背徳の司祭 2
ロアの太ももにローレンが触れようとしたとき、剣がゴトンと音をたてて床の上に転がった。
シェルが剣を咥えて、自分の体から抜いたのだ。
「ロアを……はなせええええええっ!!!」
シェルが口から火を放つ。神父の体が炎に包まれ、燃え始めた。
「きゃああっ!」
「う、おおっ!!ドラゴンっ!ぐうっ!」
押さえつけていたローレンの力が緩み、ロアはベッドから転げ落ちるように抜け出す。
「ロア早く逃げてっ!」
シェルの声がそう聞こえ、ロアはすぐ部屋を飛び出す。狭い空間ながらも器用に羽を広げ、シェルもそのあとを追った。
「ねえ司祭様は大丈夫なの!?大やけどしてるんじゃないの!?」
「こんなときに呑気だねっ!悪魔が憑りついた人間はそんなにやわじゃないよっ!弱くなってる僕の炎くらいすぐ消しちゃうの!」
ロアは自宅の外に飛び出す。服が破れて悲惨なことになっているがこの際気にしていられない。自宅横にある教会に飛び込むと、そこには誰もいなかった。
「いつもなら誰かいるのに……!」
「隠れる部屋とかないのっ?!見つからないとこ!」
「ええっと……」
「急いで!もう来てるっ!どこでもいいからっ!」
教会の入口部で足を止めていたロアだが、シェルに急かされてあわてて教会の奥へと走る。内心で、教会の中じゃなくて街のほうに逃げればよかった、と思ったが今更遅かった。
「ロア、逃げるんじゃない」
「ひっ」
ドラゴンに火を吐かれたというのに、教会に姿を現したローレンは火傷もなく無事な姿だった。
「どうしたんだ、そんなに怯えて。なにも、お前を殺してしまおうだとか、痛めつけようと思ってるわけじゃないんだ。こっちにおいで」
逃げているロアに対して、ローレンはまるで散歩のようにゆっくりと歩いている。口調もいつものような、穏やかで語り掛けるような話し方だった。
「来ないで司祭様!」
教会の上階につながる階段をロアは駆け上がる。そしてそのまま、教会で最も高い場所につながる梯子に手をかけた。
「司祭様、か。育ての親である私にたいしてまるで他人みたいな呼び方だ……」
逃げ行くロアを追い詰めながらも、ローレンは小さくそうつぶやく。離れているロアには聞こえない。
「こんなとこに逃げ込んでどーするのロアッ!僕はともかくロアは飛べないでしょ捕まっちゃうよー!」
足元のシェルが言わなくても、ロア自身も自らつかまりやすい場所に逃げ込んだようなものだと後悔していた。
ふたりがいるのは鐘楼台、第7教会で最も高い場所だ。第7教会都市を一望できるその場所にはローレンしか普段足を踏み入れず、ロアも数えるほどしか上ってきたことがない。
この鐘楼台からはもう逃げようと思っても、教会の主要部の屋根に飛び降りるか、海に落ちるしか方法はない。鐘楼台から屋根までは、飛び降りるなどしたら少なくとも無傷でいられない高さだ。だが海に落ちたとしても、切り立つような崖の上に立っている教会のさらに頂上から飛び降りるとすると、はたしてロアの体は無事に済むのか見当もつかなかった。岩にぶつかれは死ぬだろうし、無事だとしてもそこから泳いで上がれる岩場までいけるのか。
「どうっ、どうしよう。私、えっと、シェル」
「わあああああ僕だってわがんないよおっ!エメリア様は助けにこれないし、僕ひとりじゃどうしようもないよお!」
ロアはほとんど泣きながらシェルを見たが、シェルはロア以上に狼狽している。頑張ってもシェルはロアを乗せて飛べるようには見えなかった。
「シェル」
「なにっ!?」
「逃げて」
「ええー!?」
心底驚いたようなシェルだが、ロアは本気だった。それどころか、追い込まれきった今、不思議と冷静になった。
ローレンは先ほどシェルを攻撃したが、それでもシェルの動きを封じ込めたら殺すような真似はしなかった。つまりローレンの狙いはロアだ。
「飛んで逃げれるよね、早く」
「だっ、ダメダメダメ!」
「駄目じゃない、司祭様はシェルが逃げたら多分追ってまで殺そうとしないと思う。だから、大丈夫。早く逃げて」
「大丈夫なんかじゃないよっ大体ロアを見捨てて逃げたりなんて……」
「その通りだ、私はロアさえいればそこのドラゴンを殺しはしないよ」
