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零れた氷  作者: 哀ノ愛カ
6/10

第五片

修学旅行で登山ってあるんですかね。私は北海道でした。

 生徒達の話し声が聞こえる。腕時計を見ると七時になろうとしていた。自分でも驚くほど熟睡していたようだ。昨夜あんなことがあったというのに。

 流はあの後、宮古学園へと向かった。近くのネットカフェで一晩越しても良かったのだが、持ち合わせがなかったのだ。よって、晩御飯も食い損ねている。野宿するのは流石に躊躇われたので、宮古学園の高等部に侵入し、保健室のベッドで寝た次第である。

「腹減ったな・・・」

 昨夜は水道水を飲んで空腹を凌いだが、目覚めた途端に空腹感が押し寄せる。こんな状態で長野の街を歩けるのかと思いながら、上体を起こして外に出た。

 集合は七時半だ。

 既に何人かの生徒が校門前に集まっている。流はリュックを背負い、のそのそと裏口へと回った。まさか校舎から堂々と登場するわけにもいかないだろう。家から出てきたように見せかける必要があった。

 随分と遠回りになったが、校門前に向かう。すると、人だかりができているのが目に入った。

 現在の時刻は七時十五分。生徒もだいぶ集まってきたようだったが、どうも様子がおかしい。

「いや、あのー、まだ来てへんのですけど」

「じゃ、待たしてもらいますさかい」

「あ、ちょっと待って下さい!部外者は困ります」

 どうやら学校内に侵入しようとしている不審者をD組の担任が追い出そうとしているらしい。

「え?ちょっと、部外者ってどういうことです?部外者って!!」

「大きな声出さないで下さい!警察呼びますよ?だって、あなた・・・変なこと言うし、部外者っていうか、変質者ですよ」

 変質者とは随分な物言いだが―――

「変質者!?誰に言うてんねん!うちは、神咲流の保護者や!」

聞き捨てならない台詞が耳に入った。

「何してるんですか、楓さん」

 仕方なく出ていくと、皆の視線が一斉に流に集まった。担任は目の前の女が自分の生徒の知り合いだと判断したようで、バツが悪そうに頭を下げている。

「流君」

 冷たい声音が耳を掠め、流は担任以上にバツが悪くなった。が、今更引き下がれない。

「楓さん、俺の処遇が決まったんですか?」

「せや」

 楓はそう言って、流の腕を掴み、人ごみを掻き分けていった。担任とクラスメイトのざわめきが遠のいていく。

「それで、どうなったんです?」

 周りに人がいなくなったところで、流は掴まれた腕を振り払い問うた。

「流君の処遇は、全て隅田隆世に一任した」

「なんだって?」

 思いがけないことで、思わず聞き返す。

「せやから、隆世に任せた言うてるやろ。流君はそれに従い」

「要するに丸投げしたということですか?隅田の当主に。はっ。つまり俺は死ねと?でも、陰陽京総会は――」

「流君、分かってないようやから教えといたるわ。陰陽京総会はアンタの味方やない」

「っ!」

 流は言葉に詰まった。

 陰陽京総会―――七年前、流を京都に呼び寄せた組織。現総代は玉無姉妹の母親だが、それも名ばかりだ。人員不足のため、半世紀近く機能を果たしていないという。つまり、流を実質京都に連れてきたのは、玉無扇――現、玉無家当主その人だ。

