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零れた氷  作者: 哀ノ愛カ
8/10

第七片

修学旅行、これにて終了です。

修学旅行は無事に終了した。

白馬山荘まで辿りつけなかった残りの班は、当初棄却された林檎ジャム作り&アウトドア体験をしてそれなりに修学旅行を満喫していたらしい。何でも、とても親切な林檎農家のお兄さんがそれらの手筈を整え、宿まで提供してくれたそうだ。

流達三班は、夜を野外で過ごすという危険な経験をしたものの何とか下山することができた。隼が怪我を負ったこと―――実際は骨折だが捻挫と説明している―――以外は平和な修学旅行だった、ということになっている。

 実際はとんでもないことが起こっていたのだが、峻介も早希も記憶が曖昧らしく、何も覚えてはいない。

 あの後、「怪我をした」と言って何食わぬ顔で隼が現れた。もちろん、峻介と早希がいるので人の姿になって。

流と峻介が肩を貸し、早希が隼の分の荷物も持って・・・という形で下山した次第である。本当はもう一人の同行人がいたのだが、峻介と早希は知らない。

自身も怪我を負っているというのに隼の薬でもう治ったからと、玉零はずっと流達についていた。 

そして、四人が無事に他の班の者と合流したのを見届けると、「先に帰ってるから」と言って、安心したように去っていったのだ。


「隼、大丈夫か?」

 帰りのバスの中で峻介は嫌がらせに近いほど、しつこく隼を労わっている様子だった。

「・・・」

 一方の隼は完全に無視を決め込んだようで無言を貫いている。

 そんな状況を見かねて「明日になったら治るだろ」と言っておいた。

「ええー捻挫は一週間ぐらいかかるって前に母さんが言ってたで」

 実際は全治何カ月の骨折だ。しかし、実はもうほとんど治っているという話だ。玉零によれば、隼は怪我の治りが早い質らしい。これぐらいの怪我は数時間で完治すると言っていた。

 流と峻介のやり取りを見ていた早希がふふっと笑う。

「何や、早希」

 不服そうな峻介に対して早希は上機嫌だ。峻介が立ち直ったと思って、嬉しいのだろう。

 そうこうしているうちに、バスの中は静かになっていった。

 皆、疲れが出て眠りについてしまったのだ。

 流の隣に座っている早希も静かな寝息を立てている。

 通路を挟んだ横の峻介はまだ起きているようだった。その隣の隼は寝たようにも見えるが、恐らくはタヌキ寝入りだろう。

「なあ、荒井。新庄とのこと聞いた」

 今、バスの中は運転手と流と峻介(と隼)以外は眠っている。だから、思い切って聞いてみた。

「あんた、もう本当に大丈夫なのか?」

 早希は安心した様子だったが、流は少し心配だったのだ。雪男にも操られていたわけだし、本当に大丈夫なのかと。

 すると峻介はバツが悪そうに少しはにかんで頷いた。

「それ、早希にな、バスに乗り込む前に同んなじこと聞かれたわ」

「宮根さんが?」

「うん。あいつにはえらい心配かけてしもたな。でも、もう、大丈夫。早希にもそう言っといた。莉子が死んだのは確かに悲しかったけど、今生きてる早希を悲しませてまで悲しむ必要ってあるのかなって思て。あ、これは早希には言ってないけど。まあ、自分でも薄情やなって思うよ?でも、莉子の死を引きずらずに生きても、莉子を好きやった気持ちが嘘になるわけではないって気づいてん。何でやろな。本真に急にな。そう、気づいてん」

 峻介は淡々と話した。何かが吹っ切れたような、そんな晴れやかな顔をしながら。

「なんか、修学旅行登山にして良かったわ」

 峻介は伸びをして唐突にそう言った。

「そうか?」

 最終的には良かったのだろうと流も思うが、関係のない峻介と早希が生死を彷徨った事実があるので、そこは苦笑しておく。

 結果二人が助かって良かったものの、あのままだったらと思うと・・・二人に背中を擦られながら泣いていた流に玉零が言っていった言葉を思い出す。

『雪山に住む妖怪は、人を仮死状態にしてから捕食すると聞くわ。雪女なら生気を吸い取るっていう具合にね。雪男の生態はいまいち分からないけど、この二人は捕食される前の仮死状態だったと見て間違いないわ。本来なら、仮死状態にした同族種にしか解く術はないはずなんだけど。まあ、貴方は雪女を式神にしているわけだし、不思議じゃないわね。こんな奇跡が起こっても。ああ、山の加護もあったのかしら。さっきから彼らも喜んでいるもの。主の帰還にね』

