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第二十三回 桜の約束

夜中、茂姫はある音で目が覚めた。誰かが三味線を弾いているよう音が聴こえたのである。茂姫は廊下を行くと、宴などが行われる広間に腰かけて、三味線を奏でている家斉を発見した。その前には、大きな桜の木があった。それを、後ろから茂姫も見つめていた。それに気付いたのか、家斉は振り向いた。家斉は茂姫を見ると、

「おぉ、そなたか。」

と言うので茂姫は、

「何をされておいでなのです?」

そう聞くと家斉は、

「見ればわかるであろう。」

と答えた。すると茂姫は、

「何も、斯様な時間に。」

そう言うと家斉は、

「眠れぬでの。」

と言うとまた、桜の方を向いた。すると、茂姫は家斉の隣に座った。家斉はそれを見ていると、茂姫がこう言った。

「この木は、春になると満開の桜が咲きます。」

それを聞いた家斉も、

「そうじゃな。」

と答えながら木を眺めている家斉を、茂姫は見ていた。すると家斉が、こう言った。

「今年は・・・、どのように咲くのかのぉ。」

「はい?」

「花というものは、人の気持ちをも操る。如何に辛いことがあっても、綺麗な花を見れば心が穏やかになる。不思議な生き物じゃの。」

それを聞いた茂姫も共に木を見つめ、

「そうですね・・・。」

と呟いていた。それから二人は暫くの間、共に桜の木を見続けていたのであった。



第二十三回 桜の約束


浄岸院(母の死から二ヶ月余り、茂姫は悲しみを乗り越え、享和二年の年が明けておりました。)

一八〇二(享和二)年一月。茂姫が縁側に座っていると、家斉の側室・登勢が赤子をだいて来た。茂姫も、その赤子を抱いていた。

浄岸院(側室・登勢が昨年生んだこの子は、菊千代きくちよと名付けられ、のちの紀州藩主となるのです。)

茂姫は嬉しそうに、菊千代を抱きながら見つめていたのだった。

浄岸院(その頃、表ではある話がございました。)

家斉が怪訝そうな顔で、

「家慶に、嫁御じゃと?」

そう聞くと、老中の戸田とだ氏教うじのりがこう答えた。

「家慶様は、今年でとおになられます。公方様の御嫡男ともあらば、そろそろ縁組みのことも考えておきませぬと。」

それを聞いた家斉が、

「まだ一〇ではないか。左様に急かすでない。」

そう言うので戸田は、

「されど、そうは申しましても、早い内に決めておくことが古くからの習わしにございます故。」

と言うと家斉は立ち上がり、

「されどわしは、まだ決めるつもりはない。」

そう言って部屋を出て行こうとすると、戸田はこう言った。

「昨年生まれた菊千代様の養子先や、姫様方の輿入れ先も早く決めておかなければなりませぬ。」

すると家斉は振り返り、

「何ゆえ、斯様に早う事を進める。」

と聞くと、戸田が言った。

「天下の将軍ともあらば、早く動くことが肝心にございます。そうすることで、将軍としての威厳を世に知らしめるのです!」

それを聞き、家斉は戸田氏教を見つめていたのであった。

浄岸院(一方、薩摩では・・・。)

重豪が、仏壇の前で拝んでいた。その後ろで、斉宣も拝んでいたのだった。重豪は体ごと振り返り、

「わしは近々、江戸に戻る。」

と言うので斉宣が、

「江戸へ?」

そう聞き返した。重豪は頷き、

「あぁ。ちと様子が気になっての。」

と言った。すると斉宣が、

「あの、わたくしは・・・。」

そう言うと、重豪はこう言った。

「そなたは、薩摩に残れ。」

斉宣はそれを聞き、

「宜しいのですか?」

と聞くと重豪は頷いて、

「あぁ。藩主はそなたじゃ。薩摩の様子を見て、おかしなところがあればわしに伝えるがよい。」

そう言うのを聞いた斉宣は嬉しそうに、

「はい!」

と言って、重豪を見つめていたのであった。

大奥では、登勢が廊下を歩いていた。すると、ある部屋の中から琴の音が聞こえてきた。登勢はその部屋の扉を開け、そっと部屋を覗いた。中では、女性が琴を弾いていた。それを見た登勢は戸を完全に明け、