ばっとロアとシェルがローレンを見る。いつのまに来たのか分からないが、ローレンは鐘楼台の入口に立っていた。ローレンの手には部屋に置いてきた剣が握られている。かすかに赤黒く染まっているのはおそらくシェルの血液だろうか。
ローレンが一歩、近づく。ロアはすばやく距離をとり、そして鐘楼台の淵に立った。
「やめなさい、危ない」
ローレンは動揺したように、微笑んでいた顔を険しくした。
「司祭様」
「……どうした?」
「聞いていいですか?」
「何をだ」
「私に、何をするつもりだったんですか。なぜ、こんなことをするんですか」
ロアは必死に、自分の顔が歪まないように心を抑えつけて尋ねた。少しでも気を緩めたら、理由はわからないが泣き出しそうだったからだ。
それまではまっすぐロアを見ていたが、ローレンはため息をついて目をそらし、口を開いた。
「何をとは、分からないわけじゃないだろう、お前ももう16になるのに……」
「それって、私のことを、その」
「孕ませようとしたのだ。服を破かれても分からなかったのか?やれやれ、純粋なのはいいが、こうも無知では困るな」
あけすけなローレンの言葉にロアは返す言葉を失う。ローレンはかまわず続けた。
「私はただ、子供が欲しいだけだ。だが、お前との絆も失いたくはない。ならお前が妻となり母となればいいのだ。ただ一度きりでいい、その胎を私に貸し与えてくれればそれでいい。そうすれば私とお前は子という鎖をもって、永遠に繋がれる。ひとつの家族になるのだ
さあ、こっちへ……」
ローレンはロアに手を伸ばした。
「ロア。家族だ、私たちは、家族になるんだ」
ロアの目に、赤い眼を輝かせるローレンが映る。
話を聞いても、結局よくわからなかった。ローレンがどういう意図なのか、真意はなんなのか。ただ一つ確かなのは、『ローレンがロアを求めている』ということだった。
司祭様が、父が、私を求めている。家族、家族、家族、家族、家族……家族に、本当の家族に、なれるの……?
「そう、いい子だ……おいで」
ロアは、手を伸ばす。
「ロア!あいつの言葉に耳を貸しちゃだめだ!『悪魔の甘言』はゴートの得意技なんだっ!」
シェルの言葉でハッとしてロアは手を引っ込める。今にもロアの手を握りこもうとしていたローレンの手は空を切った。
「……ドラゴンか。悪魔を封印する強大な力があると聞いたが、ずいぶん小さいな。邪魔をしないでもらいたいのだが」
「君たちが僕の力を奪っていったからねっ!でも、この姿だからって弱っちいわけじゃない!」
シェルは翼を広げてローレンを威嚇する。口からは火の粉がチリチリと出ており、いつでも火を噴けるのだと言わんばかりだ。
だが、ロア自身にはシェルは小さく、床に降り立ってしまうと腰の半分の高さもない。あまりにも頼りなく見えた。おまけにローレンは剣を持っている。引退して長いものの、ローレンがかつてエードラム守護兵団の優秀な戦士だったことをロアは知っている。シェル程度ならばその気になればすぐに薙ぎ払ってしまうだろう。
なんとかしなければ、自分どころがシェルも無事ではいられない。
「……ロア、何をしている」
「ロア!待って、それはだめだよっ!」
「わわ、わ、私はきっと大丈夫、なん、なんとかなるはず。泳げるし、身体も丈夫だし、今は寒い季節じゃ、な、ないもん」
「ロア、やめなさ……ロア!」
ロアはふたりの目の前から、海へ飛び降りた。
目の前からロアが消えたとき、ローレンはあらんかぎりの力で絶叫した。
「あ、あああああああっ!ロア!!ああ、ロア!ロア!ああ、あ、私の娘がっ!」
すぐさまローレンは鐘楼台から海を見たが、海の中にもロアの姿は見当たらない。
「あ、ああ…ああああ、どうすれば、ロア、神よ、ああ」
ローレンは床に蹲って、泣きながらロアの名前を呼び続ける。
背後で白いドラゴンが空へ飛び立ったことには気づかないまま。
「ど、う、し、て、飛び降りなんかしたんですかああああ!!」
気が付いたとき、ロアはエメリアが自分に抱き着いて泣いているのに気づいた。まだ飛び降りたときの感覚が残っている気がしてふわふわしているが、ロアがいるのは硬い床の上だった。
体に異常はなし、痛みもなし、抱き着いているエメリア様が温かい。……生きてる?
