リディアの葛藤
正式に婚約が解消されて半月。
本当のことを言うと、しばらく社交の場には顔を出したくない。
好奇の眼差しを向けられるたび居心地が悪いし、ヒソヒソとうわさ話をされれば傷つく。
でも残念ながら引きこもっていたいという私の望みは、まったく聞き入れられなかった。
とにかく両親は新しい婚約者を、私にあてがおうと必死だ。
婚約破棄された側であっても、スキャンダルを起こした令嬢は、次の貰い手なんてなかなか見つからない。だからすごく焦っているのだろう。
(私だって、気乗りしないなんて言ってる場合じゃないわよね……)
「はぁ……」
ため息をつくと、鏡越しにメイドのエミリーと目が合った。
「お嬢様。ずいぶん重いため息でいらっしゃいますね」
エミリーが私の髪をとかしながら、苦笑いを浮かべる。
私は眉を下げたまま、エミリーに頷き返した。
「これではだめだってわかっているのよ。ただやっぱり気乗りがしないわ」
「でも今日はお城で開かれる舞踏会ですよ。いつものパーティーとは雰囲気も違って、お楽しみになれるかもしれません」
「そうね……」
「王都中の貴族様がお集まりになるそうじゃないですか。きっと普段、会えないような方との素敵な出会いがありますよ。なんというかそう、掘り出し物的な!」
十九歳のエミリーは私の二歳年上だ。彼女とは長い付き合いで、子供の頃から身の周りの面倒を見てもらっている。私の憂鬱な気持ちも理解したうえで、エミリーは朗らかに励ましてくれる。
「ふふ、掘り出し物? まるで骨董市みたいじゃない」
言葉のチョイスがおかしくて笑ってしまう。
私たちの間は無礼講。若い女の子同士の軽口を叩くことも、たびたびあった。
「お嬢様、古いものはおすすめできませんよ」
「まあ、エミリー」
私が目を丸くすると、エミリーは軽く肩を竦めてみせた。
「それにお嬢様。何より今日はウィリアム殿下がいらっしゃるのでしょう!」
――ウィリアム殿下。
彼は隣国に留学していた第二王子で、今夜の舞踏会は彼の帰国を祝うための場として用意されたものだ。
「ウィリアム殿下にはまだ婚約者がいらっしゃいませんし、もしかしたらお嬢様が見初められて……」
にこにこし始めたエミリーを見て、ぎょっとなる。
「エミリーったら何を言いだすの。ないない。そんなこと、ありえないわよ」
まったく、もう。
婚約破棄をされて以降、私が誰からも相手にされていないということを忘れないで欲しい。
「そもそも、あのウィリアム殿下よ?」
見目麗しく、穏やかで、誰にでも優しいウィリアム殿下は、貴族社会だけでなく、王都中の女性の間で大人気の王子様だった。
彼が三年間、隣国へ留学すると決まった時には、若い女性たちが泣いたり、卒倒したり、大変な騒ぎになったものだ。
「いくら三年の間、不在にしていようと、彼の人気が衰えているとは思えないわ」
「ご令嬢たちが殺到するでしょうね……」
「そうよ」
きっとダンスの相手どころか、会話をする機会も回ってこないだろう。
「でもお嬢様、やっぱり今日はいつもより気合いを入れた格好で、お出かけになられてはいかがですか? 私の勘がそうするべきだと訴えかけてくるんです! ほら、先月、奥様がご用意されたレモン色のドレス。まだ一度も袖を通されていらっしゃいませんし、あちらをお召しになりましょうよ」
「ああいう可愛らしい色味のドレスが、私に似合うとは思えないわ。いつもどおりでお願い。というかなるべく目立たない格好でいって、なるべき噂をされずに帰ってきたい……」
「お嬢様。また逃げ腰になっていらっしゃいます」
「あー……。そうね……」
「気持ちはお召し物によって変化するものです。やっぱり今日は腕によりをかけて、お嬢様のしたくをさせていただきますね!」
髪をとかし終わったエミリーが、袖をまくり上げる。
私は苦笑しながら頷き返した。
エミリーのいうことは一理ある。
気が乗らないなんて言っていないで、やっぱり少しぐらい頑張ってみよう。
◇ ◇ ◇
お城に到着すると、今宵の舞踏会のために『鏡の間』が解放されていた。オーケストラによる演奏が、広いホールいっぱいに響き渡っている。
素晴らしいシャンデリア、息を呑むほど美しい天井の装飾、着飾った男女の賑わい、華やかな雰囲気。
さすがはお城の舞踏会だ。
貴族の邸で開かれるパーティーとは、やはり規模が違う。
(それにみんなとっても着飾っているわ……)
お城に招待されたからだけではない。
彼女たちの目的は――。
私は、華やかな女性たちに取り巻かれるウィリアム殿下のことを遠目に眺めた。