「お美尾さん。」

と、声をかけた。美尾と呼ばれた女性は弾くのをやめ、登勢の方を見た。登勢は美尾の前に座り、

「またお一人ですか?」

と聞くと中臈・美尾みおが、

「はい。」

そう答えた。登勢は、

「いつも、そうやっておられるのですか?」

と聞くと、美尾は答えた。

「わたくしは、自分に自信がありませんので。」

「自信・・・?」

「昔から、人前に出るのが苦手なのです。そのような自分を変えようと思い、このお城に上がったのですが、どうしてもできないのです。」

それを聞いた登勢が、

「誰かに、相談してみては?」

と聞くと美尾は、

「それも恥ずかしゅうて・・・。」

そう言うと登勢は笑って、

「わたくしに任せて下さい。」

と言うので美尾が、

「お登勢さんが?」

そう言って聞くと、登勢が頷いてこう言った。

「そのような相談に乗って下さりそうなお方がおられます。」

それを、美尾は見つめていたのだった。

その後、茂姫が、

「面を上げよ。」

と言うと、美尾はゆっくり顔を上げた。茂姫が、

「お登勢の友じゃと聞いてな。話は聞いておる。怖がることはない。」

そう言うので美尾は、

「はい・・・。」

と答えていた。それを、心配そうに後ろで登勢も見ていた。茂姫は、

「己に自信が持てぬ、か・・・。わたくしも昔、そうであった。」

と、笑って言うのだった。美尾は、

「されど、御台様はご自分の考えをもっておられます。」

そう言うので茂姫は、こう言った。

「人というものは、初めから強いものではないのじゃ。己を磨くことによって、少しずつ強うなれるものなのじゃ。」

それを聞いた美尾は、

「己を・・・、磨く。」

と、呟いた。茂姫は、

「己を磨けば、己を好きになれる。自分に自信が持てぬのは、まだ己自信を嫌うておる故じゃ。己を好きなれば、即ち、自信が持てるようになる。」

そう言うので美尾は微笑し、

「己を・・・、好きに・・・。」

と、繰り返していた。茂姫は続けて、

「それぞれ時間はかかるかも知れぬが、できぬことはない。わたくしはそう思うておる。」

そう言った。すると登勢も美尾に、

「そうですよ。」

と言うので、美尾も少しずつ笑っていた。茂姫も、安心したようにそれを見つめていたのだった。

その後、茂姫は家斉と会っていた。家斉は茂姫の話を聞き、

「そうか。そのような者がおるのか。」

と言うと茂姫も、こう答えていた。

「はい。まるで、昔の自分を見ているようでした。」

それを聞いた家斉が、

「そなたは昔から、己の意見を周りも憚らずに言っておったではないか。」

と言うので茂姫が、

「そのようなことはありません。薩摩にいた頃は・・・。」

そう言いかけると、何故だか笑い出した。それを見て、家斉も笑っていた。すると、庭から小鳥のさえずりが聞こえてきた。それを聞くと家斉が、

「もう、春じゃの。」

そう言うのを聞いた茂姫は、

「そうですね・・・。」

と言い、庭を見つめていた。すると家斉は立ち上がり、

「久々に、宴でもするかの。」

そう言うので茂姫は、

「宴、ですか?」

と聞いた。そして家斉は振り返り、こう言った。

「どうじゃ?今度、大奥で花見でもしてみぬか?」

それを聞いて茂姫は少し嬉しそうに、

「お花見ですか?」

と、聞いた。家斉も嬉しそうに笑い、

「あぁ、宴じゃ!」

そう左手を動かして言った。

茂姫はその後、部屋に登勢と美尾を呼んでこう言った。茂姫が、

「来月、上様は大奥に参られ、花見をなさるそうじゃ。その方達も、どうかと思うての。」

そう言うので登勢は嬉しそうに、

「まことにございますか?」

と聞いていた。するとその隣の美尾は、

「されど、わたくしは側室ではございません。」

そう言うと、、茂姫は言った。

「構わぬ。上様も、きっとお許し下さるであろう。」

それを聞いても、美尾は俯いたままだった。それを、登勢は心配そうに見つめていたのであった。

一方、薩摩では樺山かばやま主税ちから秩父ちちぶ季保すえやすが話をしていた。

「重豪様が、江戸に帰られるそうじゃ。」

樺山が言うと秩父が、

「ならば、お殿様も?」

と聞くと樺山は、

「いや。お殿様は、薩摩に残られるとのこと。」

そう言うので秩父が、

「ならば、やりやすくなりましたな!これで、我々も・・・。」

と言いかけると樺山が、

「されど油断は禁物。大殿様の事じゃ。何か、理由があるのやも知れぬ。」

そう言った。それを聞いて秩父が、

「理由か・・・。」

と呟いた。樺山は、

「兎にも角にも、今はお殿様を動かすのが先にござる。」

そう言うのを聞いた秩父も、

「まことですな。」

と言い、樺山と目を合わせていたのであった。

浄岸院(薩摩のことは何一つ知らぬ茂姫達は、何事もなく宴の日を迎えておりました。)

