閑話 とある屋台の物語 その1
「後はお前に任せた」
そう言って、家を去る父の姿を、彼女は呆然としたまま見送るしかなかった。
何故父が家を出ていかねばならないのか、何故母が父を引き止めないのか。
そんなことは、幼い彼女の頭の中には全くなかった。
(私が家族を助けてあげないと・・)
それしか、彼女の頭の中には思いつかなかった。
病気がちな母、幼い妹と弟。
家族五人が四人になったのだ。
ほとんど働きにも出ず、家で酒ばかりを飲んでいた父。
父が家を出ていくことに、何の違和感もなかった。これで少しは生活が楽になる。とさえ思ったくらいだ。
今までも、彼女が片手では足りないくらいの店で手伝いをし、その時に支払われるわずかな賃金や食材で何とか食いつないできた。もとより、父である・・父であった「あの男」はアテにはしていなかった。
「私がしっかりしなくちゃ・・」
彼女は山の稜線に沈む太陽に、そう静かに誓うのであった。
湖の都は、ここ最近浮かれた雰囲気に満ちていた。
ごく最近まで、この都の代名詞とまで言われる湖に二か月前に突如として現れた「悪魔の城」によって、観光客は激減、収入源の大部分を失った街は、存亡の危機に立たされたのだった。
しかし、それの危機は一人の冒険者によって救われた。
しかも、その冒険者は魔法使いだというのだ。
世界中のどこに行っても、魔法使いに対する風当たりは強い。
数年前に、この大陸には八つの国があった、そのうちの一つの国が「魔人」によって滅ぼされ、そして国の崩壊と同時期に魔界の塔が出現したという。
魔界の塔は、まさしく魔物を生み出す悪魔の城。
周囲には、魔物を警戒し、各国の騎士団が集結。警戒に当たっている。
世界は破滅的な危機に陥ったとされてている。
その世界に危機の元となった魔人こそ「魔法使い」であったというのが通説となっていた。
しかも、世界中でも名高い魔法学園の者であったというのだ。
その件に関して、魔法学園は沈黙を守っている。
「関係ない」といえば、真偽の程を疑われただろうし、「そうであった」といえば、非難が集中する。
その結果「沈黙」という回答を魔法学園は世界に提示したのだ。
魔人の噂は、世界のどこにいても絶えることはない。
大人のニ倍くらいの大男説、魔物の上級種「魔族」説、実は異世界から来た少女説等々、様々な噂が立っていた。
しかし、尋常ではない力を行使し、国を滅ぼし、魔界の塔を出現させた。ということだけは共通していた。
だから、魔法使いに対する世間の風当たりは強い。
彼女も、魔法使いに対する偏見がないわけではない。
しかし、彼女の十五年という人生の中で、一度も魔法使いなる存在に出会ったことがなかった。
出会ったことがないから判断のしようがない。
彼女にとって、魔法使いがいかなる存在であるかはどうでもいいことであった。
彼女にとって、世界には二種類の人間しかいないからだ。
それは、
「買う客か、買わない客か」
の二種類だ。
彼女の父親が家を出ていき、まず最初に彼女がしたことは、「自分の店を持つ」ことだった。
といっても、ジリ貧だった彼女にそんな物を持つ金など無く。それでも、彼女のそれまでの人生で培ってきた人脈を最大限に活用し、ようやく、手伝い先の食堂女将のお爺さんが昔使っていたという「移動式屋台」をタダで手に入れることができたのだ。
それは、長年使用していたということもあり古びてはいたが、大がかりな修理をすることもなく使うことができたのはありがたかった。
屋台は、料理専用の物だった。椅子などはなく、客は立って食べる。
屋台の規模からいって、大がかりな料理を作ることはできない。焜炉は炭を使用するものが一つ。
野菜と肉を炒めそれを木の皿に盛って売っていた。
客は、道行く行商人や街人などだ。
料理は、彼女の最も得意とするものだった。味にも自信があったし、そこそこいけると思っていたのだ。
しかし、現実は彼女が思うほどに甘くはなかった。
客はいる。しかし、なかなか増えない。
客の大半は顔見知りだった。その人たちのおかげで、なんとかなっていたが、新しいお客がなかなか増えない。
その原因は分かっていた。
まずは、彼女が屋台を開いている通りが表通りではないことだ。
表通りには縄張りがあり、統括する「組合」に入らなければいけない。
組合にはもちろん割高な「上納金」があり、彼女はもちろんそんなものを払う気はなかった。
組合もなければ、上納金もない「野良屋台」として店を出している以上、客足に少なさに文句を言うことはできなかった。
それでも、毎日少しずつではあるが、客の数は増えてきている。
しかし、昼を過ぎ夕刻まであと少しとなると、客足はまったくなくなった。
夜になると、表通りは賑わいがあるが、裏通りは人気がなくなるので商売にならない。
それに、彼女には家に帰って、家族の面倒を見なければならないのだ。
「へぇ、こんなところに屋台なんて珍しい」
そんな彼女の店の前に、一人の客が現れた。ひょろっとした男だった。
屋台をじろじろと眺めては珍しそうに「へぇー」と唸る。
「あの、買わないなら別の所に行ってもらえませんか?」
見ているばかりでなかなか買おうとしない客に、彼女はきっぱりと言い放つ。組合の嫌がらせかもしれないと思ったりもしたが、こんな小さな屋台に嫌がらせもないだろうと考えなおした。
それに、もう店じまいしてしまいたかった。
「ええと、買います」
なんだかはっきりとしない返事だった。なんだか無理矢理買わせているみたいで、気が引ける。
「お客さん、買いたくないんですか?」
「いや、そうだな。はっきり言って、あんまりおいしそうに見えない」
「なぁっ!!」
この男は!彼女はかっと頭に血が上るのを感じた。
まだ調理すらしていないのに、この言い草は何だ!
