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第11話 ジフバの影送り⑤


 空が橙色から紫色に移り変わるころ。ディミトラさんと酒場を訪れた。



 入店したときの静まり返り方は、昨日の比ではなかった。ディミトラさんは気にする様子もなく奥の丸テーブルに腰かけた。僕が両手に抱えた荷物を床に置いている間に、カウンターにいたちょび髭の男性がすぐに出てきて、水を置いた。ディミトラさんが注文をすると、引きつった笑顔で奥へと引っ込んだ。


 店の中のざわめきは、昨日より小さく、怯えているように感じた。



「……ディミトラさん、本当にこの国ではおとなしくしていたんですか?」


「……おとなしくしていましたよ。《《壁の中》》では」


「ディミトラさん、どこを見ているんですか、こっちを向いてください」


 視線を明後日の方向に逃がすディミトラさんの顔をのぞき込もうとする。




「——ディミトラさん、お久しぶりです!」


「っおお、アリーザ!」


 ディミトラさんは、アリーザさんの登場に、心底ほっとしたように反応した。


「ずいぶんと大きくなりましたねぇ。前に会ったときは私と同じぐらいの身長だったのに」


「日記帳を漁ってみたら、前にお会いしたのは、もう四年も前でした。そりゃあ大人にもなりますよ」


 アリーザさんは余っていた席に腰かけた。不思議そうにカウンターのほうを振り返っている。


「ディミトラさんに挨拶すると言ったら、『仕事はいいから、とにかく失礼のないようにゆっくり話しておいで』と。どうしちゃったんでしょうね?」


「そうなんですね、まったく見当もつきませんねぇ」


 ディミトラさんは、かたくなに僕に視線を合わそうとしない。


 一層視線を強くする前に、アリーザさんが僕の視線に入ってきた。


「今日は皇帝様に謁見してきたのでしょう? 城内ってどんな感じなんですか? 私、行ったことがなくって!」



 語尾が跳ねるアリーザさんに、謁見時のことや、旅の道中のことを話した。ディミトラさんも焼いた豆類の殻を剥きながら補足を入れていた。補足と言うより茶々を入れるといったほうがいいのかもしれない。とにかくいろいろ話している間にも、アリーザさんの眼差しは一層きらきらと輝くばかりだった。







「——それにしても便利ですね、ミタカさんの魔法は」


 一通り話に花を咲かせた後。写真データを見ながらアリーザさんが声を弾ませた。


「外の世界は、こんなに自由に飛び回れるんですね。……これはなんの儀式ですか?」


「それはただ気が高ぶっただけですね。——ミタカ、この写真とやらは、消すとか捨てるとかはできないんですか?」


 もちろん消せる。消せるが、「消しません」と力強く答えた。


 酒に頬を赤らめたアリーザさんは、テーブルに肘をついて、頬を膨らませた。


「私も旅人になれればなぁ。試験に受からなくって」


 試験? 酒でぼやけた脳内に、いやな言葉が流れ込んできた。大学を卒業しているというのに、いまだに大学入試に落ちる夢を見るのだ。


「二十日に一度、地方ごとに旅人を募集しているんです。今回はこの東南地方だったんですけど、試験に合格することができなくって……合格するのはご年配の方ばかり。無駄な知識ばっかり要求してくるんですよ、嫌になっちゃいます」


 そんなに頻繁に募集して大丈夫なのだろうか。青い石にもかぎりがあるだろうに。欠伸をかみ殺す。だんだんと眠たくなってきた。


「父はその審査を通って旅人になったんですよ。ディミトラさんは、私の父と会ったことありますもんね?」


 ディミトラさんは、相変わらず俯いて豆の殻を剥いている。


「そうですね。彼が入国審査官だったときはやりやすかったですよ。魔法使いへの理解がある方でしたから。……でも、アリーザが外の世界に出るのは反対されたんじゃないですか?」


 アリーザさんはふんと、可愛らしく鼻を鳴らした。


「父は絶対に自分が帰ってくるまでは旅に出るなと言っていましたけどね。父よりよっぽど働けますよ。若いころは弓の名手だったらしいですけど、私が物ごころつくころには、どんどん視界が狭まっていたんですから。私と一緒に旅に出たほうが動きやすかっただろうに」



 ろくに目が見えない状態で試験に受かるなんて、随分と緩い審査だ。


 僕はワインをちびちびと飲みながら、二人の話に耳を傾ける。瞼が重い。心地よい眠気だった。久しぶりの酒はやはりよいものだ。



「衛兵時の彼の眼光は鋭かったですからね。『鷹の目』の名は伊達ではありませんでしたよ。瞳が濁り始めたと聞いたときは、いささか動揺しました」


「でも、外の世界に治す術があるんでしょう? そこに立ち寄ってから、世界を旅した後に迎えに来るって言ってましたよ。……もう五年も経ちますけど」


「……そうですね。今は澄んだ空を見上げられていることでしょう」



 うつらうつらとしてしまっていた。いかん、いかん。僕は首を軽く振って、話題に加わることにした。



「試験に合格できたら、どこへ向かいたいとかあるんですか?」


「う~ん……いろいろありますけど、やっぱり『地上の瞳』ですかね。この国との交流が断絶してからずいぶんと経ちますが、青光教の聖地として栄えていることでしょう」


「……旅に憧れるのはいいですがね。女の一人旅は無謀ですよ。おとなしく父の帰還を待ちなさいな」


 話を区切るディミトラさんに、アリーザさんはまた頬を膨らませた。


「ならディミトラさんが連れて行ってくださいよ」


「魔法使い以外は旅に同行させない主義なんです」



 アリーザさんはため息をついた。



「父を待っている間に、マルタ地区も加護から外れてしまいます。こんな同じ毎日の繰り返しのまま終わるなんてまっぴらごめんです」



 ここはマルタ地区というらしい。東南地方の、マルタか。



 マルタ。どこかで聞いたことがある気がする。コップに口をつけながら記憶を探る。どこで聞いたんだっけ——。




(愛しの娘。どうか幸せに)