一八〇二(享和二)年三月。大奥では、満開の桜が咲いていた。家斉は廊下を歩きながら、桜を眺めていた。広間で茂姫達が待っていると、

「公方様、お成りにございます!」

と、女中の声がした。それを聞いて、茂姫達は頭を下げた。家斉は席に着くと、

「此度は皆、大義である。今日は、存分に楽しむがよい。」

そう言うと皆は声を揃えて、

「はい。」

と答えた。その中に、美尾の姿もあった。

その後、宴が行われた。家斉は舞を見ながら、酒を飲んでいた。するとふと、美尾が目に入った。美尾はただ黙って座り、舞を眺めている。家斉が酌に来た登勢に、こう尋ねた。

「あの女子は誰じゃ。」

それを聞いた登勢はこう言った。

「お美尾さんですか?」

「ほぉ、お美尾と申すか。」

家斉はそれから暫く、美尾を見つめていた。

そして、宴が無事に終わった。すると家斉は美尾を見ながら、女中にこう言った。

「あの娘をこちらに呼べ。」

女中は少し戸惑ったように、

「あの、それは・・・。」

と言うと家斉が、

「よい。」

そう言うので女中は、

「はい。」

と言って立ち上がり、美尾の所へ行った。それを、遠くから登勢も見ていた。

その後、美尾は家斉の前に座った。美尾は俯き、

「お・・・、お呼びにございましょうか。」

と聞くと家斉が、

「顔を上げよ。」

そう言った。すると、美尾はゆっくりと顔を見せた。そして家斉は、こう聞いた。

「そなた、好きな花は何じゃ。」

「好きな、花・・・?」

美尾が聞き返すと家斉が、

「花じゃ。」

と答えた。すると美尾は、

「つ、椿にございます・・・。」

そう答えると家斉は、

「そうか。」

と、返した。その様子を、偶然茂姫が見ていた。家斉は杯を差し出すと、美尾は酌をした。家斉は、

「そなたは、何故この城に上がった。」

そう聞くので、美尾は言った。

「己を・・・、変えるためにございます。」

「己を変える、のぉ・・・。」

家斉は呟いた。美尾はそれから、ずっと俯いていた。茂姫も、少し離れた場所からその様子を伺っていたのであった。

薩摩の城で、お千万はある包みを斉宣に出していた。そこには、小判が数枚入っていた。斉宣が、

「これは?」

と聞くと、お千万がこう言った。

「以前、殿が江戸よりわたくしに送ってくれていたものにございます。」

それを聞いた斉宣は、

「そうですか。何故、これをわたくしに?」

と聞くと、お千万がこう言った。

「これを、薩摩のために使うて頂きたいのです。わたくしのためでなく、この薩摩のために、あるべきものだと思います。このこと、呉々も殿には伏せておいて下さい。」

それを聞いた斉宣が、