彼女と暮らしたのはわずかな期間だった。六女の以吹(いぶき)を出産するために帰省していた時だ。五年ほど前のことである。

『やっと会えた。貴方が流君?ふふ。お母さんそっくりなのね。目元が良く似てる』

本人と会うのはこれが初めてだった。当主・扇は流の母親の親友だったと言う。だから、引き取ったのだと彼女は言った。

偽善者だと思った。

見知らぬ土地に連れて来られ、勝手に姓を変えられて、当時は随分と憤っていたのを覚えている。

だが、事実、隅田隆世に殺されずに済んでいるのは、土御門家の食い物にされていないのは彼女のおかげだとも思っていた。それが、良いことか悪いことかは別にして。

でも、楓は味方ではないと言う。

「あの人は、良い人だよ」

 偽善者だが、悪い人ではない。でなければ、俺なんかを玉無家に匿うはずがないではないかと、流は思う。

「はっ。あれが良い人?冗談やない」

 楓は吐き捨てるように詰った。

「あれは化け物や」

 前々から楓と母親の仲は良くないと感じていたが、ここまでとは正直驚きだった。どうしてそこまで実の母親を毛嫌いするのか分からない。かと言って、踏み込む気は更々ないが。

「分かりました。で、話はそれだけですか?もうすぐ集合時間になるんで行きますよ」

 無理矢理話を打ち切ると、楓は無理矢理何かを胸に押しつけてきた。

「これ、持っていき」

 見ると、隆世の式神だった。わざと家に置いてきたというのに、これも隆世の指示なのだろうか。

「アンタは隆世に殺されればいい。それだけのことをしたんやからな。あれに邪魔はさせへん。その人生、終わらせて()ぃ」

 楓は流を刺す様な目で睨んでいた。隆世から全てを聞いたのだろう。

 流は「そうですね」と短く言い残すと、楓と目を合わせることなく歩き出した。

傷つかなかったと言えば、嘘になる。しかし、傷ついて良い資格など持ち合わせてはいない。

式神は懐の中にしかと仕舞っておいた。



*        *         *



 一日目の長野市内観光は我慢した。班行動ではなく、自由だったので丸一日一人で過ごすことができたからだ。しかし二日目からは班でかたまって行動しなければならない。顔を合わすことになるのは当然で、とうとう限界がきた。気付いた時にはもう、勝手に言葉が口をついて出てきており、流は怒鳴っていた。

「何であんたがいるんだよ!」

 修学旅行二日目。長野県、白馬岳登山口の猿倉荘に到着し、いよいよ登山用の装いに着替えて班別に山登りをするとなった時のことである。

「何か問題でもあるか?」

 バスを降りた直後から流は隼と対峙していた。

「いや、おかしいだろ。何で妖怪が修学旅行に来てるんだよ」

 出発のバスの中から思っていたことだ。あの一件以来、妙に学校に馴染んできているとは感じていたものの、まさか修学旅行にまでついてくるとは想定していなかった。本気で学園生活を楽しむつもりなのだろうか。

「ここには用があるから来ている。それだけのことだ」

 隼は流の考えを打ち消すようにそう捨て置くと、着替えのためにさっさと更衣室に向かおうとする。

「いや、待てよ。用って何だ?」

「貴様には関係のないことだ」

「修学旅行にあんたが便乗してるだけで関係あるんだよ。話せ」

 食い下がると、隼は舌打ちをして「身内のことも処理できない奴が他人の世話か」と嘲笑した。

「おい、それとこれとは今関係ないだろ」

「ないな。それにしても、あの女、いきなり学校に押し掛けて『陰陽師だから、分かるんです。今、ここに流君いますね。会わせて下さい』とかなんとか言ってたぞ。どうなってるんだ?今時の陰陽師は。ちゃんと教育されているのか?」

 途端に担任の『変質者』という言葉が蘇ってきた。楓は実直過ぎるところがあるが、まさかそんなことを言っていたとは。

あの騒動の後、誰も何も言わなかったのは、クラス一冷酷そうと定評のある流に関したことだったからではなく、楓のトンデモ発言に完全に引いてしまっていたからなのかもしれない。頭がイカレている、関わり合いにならない方がいいと判断したのだろう。それは賢明だと同意するが、如何せん自分も絡んでいることなので、正直、居た堪れない。

