ローレンの訪室
エメリアが去った部屋には、なぜか小さなドラゴンが取り残されていた。
「僕は置いて行かれたんじゃないんだよっ!ロアと一緒に戦うのが僕の役目っ!こう見えても強いんだからっ!」
「強いのは、さすがにうそでしょ。すごく可愛いけど」
「えっ、かわいい?ほんと?」
ぽっと赤くなったシェル。ドラゴンも人間のように赤面することをロアは知った。嬉しそうに尾を左右に振るシェルだが、ハッとしてまた怒り出した。
「じゃ、なくって!これは僕の仮の姿なのっ!ほんとは僕すっごく強いんだから!ロアが悪魔倒してくれたら元に戻るからっ!」
ぷりぷり怒っていても、怖いというよりかわいいという表現のほうがシェルには似合う。
先ほどの重い空気をふきとばすようなシェルの存在が、ロアには有り難かった。
「あの、シェル。なんでエメリア様はいなくなったの?まだ話したい事があるって言ってたのに」
「エメリア様は、女神さまだけどすっごく力が弱くなったんだ。神殿から長い時間離れれない。ホントはロアとは夢の中で会うつもりだったんだけど、邪魔されてできなかった。だから直接会いに来たんだっ!」
「女神なのに、力が弱まったりするの?」
「エメリア様を信仰してる人間はもうすごく少なくなったからね。あと、ロアのパパが邪魔してる」
「パパ……えっ、司祭様のこと……?」
「司祭は結界魔術のスペシャリストみたいなもんだからねっ!でも弱ってるけど神様の侵入まで防ぐ結界なんてとんでもないヤツだねロアのパパは!これだから人間、侮れないっ!」
褒めているのか貶してるのか分かりにくいが、とにかくシェルはローレンが結界を張ったと言っているのだ。
「結界……でもなんで?」
「なんでって、ロアのためだよ。ここ、ロアの家には第5練度の結界魔法が張ってあるの」
「私のため?」
「多分ね。見たところ、結界はずっと前から張ってある。多分、ロアをどんな外敵からも守るようにってためじゃないかなあ。パパは教えてくれなかったの?」
「……そんなことしてたんだ」
「でも今じゃ裏目に出てるけどねっ!わざわざエメリア様は神殿から来る羽目になったんだからっ!」
司祭の役目として、教会都市全体に結界魔法が張ってあるのは知っていた。だがロアの自宅周辺に結界を張っていることなど知らなかった。だが結界が張られているといわれても、ロアにはいまいちピンとこなかった。わりと誰だって自由に出入りしている。ローレンに会いに信者が訪れることだってしょっちゅうだ。
「でも、そもそも都市にも結界が張ってあるなら家にまでそんなことしなくても」
「ロアは今まで平和に生きてきたんだね」
「なんっ……何が言いたいの?」
「ロアのパパはいつ何が起きても、最悪ロアのことだけは守れるようにってしたことなんだよ。確かに今の時代は僕が地獄にひきこもる前よりもずっと平和そうだけどね、奪われてからじゃ遅いってことをロアのパパはちゃんと知ってるんだよ」
教会都市には結界魔法が張ってある。第1から第12教会都市全てで行われているものであり、司祭になるには第3練度以上の結界魔法を使用できることが条件だ。どんなに厚い信仰を捧げる人物だとしても、結界魔法が使用できること、また数年間エードラム教国守護兵隊に従属していたことが条件だ。司祭の地位まで上ることができるのは精神・肉体ともに鍛えられた一部の限られた人間だけ。そしてローレンは30歳を超える前に司祭職に任命されており、非凡な才能に恵まれた人物だということがわかる。
ロアは黙る。平和だと言われて一瞬腹が立ったが、シェルが言っていることには納得したからだ。
今まで子供みたいな態度だったと思えば、急に諭すように語り掛けてくる。シェルのことを可愛い生き物程度にしか思っていなかったロアは、いまいちシェルの性格がわからなかった。
「さあロア、早く行こう」
「あ、うん。授業おわちゃう」
「違うよ!スコラなんか行っちゃだめっ!」
「ひえっ!え、なに?」
急にカッと怒鳴るシェル。今度は強い口調だった。ロアはびくっとする。
「スコラは駄目!あとここにいるのもダメっ!ここは出て安全なところに行こう!」
「はあ?」
「言ったでしょロアのパパも友達も悪魔憑きなのっ!そんなのの近くに居続けるなんて自殺行為だよっ!」
「いやでも、そんなこと言われても」
「でももだってもないっ!ロアが危ないのっ!」
キーキーとシェルが騒ぎ出す。
危ないと言われても、ロアはローレンとガレットが悪魔憑きだということをいまいち信じ切れていなかった。確かに様子は変だ、でも悪魔なんて超次元的な存在、ロアにとってはおとぎ話のなかの存在だ。世の中には悪魔を使役する魔術師もいるらしいが、そんな魔術師はこの第7教会都市にはいない。完全に別世界の話だ。
「大体どこに行くの?都市の外には魔物がいるし、この都市の中ならどこにいてもすぐ見つかりそう」
「……」
「考えなしじゃない……」
「考えあるもんっ!でも早くしないと僕のこと気付かれ……」
シェルが不自然に言葉を切った。急に黙る。
「シェル?」
ロアが声をかけるが、黙ったままだ。
身体を低くして首だけを動かしている様子は、耳を澄ませているようでもあった。
「ロア、来るよ」
「……何が?」
「ゴートだよ、近づいてる。なにか武器になるものは?」
「えっ、あるけど」
ロアは部屋の隅に置いてある剣を手に取った。ローレンとの稽古の時だけに使う、粗末なブロードソードだ。
だが、稽古こそ真面目にこなしていたが、ロアに実戦経験はなかった。ローレンがロアに教えた剣術はあくまで教養や体を鍛えるという目的のものだ。
「僕は不可視化してるけど、ここにいるからね。何かあれば助ける」
シェルはそう言うと姿を消した。
剣を握りはしたが、ロアは状況が飲み込めなかった。
なんでシェルは姿を消したの?なにから隠れたの?なにが来るの?
私はどうすれば……。
「ロア」
呼ぶ声をともに、部屋の扉がノックされた。
ロアが返事をする前に扉が開いた。
部屋に入ってきたのは、ローレンだった。