 主の帰還―――山はまだ氷雨を主と思っている。雪男達が認められなかったのも無理はないだろう。

 姿形は失っても、その心の欠片は流の中で生きているのだから。

 感傷に浸っていると、峻介がそうそうと切り出した。

「本真はな、何で登山やねんって思ってん」

 それは、流が聞きたかったはずのことである。

「いや、あんたが言い出したんだろ」

 そして、意外にも折衷案を出して、無理矢理登山を押し込んできたのだ。

今更何を言い出すのかと流は訝った。

「ちゃうねん。俺、登山とかそういうの別に好きちゃうし」

「は?何言ってんだよ。あんたが」

「だ、か、ら、それが不思議やねん。何であの時俺は絶対登山!みたいなこと思ってたんかなって」

 本当に不思議そうな顔で峻介は言う。

 不思議なのはこちらの方だ。

「そもそも、何で長野やねん。高校の修学旅行で長野ってしょぼすぎやろ」

「・・・確かに、な」

 流達の通う宮古学園は京都の高校だ。しかも私立の学校である。その修学旅行がこんなにも近場であるのは確かにおかしい。公立の中学校でも関東には行っている。

 現に他のクラスの行き先は北海道、沖縄、シンガポール、台湾、ニュージーランドといった地名果ては国名が並んでいる。

 なぜ、D組は信州だったのか。

 流は修学旅行の行き先を決める時、学校を休んでいたのでどういう経緯で信州に決まったのかは知らない。

 ただ、

「でも、クラスで決まったことなんだろ?」

 漠然とそう思っていた。

「あれ?もしかして流、あの時いいひんかった?」

「休んでたからな」

「そっか・・・実はな、行き先決めたんも俺やねん」

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。

「は?長野しょぼいって言ってただろ、さっき」

「そう、だから不思議でさあ。今から思えば絶対海外やと思うのに、何でかあの時は長野がいいって思ってんなー。信州のガイドブックとか持参してプレゼンまでしてんで?俺」

 大丈夫かと、本気で峻介のことが心配になってきた。

 単に移り気の激しい性格なのか。それとも二重人格なのか。

 あるいは―――

「何でかな?」

 本気でその理由を追究する気はないのだろう。峻介はケロッとした表情で呟いた。

 その呑気な顔を見ていると真剣に考えるのも馬鹿らしくなり、「知るか」と流は言い放った。

しかし、何かが引っかかる心地がして気持ちが悪い。

 新庄莉子が消えた時に感じた陰陽の流れ。

 まだ、捉えきれていなかった流れがあるのではないかという気がして。

 だが、それを深く考える前に睡魔に襲われ、流の意識は深く落ちていったのだった。



*        *         *



「はーい。流君の修学旅行は無事に終わりましたぁー。良かったねぇ。ホントにねぇ。一時はどうなるかと思ったよぉー」

 ふざけた陽気な声が寝不足と体力を消耗しきった身体に響く。毒でしかないと思うのに、明臣(ひろみ)はその口調を止めようとしない。分かっていてしていることなのだろう。完全に面白がっている。

「それでさぁー。隆世に聞きたいことがあるんだけどぉ。いいかなぁー?」

 無性に腹が立って仕方がない。一度締めてやろうかとも思うが、如何せん今の隆世にそんな気力は残っていなかった。

「その喋り方止めたら、答えてやらなくもない」

 そう、妥協するのが精一杯だ。

「じゃ、聞くけど」

 ベッドに仰向けで寝ている隆世にぐっと顔を近づけて明臣は問う。

「七年前に、何があったの?」

 口角は上がっているのに、珍しく細められていない丸い瞳が隆世を見つめる。全てを覗きこまれているような気がして、隆世はつい目を反らした。

 千里眼は、今ある事象しか捉えられない。人の心まで見られるわけではないと知っているのに、何だか落ち着かなかったのだ。

「前にも言っただろ。その件は全面的に俺が悪いんだよ」

「君ってさ。物凄く強情だよね」

「悪いか?」

「悪くないけど・・・」

 けど、の続きを明臣は答えない。その代わり、これまた珍しく寂しそうな声音で「まあ、いいよ。君が言いたくないのなら」と言った。

「っ!」

 そう言われると、何だかもやもやする。

「いや、そんなに知りたいなら教えてやっても」

「いいよいいよ。隆世と僕の仲とはいえ、言いたくないこともあるよね。ごめん。今のは忘れてくれていいから」

 もやもやが増していく。

 本当はこの機会に明臣には話しておくつもりでいただけに、気まずい。

 この流れを変えるためにはどうすれば―――

「ひろおみ・・・」

「『ひろおみ』じゃなくて、『ひろみ』ね」

明臣(ひろみ)!」

「は、はい。何、どうしたの?」

 恥ずかし過ぎる。本名を正しく呼んだだけだというのに居た堪れない。明臣は驚きで目を丸くしている。

「実は七年前・・・」

「ちょっ。そこで本題!?」

 さっきより驚いた顔をして明臣が待ったを掛けた。

 しかし他にどうすれば良かったというのか。

本来、真面目な隆世はこんな時の上手い返し方が分からない。最終的には真っ向から相手とぶつかることしかできないのだ。

 隆世は仏頂面に仏頂面を重ねて、無理やり話を始めた。その様子に明臣は苦笑しながらも、傾聴の姿勢を見せる。

「七年前の雪山の事件は、流に非はない。それは確かなことだ。にも拘わらず、俺と流との仲が今のようになったのは、全面的に俺に責任がある。それは、昔お前に話したな?」

「うん。詳しい事情はなーんにも言ってくれなかったけどね」

 唇をちょんまがらせて明臣はブーブー言う。話すのを止めたくなったが、ここはぐっと堪えて隆世は続けた。

「両親の遺体を前にして取り乱してしまったから、すぐには気付かなかったんだ。一連の事件、両親の仇が本当は何であるかを」

 隆世は、遠い記憶に探りを入れて、言葉を紡いでいく。

「流は親父とお袋が雪女と一緒に山に入っていったと言った。俺が知らない事実を流だけが知っていて、動揺したのもある。だから、流に酷いことを言って、あいつが山の方へ走っていってしまってからなんだよ。『影』に気づいたのは」

 影とは俗に、正体不明の妖怪を指す場合が多い。しかし、この場合の『影』は違う。

「妖怪の怨霊」

 明臣が呟いた。

「ああ。一連の事件の犯人は妖怪の怨霊の仕業だった。もしくは、その『影』に取り憑かれた妖怪か、はたまた『影』になりかけの妖怪だったのか、それは分からない。でも、確実なのは、当初の親父の見解は間違っていたってことだ。親父はそれほど力のある陰陽師じゃなかったからな。陰陽の流れを読むことはできなかったんだ。俺は親父に被害者の死体を見せてもらえなかったから・・・もし、被害者をこの目で見て、その時点で親父に助言できていればって思うと遣る瀬無いよ。犯人は雪女じゃない。・・・そういえば、あいつ『氷雨じゃない』って、ずっと親父達を道案内したとかいう雪女のことを庇っていたな。俺は、その雪女を殺して来いって言って怒鳴りつけたんだぜ?ほんと、自分が嫌になる」

