呼び声
「――ねえ、知ってる?」
そんな枕詞から始まる噂話なんて、この世にごまんとある。そして、聞いたら誰かに話したくなるのも人間としての性といっても良いだろう。だから、世間は噂話で溢れているのである。
(だけど、今ここで話さなくても良いのに……)
列の後ろに並んだ女子の声を聞きながら、俺は密かに溜め息を吐いた。
夏休みの臨海学校。そのレクリエーションの一つで、生徒達は宿泊施設の近くにある山の麓に来ていた。
自然の多いこの場所は、午後八時ともなると結構暗くなる。建物の灯りや街灯はあるとはいえ、東京のそれより遥かに少ない。それに山の麓に建物はなく、街灯も極端に減るので、懐中電灯がなければ相当に心細い。
山には、数分ほど石段を上がった先に小さな神社がある。二人一組のペアになり、そこまで行って帰ってくるという肝試しを今からするのだ。
順番がやってきて、俺はペアの男子と一緒に石段を上った。左右は木々に覆われ、夜に参拝に来る物好きもいないので灯りはない。ペアに一つだけ渡された懐中電灯だけが頼りだ。
暫く上り続け、半分くらいまで来ただろうか。てっきり途中で教師が脅かし役をやっているだろうと思っていたが、ここまで何もなかった。拍子抜けで緊張も緩んできた頃だった。
「――っ」
突然、懐中電灯が消えた。ずっと俺が持っていたが、スイッチを押した覚えはない。急いでカチカチとスイッチを押すが、懐中電灯は一向に点かなかった。
「……おい?」
ふと気づくと、一緒にいたはずの男子の気配がない。真っ暗闇の中に声を投げてみたが、返事もなかった。
俺は焦ってとりあえず石段を下りようとしたが、この暗闇では転げ落ちてしまう。
『申し』
不意に声がした。蚊の鳴くような小さな声だが、厭にはっきりと耳に聞こえる。
『申し』
「――……」
ペアの相手の悪巫山戯かと思って返事をしようとしたが、寸前でやめる。先ほど女子が話していた噂を思い出したのだ。
「この神社、出るんだって。夜、神社にいると声をかけられるんだけど、絶対に返事をしちゃいけないの。返事をしたら最後、あの世に連れていかれちゃうんだって」
肝試しをする直前にあまり聞きたくない内容だったが、聞いておいて良かった。
俺は唇を固く結んだ。
『申し』『申し』『申し』『申し』『申し』
しかし、そうしているとどんどん声が増えていく。俺は恐怖に駆られて耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。
「どうした? 具合悪くなったのか?」
肩を叩かれて恐る恐る顔を上げると、ペアの男子の心配そうな顔が俺を覗き込んでいた。周囲を見ると、懐中電灯が消える直前と変わらない景色があった。懐中電灯も当然のように点く。
(何だったんだ、今のは?)
噂を聞いていなかったら、どうなっていたのだろう。
俺は二の腕をさすりながら、心の中で女子に感謝した。