「母上・・・。」

と呟くと、お千万はこう言った。

「万が一、父上との間に諍いが起こった場合には、わたくしのことなど構わず、あなたの信じる道を行きなされ。」

それを聞いた斉宣は驚いて、

「左様な・・・。」

と言っているとお千万が、

「母がしてやれることは、最早ありませぬ。」

そう言うので斉宣は、

「母上・・・。」

と、物悲しそうにお千万を見つめていたのだった。

浄岸院(その頃、大奥では・・・。)

「公方様が、新たな中臈を見初めたじゃと?」

お富が言うと女中は、

「はい。」

そう答えるのだった。お富は、

「またか・・・。公方様には、困ったものよのぉ。」

と、呆れながら言っていた。すると常磐が、

「とすると、宴の時にございましょうか。」

そう言うのでお富は、

「宴じゃと?」

と聞いた。すると、常磐は答えた。

「はい。先日、花見を催されたそうにございます。そこには御台様をはじめ、数多くの御中臈が参加していたとのこと。」

それを聞いたお富は、

「御台が、勧めたのかもしれんのぉ。」

そう呟いているのを、女中の中から大奥年寄・唐橋からはしも見ていた。お富は常磐に、

「で、どのような女子じゃ?」

と聞くと常磐は、

「お美尾と申しまして、何やら、根暗であるとの噂が。」

そう言うのでお富は、

「根暗じゃと?」

と言い、続けてこう言った。

「兎にも角にも、そのようなさえぬ娘をお選びになるなどまことに、笑止千万じゃな。」

と言い、目の前の菓子に手を伸ばしていたのだった。

話を聞いた茂姫は、

「上様が、お美尾をじゃと?」

と聞くと、唐橋がこう言った。

「はい。宴の日、見初められたとか。側室にも、望まれているとか。」

「側室・・・。」

茂姫は、驚いたように呟いた。その話を、隠れて宇多も聞いていた。茂姫は、

「上様は、何と仰せじゃ?」

と聞くから端は首を傾げ、

「さぁ・・・。」

そう言っているので、茂姫は溜め息を吐いていた。

その夜、茂姫は寝間で家斉と向き合っていた。茂姫が、

「お美尾を、側室になさるとお聞き致しました。」

と言うので家斉は、

「そうか。」

そう言った。続けて家斉は、

「あの席にはそなたが呼んだのか?」

と聞くので茂姫は、

「はい。」

と、答えた。茂姫も続けて、こう聞いた。

「上様は、どうお考えなのです?」

「何をじゃ?」

「お美尾のことです。あの者は、自分に自信が持てぬと申しておりました。この城に上がる時も、さぞ辛い思いをしたことでしょう。それに、あの者は今、戸惑っておると思います。何故、あの者をお選びになったのでしょうか。あの者の何をお気に召されたのですか?」