「でも、それは隆世のせいじゃないでしょ?」

 明臣はそう言って否定するが、隆世は首を横に振った。

「ガキだったってことは認めるよ。だからといって許されるわけじゃねぇ」

 きっと、流は恨んでいる。

 そして、殺したいほどに憎んでいる。

「流が走り去った後、雪山で何があったのかは分からない。何で神咲家伝来の奥義なんか使っちまったのか。いや、使えたのか。俺が全部殺して来いと言ったからか?あれのせいで、流は陰陽京総会に見つかった。流と語り合う機会を完全に断たれたんだ。俺はこの七年間、自分が憎くて堪らない。隅田家を守る使命とか、そんなことはどうでもいい。ただ、許されない願いを願って」

 目が潤む。それを悟られないでいるのは難しい。せめてもの思いで、右腕で両眼を塞いだ。

「それが、君の悲願」

 明臣の静かな声が耳に届く。

『流と仲直りしたい。また兄弟に戻りたい』

 そんな思いを明臣に初めて吐露したのはいつの日だったか。かなり昔のことだったと思う。

 土御門と隅田の蟠りを消したい、それが明臣の悲願だと打ち明けられてから、間もない頃だ。

 あの時も明臣は「それが、君の悲願なんだね」と言っていた。

 悲願だなんて、そんな大それたものではない。たった十三歳の少年が抱いたささやかな、されど許されない願い。

 それも、七年経った今となっては『悲願』と呼ぶにふさわしいものなのかもしれないが。

「山から戻ってきたあいつは今までと雰囲気がまるで違っていた。冷たくて、全てを凍らせてしまう凶器のようで。でも、触れればすぐに砕けてしまうような。そんな危うさがあった。妖怪を式神としてその身に宿していることにも気付いたが、きっとそれだけのせいじゃない。俺が、壊してしまったんだよ。流を」

 そして、俺も壊れてしまった。


 だから、もう、兄弟には戻れない。


『アンタは、流君を殺したいほどに憎んでるんか?』

 楓の言葉が思い起こされる。

 違うと答えると、楓は『流君はそう思ってるみたいやで』と言った。

 恨み、恨まれ、憎み、憎まれる。

 その構図は虚偽。

 そんなことは大分前から分かっていた。

 しかし、間違った方向に進んでしまった流れを今更どうやって糺せばいい?

「本当に、強情だな。君って」

 呆れたような明臣の声。

 無理に腕を退かされ、視界が開ける。

「壊れてしまったなら、直せばいい。そして、君は無事に直すことができたんだよ?」

「な、に言って」

「流君を助けたでしょ?」

 あれが、助けたうちに入るものか。

 壊れたのなら壊れたままでいい。

 間違った流れのままでいい。

 だが、何があっても流を守ると決めて、二年前修学旅行で東京に来ていた流を呼び出した。

 その時隆世は、人形の式神を流に渡したのだ。

 いつでも、流を守れるように。

 でも実際に流を救ったのは白鬼で。その白鬼は流どころか隆世まで救ってみせた。

 そして、隆世が戦線を離脱して、最終的に窮地を乗り切ったのは流自身だった。

 事の成り行きは全て明臣が千里眼で見て、教えてくれた。

「俺は何もできてやしねぇよ」

「いいや」

 それでも、明臣は否定する。

 その時、隆世の携帯が鳴った。

「はーい。隆世君の携帯でーす」

「おい、何でお前が取るんだよ!」

 机に置いてあった携帯を即座に明臣が取った。

「隆世君は、今絶対安静だから、僕が代わりに用件を聞くよ?」

「勝手なことをっ。おい、貸せ!」

 隆世は明臣から携帯をひったくると、受話器に耳を当てた。

無駄な体力を使わせる。

『せやからアンタ誰やねん!隆世に代われ言うとるやろ!』

 電話口から楓の怒った声が聞こえる。

「あー楓か?今、代わった」

『隆世、もう、あの人誰!?めっちゃうっとうしい人やってんけど』

 隣に目をやると、なになにといった表情で明臣が耳をそばだてている。確かにうっとうしい。

「気にするな。それよりどうした?」

 無理に話題を戻すと、楓はぶつぶつと文句を言いながらも、本題に入った。

「流君もうすぐ帰ってくるんやけど」

「そうか」

「どうなったん?」

 心配そうな声で楓が問う。

 隆世はその問いになかなか応えられなかった。

「隆世」

 隣で嗜めるような明臣の声がした。

 覚悟を決めなければならないだろう。拒絶されても、それが自分の悲願なら。貪欲に。諦めない姿勢を持つべきだ。

「楓。流に伝言頼まれてくれないか?」

「いいけど。何があったんかはうちに言ってくれへんねんな」

 ちょっと拗ねたような、悲しげな楓の口調に苦笑する。

「悪いな」

「いいよ、別に。気になるところではあるけど、隆世がそれでいいなら、うちは何も聞かん」

 お節介で出しゃばりだったはずの幼馴染はいつの間にか大人になっていた。それに感謝しつつも内心どぎまぎする。

「そうか、ありがとうな」

 とりあえずの礼を言うことしかできない隆世の横で明臣がにやにやしているのを気配で察した。

 怒鳴りつけたい。

 そんな衝動を抑えつけて、隆世は口を開いた。

「楓。今から言うことを流に伝えてほしい」

楓の「分かった」という言葉を聞くと同時に息を吸い込む。

そして吐きだした。

「許してほしいなんて言わない。今更謝るのもおこがましいって分かっている。だけど、俺は・・・」

 ああ、違う。

 言っていて違和感を拭いきれない。自分に嘘はつけない。これは本音じゃないと、警鐘が鳴る。

正直になれ、傷ついてでも―――そう言い聞かせて、ようやくか細い声が出た。

「――くれ」

 思いが溢れ出す。

「許してくれ。流、本当にすまなかった。俺はこの七年、ずっと後悔してきた。こんな馬鹿で頼りない俺だけど、俺はお前の兄ちゃんでいたんだよ。だから!・・・俺の弟だって言ってくれ」

