舞踏会と惨めな夜
スラリと背の高いウィリアム殿下は、人の輪の中にあっても埋もれることがなく、とても目立っていた。
彼は特別な人だ。華があり人目をひく。
今日お召しになっているのは正装用の白いテイルコートで、甘く整った彼の美貌をいっそう引き立てていた。
「やっぱりウィリアム殿下の人気はすごいわね」
知った声に話しかけられて振り返ると、グレタとジャネットの姿があった。
彼女たちは婚約破棄騒動の後も、変わらない態度で接してくれる大切な友人だ。
華やかな赤毛の少女がグレタ。細くて背が高いブロンドがジャネット。どちらも伯爵家の令嬢だった。
「グレタ、ジャネット、こんばんは。今いらしたの?」
「ええ。着いたばかり。グレタがしたくに手間取るから。――門の前には続々と馬車が到着していたから、これからまだまだゲストが増えるわよ」
「ウィリアム殿下に会えるんですもの。国中から年頃の娘を連れた貴族たちが、押し寄せてくるでしょうね」
ふたりの言葉に頷き返す。おおげさな話ではなく本当にそうなりそうだと思えるぐらい、ウィリアム殿下の周りの人だかりはたった今も増え続けていた。
「本当にすごいわね」
社交界に出るのが遅かった私は、彼が留学する以前の様子を目の当たりにしたことがなかった。
「でも色々大変なことも多いそうよ」
「大変?」
首をかしげた私にジャネットが頷き返す。
「容姿端麗な王子様だというのに、誰にたいしてもお優しいでしょう? そのせいで勘違いしてしまうご令嬢も多いみたい」
「自分がウィリアム殿下の特別って、思い込んでしまうのよね」
「なるほど。そうなのね……」
もてる男性を取り巻く環境も大変そうだ。
ぼんやりそんなことを思っていると、グレタの元へ彼女の婚約者がダンスの申し込みをしにやってきた。
笑顔で彼女を送り出し、壁際に寄る。そうすると今度はジャネットが別の男性に声をかけられた。
ひとりになった瞬間、遠くにいる母とばっちり目が合ってしまった。しきりに手を振って、追い立てるような合図を送ってくる。早くダンスの相手を見つけなさいと言いたいのだろう。
女性側はただ待っていることしかできないというのに、まったく無茶な。
さりげなく周囲に視線を向けると、壁際で所在なさげにしているのは、何らかの問題を抱えている令嬢ばかりだった。私を含めて。
「なぁ、見ろよ。人形令嬢がいるぞ。おまえ誘ってみろよ」
「無理だって。本当に何を言っても無表情のままだったら心が折れるよ」
そんな会話が聞こえてきて、身を固くする。
気づかれないように視線だけでそちらを伺えば、四、五人の令息たちがニヤニヤと笑いながら私を見ていた。
(またこの状況……)
「噂によると人形みたいな顔でダメ出ししてくるんだろ?」
「男の面目を潰すのが趣味らしい」
「そんな女は絶対に嫌だな!」
「……」
彼らの笑い声がまとわりつくせいで、体が重くなったような気がする。
(逃げ出すみたいでいやだけれど、せめて声の聞こえない場所まで移動しましょう……)
ため息をついて歩き出そうとした私は、今以上に見たくないものを目にしてしまった。
ちょうどホールに入ってきた人たちの中に、寄り添い合うふたりの姿はあった。
(うそ……。どうしてあのふたりがここに……)
謹慎されていると思って安心しきっていたせいで、私はひどく動揺した。
私とよく似たレモン色のドレスを身にまとったルイーザが、アイザックの隣でしあわせそうに笑っている。
よりによって同じ色のドレスなんて、ついてないにもほどだ。
しかも淡い色のかわいらしいドレスは、私よりずっとルイーザのほうが似合っていた。
(気づかれたくない……)
そう思うのが遅すぎた。
私が背を向けるより先に、ルイーザの目が私を見つけてしまった。
ルイーザはアイザックの腕に触れて注意を引いたあと、彼の耳元に唇を寄せて何かを囁きかけた。
私のことを教えたのかもしれない。
すぐにアイザックが、こちらをチラッと見たから。
アイザックの顔にあざ笑うような表情が浮かぶのと同時に、私は踵を返した。
(もういや。最低……。なんでこんな目にばかり合うの……)
どんどん目の奥が熱くなっていく。
急かす親も、好奇の目も、壁際で過ごす虚しい時間も、同じ色のドレスも、元婚約者も。すべてが最低だ。
居たたまれない気持ちでいっぱいになりながら、私は早足で人の間を進んだ。
誰の目にもつかない場所へ行きたい。とにかく今すぐ。
溢れ出そうな涙を必死でこらえて私が逃げ込んだのは、ホールに面した中庭だった。
楽しそうな笑い声や、オーケストラーの音はまだすぐそばで聞こえる。でも生垣が目隠し代わりになって、私の姿を隠してくれた。
ポタッと一滴、涙が足元に零れ落ちた。
それからはもう止まらなかった。
「ううっ……」
嗚咽をかみ殺してうずくまる。
悲しくて悔しくて、それにどうしようもないぐらい惨めだった。
(私のバカ……。こうなることぐらい想像できたのに……)
なぜ、のこのこ出かけてきたのだろう。
しかも浮ついた気持ちで似合いもしないドレスを着たりして。
自分の考えの浅さを心の中でなじった。その時――……。
「ご令嬢、どうされました?」