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零れた氷  作者: 哀ノ愛カ
5/10

第四片

修学旅行編スタートです。

六月も終わりが近づいてきた。

 あんな事件があったというのに、修学旅行は予定通り行われるらしい。

 そして、あの事件はもう終わったと言うのに、まだ妖怪が宮古学園に居続けている。


「百花ちゃん、おはよう!」

 元気の良い挨拶が後方から聞こえて、流は溜息を吐いた。

「あ、零ちゃん。おはよう」

 いつもの通学路をいつものように百花と歩く。そして『いつも』と化しつつある玉零達との合流を苦々しく思った。

「ねぇねぇ、百花ちゃん、数学の宿題やってきた?」

「え?やったけど」

「あのさ、良かったら見せてくれない?この通りだからっ」

 そう言って玉零は手を合わせて頼み込む。

「いいよ」

 笑顔で応える百花の将来が心配になり、「お前、人良過ぎ」と、百花だけに聞こえるように流は耳元でぼそりと呟いた。

 瞬間、百花の顔が赤くなる。

 自分のお人よし加減を恥じたのだろうか。

「あ、流兄様。その、私達先に行きますね。零ちゃんに宿題見せないといけないし。行こ、零ちゃん」

「え?あ、うん」

 百花は玉零の腕を掴むと足早に駆けて行ってしまった。

 その後を追いかけようとする隼の袖を引いて止める。

「あんた、行くつもり?止めとけよ」

「貴様に指図される覚えはないが?」

 隼は掴まれた袖を振り払って不機嫌そうに言った。

「そうだろうけど、俺は親切で言ってやってんだよ。あんた、百花からどんな風に見られてるか知ってんの?『零ちゃんの彼氏』だって。自分達が周りからどう見られてるかってこと、ちゃんと自覚した方がいいぞ」

 瞬間、隼は押し黙った。

 何となく難しい顔をして、「そうか」と呟く。

 忠告を素直に受け取られるとは思っていなかった流は内心驚いた。

「大丈夫か?何か今日は気持ち悪いな。体でも悪いのか」

「黙れ、人間」

 隼は至って通常運転だった。

「ただ」

 ただ、

「誤解は解いておいてくれ」

 隼の表情は暗い。

「シロオニにバレたらまずいからか?」

 隼は玉零を女として見ている。それを暴いてしまったことを、未だに流は引きずっていた。

「でも、シロオニはとっくに気づいてるんじゃないのか?俺や百花が勘づいてるんだぞ。あんたの気持ち結構ダダ漏れ―――」

「いや、玉零様は気づいておられない」

 小さい声。されど、強い口調で、隼は断言する。

「どうして言い切れるんだよ。あいつは鋭いし、人の心の機微を読むのも得意だ。あんたの気持ちに気付いてないわけがない」

 玉零から、人の心を読んでいるかのような、強い眼差しで見られていると思う時がある。二度目の再会を果たした時がそうだ。

 見透かされている。

 隆世からは聞いていないが、それは(はっ)()の能力なのではないかと流は踏んでいた。

「絶対に有り得ない」

 それでも、隼は否定した。

「何でだよ」

「玉零様は確かに、人の心を察知することに長けていらっしゃる。だが、ご自身のことには無頓着過ぎるのだ。先の件で自分が狙われるなど、露にも思っていらっしゃらなかった。ご自身の美しさを分かってはおられないからな」

 御馳走様としか言い様のない発言だ。

「それに、あの方は純真でいらっしゃる。俺が『主としてお慕いしている』と言えば、それを信じてしまう。それほど、長く傍にお仕えしているからな。玉零様は、俺に対する疑心を欠片もお持ちではないのだ」

 隼は言って、悲しげな顔をした。

 悟られないようにして、気づかれないようにして。

しかし、それが本心であるとは限らない。

相手に気づいてもらえない寂しさを抱えて、それでも傍に寄りそう。

「シロオニは気づいてるよ。気づいてて、無視してるんじゃないのか。主人と従者の関係を壊さないように」

 その方が、ずっと楽。

 だから、そうだと思わせたくて流は言った。

 だが、隼は寂しげに笑って「ないな」と応える。

「玉零様は、御自身の心を隠すのが異常に下手なのだ。気づいていれば、知らぬ演技など・・・できるような方ではない」

 隼は玉零のことを熟知しているようだった。

 しかし、一方の玉零は隼のことをどれほど知っているのだろうか。何年主従関係にあるのかは知らないが、恐らくは、何も。隼が言うように、大切な事は何も、気づいてはいないのだろう。

