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第13話 蜘蛛糸の社②

 

 ディミトラさんが地面に杖を立てて、手を離した。


 杖は一瞬、立ったまま静止してから、バタリと斜め左方向へ倒れた。



「よし、あっちですね」



 ちょっと待て。



 歩みを進めようとするディミトラさんの肩を掴んだ。


「ディミトラさん、まさかここに至るまで、そんな古典的なやり方で進んできていたんですか?」


「ミタカ、あなたの世界と一緒にしないでください。これはれっきとした道を探し出す魔法なんですよ。正しい方角の的中率をなめちゃいけません」


「どのぐらいなんです? 的中率は?」


「……まあ二割弱といったところですかね」


「ただの運否天賦じゃないですか! 地図を貸してください! 俺が読図しますよ!」


「い、いや、この地図はちょっと特殊でしてね——」


 帽子に仕舞おうとするディミトラさんから地図を引っぺがした。胸元でわたわたと暴れるディミトラさんの頭を左手で押さえつけて、右手に持った地図を見た。


 地図ではなかった。ブロッコリー畑のような木の絵が並び、端に小屋マークが描いてあった。小屋が丸で囲まれ、文字が添えられている。僕でも読める。「ここ」だ。


 それだけしか描かれていない、落書き用紙だった。



 振り返ると、ディミトラさんは両手を腰に当てて、ケロリとした表情だった。



「そもそもこんな同じ景色が続く、なんの特徴もない森で地図があったところで、意味を成さないと思いませんか?」



 すごいな、もう開き直っている。



「ディミトラさん、遭難というのは初動が大事なんですよ! 道に迷ったと思ったらすぐに引き返さないと、どんどん悪化していくことに——」


「うるさいですねぇ! いざとなったら雷で天の木々に穴を開けて飛び立てば、私は生きて帰れますよ!」


「俺はどうなるんですか、俺は!」


 やいのやいのと言い合っているうちにも日は暮れていき、暗い森は影から夜に変わっていった。




 *




 言い争っていても仕方がないので、この日は暗い森の中で野宿することになった。テントや最低限の薪を背負ってきていてよかった。森の枯れ木はしけっていて、苔は少し押し込んだだけで水が染み出てくる。


 苔を剥いでから薪を組んで、火をつけた。久しぶりの暖かな光と色に、ほっと体が弛緩していくのがわかる。



「……悪かったと思っていますよ」



 木串に突き刺したキノコが焼けるのを待っているときに、揺れ動く炎を見てセンチメンタルになったのか、ディミトラさんは膝を抱えてつぶやいた。とんがり帽子を脱ぐと、普段より落ち着いて見える。


「前までは目印の白糸が導いてくれていたんですけど、進めど進めど見つからないので、焦ってしまいました。申し訳ないです」


 そう萎れられるとこちらも怒る気になれない。幸い食料には余裕がある。まだ三日は歩き回れるだろう。そうこうしている間に、目的のキヌダカの社にたどり着ける気がする。なんの根拠もないが、まだ死なない気がするのだ。


 そんなことを語ると、ディミトラさんは喉になにかが突っかかったような表情になった。


「前々から思っていたんですが……、ミタカは少々変わっていますね。度胸があるとか楽観的だとかとはまた違う、生への無頓着さが先立っているというか……。死ぬことが怖くはないのですか?」


 よくわからない。死は怖いが、どちらかというと痛いほうが怖い。苦しいほうが怖いのだ。穏やかに死ねることがあらかじめわかっているなら、死への恐れはもっと希薄になっていくことだろう。


 そもそも現代においてわざわざ雪山に登山に行くようなやつなんて、どこかしら頭のネジが外れた死にたがりだ。無論、偏見だ。偏見だが、少なくとも僕はそうだった。そして僕のような頭のネジの外れた奴は、普段は隠しているだけで、存外少なくないはずだ。