『ほんと、馬鹿兄貴だよ。あんたは』

 受話器から聞こえてきたのは楓の声ではなかった。

『馬鹿で頑固でクソ真面目で融通が利かなくて。でも、昔も今も俺にとってあんたは目指すべき対象で憧れで、頼りになる俺の兄貴なんだ』


流の声だ。



*        *         *



 本当は、家に帰るべきかどうか迷った。そんなわけはないと思いつつも、許されているんだという気持ちもあった。

 隆世は流を恨んではいない。

 ただ、きっかけがなかっただけで、きっといつでも和解することは可能だったのだ。

 だから、家に戻った。

 玄関では玉無の三姉妹と百花が待っていた。そして、本当にいきなり、楓が電話を掛けたのだ。

 相手は誰だか見当ぐらいつく。

 隅田隆世だ。

 しばらく、楓は何やら言い争っていたが、唐突に携帯をスピーカにして、皆にも声が聞こえるようにした。いや、俺にか。

『許してくれ。流、本当にすまなかった。俺はこの七年、ずっと後悔してきた。こんな馬鹿で頼りない俺だけど、俺はお前の兄ちゃんでいたいんだよ。だから!・・・俺の弟だって言ってくれ』

 それを聞いた時、心の底から馬鹿だと思った。

 馬鹿みたいに真っ直ぐで。もう自分も馬鹿になるしかないと思った。

 一呼吸置いて、流は口を開いた。

「ほんと、馬鹿兄貴だよ。あんたは。馬鹿で頑固でクソ真面目で融通が利かなくて。でも、昔も今も俺にとってあんたは目指すべき対象で憧れで、頼りになる俺の兄貴なんだ。だから、また兄貴って呼んでいいか?」

 受話器の向こうで嗚咽が聞こえてきた。

「あーあ、昔の隆世思い出すわ。あいつめっちゃ泣き虫やったよな?」

 扇が呆れたような声で楓に振る。

「せやな。昔っからなんにも変わってない。隆世は隆世や」

 優衣は「へえー」と意外そうにしている。あまり隆世とは面識がないのだろう。

「そうだったんですか」

 そして、意外に思っている人物がもう一人。

「物心ついた時から、お兄様は厳格なお人でしたから。きっと私には・・・いえ誰にも、弱さを見せまいと頑張ってきたのでしょうね。でも、ちょっと泣き虫なお兄様の方が可愛くて私は好きです」

 百花はにこっと笑うと、楓の携帯に向かって「ね、お兄様」と呼びかけた。

 直後、ツーツーという音しか聞こえなくなる。

 隆世は完全に照れてしまったようだ。

「ということで、流」

 扇が腕を組みながら勿体つけた様子で流に向き合う。

「隆世と仲直りできて良かったな」

「仲直りとかそんなんじゃ――」

「はいはい。照れるなよ。似た者兄弟やな」

 もはや、押し黙るしかない。

「流君、うちらとも仲直りしてくれるか?」

 楓が一歩前に出て、手を差し出した。

二日前、家を飛び出した時の記憶が蘇る。あの時、取り返しのつかないことをしてしまったと思っていたが、まだ間に合うというならば、諦めたくはない。いや、間に合わないのだとしても。

 間違って覚えてしまった『諦め』はもう正されていた。

流は誠意を持って頭を下げ、そして楓を見つめる。

「俺の方こそ、すみませんでした」

「いいよ。うちらも大人げなかった。それにうちらではどうすることもできひんかった。結局、流君の殻を壊すことができたんは隆世やねんから」

 ふっと微笑む楓の手を取って握手すると、とても温かい心地がした。

 もしかすると―――

「殺されればいいって、そういうことだったんですか?」

 修学旅行に発つ日の朝、楓は隆世の式神を渡して、殺されればいいと言った。流はその言葉をそのままの意味で受け取っていたが、どうやら違ったようだ。

「せや。前の日に隆世に電話で聞いてん」

 楓はそう言って、いたずらっぽく笑う。

きっと隆世の背中を押したのは楓なのだろう。

「楓さん。ありがとうございました」

流は心から感謝の言葉を述べた。それに対して楓はなぜか「こちらこそ、ありがとうな」と返した。

 その意味を聞こうとしたが、はたと楓の横にいる人物に目が止まる。

 百花だ。

楓が無言で頷くのが見え、それを合図にして、流は百花に手を差し出した。

「ごめんな、百花。傷つけた」

 百花はしばらく迷っているようだったが、流の手を取った。

「祖父が決めた婚約者だからじゃないんです。ただ、貴方が好きだから傍にいたいと思うんです」

か細い、されど力強い声が耳に届く。百花は流の目を真っ直ぐに見詰めている。

その純真な告白に今度こそ向き合わなければならないと思って口を開くと、百花は人差し指を流の口に押し当てて言葉を遮った。

「きっと、振り向かせて見せます」

 蠱惑的な笑みを浮かべ、百花は言う。

「おいおいおいおい。何だよこの甘い雰囲気は」

 ニヤニヤしながら、扇が流の脇腹を小突く。それが思いの外痛くて、流は呻いた。

その様子を見て百花はクスっと笑う。その顔がいつもと違って見えるのは、何故だろうと頭の端で考えているうちに百花はそのまま自室へと去っていった。

「よっしゃー今夜は焼き肉や!精つけやなな!」

「兄貴・・・やめて、そのセクハラ発言。犯罪やから」

「はあ?どこがや、楓!」

「いや、全体的に・・・」

「何やて?おい、優衣ずっと黙ってやんと何か言ったってや」

「ははは・・・」

「兄貴、優衣に話振るな!困ってるやろ!」

 玉無姉妹の陽気な声を遠くに感じる。

 この数日、いろいろとあり過ぎて頭がついていかない。

いや、心がか。

 隆世との蟠りが消えたこの先のことを考える。きっと、糺された流れはあるべき筋に沿って再び流れ出すのだろう。祖父が『見て』いた流れのままに。

 陰陽の流れに身を任せればいい―――氷雨はそう言った。

 だが、本当にそれでいいのか?