「じゃあ、言えよ」

 遣る瀬無い――――そんな思いが胸を掠めた。

「何を」

「好きだってこと」

 どうして、これほどまでに、肩入れしてしまうのか流自身も分からないまま口にしていた。

 妖怪なんて、敵でしかないのに。

 でも、放ってはおけない。

「できない」

「何でだよ!?」

 ふっと息を吐いて、隼は答える。

「貴様に指図される覚えはないからだ」

 相手が自分の主人だから。

 身分違いも甚だしいから。

 そうは言わないことから、もっと重大な理由があるように思えた。

だが、問い詰めることは止めにした。隼があまりにも諦めた目をしていて、どうしようもないと流も諦めた結果だった。


「それにしても、あんた今日はホントに気持ち悪いよ」

「殺されたいなら殺してやるが?」

 何が悲しくて、妖怪と登校しなければならないのかという考えは、もはや流の頭にはない。

 この一か月間、隼といる時間も長く、完全にマヒしてしまったようだった。

 とりあえずは、教室までの道のりを共にする相手と会話を続ける。

「前はあれほど否定してたのに、今日は言っても怒らない」

 流が隼の心を暴いた時、隼は流を本気で殺そうとした。

「諦めた」

 短く言う隼は困り顔だ。

「あんたがそんなに諦めが良い奴だとは知らなかった」

 隼はちらりと流を見やると、「貴様が言うか」と呟いた。

 奇妙なことを言うと思ったのは一瞬のことだ。すぐに先ほどの問答のことだと考えてスルーする。

「それより」

 突然、隼が向き直って、切り出した。

「俺の髪紐はどうした」

「髪紐?」

 聞き慣れない言葉に流は思わず聞き返した。

「赤い紐だ。貴様があの時解いただろうが」

 あの時―――怨霊を誘き寄せるために、隼を囮にした。

 髪を下ろした方が艶っぽく見えるだろうと、確かに解いたのを覚えている。

「ああ、あれか。そういえばどこにやったか・・・」

「貴様!!」

 胸倉を掴まれて、揺さぶられる。

「どこだ!返せ!」

「落ちつけよ。探すから」

 と言っても、ポケットにはない。

 どこかに置いた記憶はないので、家にもない。

「ない」

 正直に言うと、思いっきり睨まれた。

 殴られるかとも思ったが、隼はあっさりと手を離す。

「もういい」

 そうして、隼は一人スタスタと学校へ向かった。

「顔も見たくないってか」

 隼の背中を見つめながら独りごちる。

 髪紐ぐらい別にいいだろうにと流は内心思った。

 第一、どうして今になって聞くのかと憤りを感じるぐらいだ。

あれから数日が経った。人の記憶は刻一刻と薄れていくものだというのに。どこにやったかなど、すぐに思い出せるわけがない。

 しかし、あの様子だと隼は諦めたようだ。

 所詮は髪紐。

 なので、流も忘れて一人学校へ向かうのだった。



「いない」

 昼休み、流は隼を探していた。

 朝のホームルームからずっといない。先に学校へ行ったと思っていたのに、どこへ消えたというのか。

例の神隠し事件が解決した後、宮古学園内でも妖怪の気配を感知できるようになったが、流の能力では範囲に限度がある。しかも隼ほど巧みに妖力を消されては、目の前にいないと察知することは難しい。