「お客さん、冷やかしなら帰ってください!」
すさまじい剣幕でしっしとはらう。
「そうは言うけど、もう少し店を綺麗にした方が、お客さんは喜ぶと思うよ」
「そんなことは・・・あるかも・・・」
「だろ?」
男は、話をできたことがうれしかったのか、近くの箱にどっしろと腰を下ろした。
「店は小綺麗にしておかないと、お客さんは寄ってこないよ。これだと顔見知りしかお客さんとしてこないんじゃないかな?」
「うっ・・」
図星だったので、言い返せない。
「それに、メニューがない・・これじゃ、何を食べられるのか分からないじゃないか・・表通りの露店を見てみなよ。色々なメニューがあってとっても・・」
「そんなことは分かってるわよ!」
知らず知らず声が大きくなっていた。
男に言われるまでもなく、何かが足りないということは分かっている。
色々な店の真似をしようとしてみようと試みたが、そもそも彼女には字が書けなかった。
数字は何とかわかるが、文字は書けない。
簡単な、文字こそ読めるが、そもそも彼女には学校に行って勉強する余力など無かったのだ。
「字が読めるあんたなんかにはわからないわよ!字が書けないからメニューなんて書けない!計算ができないから、安くでしか販売できない!」
悔しくて、悲しくなって涙が出てきた。
「そうか・・字が読めないのか・・それならオレと同じだな」
「えっ?」
意外な言葉に、彼女は眼を瞬く。
ひ弱そうな男だが、決して貧層には見えない。こんな時間に裏路地とはいえ、通りをあてもなく歩いているところを見ると観光客だろう。ならば、それなりに裕福なはずだ。
ならば字も読めるはずと思っていたのだが、そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、男は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いやぁ、読めるようになりたいんだけど、なかなか難しくてね・・数字くらいはなんとか読めるようになったんだけどなぁ・・」
「なぁんだ、それじゃあ私とあんまり変わらないじゃない」
「そうか。それじゃあ負けないようにオレも勉強しないとな」
素直に男が認めるのを見て、彼女はくすりと笑った。
「もう、しょうがないお客さんね。お話してくれたからサービスよ」
自分の賄いように作っておいた料理を男へと差し出した。
「いいのか?」
「どうせ客も来ない時間だし、お話してくれたお礼よ」
差し出された皿を、男は受け取り一口野菜炒めを口に運んだ。
「おっ」と、男の目が見開かれる。しばし硬直する男に彼女は心配になり、男の顔を覗きこむ。
「う、うまい・・たったあれだけの材料で、これだけの味を出せるなんて・・」
男の目が変わった。
「家に・・代々伝わる秘伝のタレなんだけど」
「そうか、そうか・・」
このタレだけは、誰にも負ける気がしなかった。各家庭で秘蔵のタレや調味料を持つところは多い。
いわゆる家庭の味、という奴だ。
彼女の家にはこの秘伝のタレがあった。
彼女の家では、よくこのタレを使って野菜などを炒め、調理することが多い。
「うまい・・だがもったいない」
「ん?それはどういうこと?」
このタレは確かにうまい。酔魚亭にも負けないくらいに洗練された味だ。
しかし、活かしきれていない。というのが男の感想だった。
男は、無言のまま野菜炒めを口に運びながら何事かを考えているようだった。
「美味しかった」
「ありがとう。こんなに美味しそうに食べてくれるお客さんは初めてでした」
「いやいや、勉強になった」
男は、懐からお金を出した。
それは、彼女の思っている金額よりもかなり多い。
「いえいえ、これは私からのサービスですので」
「いや、これはこの味に見合った金額だよ」
そういって、男はお金を彼女に渡す。
「それじゃあ、ちょっと待っていてくれ、できれば焜炉の火はそのままにしてもらえると助かる」
「はい?」
彼女は、男の言っている意味が分からなかった。
「ちょっと、君に作ってもらいたいものがあるんだ!」
そう言って、男はいずこかへと走り去っていった。
それから男が戻ってくるまで半刻ほどの時間を要した。
男は袋を抱えて帰ってきた。
「これを使ってみてくれないか?」
そう言って男が袋から出したのは、小麦粉と卵だった。
「・・・これをどうしろと?」
男の持ってきたものは、ありふれた材料だった。これに砂糖を加えればお菓子が出来上がる。しかし、砂糖は高級品でなかなか手に入れることはできない。
男は何をしようとしているのか。彼女には全く分からなかった。
「ちょっと、屋台を借りるよ」
男は、彼女と入れ替わるように屋台の調理台に向かう。