 きっと、もう俺は百花に――――

「流、お前も肉食いたいやろ?」

 扇の呼びかけで意識が戻る。

 流は否とも応とも取れる返事をして、家に上がった。



*        *         *



山から下りると、一気に夏を感じさせる。少し汗ばんだ肌に初夏の風が心地良い。

「ねえ、もう夏よ」

 本当は会って話したかった相手に電話越しに問うと、意外な声が返ってきた。

『夏なんて来ねぇよ』

「どうしてそう思うの?」

『山の上はずっと雪が残ってるんだ。全てに夏が来ることはねぇ』

 なるほど、そんな考え方もあるのかと玉零は黙って聞いた。

『北極とか南極だけじゃねぇよ。日本だってな、ずっと、どこかは寒くて凍ったままだ。玉零、お前さんもそう思うだろ?』

 千歳らしくない小難しいことを言う。その真意を探ることは容易ではないだろうと、半ば諦めて「そうね」と同意した。

 確かに永久凍土の地は日本にも存在する。

「だけど、どうなるかなんて分からないわよ?」

 氷は溶けるものだ。

 神咲流が凍らせた想いが溶けたように。

 しかし、そんなことは千歳の知るところではない。

『何でだよ?』

「地球温暖化。日本もあと百年もしないうちに亜熱帯気候になるんじゃない?」

 玉零は自身ができる精一杯の小難しい話で誤魔化しておいた。

「それはそうと、貴方一体どこにいるの?」

 恨めしい感じを隠さずに聞くと「出張、出張」というふざけた声が返ってくる。

『「百鬼」に寄ったのか?悪いな。俺も別件で忙しくてな』

 流と隼が無事下山したのを見送って、玉零は岐阜の隠れ里に向かった。そこは妖連合「百鬼」の本部であり、千歳の住まいでもある。

 だが、千歳は留守で部下の妖怪達に居場所を聞いても「知らない」の一点張りだった。

「別件て何よ。「百鬼」の長が出ていかないといけないほどのことって何?」

『まあ、そう怒るなよ』

「怒るわよ。当たり前でしょ?信州の件は何とか片がついたけど、私達だけじゃ、ちょっと無理あったわよ?増援ぐらい出してくれたってよかったんじゃない?」

 電話の向こうでククっと笑う声が聞こえる。

「何がおかしいの?」

『いや、あれぐらいのこと、お前さん一人で十分だと思ってたからよ。そうか。随分無理させちまったみたいですまなかったな』

 嫌味なことを言う。

 所詮は子供(・・)だと、馬鹿にしているのだろう。

『それで?今回の件報告するために電話したんだろ?どうだった?』

 完全に仕事モードに切り替えられ、仕方なく玉零は話を始めた。

「津軽地方に住んでいた雪男が原因だったわ。もといた住処を奪われて新天地目指して信州に来たはいいけど、山に認められず、四苦八苦していたみたい。山への生贄に人を捧げたのが運の尽きね。そうなる前に「百鬼」に入ればまた違ったのかもしれないけれど・・・千、貴方、広報の方はどうなっているの?ちゃんと日本全国隈なく勧誘してるわよね?」

『ああ、もちろんだ。「百鬼」が発足してもう二百年だぜ?どんな田舎の奴でも知ってるだろうよ。ただ、耳を貸さない連中が多いってだけで。あの時も、そうだったよな?』

 あの時―――千歳が言わんとしていることは容易に察しがついた。

「そうね」

明治になってすぐの頃、玉零は南アルプスで妖怪退治をしている。

相手は日本アルプス一帯を取りまとめていた雪女の長。名は氷香といったか。新政府発足後、鉄道や田畑の開発により妖怪が棲みにくい世になりつつあった時の話だ。

氷香は人間を捕食対象としてしか見ていなかった。通常雪女は一人の生気を吸取るだけで数十年は生きられる。しかし、氷香は人間に妖怪の力を見せつけることで山の力を得ようとし、日に幾人もの人間を捕食し始めたのだ。

『あの雪女を思い出すぜ。「百鬼」に入れって言っても一向に聞き入れなくて。結局お前さんに殺された』

 信州の雪女一族と言えば、古くから絶大な力を持つ一派だった。それだけ自尊心も高く、俄かにできた妖連合なるものに簡単に入るわけがない。

だが、その時の彼女達の事情は―――窮していた。その一言に尽きる。

人々の信仰は失われ、力が削られていく。それはどれほどの恐怖だったことか。人間を喰ってその恐怖を打ち消そうとした心境を理解できないとは言わない。ただ、許されないことだっただけで。