「・・・それも今は関係ないだろ。それよりここに何の用があって来たんだよ」

 流は気まずそうに、話題を元に戻した。しかし、それに隼が応える気配はない。ややあって、向こうの方から二人を呼ぶ声があった。

「おーい、着替えるでー」

 班長の荒井峻介だ。クラスのムードメーカーで、誰に対しても隔たりなく接するところが周囲に好評を得ている。だから、クラスで浮いている流にもこうして普通に声を掛けられるようだ。

今までは接点がなかったので話す機会もなかったが、修学旅行の班が一緒ということで最近馴れ馴れしくしてくる。

 そういえば、この修学旅行のメインを登山にしようと言い出したのは峻介だった。五月のホームルームで峻介が大雪山から白馬三山の一泊二日コースにしようと提案した時のことを流は苦々しく思い出す。

 だからだろうか。すぐに足は動かなかった。

 すると、登山ウェアに身を包んだ一人の女子生徒がずかずかと流の方に歩み寄ってきた。

「早くしてって!こっちはもう用意できてんねんから!」

 宮根早希――(くだん)の事件で怨霊に殺された新庄莉子に代わり学級委員長を引き継いだ、元・副学級委員長だ。

新庄莉子が消えたあの瞬間も学級委員長をしていた。修学旅行の話し合いで上の空だった流を恫喝していたことは記憶にも新しい。

 元々学級委員長であったという歪みは怨霊が消滅したと同時に糺されたとはいえ、やはり彼女以外に代役はなかったようで、こうしてお節介学級委員長をしている。

 今は、流の班の副班長という立ち位置でお節介を焼いているわけだが。

 班の打ち合わせがあったのは一週間前のこと。その時から早希は妙に流に世話を焼いてくる。クラスの大半の名前を知らないと知るや、名簿を渡して覚えるようにと言いつけてきたほどだ。

正直、参った。

峻介の馴れ馴れしさもそれに便乗してのことなのだろう。正直、騒がしいことこの上ない。

 峻介と早希は、流に躊躇いも遠慮もなく接してくる。他の生徒はビクビクしたり、陰でヒソヒソ言ったりするが、そんなことは決してしない。

 だから、この二人が流と同じ班になったのは当然の流れだったと言える。

「早よしてって!聞いてんの?神咲君」

「聞こえてるよ」

 何で自分にばかり言うのかと思っていたら、先ほどまで向かい合って押し問答をしていた隼の姿が消えていた。これ幸いにと着替えに行ったようだ。

 流は溜息を吐くと、早希に従って更衣室に向かった。


 荒井峻介、宮根早希、白木隼、そして神咲流。

修学旅行の班のメンバーはどのようにして決まったのか、もはや流は覚えていない。目的が登山に決まる前から班だけは決まっていたような気がする。

四十人学級で八つの班。計算すると一班五人になる。が、流の班は四人だ。峻介も早希も一言たりとも何も言わないが、恐らくは新庄莉子がメンバーとして加わっていたに違いない。


不吉だな。


助けられなかったという多少の負い目はあっても、さして仲が良かったわけでもない相手に対して払う敬意はない。それが流らしいと言えばらしいのだろうが、いつもより凍てついた考えになるのは場所のせいかもしれなかった。


 着替えを済ませてリュックを背負う。登山ウェアのポケットには昨日楓が渡してきた隆世の式神が入っている。

 楓の口振りからしても、隆世は本気だと思われた。本気で流を殺そうとしている。

だが、それも悪くない。

この、北アルプスの地で屠られるというのは、とても自然な流れだろう。

隆世にならば、殺されてもいい。

そんな思いを胸に、流は白馬岳を目指した。



 白馬大雪渓は全長約三、五キロ。雪渓としては日本一の規模を誇っており、剱沢雪渓、針ノ木雪渓と並んで日本三大雪渓のひとつに数えられている。真夏にも雪歩きが楽しめるとあって人気のあるコースだ。

