ハンカチを返したいのですが……
グレタとジャネットを見送ってから自室に戻った私は、チェストを開けて、そこにしまってあるウィリアム殿下のハンカチを眺めた。
ウィリアム殿下が追いかけてくれた相手が私だとバレないためには、どうやって返すのがいいのだろう。
(本当は従者に頼んで密かに返してもらうのが、もっとも人目につかないはずよね……)
でもそれだと立ち直った姿を見せるという約束が守れない。心配してくれたウィリアム殿下に対してあまりに失礼だ。
となるとやはり社交の場でみんながウィリアム殿下に挨拶をするとき、さりげなく返すのが一番だろうか。
こっそり返すことも考えてみたけれど、ウィリアム殿下は常に注目の的だ。そんな機会があるとは思えなかった。変にコソコソして悪目立ちしたら元も子もない。
次にお城でパーティーが開催されるのは、ちょうど十日後。王妃様が主催するバラ園鑑賞会で、多くの貴族が招待されている。
冬の初めに西の内乱が平定されて以来、国内の情勢が安定しているため、今年はイベントごとがとくに多い。
社交の場に出て行くのが億劫になっていた私からしたら最悪の状況だったのだけれど……。
とにかくウィリアム殿下にハンカチを返すという目的もあるし、今回も頑張って出向いていこう。
晩餐会の夜あれだけ後悔したのに、もしかしたら私は意外とタフなのかもしれない。このままアイザックの一件からも完全に立ち直れたらいい。
◇ ◇ ◇
なんて考え甘すぎた。
バラ園鑑賞会の当日、私は自分の心が全然強くないことをはっきりと思い知らされたのだった。
「はぁ……」
城へ向かう馬車に揺られながら、唇を噛み締めた私は、ひたすら胃の痛みに耐えていた。
(意外とタフかもなんてよく思えたわね……。ああ。前屈みになると少し楽かも……。うっ。やっぱりだめ。息をするだけで胃に響く……)
最近時々胃が痛くなることはあったけれど、ここまでひどいのは初めてだ。今日もきっとアイザックが例の彼女を連れてきているのだろうと考えたら、突然こうなってしまった。
(どうしよう……本当に痛い……。でもウィリアム殿下にハンカチを返さなくちゃいけないし……)
「……リディア? まあ、いやだ! あなた、脂汗をかいているじゃない! ちょっと胃が痛むだけなんて嘘でしょう!」
窓のほうへ顔を背けて隣の母に気づかれないようにしていたけれど、ついにバレてしまった。
「こりゃあいかん。おい! 馬車を一旦止めてくれ!」
父が慌てて御者に声をかけ、馬車を止めさせた。
これまで散々強引に私をパーティーへ引きずっていった両親ですら、さすがに無理だと思ったのだろう。慌てふためきながら家へ引き返すよう指示を出している。
私は馬車の窓にもたれかかったまま、ただやりとりを聞いていることしかできなかった。
「でも困るわ……ハンカチ……ハンカチが……」
うわ言のようにハンカチと繰り返しながら、邸に運ばれた私は、それから三日ほど寝込むことになったのだった。
◇ ◇ ◇
「んー……はっ。ハンカチ返してない!!!」
ふざけているわけではい。大真面目にそう叫んで、私は目を覚ましたのだった。
むくりと起き上がると、もう胃は痛まなかった。そのまま裸足でベッドを抜け出す。
(ウィリアム殿下のハンカチは……)
ローテーブルの上にはあの日私が持っていったハンドバッグが置いてあった。中を開けて確認すると、ちゃんとあの日のまま殿下のハンカチはそこに入っていた。なくしたりしてなくてよかったと胸をなでおろす。
(でもせっかくの機会だったのに返しそびれてしまったわ……)
晩餐会の夜からすでに十日以上経っている。
(せめて返せなかった理由だけでも、お伝えしたほうがいいわよね……)
「まあリディア様! そんな格好でうろうろされてはいけません。また体調を崩されてしまいます。すぐに先生を呼んできますのでベッドはお戻りください!」
私が起きたのに気づいて続きの間から姿を見せたエミリーが、大慌てでガウンをかけにくる。
「エミリー、お医者様より便箋を用意して欲しいの。手紙を出したくて」
「それも用意いたしますから、とにかくベッドへ戻ってくださいませ。さあさあ!」
「もうちっとも痛くないのよ?」
「それでもです。まったくお嬢様は……この三日間、邸中の人間がどれだけ心配したことか……。先生の許可が出るまでは重病人として扱わせていただきますからね!」
腰に両手をあてたエミリーに急かされ、仕方なくベッドへ戻る。
(本当にもう痛くないのに……)
結局そのあとお医者様に診てもらった私は、起き上がる許可をもらえたのだけれど、ひとつだけ忠告を受けた。私の胃痛は心の傷が原因で起きているらしく、極度のストレスを感じると再発する恐れがあるらしい。
ストレスが何をさすかは言わずもがな。私はまだありありと思い出せる痛みに恐怖して、そのストレスの正体については深く考えるのをやめた。その人物の名前すら思い出したくはない。臭い物に蓋をするように、問題から目をそらしたのだった。
診察が終わりひとりきりになったあとは、エミリーの用意してくれた便箋を使って、ウィリアム殿下に謝罪の手紙をしたためた。ハンカチを手紙に添えるべきかさんざん迷ったけれど、やはりしっかり手渡しで返したいと思い、従者には手紙だけを預けた。
次にウィリアム殿下と会える機会は、一月半先にある戦勝記念パーティーになるだろう。かなり先になってしまって申し訳ない。そのときには今度こそ必ず返さないと……。
ただ前回のように猛烈な胃痛が起こったらと考えると、不安は募った。
ところが予想外の出来事が起きた。
手紙を届けてもらった翌日、信じられないことに、ウィリアム殿下が我が家を訪ねてきたのだ。
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