よって、隼を探すには手当たり次第見て回るしかないのだが、高等部の校舎のどこにも、その姿はなかった。

「あとは、保健室だけど・・・」

 妖怪が、体調不良など起こすだろうか。

 違うなと思い、保健室は除外する。

 他の選択肢として考えられるのは、玉零のところである。

 流は、中等部の方角に目を馳せた。

「・・・ていうか、何で俺はあいつのこと気にしてるんだよ」

 もう直に昼休みも終わる。

 手にしている弁当箱はまだ開けていない。

 毎日、百花が自分の分と一緒に作ってくれている弁当だ。残すと申し訳ないと思い、適当なところで食べようと腰を下ろした時だった。

「いた」

 中等部の校舎の屋上に茶色の髪がちらちらと見える。

 立ったりしゃがんだりして、後ろで一つに結んだ髪の束が小さく揺れていた。

 隼だ。

「何してるんだよ、あいつ」

 解きかけた弁当の包みを固く結び直して、流は屋上へと急ぐ。

 途中、チャイムが鳴ったが、構わずに階段を上っていった。

この学校の校訓は『自由』。決して規律がないわけではないが、多少の授業欠席は許されている・・・というより無視されている。


「おい、何やってんだよ」

 屋上の扉を開けるなり、流は問うた。

「見て分からないのか?」

 隼は頗る不機嫌な声音で問い返した。流の方を見ようともせずに、ひたすら屋上の隅の方やら、溝の中やらを覗きこんでいる。明らかに何かを探しているような行動だ。

 隼の探し物で思いつくものは一つしかない。

「まさか、髪紐か?」

 てっきり諦めたとばかり思っていた流は驚いた。

「諦めたんじゃなかったのかよ」

「諦める?貴様じゃあるまいし・・・あれは、早々に諦められるようなものではない。無いなら探す。見つけるまでな」

 そう言って、隼は新しい場所へと移動した。

「貴様の手元にないということは、ここに落ちている他あるまい・・・もしくは」

 その先は言いたくないといった表情で隼は口を閉じる。ここにないのなら、あとは佐々木美香の作りだした空間に違いない。しかし、あそこはもう崩れて二度と行けないだろう。

「そんなに大事なものだったのかよ」

 多少の罪悪感から声が小さくなる。

「そうだ」

 断言した隼の返事にますます胸が重たくなった。

「でも今は、代わりの髪紐で結んでるじゃないか。それじゃダメなのか?」

「あれの代わりなどない」

 つまりそれは、誰かからの贈り物だということを示していた。

 それもよほど大切な人からの。

「シロオニから貰ったものだったのか」

 ほとんど独り事に近い言葉だったが、隼が反応した。流に向き直って「なぜそう思う?」と返す。

「なぜって・・・大事なものだったんだろ?ただの髪紐にそこまで執着しない。好きな人からの贈り物とか、そういうのじゃないと。ってことは、シロオニに貰ったものだったんじゃないかって」

 が、隼は溜息を吐いて首を振った。

「人から貰ったものには違いないが、玉零様からではない。あの方は事あるごとに髪を下ろした方がいいとおっしゃる。あの事件の後も、新しい髪紐を買いたいと申したら、ふくれてなかなか財布の紐を緩めては下さらなかった」