手桶の水で、手を洗い木の丸皿で小麦粉に卵を混ぜ始めた。ある程度混ざったところで水を加える。
「いいか、水と卵を混ぜてから卵を混ぜないように気を付けて・・」
男はそう言って、先ほど作った生地に野菜と肉を入れた。
程よくかき混ぜ、そのまま油をひいた鉄板の上で焼く。
男は手慣れた手つきで、それを丸く広げる。
じゅうという、耳に心地いい音と共に焼きあがっていく。
「これは・・!?」
「さて、そろそろかな」
器用に平たい板で鉄板から生地を持ち上げると、それを皿の上盛る。
「君のタレをつけていいか?」
彼女は、頷き。男は彼女の秘伝のタレをその上にかけた。
タレの匂いが焼いた生地の上で拡がり、鼻腔をくすぐる。食欲をそそるなんともいい香りだ。
「あと、これで仕上げだ!」
男はさらさらとした紙のようなものを取り出した。先ほど、焼いている合間に男が干した魚の身をナイフで薄く切ったものだ。
それをはらりとタレを塗った生地の上にまぶす。
「オレからのお礼だ。食べてもらえるかな?」
彼女は湯気を立てる生地にスプーンを差し込み、口に運ぶ。
「はふっ!」
彼女は思わず叫びそうになった。
それは、彼女の屋台にあるごく普通の食材だった。
それがどうだ、このふんわりとした食感。
そして、彼女の秘伝のタレがマッチし、今まで食べたことのない風味を奏でる。
男がまぶした干した魚の切り片が、程よく風味を引き立てていた。
「お、おいひい・・!」
今までにない感動。工夫次第でこれまでの味を作り出すことができるというのか。
あまりに美味しくて、彼女は泣きたくなってきた。
「おいしいか・・よかった喜んでくれて」
男に微笑みかけられ、彼女は赤面する。
何故どぎまぎしてしまうのか、彼女には分からなかった。
「これは、君のタレでしか表現できない味だ」
男は大仰に頷きながら語る。
「よって、このメニューを明日からこの屋台に加えて欲しい」
「えっ!」
男の言葉に、彼女は驚いた。
タレの味は秘伝とされ、家族以外の者に伝えることは禁忌とされている。いかに人気が出ようとも、他の店の味を真似ることは禁止されていた。それは、組合の有無にかかわらず絶対の掟として文化に根付いている。
「しかし、この料理方法は、あなたの考えたものではないんですか?」
「オレが考えただって? これはオレの故郷でよく食べられている「お好み焼き」って食べ物だ。こんなもの、誰でも思いつくさ」
男は、自分の作ったものを一口、口に運び「やっぱりこの味だな」と満足げに頷く。
「どうして、ここまでしてくれるんですか?」
「ん? 久しぶりにいいタレに出会ったからさ」
「タレ?それだけの理由で・・」
男の作った料理は、革新的な美味さだった。今でも、残り半分を食べてしまうのがもったいないくらいの気兼ねなのだ。男がその気になれば、この味をすぐにでも再現させることができるだろう。そして、売り出し人気を得ることもたやすい。
しかし、男はそれをしないという。
それは彼女の理屈に合わないことだった。
「そろそろ、暗くなってきたな・・明日もこの場所で屋台を開くのか?」
「私は、毎日ここで店を開いているから」
「そうか、それじゃ明日また来るよ」
そう言って、男は背を向けた。
「はい、待っています」
男の背を見送りながら、彼女は小さく吐息を漏らした。
次の日の朝、彼女が屋台を設置すると同時に、男はやってきた。
「よし、店を手伝おう!」
男はそう言って、開店の準備をてきぱきと手伝ってくれる。
そうしているうちに、人通りは多くなり始めた。
「今日は、これを貼って欲しいんだ」
男はそう言って、一枚の羊皮紙を取り出した。
「これは何ですか?」
「メニュー表だ」
そこには、「野菜炒め」と「オコノミヤキ」と書かれていた。
そして、その横には金額が書かれている。
その金額は、彼女が思っている額よりもかなり多い。
「この値段は、少し高いのでは?」
「野菜炒めは、今までの価格だから大丈夫だ」
「そうではなくって」
彼女が言いたいのは、オコノミヤキの方だった。
価格は野菜炒めの倍以上。とても売れるとは思えない。
「まあまあ、大丈夫だから」
男はそう言って、彼女にお好み焼きを作らせ、それを細かく切った物を道行く人に配り始めた。
初めはいぶかしげに眺めていた通行人の一人がオコノミヤキを口にした途端、目を見開き一枚注文する。
初めは一人二人と注文していたが、やがては人垣を作るほどになり、昼過ぎには材料がなくなり、注文を断らざるを得ない状況になってしまった。
翌日はさらに忙しかった。
昨日に食べることのできなかった客が、既に待ち構えており、店を出すとすぐに調理を始めなければならなかった。
そうして、噂が噂を呼び、オコノミヤキは大盛況となった。