『そういや、あの雪ん子はどうなったんだろうな』

「雪ん子?」

『あの雪女の何百人目かの子供だよ。えらく俺達に食ってかかってたじゃねぇか』

 そういえば、そんなこともあった。

 氷香を倒した時に傍にいた雪ん子が玉零たちに襲いかかって来たのだ。絶対に敵わないと分かっていても死ぬ気で親の仇を討とうとしていた。

「さあ。あの後は残った雪女達に全部任したから知らないわよ。あれからも山で暮らしてたんじゃないの?」

過去形になるのは、二年前に山の妖怪は全て死んだからだ。まさかそれが流のやったことだとは思いもしなかったが、きっとその前にはもう、『影』にやられていたのだと思う。

『そうか。あの気迫、長になるには申し分ないと思っていたからよ。もしかすると、長を継いだのはあの子かと思ってな』

 千歳はそう言って笑った。昔話を懐かしむように。

 でも、玉零は、

「そうよ。きっと、そうよ!」

 思い到ることがあって、大声を上げた。

『何だよ急に』

「氷雨よ。あの雪ん子が氷雨だったのよ!」

『おい、話が見えねぇんだが?』

 親を殺され、玉零に刃を向けた小さな少女に、あの時確かに名を問うた。

 ―――氷雨。我の名は氷雨だ。

「話せば長くなるけど、聞いてくれる?」

 この偶然を友と分かち合いたくて、そして良き長の死を共に偲びたくて、玉零は一連の事情を千歳に話した。


『なるほどな。でも、なんでそんなに良い雪女になったんだ?氷雨は。あの女の子供だぞ?』

 それは、玉零も不思議だった。

「まあ、人を無闇に喰うこと自体本意じゃなかったんでしょ。だから、他の雪女達もあの後反乱を起こさなかった。誰も、氷香の意思を継がなかったのはそういうことなんじゃないの?」

『はは、お前さんはおめでたいね。反乱を起こさなかったのはお前さんが圧倒的な力で長をぶちのめしたからだろ?あれは、良い見せしめになった』

 随分と不快なことを言う。しかし、あながち外れてはいないだろう。確かに、あの一件以来、妖連合「百鬼」を見る妖怪たちの目が変わった。

『恋をして変わったのかねー?』

 黙っていると、千歳は唐突にそんなことを言った。

「恋で?」

 あ、でも。

「そうかもね」

 氷雨が七年前、隅田の当主に力を貸した理由は、かつて好きだった人に似ていたから。

 もしかすると流と深い交流があったのも、好きだった人に似ている隅田家当主の子息だったからなのかもしれない。

 そして恐らく、氷雨の想い人は、人間。

『おいおい、真に受けるのかよ?今のは戯言だぜ?』

「そう。戯言にしては良いこと言うのね」

 微笑んで、玉零は話題を変えた。

「ところで、『影』について貴方は何か知らないの?それに、そもそも雪男達が津軽の地を追われたのは何故なのかしら?心当たりはない?」

『さあ。『影』なんてのは、俺だって分かりゃしねぇよ。俺は所詮人間の怨霊が元だからよ。妖怪の怨霊とは次元が違う』

 千歳は元人間。そして、人の怨念の化身として妖怪になった者。

同じ怨霊でも人間と妖怪とでは大分違う。千歳ではやはり分からないらしい。

 もし、この件を深く追求するのなら、()を当たるしかないようだ。

 それを千歳に指摘されるかもしれないと一瞬冷やりとしたが、千歳は後者の質問について続けて話してくれた。

『でもまぁ、雪男の件は見当はつく。最近じゃ田舎にも新幹線が通るぐらいだぜ?住みにくくなってるのは確かだ。それが原因だろうよ』

「まあ、そうね」

 しかし、自分が予想していたこと以上の回答は得られなかった。

 戦後の高度経済成長期からこっちは、本当に妖怪にとって不便な世の中になった。明治維新など霞むほどに、昨今の日本の発展は目覚ましい。

 開ければ開けるほど、妖怪の居場所は狭くなる一方だ。人が休まる時間が妖怪達の時間だったはずなのに、人が寝静まることなどもはやなく、光のないところなどないに等しい。

 そうして消えていった妖怪も数多くいる。残された者は人のめったに来ない山奥や辺境の地にひっそりと暮らすのみだ。

「江戸の世が懐かしわ」

『そう言うな、だから「百鬼」があるんだろ?』

 妖連合「百鬼」は明治維新後にできた。当時は人間に怒りを抱く妖怪も多く、人間を襲わないように監視の目を光らせる目的が主だった。しかし、今では居場所のなくなった妖怪達の保護が主な目的となっている。

「ありがとう、千。私も正規のメンバーになれれば良かったんだけど」

『お前さんは家のことがあるだろ?今だって手伝ってもらってんだ。それで十分感謝してんだよ』

 「百鬼」が一番大変だった時―――戦中、戦後。

 玉零は何も出来なかったので、それを負い目に感じていた。そして、やっと千歳と共にやっていけるようになった時に、玉零は力の半分以上を失った。それに、二年前には家督を継いで、自由も利かなくなっている。

今の玉零に出来ることなど、たかが知れている。

それでも、

『感謝してんだよ、俺は』

 千歳はそう言ってくれる。

 その心遣いをありがたく思いながら、玉零はそっと涙を流した。

『大丈夫か?』

「何が?大丈夫よ」

 平気な振りをして、玉零はおどけて見せた。

「そ・れ・で、貴方、本当に何してたのよ?」

 どうにか繕ったつもりだが、千歳にはお見通しなのかもしれない。

『あー、ほんとはよ、旅行に行ってたんだ。家族サービスもしてやらねぇと思ってな。弥生と一緒になって二年。ガキも生まれたし、俺も忙しくやってるんだよ』

「それ、本当?」

『ああ。悪りぃな。お前さんは妖怪退治してたってのに』

 それが本当なら、本気で怒りたい。

 人にばかり厄介事を押し付けて、自分は呑気に家族旅行をしていたと言うのだから。

しかし、それは僻みだと玉零も分かっている。

 千歳が弥生と出会ったのは戦後間もない頃だったと聞く。弥生の家は平安の世から続く名のある妖怪の名家で、妖連合にも与さず、自分達だけで暮らしていた。

 親の了承を得るのに実に半世紀以上掛かり、やっとのことで二年前に結婚したのだ。

そう、ちょうど流と初めて東京で出会った時、玉零は千歳の婚儀に招かれていた。あの日、ちょっとした騒動が東京で起こり、危うく二人の婚礼が台無しになるところだったが、玉零が手を回して無事に解決したのだ。