 隼はほとほと困った顔でそう言った。

それほどまでに髪を下ろすのが嫌だという理由が分からない。好きな女の好みならば、それに合わせばいいものを。

「変わってるな、あんた」

 思わず出た言葉に、隼が不愉快な顔をした。

「貴様ほどではない」

 返す言葉に剣がある。

 隼は付き合ってられるかという素振りを見せて、髪紐探しに戻っていった。

 そんな隼の背中を眺めつつ、流はふと考える。


 シロオニでないのなら、一体誰からのものなのか。


「もしかして、元カノとかいた?」

「はあ!?」

 驚いたように隼が声を上げる。

「貴様の思考回路が読めん!どこからそんな質問が出てきた!?」

「いや、髪紐の贈り主、昔の女だったりするのかなと」

 流にしてみれば純粋な疑問であり、質問であったのだが、隼はやれやれといった様子で頭を抱え込んだ。

「言っとくが、女から貰ったのではないぞ」

 女からのではない―――それは流にとってどれほど衝撃的な発言だったことか。

「それって・・・あんた、そっち系ってこと?」

「馬鹿か、貴様!そもそも、好きな相手から貰ったものだという発想自体が間違っているとは思わんのか!?」

 怒声が頭に響く。

 隼は今日一番の不機嫌顔で、流を睨みつけていた。

「だったら、誰からのなんだよ?」

 知りたがりのような気がして控えていた言葉がついに出る。

「それを貴様に教える義理があるのか!?」

「失くした責任はこっちにあるわけだし、教えてくれてもいいじゃないか」

「見つけたのならまだしも、失くした責任で義理ができるか!」

 怒りが頂点に達したのか、隼が流の胸倉を掴む。

「おい、やるってのか?言っとくけど、俺はあんたを一瞬で滅することだってできるからな」

 そう言って、やや高い位置にある隼の襟元を掴んだ。

「滅するだと?貴様、妖怪を相手にしたことがあるのか?どうせ怨霊しか倒したことがないのだろう?この下等陰陽師が!」

 売り言葉に買い言葉。そんなことは分かってはいても、一瞬、目が揺らぐ。

「あるよ」

 揺らいだ目が定まった時、その瞳に映ったのは少しばかりたじろいだ隼の姿だった。

 しかし、それさえも一瞬のことで、隼は目を見据えて「貴様は変わっている」と呟いた。


変わっている―――そうかもしれない。


 雪山である妖怪に助けられたことがある。流が七歳の時のことだ。

 昔から、義理の祖父にいろんな妖怪の話を聞かされて、妖怪が好きだったものだから、もっと妖怪が好きになった。

 もちろん滅さなければならない悪い妖怪がいることも知っている。そういう話も祖父がたくさんしてくれた。だけど、それらは時の陰陽師達が倒したから、今はもうほとんどいない。今いる妖怪は優しい妖怪がほとんどだ。流が雪山で遭難していたところを助けてくれた、あの妖怪のように。


 でも――――

 その流を助けてくれた、流が大好きだった妖怪に、育ての親を殺された。

 義兄の叫びが耳の奥に反響して鳴り止まない。

どれほどの罵声を浴びた後だったろうか。流は一人、雪山へと向かった。流がかつて遭難した、そして育ての親が殺された、北アルプスへと。


 妖怪が好きだった。


 隼を放ってはおけないと思うのは昔の名残か。

名残で無用な世話を焼いておきながら、妖怪である隼に妖怪を殺したことがあると言う。


 そんな自分は変わっている。


 好きなのに、殺した自分は、変わっている。


「おい、それ」

 隼が顎で示した先にそれはあった。

「こんなところに・・・」

 制服の上着の内ポケットから、赤い紐の端が覗いている。

「貴様、さっきちゃんと探したのか」

 静かに怒りを露わにして、隼が髪紐をポケットから引き抜いた。

 そしてしばらくそれを見つめて、目を閉じる。

 誰からのものなのかは結局分からず終いとなったが、よほど大切なものであるということは間違いないようだった。

「母親からのか?」

 最後にダメ元で聞いてみる。

 すると予想外なほどに嫌な顔をして否定された。

「貴様、さっき俺が女からのではないと言ったのをもう忘れたのか?」

「じゃ、父親か?」

「違う」

 何がそんなに嫌なのか。

 諦め悪く聞いてくる流に嫌気が差しているのか。

 隼は苦痛に満ちた表情で、「違う」ともう一度呟いた。

 そして、振り絞るようにして言葉を紡ぐ。

「この髪紐は、俺を導く道標のようなもの。しかし、それは同時に戒めであり、縛り。歓喜と苦痛は表裏一体というが・・・悲しみ暮れることの方が多い。だが、そんなものでも、俺にとっては大事なのだ。生きるために。あの方のためなら死ねると誓った証なれば、俺は、これなしにして生きてはいけまい」

