第四話 『積年』
まずは前世についての説明からだ。
前世で俺は霊媒師という、この世界でいう死霊術士に近い仕事をしていたこと。
その仕事の最中、悪鬼――酒呑童子と戦い、命を落としたこと。
そういえば、俺はこの世界で妖をまだ見たことがない。
怪異といえば、前世における西洋のそればかりで、いわゆる東洋的な怪異は酒呑童子が初めてだった。
それは父親をはじめとする家族全員が同じらしく、鬼という種についての説明もまた求められた。
加えて、俺が酒呑童子と何らかの約束を交わしているのではないかという点についても問われた。
この点に関しては俺も本当にわからないので、説明することはできない。
つまり、酒呑童子本人に尋ねるしかなかった。
「全く……面倒くさいのう。」
別に隠すほどのことでもないが、と前置きした上で鬼は語った。
「人柱になった小童の意識が消えるまで、暇潰しがてら言葉を交わしたんじゃ。」
それは俺の記憶にはない、『扉』を渡った先での話であった。
「世の中には旨い酒があると。儂が醸造する酒よりうんと旨い酒があるんだと言ったんじゃ。」
そもそも前世では飲酒していい年齢に達していない俺が放ったお為ごかし。
この悪鬼が人間を酒として飲み干すという行為を止めるために、まさしく死に物狂いで頭をフル回転させたのだろう。
「儂はそれを呑んでみたいんじゃ。そのために力を貸すし、本当に旨い酒があれば、自分で酒を醸造するのも辞めてやると約束しただけじゃ。」
その話を鵜呑みにした……というわけではないだろう。
豪放磊落だが、馬鹿ではない。
恐らく全て分かっている。
俺の言葉が何の裏打ちもない言葉であるとか、そんな妄言の裏に隠した俺の本音とか、そういったもの全て分かった上で、それでも話に乗ってきたのだ。
「しかし、儂の酒を超える酒がなかった暁には、小童の血と感情をその魂ごと酒に変えてやると、そういう契約を交わしたんじゃ」
つまり旨い酒が見つかるまで、もしくは存在しないと判明するまで人間を殺すことはないわけだ。
途端に危険度が下がった気がするな、この飲兵衛野郎。
というかそれなら、今頃のんびりと旨い酒探しの旅にでも出ている頃じゃないのか。
「小童が言う旨い酒の在処を儂は知らんからな。それなら、知ってる奴に案内させた方が早かろう? だから、人柱になったお前の魂を元の世界の輪廻に戻してやったんじゃが……」
おい! なんだその不自然な間は! やめろ!
「戻したつもりで、其の実、別の世界の輪廻に乗せちまったようじゃのう! ガーハッハッハッ! いや、すまん!」
なに笑てんねんこいつ。
醒めた目で酒呑童子を見つめながらも、心のどこかで納得と諦めがついた。
納得とはつまり、俺が今生を得た理由についての納得である。
諦めとはつまり、俺が今生を失う原因へ抗うことが難しいという諦観の念である。
「……お話できることは以上になります」
俺の今生は、怪異によって生み出された、因果の歪みである。
そのような在り方が許されるか否か、考えるまでもない。
家族を欺き、民に偽って、俺はここにいるのだから。
「前世で死に、今生で記憶を取り戻し、前世で交わした契約に従って姿を現した悪鬼を力とする……か。ハルト、私は納得したよ。魔力が異常に高く、学業も素晴らしい成績を残し続け、なにより自らを律する精神力を備えた、とても十代とは思えぬほどの仕上がりを見せる息子。なるほど、前世と合わせれば三十年以上の時を生きているわけだからね」
決して皮肉ではないのだろうが、今のささくれだった俺の心には少し響くわ。
子どもの振りして俺つえーして楽しかったかと聞かれてるみたいで。
当人たる父親にそんな気が一切無いのは、声色で分かってはいるけれど。
「……信じてくださるのですか? このような与太話を」
少しばかり拗ねた気分で返答するくらい許されるだろう。
どうせこの後、俺は断罪される。
ひとまず俺の話した内容は事実だと受け入れられたとしてもだ。
家族や民に偽った姿だけを見せ続けたのだから。
あどけない子どものフリした精神年齢三十代とか、ちょっとおぞましすぎる。
「もちろんさ。少なくとも私の見立てでは嘘や隠し事をしているようには見えない。みんなはどうだい?」
そういって周囲を、家族の顔を見渡す父。
最初に口を開いたのは、仏頂面で話を聞いていた長兄・ベイリーだった。
「私も同様です。もちろん、この酒呑童子という輩によって、そのような事実があったと思い込まされている可能性は否定できませんが……」
少しだけ躊躇いを感じさせたものの。
「そのときは、鬼をハルトごと葬れば済む話です」
すぐに振り払い、毅然と言い放った。
そこにはアベール子爵家を継ぐ者として、求められる在り方に沿おうとする意志が垣間見えた。
「無理にキツい言い方をしなくていいんだよ、ベイリー。アランはどう思う?」
そんな長兄の心情を見透かしながら、続いて次兄に問いかける。
促された次兄は、真面目くさった顔から一転、母親譲りの黄色いオーラを振りまく笑顔で言い切った。
「こいつは俺の弟です! 良い奴に決まってるんで! 何も問題はないと思います!」
返答を聞いた長兄が頭痛ををこらえるように、そのこめかみを指で抑える。
次兄・アランのこの犬っぽさはなんなんですかね。
いや何の根拠もなくとも、そうやって言い切ってもらえると嬉しいけども。
「よく言いました、アラン!」
最後まで沈黙を保っていた母・ミランダが声を上げる。
「もちろん私もアランと同意見ですわ。ユジンやベイリーが何を心配してるのか知らないけども。私がお腹を痛めて産んだんですもの。ベイリーやアランと同じく、ハルトも私とユジンの愛の結晶。決して腐り堕ちるようなことはありませんわ!」
似た者親子というかなんというか。
実の子とはいえ、そんな簡単に信用すると言い切って本当に大丈夫か?