それを聞いた家斉は、

「不服じゃと言うのか。」

と言うので、茂姫は言った。

「そうではありませぬ。ただ、気になるのでございます。」

それを聞いた家斉は、こう言うのだった。

「あの者は、椿を好むそうじゃ。」

「椿、ですか?」

「あぁ。父が昔好きでの。よう部屋に椿の花が飾ってあったものじゃ。」

それを聞いた茂姫は、

「それで、お美尾を側室になさりたいと?」

と聞くと、家斉はこう聞き返してきた。

「御台。何故、わしが多く側室を持つかわかるか?」

「はい。」

「将軍としての力を、世にわからせるためじゃ。それ故、子を産ませては他家へやる。そうすれば、皆わしを見直すであろう。」

それを聞いた茂姫は、

「上に立つ方の、権威にございますか?」

と言うと立ち上がり、家斉はこう言った。

「そうかもしれぬのぉ。」

すると茂姫は、

「されど、あの者を側室になさるのはおやめ下さい。」

と聞くと家斉は振り向き、

「何故じゃ。」

そう聞いた、すると茂姫は、

「お美尾は、今はほどく困惑していると思います。そのように心が不安定では、きっと本人に負荷がかかると存じます。」

そう言うので家斉は再び茂姫の前に座り直し、

「されど、もう決めたことじゃしのぅ。」

そう言うので、茂姫はこう言うのだった。

「上様は己が自分勝手とは思わぬのですか?」

「何?」

「自分が思うた通りに、事を進める。他人に口出しされると、それを嫌い、押し通そうとする。それは、上様の欠点にございます。」

すると、家斉は言った。

「だから、どうした。」

「え?」

茂姫が聞き返すと家斉が、

「わしも、今思うたことがある。」

そう言うので茂姫が、

「それは?」

と聞くと、家斉は言った。

「そなたのようには、なりたくはない。」

それを聞き、茂姫は家斉を見つめた。家斉は続けて、

「人の気持ちも考えずに、無闇に反対する。まるで、己の思い込みに縋っておるようじゃ。」

と言うので茂姫は、

「それは・・・。」

そう言っていると家斉は、

「今宵は、ここまでじゃ。寝る。」

と言い、布団に入ってしまった。

「上様。」

茂姫が声をかけても、家斉は向こうを向いたままだった。茂姫は、それを悲しそうに見つめていた。

一方、薩摩の城では斉宣が部屋に入ると、一人の女性が平伏していた。そして、その女性は顔を上げた。それは、なんと享であった。それを見た斉宣は驚き、

「そなた・・・!」

そう言い、享の所へ駆け寄った。享は、

「申し訳ございません。されど心配で、いても立ってもいられず、来てしまいました。」

と言うので斉宣は、

「そうであったか。心配かけたな。相すまぬ。」

そう言うので享は首を振り、

「いいえ。私の方こそ、便りもなく。」

と言った。それでも斉宣は、嬉しそうに享を見つめていたのだった。

一方で茂姫は、部屋に美尾を呼んでいた。美尾は顔を上げると、茂姫はこう言った。

「上様が、そなたを側室になさりたいそうじゃ。」

それを聞いた美尾は驚き、

「わたくしを・・・!?」

と聞き返していた。茂姫は、

「驚くのも無理はないであろう。わたくしも、反対できなんだ。そなたは、どう思う。」

そう言うのを聞いた美尾は、

「わたくしのような身分の低き者は、公方様のご意向にに従うのが筋にございます。」

と言うので茂姫は、

「まことにそう思うか?」

そう聞いた。すると美尾は、

「はい。」

とだけ答えるので茂姫は、

「そうか・・・。」

そう呟いた後、こう言った。

「わかった。ならば、もう一度上様に会わせよう。」

それを聞いた美尾は、

「そのような。わたくしはただ・・・。」

と言って戸惑っていると、茂姫は言った。

「大丈夫じゃ。全てわたくしが取り計らう。」

それを聞いた美尾は、不思議そうな顔で茂姫を見つめていたのだった。

その後、個室で家斉と面会をした。家斉は上座について、

「面を上げよ。」

と言うと、美尾は顔を上げた。家斉は、美尾を見て言った。

「話とは何じゃ。」

それを聞き、美尾はそっと家斉の傍らに座っている茂姫を見た。茂姫も美尾と目を合わせ、頷いた。そして美尾は覚悟を決め、こう切り出した。

「わたくしはこのお城に上がる前は、人前に出ることなど考えたこともありませんでした。思ったことも言えず、されどそんな自分が、情けないと思うことが多ございました。」

それを、黙って家斉も聞いている。美尾は続けて、

「されど、いつまでもそのようではならぬと思い、あることを思いついたのです。ある方にお仕えし、その中で自信をつけたいと。弱気な自分を変えるために、この大奥に上がりました。しかしそれでも、己を変えることはできませんでした。そんな中、御台様に出会うたのでございます。」

