五階がキヌダカの孵化所、四階で糸を巻き上げて、二~三階で布にしていくんです。地下では染色が行なわれているはずです。とくに製布の過程はおもしろいですよ。後で見学させてもらいますか」
ディミトラさんが説明する間に、木製のエレベーターは高度を上げていき、やがてガコンと動きを止めた。ギリギリと扉が開く。
扉を出た場所は学校の教室ほどの部屋だった。長机と十個ほどの椅子が並ぶが、長らく誰かが座ることはなかったようで、冷たい静けさを保っていた。
部屋の奥に、ひと際大きな机が見え、そこにひとりの女性が座っていた。
「ディミトラさん、ようこそお越しくださいました」
髪飾りをつけて前髪を二分分けした、柔和な表情の女性だった。僕たちよりも二回りほど年を重ねている風貌で、白い肌とあいまってやつれてみえた。
ディミトラさんは帽子を胸の前に降ろして、軽く膝を曲げてみせた。中程度の敬意を示す挨拶だ。僕もそれに倣う。
「お久しぶりです、カノキジ。ご紹介します。こちらはミタカという魔法使いです。訳あって、トキオ公国まで送り届ける道中です」
カノキジさんは僕のほうを見て、目元の皺を優しく深めた。
「ようこそ、ミタカさん。こんな辺鄙までよくお越しくださいました……あなたの二つ名をお聞きしても?」
ディミトラさんのほうをチラリとみる。軽く頷いた。自分で名乗れ、ということだろう。僕はディミトラさんから名付けられた二つ名を名乗る。
「『記憶のミタカ』です。今見ている風景を、そのまま残すことができる魔法です」
「風景を残す……?」
カノキジさんは薄く眉根を下げて、ディミトラさんに視線を振った。視線に答えるように、ディミトラさんが帽子をかぶりなおした。
「……一瞬で高精度の絵が描けるんですよ。ミタカ、この前の川辺の景色を見せてあげてください」
ディミトラさんに言われるがまま、僕は保存されていた川辺の写真をカノキジさんに見せた。カノキジさんは目を細めて写真を確認してから、ほうと息を吐いた。
「あらあら、これはもしや森を抜けた先のカミコの清流では?」
「来る途中に立ち寄ったんです。もうすぐバシカの季節で、開花を予感させる甘い香りが風に乗っていましたよ」
「懐かしい。この川の清らかさであれば、今日もオソたちは元気に泳ぎ回っていることでしょう」
カノキジさんは写真から顔を上げて、また優しく微笑みかけた。
「ありがとうございます、ミタカさん。優しい魔法で素敵ですわ」
「……悪かったですね。殺傷しか能がない魔法で」
ディミトラさんが渋い顔をした。ディミトラさんの二つ名は『紫電』だと聞いた。名前そのままに、紫色の雷で他を圧倒するのだ。
カノキジさんは微笑みを崩さないまま、ディミトラさんに語り掛ける。
「その魔法で助けられた恩は忘れておりませんよ。今日は手拭いですか? それともブランケット?」
「いえ、ローブがほしいんですよ」
「ローブ? ……あなたのですか?」
「そうです……あ~、いや、ミタカの分もついでに買っておきますか。ねぇ?」
ディミトラさんの提案に頷いた。カノキジさんは机の脇にあった杖を手に取って、ゆっくりと立ち上がった。
「珍しい。雨の日以外はその服装を崩さないものだとばかり」
「まあちょっとした気分転換ですよ」
カノキジさんは部屋の隅の天井から垂れ落ちた糸を引っ張った。ガラリと音がして、上から八枚の木札が振り落ちる。その木札を確認しながら、カノキジさんが困ったような声を上げた。
「……ディミトラさんサイズのローブは最近作ってなかったから、在庫がないかもねぇ。ちょっと階下に来てもらえますか?」
コツコツと杖をつきながら、エレベーターのほうへと向かう。扉脇の紐を引っ張ると、ガタガタと箱が上がってくる音が大きくなっていく。
「しかし安心しましたよ。森にキヌダカたちがあふれていたんで、カノキジの身になにか起きたのかと」
待っている間の世間話に、カノキジさんはすっと目を伏せた。
「……あの子たちは、森のどの辺まで行っていましたか?」
「……どうでしょう? そこまで離れていませんよ。半径三クトルメンぐらいですかね?」
「そうですか。……であれば、失敗ですね」
ガタンとエレベーターが停まり、扉が開いた。
「結局、あの子たちは呪縛からは逃れられなかった」
更新が遅れて申し訳ございません。これから週2~3回の更新を目標にします