「生への無頓着さといえば、この世界の人たちだってそうなんじゃないですか? あと五年で終わるとは思えないほど、みな穏やかですけど」


 僕の疑問に、ディミトラさんは力なく首を振った。


「それは、私ができるだけ穏やかな国や村を選んで旅をしているからです。今でも恐怖にかられて日夜殺しあっている国はたくさんあります。すでに滅んでしまった集落は数え切れません」


 ディミトラさんの瞳には、焔の揺らめきが映し出されている。


「今は、嘆き疲れて、一度落ち着いた時期なのやもしれませんね。おそらく、三年も経てば、また世界は悲しみと憎しみの時代となるでしょう。そのときは、あのニットー村ですら、どうなるかわかりません」


 語りきれない、数多の遺恨の渦を見てきたのだろう。諦念に至ったように棘のない口調だった。陽だまりだった場所が、突如自分に牙をむくようになるのは、どれほどの悲しみだろうか。


 ディミトラさんはどうなのだろう。死が怖くはないのだろうか。それとも、それすらも諦めているのだろうか。


 パチッとひと際大きな薪の焼き割れる音が響いた。夢から覚めたようにディミトラさんは短く息を吸い、声のトーンを上げた。



「だから、その前に、ミタカは元の世界に帰るべきですよ。しっかり送り出してあげますから、それまでに私から受けた恩を返せるようにちゃんと稼ぐんですよ」



 話は終わりだ、と言わんばかりに、ディミトラさんは「どれどれ」と地面に突き刺したキノコ串を手に取った。僕は心に靄を抱えながらも、同じように木串を手に取ろうと手を伸ばす。




 右手に、ボトリと柔らかいものが落ちてきた。



 腹の膨れた灰色の蜘蛛が、手首の上で逆さになっていた。




 蜘蛛は嫌いではないが、節度ある距離を保ってほしい派だ。いきなり腕に乗ってくるのは聞いていない。


 悲鳴を上げて、蜘蛛を払い落とした。蜘蛛は苔の上でひっくり返って、すらりと細い足をばたつかせている。


「なんだってんだ! ごめんなさい、ディミトラさん。急に蜘蛛が振ってきて——」



 そこで異変に気付いた。



 空から何匹も蜘蛛がバタバタと振ってきた。糸を垂らしてゆっくりと下りてきて、火に驚いて糸を切って落ちてしまっているようだ。大きなもので親指大程度のサイズで、野生生物とは思えないほど動きが鈍い。


「キヌダカ。お前たち、ご主人のもとを離れてどうしたんです?」


 ディミトラさんは杖の上でバランスを崩す蜘蛛を見て、少し驚いた様子で微笑んだ。この蜘蛛がキヌダカという名前らしい。


 繰り返すが、蜘蛛は嫌いではない。見るのは好きだ。ただ、確認できるだけで十数匹が森のなかでわらわらと群れている様子は、少々不気味だ。


「ディミトラさん、こいつらは大丈夫なんですか?」


 僕は腰を引きながら問いかけた。


「害はありませんよ。むしろ最高の職人さんたちです。ねぇ、キヌちゃん?」


 ディミトラさんは、キヌダカの目元で人差し指をくるくる回して遊んでいる。ディミトラさんは虫が好きなのだ。よく羽ばたく蝶を目で追いかけている。ピラちゃんを愛でているのも、芋虫に似ているからだろう。


「これは、朗報ですよ。社への道はこの子たちの糸をたどれば到着できます。今日は寝て、明日の朝から向かうようにしましょう」


 ディミトラさんは「ねー?」とキヌダカにふやけた笑顔を向けている。こんな弾けた笑顔は初めてみた。とてもかわいらしい。その笑顔をカメラの前でも見せてはくれまいか。



 そして、嫌な予感がする。



 まさかとは思うが、今日はこの蜘蛛たちに囲まれて寝るのか? それは朗報ではなく、悲報なのだが。


 先ほど腕に乗ってきた個体は、僕の足に登りたいのか、苔の上で前足をフリフリと振っている。




 そんなかわいい仕草しても騙されません。



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