 初めは他の班とも団子になってゾロゾロ歩いていたが、猿倉荘から約一時間、白馬尻小屋に到着する頃には、他班の姿は見えなくなっていた。

「あっれえ~他の班の奴ら全然見えへんやん。あいつら何しとんねんやろ」

 峻介の陽気な声が響く。

 流たちは誰よりも早く白馬尻小屋に辿り着いていた。

 女子が一人しかいないということもあるだろうが、何よりも無言で登り続けたというのが大きいだろう。

普通の修学旅行生ならワイワイ騒ぎながら登ったに違いない。だが、このメンバーでそれは考えられなかった。

 言わずもがな流と隼は沈黙を貫いた。本当は、隼がここに来た理由を聞き出したかったが、二人の前でそれはできない。峻介と早希は多少話していたようだった。しかしそれも二言三言に留まり、あまり会話が弾まなかったのか、他二人のペースについて行こうとして息がしんどかったのか、後半はほとんど黙ったままだった。

「もうすぐ来るやろ。先にご飯食べとこよ。っていうか休憩。本真、疲れたー」

 男共の中で随分無理をしていたらしい早希が『おつかれさん!ようこそ大雪渓へ』と書かれた大きな岩の前にしゃがみ込む。

「でも、ここから先は二時以降登ったらあかんねんやろ?もうすぐ二時やん。大丈夫かよ」

 心配そうな峻介に対して早希は「じゃあ、私、もうここまででいい。今日はここに泊る」と気の無い返事をした。

 今はまだ午後一時前だ。さすがに二時以降になることはないだろうが、何だか雲行きが怪しい。ように思われた。

 なぜ、そのように思ったのかは分からない。分からないが、悪寒が走った。


 結局、悪寒の正体に気を止める間もなく、峻介と早希に急かされて昼食を取ることになった。その間、隼はずっと口を閉ざしたままだった。たまに峻介が話しかけても、「ああ」とか「そうか」といった返事しか返って来ない有様だ。

早希は隼の容姿に気圧されているのか、めったに口を利かなかった。目が合う度に恥じらいだ様子で微笑を浮かべる程度だ。ここらあたりは、他の女子同様の反応で、流は意外に思った。

その代わり早希は流にばかり話を振る。

「神咲君って、登山初めて?」

「別に」

「別にって・・・どういう意味やねん」

「別に初めてじゃない」

「ふーん」

食事の後、白馬尻小屋から少し行ったところにある大雪渓ケルンへと向かう。なぜか早希は流の隣に陣取っていた。後ろの方では峻介の声が聞こえてくる。もう、ほとんど独りで永遠何かを喋っていた。どうやら、是が非でも隼と仲良くなりたいと思い、強硬手段に出たようだ。だから、今、早希の話し相手は流以外にはいない。