そう言い、少し笑いながら茂姫を見た。茂姫も、見つめ返してくる。美尾は視線を家斉に戻し、続けた。

「御台様は、己を磨くようにと仰せられました。それによって、自分を好きになれるとも仰せられました。わたくしは、思ったのです。この城の中には、わたくしを受け入れて下さる方がいるのではないかと。公方様はあの日、こんなわたくしに何の隔てもなくお声をおかけ下さいました。わたくしは、それが何より嬉しゅうございました。側室の件を聞いた時、少し驚きましたが、わたくしはある覚悟を致しました。」

「覚悟?」

家斉は聞いた。すると美尾は手をつき、

「このようなわたくしですが、心から、公方様をお助けしとうございます。そして、いつかは御台様のように、物事をはっきりと申せるようにもなりたいと思います。わたくしは、全力であなた様にお仕えしとうございます!」

と言い、頭を下げた。茂姫も、それを見つめていた。家斉も笑い、

「顔を見せよ。」

そう言うので、美尾は恐る恐る顔を上げた。すると家斉は、

「わしは、正室も側室も関係ないと思うておる。」

と言うので、美尾は少し驚いた顔をした。そして家斉は続けて、

「それ故、そなたに辛い思いはさせぬ。それだけは、約束するぞ。」

そう言うので美尾は目に涙を浮かべ、

「はい。」

と、答えていた。それを、茂姫も見て笑っていた。家斉は、

「泣いておるのか?」

そう美尾に聞くと、

「いえ。申し訳ありません。」

と、美尾は答えた。それを見て家斉も笑い、

「昔の御台そっくりじゃな。」

そう言っているのを聞き、美尾は泣きながら笑っていた。茂姫も、嬉しそうにその様子を見つめていたのだった。

薩摩では、重豪が斉宣を呼んでいた。

「では、父上がお享を呼び寄せたのですか?」

斉宣が聞くと重豪が、

「あぁ。江戸に一人取り残し、寂しい思いをさせておったからの。」

そう言うので斉宣は、

「お気遣い、痛み入ります。」

と言い、軽く頭を下げた。すると重豪は、

「時にそなた、藩士達の動きを何か知っておるか?」

と聞いた。それを聞いて斉宣は、

「いえ。」

そう言うので重豪は、

「やはり、あれが聞いたようじゃな。」

と言って、薄く笑った。それを見ていた斉宣は、

「あの、姉上のことでしょうか。」

と聞くと重豪は、

「無論、あの者らにはちと応えたようじゃな。」

そう言うのを聞き、斉宣はこう言った。

「わたくしも、感服致しました。やはり姉上は、お強うございますね。」

それを聞いた重豪は、

「あやつらしいと言えば、あやつらしいがの。」

と言い、薄く笑って庭を眺めていた。

その頃、薩摩の別の屋敷では樺山と秩父がまた話し合っていた。樺山は苛立ち、部屋を歩き回りながら、

「大殿はいつまで薩摩に居座るつもりじゃ!江戸に帰ると言いつつも、もうどれほどになろうか。」

そう言うので秩父は鎮めようと、

「焦りは禁物にござる。それに、まだ時間はあるというもの。」

と言うので樺山は立ち止まって、

「それもそうじゃな。」

そう言うと座り、秩父にこう聞いた。

「藩士達は集まりましたか。」

すると秩父は、

「はい。重豪様に反対する者達が、着々と集まっておりまする。」

そう言うのを聞いた樺山は、

「左様か。あとは、お殿様、斉宣様じゃな。」

と言うので秩父も、

「はい!」

と小声で頷いた。樺山も、前を睨むようにして見ていたのであった。

ある日、籠には椿の花が積まれてあった。それを見て登勢が、

「わぁ、どうしたのですか?これは。」

と聞くと、美尾はこう答えた。

「公方様が、わたくしにと下さったのです。」

それを聞いた登勢は、