 あの方というのが、髪紐の贈り主のことなのか玉零のことなのかは流には計り兼ねた。

 ただ、「そっか」と応えて、黙ることしかできない。

「今、言ったことは、玉零様には―――」

「言わない」

 恐らく、流にも言うつもりなどなかったことだ。

 どこかの鬼ではあるまいし、これ以上お節介を掛けるつもりはない。

 そんな当たり前のことに対して隼は「すまない」と零した。よほど知られたくないことなのか、本当にらしくない。

もしかすると、髪紐が誰かからの贈り物であること自体、玉零は知らないのではないだろうかと、流は思った。



 家に帰るとどっと疲れが押し寄せてきた。

 最近、修学旅行のことで気が滅入っているというのに、隼との昼間のやり取りだ。嫌が応にもあの時のことが思い出される。

「流君、今日の晩御飯は何がええ?」

 笑顔で夕食のリクエストを求める楓には悪いが、「何でも」と素っ気ない返事しかできない。

「どうしたん?最近、元気ないで。悩みでもあるん?」

 心配そうに優衣が声を掛ける。

「何も」

「そんな、何もないってことはないんとちゃう?だって――」

 その言葉には顔も向けずに、完全に無視を決め込んだ。

「おい、ちょぉ待ち」

無言で二階へ上がっていこうとした流の腕を取ったのは扇だった。

「流、分かってるんやろ?」

「ああ」

 短く言い放って、扇を見やる。

「だけど、あんた達も分かってるはずだ」

 玉無家の三人は知っている。

 七年前の出来事を。

 修学旅行の件は百花から聞いたに違いない。そのせいか最近妙に三人は流に気を遣った態度を取っている。

それを知って無視する流も悪いと言えば悪いが、彼等だって流の悩みの種の正体など、本当は聞かずとも分かっているのだ。

「確かに俺等は分かってる。お前が過去を引きずって生きてるってな。隅田の現当主との仲が上手くいってないことだけやない。婚約者としての百花の存在を持て余してることも、ここに連れてこられたことを少なからず憎んでいることも、本当は気づいてる」

 扇の言葉に他の二人は口を挟むことなく、ただ黙って聞いていた。

 正直、扇が言った後半二つは見透かされているとは思っていなかったので驚いた。それも、楓や優衣にまで気づかれていたと知り、今までにないバツの悪さを感じる。

「流、俺達はただ、お前の力になりたいだけや。もうちょっとぐらい心を開いてくれてもええんとちゃうか?」

 扇の瞳が僅かに潤む。

 玉無家に来て七年。扇達の人柄は知っている。甘えてもいい存在だと、痛いほどよく知っている。

 だが、

「あんた達の助けはいらない」

 できない。

 感謝はしている。その気持ちに偽りはない。だから、できれば本音を隠したままでいたかった。

でも、それも我が儘に過ぎないと気付いたから。

「迷惑なんですよ、そういうの。俺に何を期待しているのか知りませんが、応えられそうにもないので、もう放っておいてもらえませんか?あんた達が、どんなに請うても、俺は俺の心を見せることはないんですから」

「何で、そんなことっ」

 扇は信じられないといった目で流を凝視する。楓は俯いたまま何も言わなかったが、優衣はこの状況に耐えられなかったのか、部屋を飛び出していった。

 無理もない。

 今まで、表面上は上手く玉無家の者と付き合っていたのだ。

打ち解けてはいない―――誰もが思っているその考えを、皆が押し殺して、他愛もない関係を築き上げてきた。

玉無扇は、いや、楓、優衣も、その何の意味もなさない形だけの関係を崩したかったのだろう。だから、この機に乗じて流の心に踏み込もうとした。

結果、確かに今までの関係は崩れたようだった。

流が拒絶の意思を口にするのはこれが初めてのことである。

誰がと聞かれれば、確実に流が、辛うじて繋がっていた表面的な関係までも壊してしまったのだ。

「何でや!流!」

 胸倉を掴まれ揺すられる。

 豪快なのに繊細。扇の性格はこの七年で知り尽くしている。流は彼らに心を開かなかったが、彼らは流に心を開いて接してきたからだ。自分達より幼い、それも傷ついた少年の心を癒そうとして必死だったのだろう。

