羨ましいって思うのは私が邪念にまみれているから?
騎馬民族問題とユキノダイトの売却先の問題が一挙に片付いた私はほっと一息ついていた。珍しく仕事中に休憩をとってリーナが淹れてくれた紅茶とケーキをいただいている。領主になって良かったと思う数少ない瞬間だ。
そろそろ次の鉱山を探してもいいけど、アリーシャはいつも忙しそうだし私も疲れたからもう少し間を空けてもいいかな、などと考えていると。
「アルナ様、館の前で行き倒れている人がいます!」
リーナが慌てた様子で駆け込んでくる。確かに貧しい領地ではあるけど、実はこの館周辺は一応栄えているので、私自身はあまり行き倒れている人を見たことはない。でも本当はこの領地はやばいところまで来ているのだろうか。そもそもわざわざ私の館の前で倒れているというのは偶然ではない。何か私に用があるのかもしれない。
「今行く」
何も私がくつろいでいるときに行き倒れなくてもいいのに、と不満に思いながら私はケーキと紅茶のカップを置いて玄関に向かう。
館の前には倒れていたのは旅の服装に身を包んだ女だった。年齢は私とそんなに変わらないだろうか。ぼろぼろのマントを羽織っているからよく分からないが、腰に差している剣はなかなかの業物で単なる貧乏人という感じでもない。一応革袋を背負っているが、中身はほぼ空のようだ。
もしかしたらどこかから私を頼って落ち延びてきた名のある人物という可能性もなくはない。貴族同士の諍いがあって全く関係ない私のところへ逃げてきたとか。うちは何もないが、亡命先には最適である。
「大丈夫?」
私は彼女の傍らにしゃがみ込んで耳元で声をかけてみる。その瞬間。
ぞくり
私の背筋を冷たい何かが駆け抜けていった。
気が付くと私の背は変な汗で湿っている。
死神が通り過ぎた、と言い換えてもいいかもしれない。これまでの人生で直面したことのない感覚だから分からないけど、もしかするとこれが死の恐怖というものかもしれない。
そんな感覚の後、目の前で倒れている彼女の手が私の首元に伸びているのに気づいた。
「お腹が……空いた……」
行き倒れ少女は消え入りそうな声で言う。
それを聞いて私はほっと息を吐く。なんだ、今の殺気は気のせいだったのか。私の首元に伸びている手も食べ物を欲して伸ばしたものだったのだろう。
今、何なら一回死んだぐらいの寒気がした。気のせいとも思えないけど今は何ともない。
「リーナ、何か食べられる物をお願い。出来ればおかゆかスープがいい」
「わ、分かりました」
「今食べ物を持ってきてもらうから待っていてね」
私の言葉に少女はこくりと頷く。彼女を眺める限り、どうも極度の飢餓状態にあるだけで外傷とかがある訳ではないらしい。
数分後、リーナがお椀に入れたスープを持ってくる。朝食の残りの野菜スープだな。リーナも彼女の傍らにしゃがみ込むと、スプーンで野菜の塊を一つすくうと、ふうふうと息を吹きかけてから少女の口元に差し出す。
「た、食べられますか?」
少女は弱々しく頷くと口を開ける。リーナは程よく冷ました野菜を少女の口に入れる。少女はそれをもぐもぐと咀嚼してごくりと飲み込んだ。お腹が空いてるときに急に食べると吐く、みたいなことを聞いたこともあるけど大丈夫そうなのでほっとする。リーナも安堵して次々とスープの具をあーんしていく。
やがてお椀の中身を全て食べ終えた少女はすっかり顔にも血色が戻っていた。それを見てほっとする私とリーナ。どうも本当に単なる空腹で倒れていただけだったらしい。
「歩ける? ここで話すのも何だし、中へどうぞ」
「うん」
私の言葉にしっかりと頷いた少女はよろよろと立ち上がる。そして多少ふらついてはいるものの確かな足取りで私たちについてくるのであった。
「ひあっ」
不意にリーナが何かにつまずく。どうも床が老朽化して少しへこんでいたらしい。意外とドジなところもあるな、などと思っているとリーナの手に持っていたお椀がすっぽ抜けて後ろを歩いていた少女の方へ飛んでいく。まだよろよろしていた少女は避けることも出来ず、お椀が胸の辺りに命中する。
「……」
お椀はころん、と音を立てて床に転がった。
「す、すみません、大変失礼いたしました」
そしてぺこぺこと難度も頭を下げるリーナにすっとお椀を差し出す少女。しかし私はその様子に違和感を覚えた。少女は本当にお椀を避けられなかったのだろうか。不意に飛んできた割にはお椀がぶつかっても悲鳴一つ上げなかったし、特に驚いた様子もない。
あえて私の違和感をそのまま文章にするとすれば、
少女は淡々とお椀に当たった、となる。
実は彼女、何か恐ろしい使い手なのでは? ただ急にお椀を避けたりすると目立ってしまうので、気づいたうえであえて当たったのではないか。だとすればそんな実力を隠して私に近づいて来る意図は何だ。私はそんなことを思いつつ少女を応接室に通すのだった。