「公方様は、ほんにお優しいお方ですね。」

と言うのを聞き、美尾はこう言うのだった。

「わたくしは、もっと強くなりとうございます。」

それを聞いた登勢は、

「強く・・・。」

と、繰り返した。すると美尾は続けて、

「されど、強くなりたいと思うほど、自分を苦しめるのです。」

そう言うのを、登勢も心配そうに見ていた。美尾は、

「でもわたくしは、それを克服してみせる。強さを必ず手に入れたいと思います。」

そう言うので登勢も笑い、

「お美尾さんなら、きっとなれますよ。」

と言うと美尾は登勢を見て笑い、

「ありがとうございます。」

そう言って御辞儀をすると、登勢も可笑しそうに笑った。その後、二人はその部屋で共に笑い合っていたのだった。

その夜。茂姫は廊下を一人で歩いていると、桜の木の前で家斉が一人、三味線を弾いている。茂姫は家斉の隣に座り、

「またでございますか?」

と聞いた。すると家斉は弾くのをやめ、

「悪いか。」

そう答えると茂姫も、

「いいえ。」

と答えた。舞い散る夜桜を見て家斉が、

「今年の桜も、もう終わりのじゃの。」

そう言うので茂姫も、

「そうですね。命というものは、ほんに儚い。己の身を捨て、次の命へと繋いでいく。そうして、世は回っていくのでしょう。」

と言っていた。すると家斉が、

「人も、そうなのやも知らぬな。」

そう言うと茂姫は桜の木を見上げながら、こう答えた。

「人の命も、儚く、尊いものです。いつかは終わる命、されど悔いは残したくありません。これを見るたびに思うことがあります。この桜が散るたびに、わたくしは強くなりたい。」

それを聞き、家斉も茂姫を見て笑っていた。家斉は再び桜に目を戻し、

「今宵は、桜酒といくか。」

と言うと茂姫も嬉しそうに、

「はい。」

そう答えていた。

その後、二人は夜桜を眺めながら酒を飲み交わしていたのだった。

浄岸院(そしてその数ヶ月後、城にはある話が舞い込んでおりました。)

「若君様に、御縁談にございまするか。」

そう言ったのは老中・牧野まきの忠精ただきよであった。すると戸田が、

「あぁ。」

と言うので同じく老中の安藤あんどう信成のぶなりが、

「お相手は、何方なのです?」

そう聞くと、戸田はこう言った。

「京の、有栖川宮ありすがわのみや織仁おりひと様の第六の皇女おうじょ楽宮さざのみや様にございます。」

それを聞いた信成が、

「しかし、家斉様の御台様は薩摩のお方。それをまた公家からとなると、色々と不都合がおありなのでは?」

と言うので、戸田はこう言った。

「今は斯様なことを言っている場合ではございません。何とか次の年までに、若君様と楽宮様との縁組みを成立させるのです!」

それを、近くで忠精も見ていたのだった。

それを家斉に伝えると・・・。信成が話した。

「と、いうわけにございまして・・・。」

それを聞いた家斉は、

「左様なこと、聞いておらぬぞ。」

と言うと信成の隣にいた戸田が、

「この徳川宗家では、公方様のお子様は幼少の頃より縁組みを行うという習わしがございます。それは、公方様の知ってのことかと。」

そう言うので家斉は呆れたように、

「ならば、そち達の好きにするがよい。」

そう言うと戸田と信成は、

「はっ。」

と、頭を下げた。すると家斉が、

「その代わり。」

そう言うので、二人は顔を上げて家斉を見た。そして家斉は続けて、

「全ての責任は、その方らが負うのじゃぞ?」

そう言うので二人は、

「ははぁっ!!」

と、再び頭を下げていたのだった。

浄岸院(家慶様御縁談の件は、江戸城に留まらず、暫くのちの薩摩にももたらされておりました。)