 誰よりも人思いで感情的な扇をここで拒絶すればどうなるかなど簡単に予想できたはずなのに、流はあえて拒絶した。

 もう、一緒には住めなくなったとしても、ここで拒絶しなければ、引き返せなくなると思ったからだ。

「俺は、これからも心を許すことはない」

 扇の腕を引き剥がし、流は静かに言った。

「流君、それはうちらに限った話か?」

 今まで黙っていた楓が口を開く。目には涙が浮かんでいた。

 耳を澄ませば、隣の部屋で優衣の啜り泣く声が聞こえる。

「いえ、違いますよ」

 せめてもの思いで否定の言葉を口にした。

 それに、これは事実だ。

「俺は、誰にも心を許さない。表面では笑っていても、一時癒されることがあっても、心から俺が誰かを許すことは有り得ない」

「何で、言い切れる!?確かにお前は七年前のことで心に傷を負ってるのかもしれへんけど、あれはお前のせいやないやろ!!隅田の当主と奥方が死んだのは妖怪に殺されたからて聞いてる。その妖怪を仇としてお前が滅した。ただ、それだけの話やないか。それがどうして、そんなにも頑なになってしもたんや!」

 そう叫ぶ、扇の目からは無数の雫が流れ落ちていた。

「それだけの話で隅田隆世が、俺をここまで嫌うはずないでしょう」

 二人はきょとんとした表情で流を見る。

 もしかすると、流と隆世の仲の拗れ具合を正確に理解していないのかもしれない。

「隅田当主は、俺を殺したいほどに憎んでいる」

その言葉に扇は息を飲んだ。「いくらなんでも・・・」と言いかけるのを「扇さんが知らないだけだ」と言って流は制した。

 そして、扇の頬を伝う雫を指でそっと掬い取る。

「俺には、これがない。血も涙もない冷血漢にこれ以上心を砕くのは時間の無駄だ。だから、百花。婚約の件はなかったことにしよう」

 その瞬間、扇と楓が目を瞠った。

 一瞬の沈黙の後、廊下の曲がり角から百花が現れる。

「いつから聞いてたんや」

 扇の掠れた声に「最初から」と百花は小さく答えた。

「流君、気づいてたんか!?」

 普段は穏やかな楓が声を荒げる。その声に反応して、優衣が隣の部屋から出てきた。

「俺と百花は一緒に帰宅してましたよ。百花は手を洗いに行ってたから。でも、扇さんが俺の腕を掴む時にはもう廊下にいたんじゃないかな」

 流が百花を見やると、百花は黙ったまま頷いた。

「流君―――」

絞り出すような楓の呼びかけに振り向いた直後、流は頬に大きな衝撃を感じた。

「何で百花ちゃんがいるて知ってて言ったんや!うちらだけやったらいい。所詮他人やねんからな。でも、百花ちゃんは違うやろ!婚約者やなくても、アンタにとって百花ちゃんは、大切な妹や!この()の気持ち考えてたら、あんなこと絶対に言われへんとちゃうんか!?」

 実に楓らしい意見だと流は思った。

 玉無楓は何に対しても無頓着な人間だが、兄妹に関しては例外である。人一倍の兄妹思いの楓にしてみれば、流の百花に対する言動は有り得ないことだ。

そして何より、自分の兄と妹、そして妹のように接してきた百花を流によって傷つけられた。滅多に怒ることのない楓をこれ以上ないほど激怒させたのも無理はない。

「だけど、楓さん。こいつだって、厳密に言えば赤の他人です。確かに隅田の籍に入ってた時は戸籍上は従妹で、兄妹のように暮らしていましたけれど、俺はもう神咲なので」

 有無も言わさず正論で返すと、楓の拳が振り翳された。今度はパーではなくグーだ。

「楓お姉ちゃん、やめっ」

 それを止めたのは優衣だった。

 てっきり扇か百花が止めに入ると思っていたので、流は面食らった。

 おっちょこちょいで、ドジ。優衣の評価はそれ以上でもそれ以下でもない。こういう時、優衣はパニックになって何もできなくなるタイプだと思っていた。

「楓お姉ちゃん、落ち着いて。正直見苦しい」

 普段ほんわかで通っている優衣の言葉とは思えない辛辣な台詞が耳を掠める。

 優衣は扇や楓ほど、他人に関して譲れないものをもっているわけではない。とにかく争いを好まず、絶対に矢面に立たない。誰からも好印象を持たれることに努め、周りに流されがち。かといって芯がないわけではなく、自分に関することには意見も言う。