 言葉が思い浮かんだ瞬間、さっと眠気が遠のいた。




()()()()()()()()()()



 昨日からのディミトラさんとアリーザさんの会話がフラッシュバックした。


(でも、訪れるたびに居住範囲は狭まっていきました)


(二十日に一度、地方ごとに旅人を募集しているんです)


(五年ほど前は、国内での争いもひどかったと聞きました)


(働けない者に、飯を食わせる余裕がないのです)


(合格するのはご年配の方ばかり)


(瞳が濁り始めたと聞いたときは、いささか動揺しました)


(父はその審査を通って、旅人になったんですよ)


(世界を旅した後に迎えに来るって言ってましたよ。……もう五年も経ちますけど)



 最後によぎったのは、ディミトラさんの悲しげな眼差し。



(あなた、『影送り』にされたんですね)




「——ミタカさん?」



 突然固まった僕を心配してか、アリーザさんが僕をのぞき込んできた。


 僕はぎこちなく笑って取り繕う。


「いや、おいしいなと思って。久しぶりのお酒だったので。いいお店だ」


 僕はコップをテーブルに置いて、店のなかを見回した。なんとはない、という雰囲気で聞いてみた。


「ええと、この店の名前、なんでしたっけ? 俺、看板の文字が読めないんですよ」


 アリーザさんは「ああ」とサラダを小皿に取り分けながら言った。




「オオザの酒場ですよ。父の名前からつけられたんです」




 酒場の喧騒が、遠のいてくように感じた。



 青葉の乗った皿が、僕に差し出されている。



 一拍置いて、それを受け取った。



 アリーザさんから視線を外した。こらえきれずに、横目でディミトラさんのほうを見た。



「焦りは禁物ですよ、アリーザ」



 ディミトラさんは、極めて自然な声色で、アリーザに語り掛けた。



「きっとオオザが迎えに来ますよ。それまで、国の中で待っていればよいのです」



 それは、ディミトラさんが初めて見せた、愁いを慈愛で塗りつぶした、優しい微笑みだった。







 出国直前。行きに通ったジフバの草原を通れないかと提言した。積み荷の内容を皮紙に記録していたディミトラさんは、かすかにこちらを振り返り、しかし襟元にその表情を隠したまま、すぐに積み荷の記録作業に戻った。



「言っておきますが、墓参りはできませんよ。あれだけ蛇行して通り抜けたんです。どこに埋葬したのか、探しているうちに世界が終わってしまいます」


 僕は「原っぱの少し小高い場所に行ければそれでいいです」と返した。


 しばらく黙して記録を続けていたディミトラさんは、やがてピラちゃんの頭部をなでながら、行き先を伝えた。ピラちゃんはシューと息を吐いてから、カタカタとその身を揺らし始めた。


 帽子を目深にかぶったディミトラさんは、ピラちゃんの背中に座り込んだ。


「小人の砂時計が落ちるまでに済ませるんですよ」


 気だるげで、それでもかすかに優しい声色に、僕は「ありがとうございます」と頭を下げた。




 ジフバの丘に立つ。正確には、ジフバの丘に立つ、ピラちゃんの頭の上に立っていた。それでようやく、周囲を見渡せる。


 一面の桃色の野原だった。青臭い香りが鼻をくすぐる。葉を食べているのか、薄桃色の羽のバッタ類が、カサカサと飛び立った。バッタの飛び立った先に、白黒の城壁と、煌びやかな城が見えた。さえぎるもののない直線距離なら、半日とかからずたどりつける場所だ。かき分けることすら困難な、ジフバの海に飲まれなければ。すべてを包み隠す、桃色の波に飲まれてさえいなければ。


 プリンタとコードを取り出して、カメラと接続した。カメラロールを遡って、一枚の写真をプリント指定する。じーっと音を立てて、写真が排出された。



「貴重な紙だと言っていたのは、ミタカではないですか」



 ディミトラさんのぼやきに、「だからこそですよ」と言葉を返した。


 カウンターに寄りかかって、首を傾げて微笑むアリーザさん。その写真を持ったまま、手を合わせて祈りをささげる。



 病で「鷹の目」をなくした弓兵は、祖国に捨てられたのだろうか。それとも、若人を、娘を守るために、自ら志願したのだろうか。



 オオザさんは、灰色になる前の瞳で、娘の成長をどこまで映し出せていたのだろう。天にいるオオザさんに、この写真は見えるのだろうか。オオザさん。アリーザさんは、立派な看板娘になっていますよ。



 ざあと葉を揺らす風に任せて、写真をふわりと投げた。さほど舞い上がることもなく、桃色の波間に消えていく。



 少しの間その風を肌で感じてから、ピラちゃんの頭から降りた。同時にキュラキュラとピラちゃんがその場で回転して、東へと進路を変えた。





 ジフバの草原を抜けても、その日中は、甘く命に満ち溢れた臭いが、鼻の奥から抜けなかった。



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