しばらくの間沈黙が続き、その空気に耐えられなくなった流はとうとう観念して、話に応じる。

「ここから先は雪渓だな」

「うん、そうやな。雪の上を歩くんやろ?もう七月になるっていうのにな」

言っていると、前方に白い道が現れた。

「わあー。本真に雪や!」

子どものようにはしゃぐ早希が目を輝かせて走り出す。

「神咲君、雪やでー」

遠くから大きな声でそう言って、手を振る姿に苦笑した。

「気楽だな」

 ぼそりと呟いた声は誰かの耳に入ることはなかった。


 七年前、両親を殺し、殺された、そして多くの妖怪の命を奪った地。

 修学旅行中に殺されるのだとすれば、それは雪山でだと思う。案の定昨日は何もなかったから、今日か明日か・・・。

 兄と慕った人に殺されるのは。


 早希の笑顔を見ていると、そんな現実が途方もない夢のように思われてくる。

「雪渓を歩くのは、アイゼン着けてからだぞー」

 今にも雪の上で走り回りそうな早希に呼び掛ける。すると、「分かってるし」という少し怒ったような、拗ねた声が返ってきた。


 アイゼンを装着して、いよいよ雪渓を登っていく。

 峻介は未だ隼にぴったりくっついて離れようとしない。

雪にはしゃぐ早希の姿に毒気を抜かれたのか、流は素直に早希との会話を楽しんだ。

 早希は実に表情がコロコロと変わる子だった。新庄莉子には劣る容姿だが、なかなか愛嬌のある顔をしている。話も上手く、山を登る間、流は退屈せずに済んだ。

 早希からの話題は好きな音楽とか、趣味とか、勉強は何が得意とか、そういう当たり障りのないものだった。彼女なりに気を遣ってのことなのだろう。家族関係のことや、出発の日の朝の騒動については触れてこない。そして彼女も自身の深いことについては何も語らなかった。ただ、峻介とは幼馴染であることは聞いた。それに付随して峻介自身のことも。

「今でこそ、あんな風に誰にでも話しかけるようなお調子者やってるけど、昔はぜんっぜん人見知り激しくって。でも、根本的には変わってないのかなーとも思う。表面には出してないだけで、本当はすっごい臆病で・・・それで、やっぱり、寂しいんやわ」

 その時、早希はとても悲しい顔をした。幼馴染に対して何か思うことでもあるのだろうか。

 そういえば、早希と同じようにお節介を焼きたがる誰かも、同じような表情をしていたなと、ふと思った。

 その後、早希はすぐに明るい話題に戻し、何事も無かったように振る舞った。

 そして、そうこうしているうちに、流たちは今日泊ることになっている白馬山荘までやってきた。

「やっと着いたー!記念に写真取ろよ!ほら、隼も!」

 いつの間にか隼は峻介に下の名前で呼び捨てにされていた。思わず笑いそうになり、それをどうにか堪えていると、「流も早く!」という声が聞こえ、流の表情は消えた。

 不承不承に四人で並ぶ。

 近くにいた登山客にカメラを渡して取ってもらったはいいが、後で確認してみると、流と隼の顔が面白いほどの仏頂面で、二人に笑われた。写真をお願いした人も何とも言えない顔で笑って、去っていく。

「もうちょっと、笑えや!」

 これ以上ないほど爆笑している峻介に、流は肩をバンバンと叩かれた。同じく隼も背中を盛大に叩かれている。

 隼はこれ以上やると変化して抜刀し兼ねない様子だったので、隣で見ていて気が気じゃない。こんな調子であの長い時間、二人一緒だったのかと思うと冷や汗が出てきた。

「おい、荒井。山頂には行かないのか?」

 居ても立ってもいられず、流は提案した。

「そうや峻介、ここから十五分くらいみたいやし、荷物だけ置いて行ってみよ」

 早希も慌てて促す。隼が怒っていることを早希もさすがに気にしたらしい。

「そっか。じゃあ、行こ!」

 何でそんなにもテンションが高いのか。隼の不機嫌さや流と早希の心遣いには目もくれず、どんどん行ってしまう。

 とりあえず受付だけを済ませて外に出た。

 すると、何やら向こうの方から緊迫感のある声が聞こえてくる。

「何があったんですか!?」

「それより、救急に連絡を」

「ここではヘリを呼ぶしか」

「早く!」

「ちょっと待って下さい、これはもう・・・」

 人だかりを掻き分けていくと、横たえられた二人の男性の姿が目に入った。

「うそ」

 隣で早希が息を飲む声が聞こえる。

 と同時に、ざわめきの奥から女性の半狂乱になった声が響いた。

「すみません!助けて下さい!うちの娘が!!」

 今度は何事かと皆が振り返ると、中学生ぐらいの女の子を抱き抱えた母親が走ってくる。

「助けて下さい!娘が、娘がああぁぁぁ」

人だかりの前までくると、そこで母親は崩折れた。女の子の目は固く閉じられており、開かれる気配はない。

「な、んで・・・」

野次馬たちが首を伸ばして見物する中、峻介が脱力したように膝をついた。

「峻介!」

 早希が駆け寄って峻介を支える。

「峻介!大丈夫!?しっかりして!」

 もはや大丈夫ではないのは早希も同じように思われた。泣きながら、峻介に抱きついてそのまま自身も動けなくなっていた。

 そんな二人を周囲の人間は冷たく一瞥して、後は無関心だった。

「おい、あんた。荒井の方を頼む。俺は宮根さんを連れていくから」

 流は隼にそう言うと、早希を峻介から引き剥がし、部屋へと連れていった。女部屋に入るのは躊躇われたが、まだ他の班は到着していないので問題はないと判断し、扉を開ける。ベッドに早希を座らせてしばらく様子を窺った。