 だが、今は。自分のことではない。

「落ち着いて考えようよ。この際、私ら玉無家のもんのことはいい。問題は百花ちゃんや。百花ちゃんは、婚約解消に同意するんか?」

 まさかの玉無家の末っ子優衣が指揮を取り出した。扇と楓は呆気にとられているようで、何も言わない。

 いきなり話を振られた百花が意を決したように口を開く。

「私は、生まれた時から流兄様の婚約者と決まっていました。おじい様から仰せつかったこの役目を私の意思で、そして流兄様の意思で取り消すことなんてできません」

 百花はまっすぐ優衣を見てそう言った。そして流の方へと視線を移す。

「それに、私は流兄様を愛していますから、絶対に婚約者を止めたくなんてない」

 百花の強い目に魅入られる。

 これで引き返せると思ったのに。

 引き返したくなくなる。

 だけど、もう決めたこと。

 宮古学園の一件以来、流はずっと考えていた。百花の傍にいてもいいのかと。そして出た結論は、否。

 百花がいると、凍らせた心が解けていく。例の事件の後に泣きそうになったのがその証拠。

百花の存在が僅かな慰めならばいい。しかし、本当に癒されたなら意味がない。


流の罪が解けて消えていくなど、あってはならないのだから。


「やめろ。お前の兄さんに殺される」

「なんで兄様がそんなことを!流兄様は勘違いしています。兄様は流兄様のことを―――」

「俺は、お前等の両親を殺した」

「だから、それは」

「俺のせいじゃないって?違う。俺のせいだ。あの日、父さんに妖怪と合わせたのは俺なんだから」

流の言葉に皆が息を飲んだ。

百花の次の言葉はない。

「それに、俺は君を愛してないから、別に婚約者を止めたって構わない」

 百花がその場にぺしゃりとしゃがみ込む。それを横目に流は階段を上っていった。

 そして、すぐに降りていく。

「何、してるんや」

 扇の呼びかけに振り向きもせず、玄関へと向かう。流は大きなリュックサックを背負っていた。

「出てくなら、一向に構わへんけどな、あのまま百花を放っておく気か!?」

「今は、放っておいた方がいいでしょう。婚約者だった奴が親の仇だと知ってショックを受けているんですから」

「お前っ。理由はそれやないやろ!」

「扇さん」

 靴を履き終えて流は扇に向き直った。

「明日から三日間修学旅行ですので。俺がいない間にこれから俺のことどうするか皆で話し合っておいてください。では」

 扇の制止に耳を貸さず、流は玄関を飛び出した。



*        *         *



 扇の話によると、流は明日から修学旅行らしい。こんなことになったのはだからだろうかと、玉無楓は思った。

「大丈夫?百花ちゃん」

 妹の優衣が、心配そうに百花を抱き起こす。

 返事はないが、百花の足取りは意外としっかりとしていた。気丈なところは兄の隆世とよく似ている。

「楓、これからどうするで」

 百花と優衣が視界から消えた頃、扇が切り出した。

「そんなん、うちらだけで決めれることちゃうしな。母さんとも連絡取らなあかんし、隆世にも―――」

「じゃ、俺はおかんに電話するから、お前は隆世に電話してくれ」

「えっ!」

 まずは自分達だけで話し合うと思っていた楓は驚いた。

 しかも、

「何で、うちが隆世に!」

 疎遠になって久しい相手に連絡を取れだなんて。

「そんなら、おかんの方がええのか?」

 扇は少し意地の悪い顔で言う。

 楓は母親と仲が良くない。

「分かった。隆世に電話するから」

 不服だったが致し方なかった。

 扇は携帯を取り出して自室へと向かう。その時、優衣が戻ってきた。

「百花ちゃんの様子はどう?」

 優衣が何やら難しい顔をしていたので心配で聞く。

すると、「たぶん、まだ諦めてない」というか細い呟きが聞こえてきた。

「優衣?」

「あ、楓お姉ちゃん!そ、そうやねん。百花ちゃん、まだ流君のこと好きみたいで。辛そうっていうか」

「そっか」

「うん。早く元気になってほしいやんな。せや、今日は私が晩御飯作ろかな。百花ちゃんの好きなもんいっぱい作ろっと」