「もう!私がいなかったらあのまま岩場にぶつかって死んでたんですよ追い込まれてシェルも危なかった状況とはいえなんてことをしているんですこの子はぁ!もう!そんなあなたの無謀たる勇気をみたらもちろん助けちゃいますよええ本当に貴方が無事でよかった子供が死ぬところなんて見たくないんですうううう!!!」
「あの、私、生きてます?」
「生きてますううううう!!」
「うむむっエメリア様、くっ、苦しい!」
「苦しいのは生きてるからなんです!苦しくしてるんです!」
ロアの顔面を、エメリアの豊かな胸が圧迫する。下手に押し返せない状況にロアは顔を赤くする。
声が本気で苦し気になったころ、エメリアは抱きしめる力を緩めた。だが依然と密着した状況にロアはまた赤らむ。
「あの、ここは……?」
「ここは私の神殿です。少なくとも今は安全が保障されている場所ですよ」
ロアたちは神殿の内部にいるようだった。白い石造りの内部は、照明がひとつもないのに不思議と明るい。出口らしきところからは外の景色が見え、周囲は森だということがわかる。
「神殿!?私、さっきまで教会にいましたよ!?」
「ええ、私が落下途中のあなたを移動させました」
「すごい、そんなことできるんですね!」
「あ、あら、そう?そんなこと言ってくれる人いないから照れますねっ!」
微笑むエメリアは、なぜかロアの家に来た時よりもずっと、女神らしく見えた。部屋で会った時も十分美しくみえたのだが、この神殿の中ではいっそう輝いて見える。
「あっ、そうだ!シェルは無事なんですか!?」
「ええ、大丈夫です。あなたのおかげですロア。いくらシェルでも、今の弱体化した姿ではあなたの父には勝てませんから」
「はあー……よかった」
ほっと胸をなでおろす。ロアにとって、ローレンに捕まるのは嫌だったしすべてが終わってしまうような気がしてそうはさせなかったが、それと同じくらい自分のせいでシェルが怪我を負うのも耐え難いことだった。
だが、そんなロアをエメリアは力を込めて抱きしめる。
「うえっ!あの、エメリア様?」
「シェルが無事だったのは本当に幸運なことで、ロアの勇気ある行動のおかげなのは事実です。ですが、私の助けがもし間に合わなかったら貴方は死んでいた。助かる確証はないのにあのようなことはしてはいけませんよ、いいですね」
「で、でも、あの、シェルが怪我するのは嫌だったし」
「その優しさは素晴らしいです!でも駄目です!駄目ったら駄目!無茶はだーめーでーすー!」
「わ、分かりましたわかりましたエメリア様当たってます当たってます!」
「あーいいんだエメリア様!ロアと遊んでるー!」
「「あ」」
飛んで神殿のなかに入ってきたシェルは、呑気そうにロアとエメリアの足元に降り立った。
エメリアの言った通り、翼の傷以外にはどこも外傷はなさそうだった。
「シェル!無事でよかった!」
「僕のことはいいのっ!それよりもあんな無茶するなんてロアのお馬鹿っ!エメリア様がすぐにロアのことを転移させてくれたからよかったけど、飛び降りたときどうしようかと思ったよ!お馬鹿っ!」
「ご、ごめんね」
「ふふ、私もお説教したところですよ。さあ、揃ったところで話を始めましょう。ロア、こちらへ」
エメリアはロアの手を引いて神殿の奥へと導いた。大人しくついていくロアの肩にシェルが飛び乗った。
「わわっ」
「えへ、ごめんね」
「だ、大丈夫。意外と爪痛くないんだね」
「うん、ロアにケガさせたりしないよっ!これからはロアの肩が僕の定位置だからねっ!」
「うん?そうなの?」
神殿の奥には、ずっと長い廊下の先にひとつだけ、神殿と同じく白い石でできた、背の高い椅子がおいてあった。あそこにエメリアが座るのだろうか。
この広い神殿の最奥でひとり座するエメリアを想像すると、なんだかロアは寂しい気持ちになった。
白い椅子の前までいくと、エメリアはサッと手をかざす。すると白い椅子と対面するように、机と椅子が表れた。
おお、とロアは内心感嘆したが、エメリアが女神であることはもう疑っていなかったため、わざわざ口に出すようなことはしなかった。
「さあ、掛けて楽にしてください」
これから何が起こるのか、と少し緊張しながらもロアは言われた通り椅子に座る。肩に乗っていたシェルはそのままロアの膝の上に移動した。
「早速なのですが……ロア。私が一度あなたに告げた、ローレン・ヴィユノークが悪魔に憑りつかれているということについては、信じてくださいますね?」
「は、はい」
「先ほどあなたの自宅にお邪魔した時には事情がありすぐに帰ったのですが、これほど早く悪魔が動くと思っていませんでした。ですがこうなった以上は一刻も早く悪魔をローレン・ヴィユノークから祓わなければいけまん。心が食い尽くされる前に、です