 結局二人の晴れ姿を見ることはできなかったが仕方ない。これも友のため・・・。

だが、心のどこかで二人に会いたくなかったのだと思う。

二人の幸せそうな姿を目にするのをどこかで拒絶していたのだ。自分には叶わなかった大切な人との幸せと二人の幸せを比べて、絶望してしまうから。

「そういえば、千鶴ちゃんは元気?もうどれぐらい大きくなったのかしら?」

 千歳には気取られないように一転して明るく振る舞う。

『ああ、大きくなったよ』

 無理をしていたのが分かったのだろうか。千歳の声にくもりを感じた。

「そう、また遊びに行くわね。じゃ」

 これ以上恥を晒すのはごめんだと、そそくさと電話を切ろうとすると、『待てよ』と言って千歳に止められた。

「何?」

『あ、いや。何でもねぇ』

 どうも様子がおかしい。そう思うも、玉零からその理由を聞くことは躊躇われた。

 きっと、玉零がまだ過去を引きずっていることを心配しているせいに違いないからだ。そんなことをあえて聞く勇気はなく、「そう」とだけ返事をしておく。

『玉零。夏が来る』

 すると、突拍子もなく千歳が口を開いた。初めに言っていたことと矛盾するようなことを言って、本当は何が言いたいのやら。

『夏といやぁ、祭りだろ?京の祭りは見物らしい。思う存分学園ライフを送りゃいいよ』

「え?何言って――」

 切れた。

「つまり、何?まだ宮古学園にいろってこと?」

 玉零の問い掛けに答える者は当然ながら誰もいなかった。



*        *         *



 スマホには通話終了の画面が表示されている。それを消して、千歳は再び歩き出した。

 長野から岐阜への帰り道。山中を歩く足取りは重い。その理由を思わず玉零に言いかけて、思い留まった。

 言えない。

 そして、絶対に言ってはいけない。

 千歳は、黙々と歩き続けた。

 ふと、目線を北に向けると北アルプスが見え、玉零が陰陽師の少年と共に雪男を対峙したという先ほどの報告を思い出す。

「氷雨か・・・」

 玉零がやや興奮気味に語っていた雪女の名を口にして、千歳は苦笑した。

 玉零は昔から勘の鋭い妖怪だった。父親の能力云々とは別にして。しかし、それでも玉零の知らないこと、気付いていないことはたくさんある。

 隼の気持ちも、千歳のやっていることも、兄、白鷺のことも・・・全然知らない。

 案の定、氷雨のことも知らなかったようだった。

あの雪ん子はどうなったんだろうな、などと何故聞いてしまったのか。知らないなら知らないままでも良かったというのに。自分が殺した雪女の子の行く末など、玉零は微塵も気に掛けていなかった。

否、忘れてしまいたかったのだろう。

自分のせいで親を失った子の悲しみを受け止められず、逃げ出したほどなのだから。

共闘した陰陽師のことをいろいろと言っていたが、玉零も人のことを言えない。玉零も押し殺して封じ込めたものがたくさんある。そしてそれらを千歳は知っている。

 嘘が下手なんだよ、あいつは。それに分かりやす過ぎんだ。

 心の中で呟いて、苦い笑みを零す。

 玉零の話を聞く限り、昔の雪山での一件はもう吹っ切れたようだった。

 当時、玉零は雪女一族が妖連合「百鬼」に加盟することを強く望んでいた。正直、幾人かの雪女は玉零の意見に賛同しかけていた。このままいけば内部分裂を起こし、氷香が長の座から引きずり下ろされることになっていたかもしれない。

 時間をかければ。

 だが、早々に決着をつけなければならない事情があったのだ。

 九州の方で力のある妖怪達が怪しい動きを見せ始め、それに対抗できる力を「百鬼」も備える必要があった。もっと多くの妖怪達を取りこんで組織を大きくすることしか、その時の千歳は考えていなかった。

 だから、氷香を嗾けた。

 もっと人を襲うように。

 そうすれば玉零が黙ってはいないことを知っていて。

 二十人目の犠牲者が出た時、とうとう玉零は氷香を斬った。三つの山脈を制する雪女の長を絶対的な力の差で倒した。

 その噂はすぐに広まり、「百鬼」加盟を渋っていた多くの妖怪達が加盟を表明し出した。

 結果、難なく九州の妖怪達を制圧できた。

 しかし、玉零はそのことを知らない。

 自分が利用されたなどと、夢にも思っていないだろう。

 ただ、その一連の状況に心を痛めていたようで、九州の戦いには一切参加していない。

 その頃、実際玉零は何をしていたのかは知らないが、雪山の出来事を忘れたい一心で怨霊退治に飽き暮れていたことは想像できる。

 その後、結局、雪女達は「百鬼」に加盟することはなかったが、雪ん子だった氷雨はしばらく「百鬼」の預かりになっていた。

 氷雨と再会したのは九州の一件が片付いてからだ。まだ復讐を諦めておらず玉零を探し回っていたので、一応捕まえておいたのがきっかけだった。

初めは痛い思いをさせてすぐに放つか、いっそ殺してしまおうと思っていたが、何が何でも親の仇を討つという鋭い眼差しが気に入り、しばらく置いてやったのだ。

 そんな折、あの男が現れた。

 隅田紀(のり)(たか)

 二代目隅田家当主だ。

 紀隆は氷雨の牢を壊し、何も言わず氷雨の手を引いて去っていった。

 「百鬼」の中には反撃しようとした者もいたが千歳はそれを制し黙って彼らを見送った。紀隆のねらいに察しはついていたからだ。

 氷香亡き後、日本アルプスは荒れていた。新たな長が必要なのは明白で、陰陽家が動いたのも不思議ではない。なぜ隅田かというのは分からないが、それでも目的がはっきりしていたことと、その妥当性に千歳自身納得していたというのもあり、紀隆に一任しておくことにしたのだった。