重豪は部屋に斉宣を呼び、こう話した。

「江戸の若君様に、御縁談があったそうじゃ。」

それを聞いた斉宣は、

「お相手は、何方なのですか?」

と聞くと、重豪はこう言った。

「相手は、有栖川の姫宮様であるそうじゃ。」

「有栖川の・・・。」

斉宣は、そう呟いた。すると重豪は、

「茂は薩摩の出である故、立場が気になるがの・・・。」

と言うのを聞き、斉宣も心配そうに俯いていた。そうすると重豪が、

「それと話は変わるが、わしは今年末に江戸に発つことにした。」

そう言うのを聞いた斉宣は、

「今年末にですか?」

と聞いた。重豪は続けて、

「前にも話した通り、そなたはこの城に残り、薩摩を治めるのじゃ。」

そう言うと斉宣は冷静に、

「はい。」

と、答えた。それを見て重豪は、

「そうか・・・。」

そう安心そうな顔をした。すると重豪は、このようなことを言い出した。

「時に斉宣。わしは、何故そなたを、嫡男にしたかわかるか?」

それを聞いた斉宣は少し戸惑ったような顔で、

「それは・・・。」

と呟くと、重豪は言った。

「答えは、そなたが知っておる。」

重豪を、斉宣は見つめた。そして重豪は続け、

「己の力で、見つけるがよい。」

そう言うので斉宣は、

「はい!」

と答えた。重豪も、それを見て頷いていたのだった。

浄岸院(一方で、このお方の所にも知らせは届いておりました。)

「家慶様に御縁談?」

松平定信は文を読みながら呟くと、松平家家臣の森田もりた満則みつのりが、

「はぁ。早ければ翌年、縁組みを成立させるとのこと。」

そう言うので定信は、

「家慶様は、間もなく一一になられる。お相手の楽宮様は、今年で八つと聞く。年にさほど差はないにしても、公家から迎えるとなると早すぎる気もするが・・・。」

と言っているのを見て森田も、

「公方様も、老中の方々に任せきりだとか・・・。」

そう言うので、定信はその文を見つめながら聞いていた。

当然の如く、茂姫の耳にも入っていた。

「家慶様に、御縁談?」

茂姫が聞くと宇多が、

「有栖川宮様の六女であらせられるそうにございます。」

そう言うのを聞いて茂姫は、

「そうか。何にせよ、めでたい。その縁組みがうまくいくよう、お祈り申し上げよう。」

と言うと宇多も、

「はい。」

そう答えていたのだった。

浄岸院(そして年が明け、また再び江戸に春が訪れておりました。)

一八〇三(享和三)年三月。登勢と美尾は、縁側に並んで座り、桜を眺めていた。登勢は、

「また今年も、美しゅうございますね。」

と言うと美尾も、

「はい・・・。」

そう答えながら、お腹の辺りを触っていた。それを見た登勢は不思議に思い、

「それは・・・。」

と言うと美尾は顔を上げて微笑んだ。すると登勢も嬉しそうになり、

「おめでとうございます!」

そう言った。美尾は顔を赤らめて、

「わたくしは、ここに来てようございました。」

と言い、また桜を見つめていた。登勢もその様子を、微笑みながら見ていたのだった。

同じ頃、茂姫も家斉と二人きりで桜を見上げていた。隣で酒を飲んでいる家斉を見て、茂姫は愛おしそうな顔をしていた。そして、また目線を桜の方に向けていたのであった。



次回予告

茂姫「上様と同じで、きっと立派になられますよ!」

家斉「ついに決まったようじゃな。」

唐橋「わたくしが、京へ?」

茂姫「頼む。」

家斉「今宵二人でじゃと!?」

茂姫「本当にお好きなら、お確かめになるのが筋と存じます。」

家慶「そなたを守りたい。」

楽宮「え・・・。」

有栖川宮織仁「何が薩摩の御台や。」

安藤信成「こちらを見下しておいでなのでは?」

家斉「またそなたに苦労をかけてしまうな。」

茂姫「わたくしも、皆と同じにございます!」




次回 第二十四回「京からきた姫」 どうぞ、ご期待下さい!

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