「ありがとう、神咲君」

 ようやく、早希はそれだけを言った。

「大丈夫そうか?」

 流の問い掛けに早希は首を縦に振る。

「じゃあ、休んどけ。晩御飯は食べられそうなら、食べにくればいい」

 何とも冷たい言葉だと、流自身思った。しかし、早希に掛けられそうな言葉が見つからなかったのは事実だ。

 仕方なくそう言い残すと、流は男子部屋へと向かった。


 峻介はほとんど放心状態だった。

 声を掛けても返事がない。瞳は虚空を捉え、一切の反応が無かった。

「何が起こっている」

 隼は心底不思議そうに質問したが、その答えを流は持ち合わせていなかった。

「二人のことに関しては全く・・・でも」

 一人にしておくのは心配だったが、込み入った話になるので一旦、隼を連れだって外に出る。

「あれは、人ならざる者の仕業だろう」

 三人の遺体を覆う『気』が異様だった。宮古学園の神隠し事件の時に感じたものと似ている。

 陰陽の流れ――――それかどうかは分からないが。

 今更ながらに隆世の言葉を思い出す。

『北の方に良い噂を聞かない。注意しろ』

 きっとそれは、このことだったに違いない。

「あんたがここに来た理由と関係あるのか?」

「そう、かもしれんな」

 難しい顔をして隼は言う。

「それを調べるために来たのだ。今の段階では何とも言えんが」

 なるほど。

 北の方に良い噂を聞かない――――それを、恐らくは神隠し事件を玉零に依頼した者と同じ人物が、情報を提供した。そして、その調査の任を玉零から承ったのだろう。

「つまり、あんたはご主人様から『おつかい』を頼まれたってわけ?」

 流の物言いに隼の眉が上がる。しかし、否定の言葉はない。遠からずといったところなのだろう。

「これからも被害が出るかもしれない。怨霊の類なら俺が出る」

「怨霊とは限らんだろう?貴様などが出ては妖怪に一瞬で喰われるぞ」

さっきの腹いせなのか、随分と嫌味を言ってくる。

「妖怪?それはあんたのことか?なら、相手になってやってもいい。一瞬であの世に送ってやるよ」

 ここら一帯に妖怪はいない。七年前に流が根こそぎ狩ったのだから。隼はそのことを知らないのだろうか。

 否、知らないわけがない。

「心配するな。かつてこの山と土地の民を守護していた妖怪達の霊に敬意を払って貴様をここで殺すことはしない」


 山と土地の民を守護していた妖怪達。


『ねえ、氷雨。どうして僕を助けてくれたの?』

 遠い昔の記憶が蘇る。

『それが私らの務めだからさ』

『人間を助けること?』

『そうさ。まあ、先代まではそうでもなかったが・・・。代々、山を守ることだけが一族の務めだった。山の恐怖を知らしめるために昔は人に惨いこともしたと聞く。確かに山は大切だ。私らそのものと言っていい存在だからな。だが、山を敬う民も大切というもの。だから、そちを助けた』

『えー、そんなんじゃ全然納得できないよ。だって、今の人間は山を敬ってないもん。妖怪は神の化身なんでしょ?人からのシンコーがないと生きられないって。人に恐怖を与えるのはそのためだからって。おじいちゃんが言ってたよ。それなのに、どうして氷雨は人間を守りたいの?』

