蝉
いわゆる『都会』を抜けるまで思ったよりも時間がかかった。
一方通行や自動車専用道路、遠回りになる道が多くどうしても都市圏を出るまでに時間がかかってしまった。
想定していた旅の爽やかさを感じられず、どこか作業めいた工程を踏んでいるようで少し気が滅入ってしまう。
しかし、宇都宮を越え、那須塩原のあたりまでくると街並みが都会から田舎へと急激に移り変わっていった。
田園風景や森、山などの自然が増え対照的に家などの人工物はどんどん減っていく。
すぐわきを流れる渓流の音、木漏れ日の降り注ぐ林、高台から見下ろす山など、都会にいてはお目にかかれない自然に圧倒された。
思わず足置きに立ち上がり「自然すげぇええええ!」と恥ずかしい絶叫を響かせる。
間違いなく、俺はこの瞬間に旅のピークを迎えていた。
「森ばっかり……」
大自然への感動もつかの間のこと。
福島に入るころには日が暮れ始め、あんなに青々としていた木々の葉が徐々に夕焼けの紅に染まっていく。
郡山を出てからはひたすら森と山が続く道ばかりだった。
道も手入れが行き届いていないのか、掃除されていない落ち葉どころか落石や倒木が道路上に鎮座している場所もある。
道路標識でさえ元が何を示していたのかわからないくらい黒ずんでいた。
「熊注意とかじゃないよな……」
時間とともに紅から深い青へ陰る日差しが、不安を肯定するように行く先の道に暗い影を落としている。
山道に入ってからはくねくねと平衡感覚を失わせる道が続き、上ったかと思えば下り、視界が開けたと思いきやまだ深い森の山中を進んでいることに気づかされる。
人の気配を感じさせない森が両脇からどんどん迫ってきているように感じられ、道幅が狭くなっているような錯覚に囚われていった。
「……郡山で泊まるんだったなぁ」
そんな後悔も滲んでくるが頼る人のいない貧乏旅だ。
節約できるときに節約しておかなければならない。
それに、看板通りならもう少しで次の街にたどり着くはず。
次第に濃くなっていく不安から逃れるように力強くアクセルを回す。
耳には甲高いエンジン音と遠くから聞こえてくるカナカナという声だけが聞こえている。
気づけば太陽は完全に沈んだらしく、サイドミラーには来た道を飲み込んでいく深い深い暗闇だけが延々と続いていた。
道には時折申し訳程度に薄暗い街灯が設置されていたが、本当に謝ってほしいくらい頼りない様子だ。
いくつかの峠を越え比較的視界の開けている崖沿いの大きなカーブを曲がっている時、その音は突然聞こえてきた。
ビイィ……、プスン。
さっきまであんなに調子よく働いてくれていたエンジンが、なんともさびしい音を最後に止まってしまった。
ウィイイ……ウィ……。
手元のスイッチでセルを回してみたが鼓動を吹き返す気配はない。
「マジか……。さすがにそれは予想外だわ」
完全に動かなくなったバイクを道の端へ移動させその座席に横向きで腰かけた。
完全に夜の帳が下りた山の中。
様々な虫の鳴き声と木々の葉がこすれるざわざわとした音だけが響いている。
真後ろは鬱蒼とした森、目の前にはカーブで突きだした崖とガードレール、崖下に広がるのは道もない樹海。
何度周りを見回してみても、「遭難」という二文字以外出てこない状況だった、
……郡山を出てから随分走っている。
来た道をバイクを押して帰っていたら朝になってしまうだろう。
先に進むにしても街どころか人の気配さえ感じない森が続いている。
ここで他の車が通るのを待つのが現実的かもしれないが、少なくともこれまでの道中で対向車とすれちがうことはなかった。
「初日からいきなり野宿かぁ……?」
当てのない旅に出る以上、野宿するパターンがないとは思っていない。
そのためのサバイバル用品もいくつか肩掛けに入っている。
しかし、初日からまったく人の気配がない山中で石を枕に星空の天井を見上げるとは思っても見なかった。
せめて少しでも寝心地の良い場所はないものかと辺りを見回した時、それを見つけた。
「……ん?」
背後の森の奥で小さな明かりがゆらゆらと揺れている。
周囲に明かりと呼べるものが皆無なだけに、その明かりは儚げでもはっきりと感じられた。
人里離れた山奥とはいえ、そこに道がある以上人が手入れをする必要があるはずだ。
もしかしたら道路工事でも行われているのかもしれない。
強い光ではないのが気になるが、他に選べる選択肢などない。
「VESPAも直さなきゃいけないし、このままここで一泊するのは最後の手段としてとっておくか。」
微かに見えた希望にすがりつくようにして、一色はその明かりに向かって歩きだした。
chips:ボロボロの日誌3
19XX年5/27
吊り橋を見つけた。
古くどこか禍々しい作りだ。新崎に言わせると猿橋とかいう橋に似ているらしい。
なんにせよ、人里にたどり着いたのは間違いない。
俺たちは助かる。