 何だかぎこちない様子で優衣は台所へと向かっていった。

 優衣も今日のことは相当参っているのかもしれない。

「しゃーないな」

 まだ高校生の妹が苦手なのに料理で百花を励まそうとしているのだ。自分も覚悟を決めなければならないだろう。

 楓は意を決して携帯を取り出した。家の中では百花に会話を聞かれるかもしれないので、ひとまず庭に出る。

 相手はコール一回で出た。正直、心の準備がまだ出来てなかったので思わず切ってしまう。

「普通、一回目で出るかっ」

 庭で一人携帯に向かって小さく怒鳴ると、着信音が鳴りだした。

 もちろん相手は隅田隆世である。

 楓は深呼吸をした後、きっちりコール五回で電話を取った。

「もしもし」

「さっきのは間違い電話か」

「違うけど、間違い電話やと思ったんやったら、掛け直さんかったらええのに」

「性分だから仕方ねぇだろ」

「知ってる」

「じゃあ、言うな」

 七年ぶりの隆世との会話は案外素っ気なくて、案外昔と何も変わらなかった。

 しかし、記憶よりも低い声にいささか戸惑いを感じてしまう。

 自分と同い年のはずなのに、急に何だか年上の人と話しているような錯覚に陥って、楓は慌てた。

「そ、そやな。ごめんなさい」

 電話の向こう側から溜息が聞こえる。

「別に謝ることなんてねぇよ。お前にしおらしくされると調子が狂うから、普通にしてくれ。昔みたいに」

 普通にしてくれと言われても、何が普通なのか分からない。

 昔のことなど年月が経ち過ぎていて、もう思い出せないのだから。

「それとも、俺のことは嫌いだから、昔みたいにはできねぇか?」

 楓が黙っていると、それこそしおらしい言葉が耳に届いた。

 胸が、焼けるように熱い。

「嫌いなわけないやん!確かにあの別れ方はなかったと思うけど、あの時アンタは大変やったわけやし、しょうがない。それにうちも悪かった」

 最後に隆世に会ったのは、隅田家夫妻の葬儀の日である。隆世は黒の学生服を着て喪主席に座っていた。何とかして励ましたかったが、何の言葉も出てこない。やっとのことで傍に寄ると、隆世は立ち上がって礼をした。他の参列者と同様のありきたりな言葉を述べながら。

 悲しかった。それが、気心の知れた幼馴染に対する態度かと。

 無理をせずに甘えてほしかった。思いの丈をぶつけてほしかった。

 でも、それは楓の方の我儘。

 きっと、その通りされても、楓に隆世を慰めることなどできはしなかっただろう。

 あの時の楓は幼かったのだ。

 そしてまた、隆世も幼かった。

 「他人行儀なことせんといて!」と怒鳴った楓に対して「他人だろ?」と冷たく言い放ったのだから。

 その言葉に傷ついたのは確かだ。しかし、隆世の性格は知っていたから、それが本心でないことは分かっていた。

 ただ、気丈に、涙を堪えて、立っていただけのこと。

 その後、何となく連絡を取りづらくなって、現在に至る。

「仲直りしよよ、隆世。うちはアンタとまた昔みたいに付き合いたい」

 素直になれば、何ということはない。

 楓は、七年間抱えていた思いをぶつけた。

「そうだな。俺も同じ気持ちだ」

 隆世の言葉にほっと息を吐く。電話で良かったと心底思った。

 楓の涙腺は随分と緩んでいたのだ。

「ところで、お前。俺に何か用があったんじゃねぇのか?」

 促されて、当初の目的を思い出す。

 楓は目元をごしごしと拭いながら、「そうや」と真剣な声音で応えた。

「何か問題でも起きたか?」

 途端に隆世の声音も硬くなる。

「うん。流君に関わることや。正直、うちらだけでは対処しきれん。なあ、隆世。七年前のあの事件、本真は何があったんや。うちらに話してないことがあるんやろ?隠してたことに関してはもうええから、全部言い。いや、でもその前に、まずは隆世に聞いときたいことがある」

 楓は一呼吸置いて、言葉を紡いだ。


 アンタは、流君を殺したいほどに憎んでるんか?


隆世の真意はいかに。

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