二人だけの夜
「なあ、バルド。知っているか? 妾の母のことだ。」
「すまない。知らない。」
「ふふ、無理もないさ。もう十年も昔のことだからな。あの頃の妾は毎日が傷だらけでな。」
「なんだと!?」
バルドが驚くのも当然である。現在の腕前から推測して当時でもアイリーンはかなりの腕のはずなのだから。それが傷だらけとは?
「母上に毎日しごかれていてな。女は強くならなければならないのだと連日言い聞かされてきたものだ。」
「そうだったのか。素晴らしい母御だったのだな。」
「ああ、だが当時はそんな日々が辛くてな。貴族の娘達は華やかな服を着て、傷のない顔をしていたからな。ある日とうとう母上に聞いてみたのだ。『なぜ女は強くならないといけないのか』をな。」
「辛かったのだな。」
「まあ辛かったのは妾だけではなかったのだがな。母上はこう言った。」
『強ければ強い男を捕まえることができる。強い子を生むことができる。』
「なるほど。正しいのかも知れない。」
「そんな母上が亡くなって……ふと周りを見渡してみると、妾より強い者は居なかった。自分の弱さに絶望したこともあったがな。何のことはない、母上が強すぎたのだ。」
「それはぜひ一手指南をお願いしたかったものだ。」
「思えば父上もバカな男よ。母上が亡くなって随分経つというのに、未だに独り身。側女すらいないと言うではないか。あれで国王とはな。」
「俺に政は分からん。しかし、アイリーンそっくりだということは分かる。」
国王が口では文句を言いながらもバルドとの婚姻を反対しない理由もその辺りにありそうだ。
「ああ、妾もそう思う。だから……我らで強い子を作り、この国を守るのだ。」
「アイリーン……」
「今宵より、我らは比翼となりてどこまでも羽ばたくのだ。バルド……」
アイリーンの寝室。二人きりの夜。ベッドに横になったはいいが、お互いがどうしていいか分からず会話を続けている。バルドに比翼の意味が伝わったかは定かではないが、ついにアイリーンの手を握った。
「アイリーンの……手が暖かい……」
「バルド……そなたの指は強者の指だ……もっと強く……」
ついに二人の夜が始まった。
なお、余談だがアイリーンの母は名をアイシャブレと言い、旧姓はモンタギューである。身元は不明、諸国を旅する武芸者だったらしい。そのような身分の娘を王太子妃に迎えようとしたためにメリケイン王国は揉めに揉めた。現国王の両親である先代国王夫妻も大反対だった。
一向に譲らぬ現国王、当時の王太子とアイシャブレ。刺客も全て返り討ちにしてしまった。このままでは国が割れるかと思われた矢先、北東側に位置する隣国ラフェストラ帝国が攻め込んできたのだ。そこで矢面に立ったのがアイシャブレだった。あわや要衝アフサカ谷を突破されるかという寸前でアイシャブレが間に合った。わずかな軍しか連れていないアイシャブレはたった一人で迫り来る大軍を退け続けた。
三日に及んだ攻勢でもアフサカ谷を抜くことはできなかった帝国は、ついに引き返してしまった。三日も浪費してしまったために、せっかくの奇襲が何の意味も為さなくなったからだ。かくして国境は守られた。もちろんアイシャブレ一人の活躍ではない。数は少なかったものの共に戦った騎士達。彼らの助けがあったからこそ、わずかながら休憩もとれたし、装備を交換することもできた。この功績を持って彼女は王太子妃となり、騎士達は後の重臣となったのだ。
重臣達や伝統貴族の親世代からバルドロウ排斥の声が上がらないのはアイシャブレという前例があったからかも知れない。彼女は豪剣無双の姫と讃えられ、いつしか『剣姫』と呼ばれるようになり国内外から恐れられるようになった。
そして朝が来る。真っ赤と言うにはやや暗い朝焼けはこの国に何をもたらすのだろうか。