 その後、氷雨は長になった。部下に調べに行かせたので確かだ。氷雨は温厚派の妖怪として日本アルプスを百年守ってきた。その背景に何があったかは分からない。玉零の話が確かなら、きっと紀隆との間に何かあったのだろう。


 恋をした。

 妖怪が人間に。

 そして、その人間の子孫を守るために命を落とした。


 もしそうなら、何と滑稽で、何と無様で、何と美しいことだろうか。

 罪悪と羨望の間を行ったり来たりしかできない自分とは違って。自分も玉零や氷雨のようになりたいと思うが、それは叶わない。

 なぜなら―――

「罪が深すぎる」

 ぼそりと呟いた声は妙に乾いていた。

 その時、あるはずのないものを見つけて身体が固まる。

 日暮れ時、夕焼けの中に長い影。

 振り返ると、気流し姿の美男子が立っていた。

「罪が深すぎる、だなんて・・・それほど自責の念に囚われているなら、嘘など吐かなければいいのに」

 いつからいたのだろうか。その『影』は。

「驚かさないで下せぇよ」

「驚かすつもりなんてないさ。僕はさっき来たばかりだしね」

長野から「百鬼」の本部に帰る途中の山道で、白鷺はさっき来たばかりだと抜かす。どう考えても待ち伏せしていたか、後を付けていたに違いないというのに。

「それにしても、君の演技は大したものだ、千歳」

「ああ、親切な林檎農家のお兄さんとして、路頭に迷う修学旅行生を導いてやったことですかい?」

 午後二時までに白馬尻小屋に着けなかった大勢の生徒の宿と翌日の段取りを整えてやったのは他でもない千歳である。そして、そうなるようにしたのも千歳であった。

 だが、白鷺は首を振って「違う」と答えた。

「君、家族旅行してたって玉零に言ってただろ?あんな出鱈目・・・ははっ。でも、きっと玉零は信じてるよ。少なくとも、有り得ると思っているだろうね」

 あえて、そこを衝く白鷺には悪意しか感じられない。

 しかも玉零と電話をしていたのは、随分と前のことだ。さっき来たばかりだという台詞が嘘だったと平然と知らしめてくる。

ああ、この人は本当に怖い。

 そう思って、千歳は数歩後ろに下がった。

「どうしたんだい?僕は何もしないよ?」

「すみませんね。ただ、俺の防衛本能が旦那から離れろって頻りに叫んでるもんですから」

「へーそれは心外」

 大して心外にも思っていないくせに白鷺はわざとらしく肩を竦めた。

「で、何用ですかい?」

 早く去ってほしい一心で先を促す。

「随分なことを言うね。用があるのは君の方だろ?信州の件だって春から協力してあげてるじゃないか。あの頭の悪そうなお調子者に信州の登山を勧めるようにしたのは誰?」

そう―――今回の宮古学園の修学旅行が信州の登山になったのは偶然ではない。初めから、仕組まれたことだった。

クラスで一番影響力のある人物―――荒井峻介の心を操作して、行き先が信州になるように、北アルプスの登山に決まるように仕向けたのだ。

誰が?

「旦那・・・ですね」

心を見て、心を読み、心を操る。

それが、白鷺の能力。

「そうさ。君が頼んだから、わざわざ協力してやったんだ。それも上手くいったみたいだし、そろそろ例のことについて教えてくれたっていいんじゃないかな?」

 じっと白鷺の顔を見る。やけに整った顔に浮かんだ笑顔は薄ら寒さを通り過ぎて、まるで氷のようだ。今にも、力技で白状させかねない迫力がある。

 千歳は心に入り込まれないように十分注意して、慎重に口を開いた。

「旦那、前にも言いやしたけど、俺はまだそのことについては何も聞かされてないんですよ」

「じゃあ、早く聞いてきてよ。『九条』って奴から」

「はは、俺だってそうしたいですけど、あいつはめったに現れないですからね」

「ふーん」

 白鷺の限りなく黒に近い濃い青の瞳がじっと千歳を見つめる。

「嘘じゃないみたいだね」

その言葉に、背筋が凍りついた。

別に、心を読まれたわけではない。千歳ほどの妖怪ならば、入り込むのは容易ではないし、もし入り込まれたとしたなら、気付かないはずがない。

しかし、例え能力で心を覗かなくても、玉零以上の洞察力と鋭い勘を備えた白鷺には分かってしまうのだ。

「ほんと、怖い人だ。もし勝機があるなら保身のために真っ先に殺しておきたい相手ですよ」

「保身を考えるなら、何もしない方がいい。返り討ちに合うのは目に見えているからな」

「はは、冗談ですよ」

「そうかい」

 決して、冗談ではない。そしてそれを白鷺も分かっている。こんな腹の探り合いに意味などないのに、あえてその状況を楽しむかのように白鷺はにんまりと口角を上げた。

「しょうがない。もう少し待ってあげるよ。でも・・・」

夕陽が沈む。

『影』が闇に紛れる。

「夏が過ぎても言わないようなら、その時は、覚悟しておけよ。お前を殺して『九条』に直接聞く。そうなったらお前の家族はどうなるか・・・よく考えておけ」

 そして、白鷺は完全に闇と同化して消えた。

「おっかない人だ」

 本当に、玉零と血の繋がった兄なのかと疑いたくなるほどに。


 だが。


 自分とて、玉零の友である資格がどこにあろうか。


 闇が深くなった道を淡々と歩く。

もうすぐで「百鬼」の本部に辿り着く頃だ。

 その時、山から吹き下ろす風がごうと鳴り、直感的に()が来ていることを悟った。

 正体も、目的も分からない。

 ただ、分かることは―――

「次は何をするつもりなんだ」

 また、何かが起こるということ。


隆世はシスコンじゃなくて、ブラコンです笑

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