ロア。悪魔を祓うために、私と契約交わしてほしいのです」
エメリアは先ほどの穏やかな様子とは変わり、女神然とした態度だ。ロアは威圧感のようなものを感じながらも、ゆっくりと口を開く。
「はい」
「…………………返事が早くはありませんか?」
「へっ?あの、契約しないんですか?」
「いや、してほしいですよ?でも、もっとこう、迷いがあるんじゃないかと」
「父から悪魔を祓えるなら契約します!父だけじゃなくてガレットも悪魔憑きなんですよね。契約しない理由はないです!やります!」
「ロアは意外と勇敢なんだねえ。僕勇気のある人好きだよっ!」
「うん!さっきの飛び降りみたいに怖いことなんてそうそうないと思う!いける!多分、いける!」
「あ、そ、そうですか。じゃあ説明を続けますね。勇敢な人間は私も好きですよ」
即答したロアに出鼻をくじかれた気持ちのエメリアだったが話に戻る。内心では気弱になっているであろうロアを励ますありとあらゆる言葉を考えていたが徒労だったようだ。
「私と契約を交わすことで、私の加護をあなたに与えることができます。今のあなたは普通の少女ですが、身体能力や魔力は今よりも格段に向上するでしょう。そして何より重要なのが退魔の力でもある『清浄』の力です。今回封印を破った悪魔は、すべての悪魔の中でも上位の7体。人に憑依し、狂化させる力も並ではないのです。エードラムの聖職者では力不足で憑依を解くには至らないでしょう」
「それはつまり、エードラム教国のほかの聖職者に応援を頼んでも駄目ってことですか?」
「うんっ。エードラムはすごくたくさんの人から信仰されてるけど、恵みと平和の神だからねえ。悪魔を浄化する力とかは加護として与えられないんだ。専門分野が違うって感じかな」
「そういうことです。私が悪魔を封印することとなったのも私が清浄の力を司る神だからなのです」
シェルが『エードラム』と呼んだのは、おそらくだが国家や地域を指してではなく、神エードラムを指したのだろうとロアは推測する。女神エメリアがこうして人の前に姿を現したのだから、もしかすると神エードラムにも会うことは可能なのだろうか。
「ロア。あなたの自宅で一度、『二人に憑く悪魔を祓えるのはあなただけ』と言いましたね」
「はい、覚えています」
「悪魔を祓うには、ただ清浄の力があっても不可能です。弱い悪魔ならば外から一方的に悪魔を引きはがすことは可能ですが、ゴートのように力の強い悪魔を憑代から引きはがすには、憑代自身が悪魔に抵抗し、己の内より追いやるようにしなければいけません。ただですね、ここが一番厄介なのですが、その負の感情の原因を解消したり、あきらめたりできるようにしないといけないんです」
「えっとー、ちょっとわからなくなってきました」
エメリアも説明に詰まったようでちょっと困った顔をする。
そのとき、ロアの膝で丸くなっていたシェルが元気よく手(翼)を上げた。
「はいはーい!僕説明するっ!」
「はい!どうぞシェル!」
エメリアはまるで教師のようにシェルを指す。
「例えば、僕が『憤怒の悪魔』に取りつかれて、すっごく怒ってるとするでしょっ!」
「うんうん、すっごく怒ってる」
「僕が怒ってる理由が大切なものを失くしちゃったからだとしたら、その失くし物を見つけてくれたら、僕自身はもう怒る理由がなくなったから悪魔を追い出しやすくなるってこと!」
「わかった!それってつまり!」
つまり、色欲の悪魔に憑りつかれているローレンを助けるには。
ロアは鐘楼台の上で、ローレンに「なぜこんなことをするのか」と尋ねたときに思いをはせる。今はエメリアの神殿という安全な場所にいるが、思い出すと胸の奥がつっかえるような気持になる。
「……司祭様は、私に子供を産んでほしいって言ってました。家族になろうって」
エメリアはこのときはじめて、険しい表情を見せた。
「……つまり私が、その、司祭様の子供を産めばいいんですか……」
「ちーがーいーまーすー!それじゃあ本末転倒です!どうして子供が欲しいだとか、なぜロアにそう言ったのかの理由を突き止めるんです!方向性を間違えてはいけません!!」
軽く冷や汗をかいていたロアはほっと安心する。
ローレンは確かに、子供が欲しいと言っていた。だが、ローレンにはすでにロアという養女がいるのに、なぜ子供を欲しがるんだろう。
「家族になろう」とも言っていたが、それはつまり、自分を養女としてではなく女性として好きで、今の関係を変えたいから……!?
「ねえロア、一応もう一度言っておくけど、エメリア様は純潔と清浄の女神さまだよっ!」
「え?うん、それがどうかしたの?」
「エメリア様と契約するには処女じゃないとだめだからねっ!くれぐれも男には気を付けてっ!」
「えっ」