「……ふむ。大勢は決したね。現時点では問題なし。以後は様子を要観察ということにしておこうか」
その一言を皮切りに、続々と地下室から出て行く家族たち。
今にも「はい! お疲れさんでした!」と言わんばかりに足早に立ち去っていく。
「……いや!いやいやいや!ちょっと待ってください!」
慌てて、出て行く家族を呼び止めるが、俺の意見を敢えて無視し、続々と部屋を出て行ってしまう。
最後まで部屋に残ったのは、父と俺と悪鬼だけであった。
「ふむ。出来れば息子と二人きりで話したいのだが……遠慮してもらうことは可能かね、酒呑童子殿?」
俺を洗脳した可能性が残る酒呑童子に対し、あくまでも丁重に対応する父親。
「――相分かった。儂はひとまず控えておこう」
音もなく、景色に溶けるように消えていく悪鬼。
完全に姿が見えなくなるのを確認し、改めて話が再開する。
「アベール子爵としての結論は、先ほど言った通りだよ、ハルト」
そんな簡単に決断していいの?
せめて何らかの、なんて言うの、ほら! 検査! 検査とかしたほうがいいと思うよ!
「しかし!ベイリー兄上の言うとおり、私自身が既に洗脳されている可能性も……」
必死に言い募る俺。
なんだこれ。
ラッキーで済ませとけばいいのに、なんでこんな自ら首を絞めに行くんだろう。
「それはないよ……。いや、ないというのは正しくないね。正確には関係ない、だね」
そう言うと、一歩俺の方へ近づき、俺の目をまっすぐと見つめてくる。
「関係ない……ですか?」
その目をまっすぐに見つめ返すことがどうしても出来ず、目線を落とし、疑問を口にする。
「うん。ハルトの疑問は尤もなんだけどね。少なくともアベール家で生活している間、ハルトから不穏な気配が溢れたことはない。今日だって勿論そうだ。あの悪鬼が出てきた時でさえ、ハルトから狂った者が発する雰囲気を感じることはできなかったよ」
だって、その目には一切の疑いも、嫌悪感もなく。
「つまり、我らの力で判断できないレベルとなるとお手上げだ。分からないから始末する、というも一つの手段ではあることは認めるけどね」
しかし、とその目に宿る感情と同じ柔らかな声色で、話を続ける。
「もし洗脳されていないなら、ハルトを始末するのはアベール家にとって無駄どころか大変な損失に繋がるのは分かるね?」
それは勿論。
自慢じゃないが、これでも貴族家の三男としては及第点どころか満点と言ってもいいくらいに頑張ってきたつもりだ。
それもこれも、今生の家族は俺にとって前世の親父と同じくらいに大切な存在で。
「では、もし洗脳されていたらどうか? ハルトを討伐するしかないけれど、果たして僕たちに無事討伐できるだろうか? 今日まで一切の気配を我らに感じさせなかった悪鬼がそう簡単に討てるとはどうしても思えない。ほぼ間違いなく、アベール家は大損害を受けることになる。私や息子たちが死ぬだけでなく、この街にも被害が出ることを考慮せねばならない」
前世の親父が俺をどう思ってたかなんて、今はもう分からないけど。
でも俺が前世の親父を誇りに思ってたように、今生の家族に俺を大切な家族だと認めてほしかったのだ。
確かに俺の自我は前世日本の安部 晴人だけど、同時にハルト・アベールとしての自覚もある。
精神年齢三十代なのに、子どもを演じるヤバい奴だったかもしれないけど、それは家族の想いに応えたかっただけなんだ。
「……それにやっぱり、息子を信用したいじゃないか」
ずっと家族の中で、自分だけが異質だと。
全てを話すことが出来る日も、その話を受けいられることも。
ありはしないのだと諦めて、それでもなお愛した家族は。
「私にとってベイリーもアランも自慢の息子だよ。それは勿論、ハルトだって変わらないんだから。」
同じくらい俺を愛してくれていた。
「ずっと不安だったろう。もう大丈夫。何かあったらその時は私が必ず救ってみせるから」
父に強く抱きしめられながら、俺は声を押し殺して泣いた。
明日は第五話投稿予定です。
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