 彼女はふっと微笑んで、流の頭を撫でた。

『それは―――』

 優しい微笑みは、とても遠い。そう、届かないほどの彼方へと消え入ってしまいそうで。


「おい、聞いてるのか?」

 はっとして流の意識は現実に引き戻された。

「貴様がこれからどうしようが勝手だが、とにかく俺達の邪魔はするな。いいな?」

 そう言うや否や、隼は変化して行ってしまった。

「俺達?」

 調査だけではないらしい。場合によっては戦うつもりなのだろう。ならば、隼一人で来ているはずがなかった。

 妖怪殺しの妖怪、(はっ)()

 この山の妖怪を全て滅ぼした元凶が流だと知ったら、玉零はどう思うだろうか。

 さすがに、人を守っていた妖怪を殺したとなれば、許さないかもしれない。

 いや、許さないでほしい。

 そうすれば、心穏やかに死んでいける気がした。



 何故か、他の班が到着することはなかった。

 幾分か落ちついた様子の早希が他班の班長に電話を掛けたところ、二時までに猿倉荘に着けなかったから、雪渓までは行かずそのまま下山したという。

 あの三人のように妖の餌食にあっていないと分かり、ほっとするも、外出しにくい状況になってしまった。

 早希はもう大丈夫だろうが、峻介がまだあの状態だ。放っておくのは躊躇われる。

 とりあえず、食事を運びがてら早希と共に様子を見に行ったが、何とも危うい感じだった。

「どうする?」

 女子部屋で早希が聞いた。

 もう、他の女子生徒が泊ることはないので、居座ることに遠慮はない。

「とりあえず、神咲君に頼んでもええかな?」

 そうなるのは自然だろうが、流にはそれができない理由があった。

 もはや、変死体の件は玉零達に任せるつもりだが、如何せん、自分は隆世にいつ寝首を掻かれるか分からない状況だ。まさか、峻介の目の前で殺されるわけにもいかない。

「いや・・・俺より宮根さんの方が良いと思うんだけど。幼馴染なんだろ?」

 ならば一晩一緒にいたからといって何も問題はないように思われる。

だが、早希は暗い表情で首を横に振った。

「あんな峻介の姿見てたら、嫌でも莉子のこと思い出してしまう」

 なぜ、そこで新庄莉子の名前が出るのか分からなかった。

「本当は、私と峻介が幼馴染ってわけじゃないねん。私と峻介と莉子が幼馴染やった。それに、峻介と莉子は付き合ってたんや。神咲君はそういうの興味なさそうやから知らんかったやろうけど。きっと峻介はあの中学生の女の子と莉子を重ねて見てしまったんやと思う。突然死んでしまった莉子と・・・。葬儀の間、あんなに冷静やったのに。でも、いつか爆発してしまうんやないかって心配してた。私はちゃんと泣いたけど、峻介は絶対に泣かなかった。学校でもカラ元気なんか出して、何事も無かったように笑って。普通じゃなかった。でもそれだけに莉子のこと好きやったんやなって思って。莉子が死んだあと、学級委員長に推してくれたんは峻介やったけど、私は莉子みたいにはできへん。そんなん分かり切ってることやけど、でも!・・・ごめん。こんな話しても神咲君には関係ないことやのに。とにかく、嫌やねん。私が莉子の代わりにはなれへんって思い知らされることも、峻介ほどには莉子のこと思ってないって自覚させられることも」

 早希は心から峻介と莉子のことを大切に思っているようだった。

 その感覚は流にも覚えがある。

 流が百花を思う気持ちと同じだ。

「せやからな、お願い。峻介のこと・・・」

 もう、最後は嗚咽しか聞こえなかった。

 流はそっと早希の背中をさすると、部屋を後にした。

 仕方がない。

隆世がいつ式神を通して目の前に現れるか分からなかったが、今夜だけは峻介の傍にいようと思った。

だが―――

「おい、うそだろ・・・」

 男子部屋に戻ると、峻介の姿は消えていた。


荒井君は一体どこへ!?

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